みなさんさようなら。

習い事をしているところでも、

チクワンの接種を受けた人の方が

多くなってきている。

 

換気しているとはいえ、

スタジオの中で

みんなして汗をかくわけだから、

その人たちの皮膚や息から

毒素が空気中に発散される場に

私もいなくてはいけない。

 

これは、被害妄想でもなんでもない。

ファ社等の治験をやっているところの報告書にも

書かれていること、彼らは知っていること。

 

(ネット上で一時は公開されていたらしいが

その後は知らん。

そういった指摘をしている人の

YouTubeチャンネルは次々に削除されている。

あるいは、別の手段で発信している。

 

きっと、

”気づく”人の増加につれて、

そういった内容も

書き換えたりしているのかもしれんが

もう確認したくもない。)

 

形だけのマスクを義務化され、

ノーマークの(マークしようの無い)皮膚と息から

毒素を振りまかれるところに

入れられておくしかないことの、

滑稽さと情けなさを

真剣に考え始めると、

こっちが人間をやめなければならない。

究極的には

やめればいいだけだが。

 

そういうこと自体をストレスに感じすぎて

自分の免疫を下げないことだけ、

いつも心に決めている。

 

全ての人は、その時その時で

ベストな選択をしている。

それだけであるはずだ。

そう考えることに抵抗がある場合には

言い聞かせてもいる。

 

 

きのうは、先生も含めて

レッスンの部屋にいた人の中で

接種を受けてないのは私だけ。

 

レッスン中に、自分の

筋肉注射の痕の状態に気づいた一人が

あー、打ったところが赤くなってるー

と始めると、

あー私もそうなりました、とか

私は蕁麻疹が翌日に出てそれで、という感じで

症状の情報交換が始まる。

 

熱を抑える薬は飲んでますか、

あーはいはい飲みました、とか

やっぱり今ちょっと動きすぎるとつらいです、とか

無理しないでくださいねー、とか

心優しい

いたわり合いへと続く。

 

私は、ただ黙ってそこにいる。

その個人個人に、

なんとか打たないことを

選択肢に入れられないか、と

拒絶感なく伝える方法を考えたこともあったし

スタジオ自体には、チクワンに関する

市民の中立的立場からの

勉強会の案内情報を

伝えたこともあった。

(無反応であった)

 

結果、健康体の人が自分の体を

どう扱うか

という個人の問題への過干渉という壁や、

あまりのチクワン盲信の浸透の速さで、

あれよあれよという間に

あの人もこの人もう確認したくもない。

すでに毒の製造機となっていた。

 

そんな状況の中で

結果としてひとり黙っている私に、

「打ちました?」と振られたので

 

「・・・打たない。」

 

とだけ言葉を発した。

すると、労わりあう人々は、

今度は口々に

 

「私も、打ちたくはなかったんですけど、仕事でね〜」

「そこですよねー」

「私も迷ったんですけどねー、職場で

 皆が打つって言うから流されて・・・」

 

この、目も当てられぬ

救いようの無い状況で

マスメディアの情報操作に流され、

周囲に流されていたとしても

せめて、

 

接種を受けたから安心だ!

これでもう私は、567にはかからない!

 

というぐらいの

(かからない、とか無いけど。

 そんなことはチクワンの機能ではない。

 打てば発症しなくなるだけだと

 厚生労働省のHPにも明言されている。)

流された者なりの

安堵感にぐらい

満たされていてほしかった。

 

せめて盲信ぐらいあれば

一瞬のプラシーボ効果くらいなら

期待できようものを。

 

流されるままに

自らの健康体に毒を打ち込んで

毒を製造する肉体となって

周囲の人間に毒を撒き散らすことを

選んだ判断にすら

責任をとることを避けている

という

その自覚もないらしい。

 

そのうちの一人が続けた。

「接種を受けた人は

5年後に死ぬっていうから、

 

あとはこのスタジオ

よろしくお願いします(笑)」

 

・・・・・。

みなさんさようなら。

 

 

 

喉は喉で。私は私で。

ヒーラーとかリーディングとかやっている方と

仲良くさしてもーてます。

 

その友人が、

ある、滝修行してる人に

(・・・すごい人間関係だな)

アンタもっと、軽やかにいきなはれ!

みたいなことを言った、

というか

熱を込めて訴えたらしい。

 

そしたら、その後、喉が痛い、って。 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210802025053j:plain。 

電話で話してたらしいけれど、

大声で喋り続ける酔っ払いだったわけでもなく

怒鳴り散らした喧嘩でもなく、

ちょっとやそっと

がんばって話したぐらいで

ふつう、

そーそー喉が痛いとこまでは

いかないでしょう。

 

つまり、

喉も、喉なりに、

感じてたんだと思うわー。

ほんとうに。

 

もっとこうしてほしい!

説得したい!という

我を出したからかな・・・

という自覚が

友人にはあるらしい。

 

だからきっと、

本当はそういうことは

言わなくていい状況を望んでいるのに

そうじゃない現実があることに

不快さや、

やりきれなさや、

苛立ちを覚えてしまう、

そのこと自体が

喉への負担になっているのだ。

 

人の体が

肺に、心臓に、肝臓に、

胆嚢に、脾臓に・・・と

内臓にいくつもの感情を

溜め込んでしまうように、

 

喉にも、私たちは

言いたくないことまで声にしてしまう

内側と外側とのギャップを

溜め込んでしまうのだろう。

 

友人の喉の痛みは、

ギャップによる軋みだ。

 

すべて、そういうことだと思うのだ。

 

気分的にウキウキしている時は、

歌いたくなるものだ。

声を体の外側に

響かせたくなるというか。

 

逆に、

歌を認めてほしい!

なんでわかってくれない!?

みたいな意識でライブやっても、

声がスコーンと出てなかったのは、

あったりまえぢゃ!

 

自分を自ら

バリアで覆っていた。

 

喉のチャクラが開くとか

活性化するとかもわかるけれど、

なんか、

喉そのものも

感じてハルねん、ぜったいに。

 

わたいは、あんさんの喉でっけど、

そゆこと声に出して、

ホンマにそれで、よろしんか?

みたいな。

 

チョーえせ関西弁が、

なぜかよく似合う。

 

私の場合、声にとどまらず

あるライブの時には

ピアノの音まで

こもってしまって、

最後の曲の

イントロを始めた瞬間、店長が、

PAが指示通りのことしてないのか!?と

慌ててPA卓の方を振り向いて、

(いや、指示通りにやっとるな)

あれ?なぜ?と

ステージの方に向き直った・・・

 

ということもあったぐらいだ。

そうね、その時は

ピアノまでもが、

ピアノなりに

私の出す「負」の気を感じて、

 

サンファルはん、

そんなネガティブボイスを

このわたいの音に乗せて

人に届ける気でおますのかいな?

かなんなー

気ぃ乗らんなー

えーかげんにせー

 

と、そう思うてたんだろう。

と思います。

 

本気で思うてます。

私は、もう、ぜったいに

あんな音も声も、出さない。

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【ベランダグリーン】蔓に学ぶ ”星咲き るこう草”

今年はどうしたことか、

うちのベランダが初めて

緑に満ちている。

 

画期的だ。

私の、何かが変わったからなんだよなー。

それだけは間違いない。

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土や葉の状態チェック、水やりは、朝の日課よ。

(結局、水ぶっかけ過ぎたりしてるけど)

 

100均の種から育つ生き物たち!!

 

その中の、たった一本。

なーんも知らずに植えた人間をよそに、

がんがん蔓を伸ばす、

「星咲き るこう草」。

追われて、水やりをがんばる、この照れ感。

 

例えるならば、

養子縁組して招いた小さい子に、

ここを我が家だと思っていいんだよ、とは言え

そんな急には懐いてくれんかもしれんが・・・

と遠慮がちに眺めてる端から、

ごはんパクパクオカワリして

ちゃんと、とーちゃんかーちゃんにワガママゆって

チョーわんぱくに育って

すぐ背丈追い越されて、

さっさと自分の進路も自分で決めてった、

立派な子。みたいな。

 

え、いいんですか、という喜び。

養子縁組したことは無い者の

例えですけど。

 

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7月16日→7月31日

左の花の位置は、右の写真の真ん中あたり。2週間でニョキニョキ。

 

蔓の行き場が無いと判断すると、

どうも、その蔓は

伸びるのやめているもよう。

 

そして、違うところから

次の蔓をぐんぐん伸ばして

いわば、

さっさと再スタートを切る。

 

こちとら、

天を

目指してんだからよ。

最善の策をとるまでのことよ。

 

なんとも、

人生における力の入れ具合、

抜き具合を教えてくれる、

まさかの、るこう草。

 

これが、蔓を伸ばしてがんばってる順番です。

 

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あっという間に、固定している網戸に付けた糸を

昇りつめたので、

多少なりとも

かまりどころに余裕のある

隣の糸に巻きつかせたら、

巻きつくまでに

蔓の一部が下降したのが良くなかったのか、

1はその後すぐ、伸びなくなった。

 

その直後から

2が伸び始めたけれど、

上の1に追いついたらどうするんだろう、

という心配を

本人も感じたのか、

また伸びるのをやめてしまった。

 

この、蔓の先の絡まり具合は、

なんとも躊躇した軌跡だ。

 

その直後、またすごい勢いで

3が伸び始めた。

 

3は、1と2の枝分かれよりも

後方から出てきた。

明らかな、仕切り直し。

 

その細く強い曲線は、

もう、人間の導く糸なんてものを

頼ってられるか

と言わんばかりに、

網戸やその先の壁を見限って

逆方向の

宙に向かって

ひよひよすわすわと

浮かび始めた。

 

根と片腕は

土と窓に固定されたままに。

 

伸び過ぎた重みゆえか、

ある日の強い風に掴まされたのか、

諦めたかのように

低位置に巻きつくと、

それまで伸びる予定ではなかったはずの4が、

3より後方から脇芽を伸ばしてきた。

そして、次の急成長候補は、5だ。

 

でもこの数日、

これまでの勢いと比べて、

伸びが悪い。

 

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もはやこれまで、と天を仰いでるとこなのかねー・・・

すまぬ。

マンションの限界、

というか、植物の性質を知らぬ人間の

限界なのだよ。

 

こんなに、

生きるものの

考える戦略を

見せられることになろうとは。

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人間サマには、

空が飾られて、心地よいです。

ありがとう。

 

花まで咲かしてくれはっておーきにるこうはん。誰や。

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2021年7月4日の星咲。ああ、11年前におらく猫が来た日だ。

 

 

プロポリス

はちみつ売り場。

 

わぁ、国産の、有機はちみつ。

 

他のお客さんと話しているのに、

私がはちみつの方を見た途端に

「こんにちはっ!」

と、ふっくらとした

おっかさん的な販売員さんが

愛想よく声をかけてこられた。

 

テキトーに

こんにちはぁ、と

反射的に会釈しつつ、

今無いし、欲しいな、はちみつ・・・

と寄って行くと、

もう一人の、こんどは

小柄な方の販売員さんが、

いかがですかー

と、私の対応を始めた。

二人とも養蜂場キャラらしく、

まぁるい、同じくらいのお年の。

 

有機はちみつは、

トチの花と、きはだ。

 

どんどん試食させてくれる、ちっちゃい方。

こちらもおいしいですよ、

ぼだいじゅ。

独特のクセのある、そば。

 

使い捨ての、透明の樹脂の

小さいスプーンに

とろっと丸く垂らして。

 

舐めたら、そのスプーンに

すぐ次のを継ぎ足してくれる。

 

どうですかー?

と言われても、

口の中が甘すぎて、もうよくわからない。

 

チェイサーをくれたのが、

甘いはずのはちみつレモンで、

それを口に含んでは

酸っぱいなー、と感じて

なおさら、

口の中がもう、よくわからない。

 

でも、香りが良くて好きな

ぼだいじゅと、

有機はちみつという肩書きに惹かれて

きはだの瓶の

二つを買うことにした。

 

「今、新規でご購入いただいた

 お客様には、

 プレゼントがあるんです。」

 

新規客となるために、

お客様情報をください、と。

あー、はいはい。

名前と住所を書いた。

 

その間に、商品を

袋に入れてくれている。

 

書いて渡すと、

「あのー、こちらから

電話をおかけするようなことは

ありませんけれども、

できれば

お電話番号までお書きいただくようにと

言われているもので・・・

よろしいでしょうかー」

 

あーはいはい。

電話番号も書いてから渡した。

 

もう一人のおっきい方が、

私の右からやってきた。

 

「お客様、今日は、

プレゼントが2つなんです!」

ほー、追加?

 

手には、お試しセット的な

少量の何かが数種類、

細々と入ったビニル袋。

 

その中の、おもちゃのような

樹脂の小さなボトルを、

ビニルの上から触りながら、

 

「これは、プロポリスの原液です。」

 

たしかに

はちみつの瓶の一群の横には

プロポリスが並んでいる。

 

飲み物にほんの数滴、

垂らしてお飲みください。

朝起きた時なんかに。

喉にいいんですよ、喉が痛い時なんか。

ちょっとぴりっとしますけどね、

それが効いてるんです。

 

液体の上面に浮く成分が

コップの内側について

取れにくいから、

紙コップなんかがいいですよ、と。

 

それから、と旅行用のような

小さな蓋つきの丸い容器を指して

これは、軟膏。

怪我をしたところに、塗ってください。

 

そして、このローヤルゼリーのカプセルは、

1回2個ずつお飲みください。

 

そして、これは・・・

と、次の何かの説明をしようとするけれど

もうビニル袋の中で

いくつも重なっていて、

全貌が見えない。

 

説明を続けるため、

おっきい方の販売員さんは、

口の止められたビニルの袋を

ガサガサ開けてしまって

その最後のやつを取り出した。

 

ん、開けるのか、と少し思った。

 

私の左でいつからか

商品の袋を持って待ってた

ちっちゃい方は、

 

「説明の紙は、中に入ってますよね。」

と軽く確認する。

あんたがそこまで説明しなくても、と。

 

「うん、入ってる。」と言いながら、

右からの説明は続く。

それが、何か?と。

 

最後のやつは、なんだか

痛み止め入りだという

プロポリスカプセルだった。

 

とにかく、 

それを大もとのビニル袋に

また戻そうとするのだけど、

カプセル10錠ほどと

乾燥剤が入った小さい袋と、

それが上の方をホチキスで止められて

プロポリスカプセルと印字された

台紙との間に、

外袋の口の縁が

挟まれてしまう状態になって

がっさがさ引っかかり続けて、

いつまでたっても

物が元どおりに収まらない。

 

お客様にぜひこのお試し用を

お渡ししようと思って、と。

 

客を喜ばせたいお気持ち

いっぱいなんだなー。

それが感じられるから、

客側としては、なにも嫌ではない。

ありがとう。

 

そこに、食い気味で

待ちきれないように

左から

ちっちゃい店員さんの方が、

もう一つのプレゼントのことを

話し始めた。

 

ワタシがはじめにお伝えした、

この、正真正銘の、プレゼント。

 

お試し用なんかの

付け足しみたいなやつじゃなく。

 

これぞ

プレゼント中のプレゼント。

 

そんな誇りに満ちた態度で、

プロポリス商品のさらに隣に

売り物として並んでいる

4、5種類の

はちみつキャンデーの袋を

指し示す。

 

この中から、どうぞ一つ

お選びくださ~い!

これなんか、人気ですよ~、と

教えてくれたのは

やはりプロポリスキャンデー。

 

じゃあ、それをいただきます、

と言ったら、本当に

にこにこと嬉しそうに、

商品の袋に入れてくれた。

 

この人も、

客を喜ばせたい気持ち

いっぱいの人であることは、

間違いない。

 

すると右から、

「これはまだ

 試飲していただいてないでしょ?」

 

次は私、右向く。

 

左手に小さい紙コップを持っている。

あ、さっきのはちみつレモン?

もういただきました、

と言おうとしたら、

右手には、

ほうじ茶色のプロポリス原液を

たっぷり吸い込んだスポイド。

 

左が言う。

「あ、・・・・ああ、

 プロポリス入れたのは

 ・・・まだ・・・です」

 

私も、

いただきました

と言うのをやめた。

 

「こうやって、ほんの数滴、垂らすんです!」

 

飲んでみてください・・・・!

 

右と左から見守られ、

小型の紙コップに

けっこうたっぷり入った液体を

受け取った。

 

確かに、はちみつレモンの

表面に浮いた成分が

コップの内側に付着している。

 

私「あ、ちょっと臭いがありますね」

右「そうなんですよ~!」

私「ほんとだ、すこし喉がピリッとする」

右「そう!それが効いてるということですー!」

 

左から会話に入ってくる。

「紙コップも

 お渡しすることになってますよね?

 紙コップなんて

 おうちに無い方が多いから。」

 

はっきり理由も言うたー。

研修で、そのように

指導、説明されたのだろうなー。 

 

プロポリス原液お試しセットだけ

渡してどうする。

紙コップも一緒に渡さぬか。右よ。

 

「うん、そうよ。」

右、余裕崩さず。

 

「プロポリスは、免疫も上げるんですよー。」

「そうですか、じゃあ、今の時代にぴったりですね」

「そうなんです~!だから皆様に本当にオススメしているんですよー!」

 

左から商品お渡し。

ありがとうございます。

 

「あの、一冊、説明のついた、あれは、入れてる?」

「はい、入れてます、中に」

 

大事な、プロポリス。

試飲させたお客様に、プロポリス。

 

ちゃんと手抜かりなく、入れたのか、説明書を、左よ。

入れたに決まってるじゃないのさ、いちいち何よ、右よ。

 

「どうぞー、またお越しください~~!」

右大臣と左大臣

二つ並んで、

にこにこと私に商品の袋を渡し、

見送ってくれた。

 

 

そのしばらく後に、

謎のケータイからの着信。

家に帰ってから二度目の着信。

 

「もしもし、堀内さまでしょうかー」

 

よくあることとして、

ハイと返事しといて

間違いはないと思うけれど、

私の苗字の漢字は、

土偏だけれど堀ではない。

 

「あの、堀内さま、

さきほど、はちみつを

お買い上げいただきました、

○○養蜂場の者です」

 

者、って・・・名のらず。

名前聞いてもわからないけれど。

どっちだろう、右か、左か。

 

あのー、商品を一つ、

入れ忘れておりましてー、

たいへん申し訳ございません!

 

あらら。

2つ買った

はちみつのうちの1つ。

 

右から左からの

プレゼント合戦の中、

入れ忘れられていた主役。

 

「あの、もう一人のカノジョが

手渡した時、

お買い上げは1つだと

思ってて、確認しなくて、ごめんなさい」

 

は、はーん・・・

どうも、右だな。

 

送ってくれるという。

期間限定の売り場なので、

あと数日の期間中にまた

そこまで行くかどうかは微妙だ。

大袈裟だけれど、

お申し出どおり、送ってもらうことにした。

 

念のため確認いたします、と

名前と住所を読み上げられる。

 

電話することはありませんが、

と言って速攻、電話され、 

最もこちらの労力少なく

事態収拾のために動いてくれようとして

確認される私の住所氏名。

 

ここまで

お客様情報フル活用されると、

書いた甲斐もある。

 

今度は、私が記入した

ふりがなの方で、

右は

正しい苗字を

淡々と読み上げた。

 

私のことをさっきまで堀内さんと

呼んでいた記憶は、

もう消えているらしかった。

 

マンションの部屋番号を

まったく異なる数字と桁数で

読み上げられたのは

完全に、想定内。

 

しかし、終わりの挨拶は、

私の想定など軽く吹き飛ばした。

 

「それでは、明日の発送で

送らせていただきますー。

申し訳ございませーん。

 

ふじかわが、

ちょっと入れ忘れたんですー」

 

 

じゃ、送らせていただきますー、

もーしわけございませン、

ありがとうございまーす。

 

明日も仲良くなー、

右プロと、左ポリス。

 

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「紙コップもお渡しすることになってますよね?」

 

 

 

 

桜桃忌

6月13日といえば桜桃忌。

太宰治の命日。

 

べつに太宰が好きだ

というほどの

思い入れがあるわけでもないけれど、

毎年、ちらっと思い浮かべる。

 

「桜桃忌」という

文字からくる

薄明るい黄色やピンクの

眩しい寂しさ。

 

 

中学生の時、

家の中でもらう少しのお年玉が

所持金のすべてだった頃、

 

きっと何かを求めて

ひとりでレコード店に行った。

 

永井龍雲という

おそらく名前だけで

並び立つシングル盤に目星をつけ、

自分に合う何かを

ごそごそ探したのだったと思う。

 

そして

ジャケットの

草にねそべる、虚ろな目をした

「いい感じ」の女性の絵と

「桜桃忌」という文字に

惹かれたのだろう。

 

アーティスト買いであり、

ジャケ買いであり、

タイトル買いでもある。

 

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その一枚のレコードだけを手にして、

きっといつもの

ぶすっとした顔で

私は家に戻ってきたのだろう。

 

ひとりで

薄暗い部屋の

小さいプレーヤーの前に座った私は

もう

今に続く世界にいる。

 

ちりちりと始まりの音がして

歪んだピアノの

イントロが始まって、

 

透き通る永井龍雲の声は

もの悲しく、

 

歌は

私の好きではない

6月の季節のことを

「襟元を吹く風が

 心地よく肌に馴染む」

と美しく描き始めたが、

 

私が持つ

夏の眩しさへの

居心地の悪さのようなものが

この歌の世界にはあって、

 

「思い出す 桜桃忌」

と歌ってからサビに行く

大人の歌詞の一行一行を

私は

何度も何度も聴いた。

 

 

「あなたは他の誰よりも

素直に生きていた」

「でもほんの少し先を

見つめすぎただけのこと」

 

繰り返すたたみ掛けが、

なんとも意味がわからないような、

それでいて

ずっとひとりでいる自分に

言われていると確信できるような、

重なり合った感覚のまま、

うつむいた目線の先の

絨毯の柄と一緒に

今も耳に残る。

 

何度も

針を元に戻して

繰り返し聴きながら、

 

「桜桃忌」の意味を知り、

「いい感じ」の絵の作者を知った。

 

あの環境の中で

ひとりで

知らない情報にたどり着いたのだから、

 

きっとうちに唯一あった

広辞苑か何かを抱え込んで

小さい文字を追って

調べたのだとしか思えない。

 

太宰治という大人のことや、

竹久夢二という絵描きのことは、

その時から

意識の中にはっきりと座った。

 

 

何月のことだったのか

まったく思い出せないけれど、

6月の眩しさを

虚しく感じる瞬間には

今も、瞬間的に

私の視界は

あのレコードプレーヤーの前に戻る。

 

自分から

今日は私のたんじょうびなんです〜と

申告しては

「おめでとう」をもらう人達を

私はいつも遠く感じる。

 

この湿り気に満ちた

薄曇りの空気の中、

自分が生まれたと言われている6月の、

自分が生まれたらしい日を

すこし過ぎた、この

桜桃忌の日には毎年、

 

今よりさらに

身を守る術も知らず

たったひとりで

自分の心を守っていた中学生の自分を

思い出す。

 

 

 

冷静に知るために:ワクチンウィルスワクチンウィルスウィルウェルウェルネスチンチンワクワク(1)

冷静に知るために

ワクチンのこと、ウィルスのことを

きちんと知りたいと思っています。

ある程度わたしにも理解できるお話

ホメオパシージャパン由井寅子さんのお話より)

を見つけたので、まとめてみました。

 

ワクチン接種した人も、

する予定の人も、

迷っている人も、

しないから自分は逆に安全と思っている人も、

できるだけ最新の情報と

そこから考え得ることは

共有し、随時、認識を更新していくのがよい

のではないか、と思っています。

 

まず冷静に把握してみる。

そして、その後、

それでもどうにかしてゆきましょうよ、と

道を探ってゆくよ。その(1)。

 

【1】「イメージ」と「現実」

まず、知りましょう。

新型コロナウィルスに感染(※)してしまった人と、

(※ 実際の「感染」ね。「陽性反応が出た」人ではなく。)

感染予防のためにワクチンを打った人とでは、

現実の体の中は、どちらも同じ

「(いわゆる)ウィルス蔓延状態=感染状態」

になっているらしい。

 

ワクチンを打つということは、↓こういうイメージ。

 

「予防接種」とは:

 悪いもの(ウィルス)が入って来た時に

 防衛できるよう、

 その悪いものの中の「ある一部」だけを

 先回りして、体に入れとく(抗体を作っとく)。

 これで安心。

 

「ある一部」を入れるだけで、

ウィルスそのものを入れるわけじゃない。

だから毒じゃない。

それでちゃんと症状も出なくなるし。

という感じのこと。

実際、新型コロナウィルスのワクチンについても

そう説明されている。

 

「まぁリスクも無いわけじゃないけど、

罹患した時のリスクよりはるかに低いから。」

というのが、

「予防接種」全般の捉え方だろう。

 

予防接種大国の日本では

特にこの考え方が一般的だ。

私もそういうもんだと思っていた。

 

けれど、つい最近も最近、

新型コロナウィルスのワクチンについて

明らかにされたことは

 

  • その「ある一部」というのがまさに、体の血管の中で ”悪さ” をするものを作り出す張本人だった!

 

ということ。

「”悪さ” をするもの」 というのは、

「ウィルスの”毒”の部分そのもの」で、

 ”スパイクたんぱく” と呼ばれるもののこと。

(ソーク研究所:2021年4月30日 Circulation Research誌)

(詳しく自分で考えたいお方は↓

  ソーク研究所、(記事を引用しながらの)日本語での詳説

 

つまり、

毒じゃないと思っていたものが毒だった

ということ。

 

今までの私たちは

「ウィルスが体に入ったら大変!」

という、まだちょっと、ふわっとしたイメージを

持っていただけだったけれど、

「てゆうか、スパイクたんぱくが体の中にいたら大変なのだ!」

という現実がわかるところまで来た、ということ。

 

 

呼吸が苦しくなる病気だと言われたりとか、

後遺症としてはどこどこがやられるとか、

ワクチン接種者の周囲に

具合が悪くなる人が多いとか、

ワクチンも効かない変異株が出ていて恐ろしい

とかいうことも、

すべてこれで説明がつくようだ。

 

【2】体の防衛機能

<ふつうの感染経路>

外からの侵入者(ウィルス)は、

手で顔をさわったりして

目や口(の粘膜)から入ったり、

呼吸して肺に入っていったりして、

そこから広がっていく。

 

<そこで出動する自然免疫> 

だから、そういう外敵が

入って来やすい入り口には、

ちゃんと防衛機能として

体の門番がいる。

 

つまり

喉とか肺とかには

外敵センサーがたくさんあって、

侵入者が来たら

体の中の自然免疫軍に、警報を出す。

 

入り口のところで防ぎきれず

本当に奥に入って行かれたら

その軍が出動、侵入者を撃退。

 

<ふつうじゃない侵入経路:注射>

喉や肺は通過せず、

いきなりブスッと針で、直で体内へ。

しかも大量に。

 

<そんな時の自然免疫軍たち>

門番は気付けない。

センサー発動せず。

だから警報も発してない。

軍の兵士たちは「え?」って戸惑う。

 

こういった混乱時には、

スペシャルなチェッカーが

控え室から登場するらしい。

(IgGというお方らしい)

 

兵士のように敵を倒す力は無いけれど、

なんとか「敵だぞこいつら!」と

チェックしておこうとしてくれるようだ。

 

  • 緊急時スペシャル臨時チェッカー機能:「こいつら、なんかわからんけど侵入者だぞー!敵だよ!敵!」と、自然免疫軍の兵士たちが攻撃できる目印となるよう、旗を立てる。

「旗を立てる」というのは、「抗体を作る」ということ。

(IgG抗体というらしい。) 

 

抗体ができたなら、よいんじゃないのか?

 

・・・ちがう。

 

自然免疫軍の兵士たちは、

自然界の敵しか相手にしたことがない。

自然界の敵なら、「敵だ」とわかる。

 

でもこの侵入者は、

人工的に作られたロボット(※)みたいなもの。

 

(※ ウィルスの「ある一部」のコピーを

 脂質の膜で覆って、

 界面活性剤でくるんで、

 ナノサイズに仕上げました☆

 これは、ヒトの細胞の中に

 チョー入って行ける性質の、三つ揃え

 自然界にはそんな性質のものは

 存在していない。)

 

見たことない相手に、

兵士たちの「え?」は続く。

戸惑いマックスで、兵士たち萎縮。

 

むー ・・・この状態はつまり、

 

臨時的に目はつけられているが

撃退されるわけでもない外敵が、

大量に身体中をうろうろしているから、

もう毒は作り出されて

「悪さ」は始まっている、

という状態。

 

兵士たちが「え?」とうまく働けない状態とは、

「自然免疫が一段階下がってしまっている」状態のこと。

 

「悪さ」され放題。蔓延。

 

これが、

「ワクチン接種で ”抗体” が作られるから安心」

と思われている状況の、実情。

 

イメージと真逆の現実。

 

「抗体」は「免疫」ではない。

 

体内に「抗体がある」ということは、

侵入者を排除できていない

「未解決な混乱状態」が

続いている、ということ。 

体の中が「とっ散らかった状態」だということ。

 

今のワクチン接種は、

新型コロナウィルスが

体内に入って「悪さ」している状態と

同じ状態を

人為的に作り出してしまう、ということ。

 

 

いったんここまで。 

取り急ぎお伝えしたいので。

 

でも、ワクチン接種者を差別するのは、

また違うことです。

 

皆ひとりひとり、

その瞬間瞬間の「最善」を選択して

「今」の瞬間にいるだけなので。

 

対策は考えてゆきましょう。

でも、まずは全ての人々が

免疫を下げない生活を心がけることです。

 

次回は、

「ある一部」のさらにエゲツない性質から始めます。

 

 

【夢】ユダネル THE ベスト。

昨日の夢は、なんちゃないような、でも

「委ねてればいいのだよ」

という夢。たぶん。

 

【焦る夢】

外国にいて、帰国する日の朝で、

13時から14時の間に空港にいないといけないのに、

パスポートを持っていなかったと気づく。

 

(その夢の中では、

 日本出国&その国入国の時には

 パスポート無しで

 スルッと移動できるけど、

 戻るためにはその人の照明のため必須・・・(笑))

 

同居人も一緒だったけれど、

あ~あ、パスポート無いなら無国籍だねー、

と他人事として言われて、

とにかく空港に移動しようとしているうちに

はぐれてしまった。

 

スマホも、移動手段も】

ざわつく町の中、呼んでもどこにもいない。

電話で呼び出そうとして、

スマホが無いことに気づく。

 

無いというか、バッグの中からは

いろんな形のスマホやケータイが出て来る。

 

あれ、私のはどれ?あったー、と思って

電話してもつながらない、

ん?とよく見ると、

また私のではなくって、

なぜかどこかで誰かのをいっぱい

間違えて持って来ている。

すごくもどかしい。

 

道は、海の満潮と雨が重なって、冠水。

間に合うのか?時間は過ぎる。

朝から動いているのに、もう、

空港についていないといけない時間に

なってしまっている。

 

とにかく、私に関係しない人が多い町の夢で、

雑然としている。

 

【通り過ぎるためだけの人々】

これは、私の夢にあるパターンの一つだ。

賑やかではある。

皆、私と関わりのない人たちとして

そこにいる。

 

居酒屋みたいなところや、

アミューズメント系のダンスできる場所や

電子機器類のショップみたいなところも

通り抜ける。

 

 

知り合いもいて

あ~もー今日むしゃくしゃしたことを

からしゃべるよー、っと

カフェの一角でノートパソコンに向かって

自分のユーチューブの番組を始める人とか(笑)

(えっ、この人がユーチューブを?とか思いながら、

 こんなに困っているわりには

 頼る前提もなく、私はうろうろしている)

 

日本の領事館に行けば仮パスポートのような

証明を出してもらえるだろう、なんとかなるはず、

とか、自力で動く結果の頼り方として

そんなふうには考えている。

 

【ユダネル】

でも、

どうにも、すべての手段が閉ざされている。

もう、時間も無い。

動く手段も無い。

外国でポツンと、身の証明のしようも無い。

自分からはつまり、働きかけようが無い。

 

・・・こうなったら、

自分以外の何かから

呼んでくれるのを待つしか無い。

 

自分を中心に置いた宇宙を信じて

常にベストなことしか起きないという法則を受け入れて

委ねるということだ。

 

すとん、と力が抜けて

夢の中で、けっこう冷静にそこに思い至った。

 

そう思ったら、すぐ

誰かに名前を呼ばれた。

 

スマホを誰かが拾ってくれたことで、

スマホのショップの日本人スタッフが

私のフルネームを、

とにかく町の中に向かって

「いませんか~?」と叫んでくれている。

 

はいはいはい!私です!!

と手を上げながら寄って行って、

まずはスマホ、戻って来たヽ(´▽`)/

 

そこで今の八方塞がりの状況をつぶやいたら、

「あ、じゃあ、あそこに連絡してあげたらどうかな」

と、そこの社員さんたちが、

動いてくれはじめた。

 

そのなりゆきというか、委ねて拓けていくプロセスを、

へー、こうなっていくのか

と見ていた感じ。

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八方塞がりの時は、「上」になら抜け道がある。

斎藤一人さんがゆってた。

 

それなりに辻褄は合っていて、

話の筋は流れていっている夢は

過去生の記憶だというから、

この夢もどこか、気づいた場面みたいなものを

思い出していたのかもしれんなー。

 

【夢とうつつの、天の橋立】

私の夢の見方の癖でよくあるのが、

起きてしばらくは夢を見ていたこと自体

忘れきっているのに、

數十分後から、

うーんそーねー、何時間か後ぐらいかな、

になって、急にぱっ!と

その朝の夢の内容を思い出す、

というパターン。

今回も、それ。

 

あーそういえばなんか

ざわついた長い夢を見たんだったな〜、

と思った後

その日の午前中に会った方とふつーに、

がんばらない、やりたいことだけやる、

という話題になった。

 

「若い頃はがんばろうとして抗ってたけど、

最近はそういう意識はやめよう、って

思うようになってる

あら、あなたも〜?」

とか話されて、

そうそう私もー、と

話しているうちに

また夢を思い出して、

「そう言えば今朝、

委ねた途端に八方塞がりがすべて

拓けていった夢を見たんだった」

と話したら、

その方はごく自然に、

「それを感じとって

私も今この話題を出したんでしょうね」

と。

 

なんか、するするっと、

夢と現実が入り込みあっていて

力が抜けて、よい。

 

 

 

 

春分の妖精茶会ほほほ

わぉ・・・宇宙の時代的にも完全に新しい時に

じわーっと移り変わった、という、その

境界線を跨いだ瞬間というのは

2021年3月20日18時38分だったそうだ。

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これ、その瞬間。博多は春の雨。

 

春分は妖精と接しやすい時の一つらしいよ〜。

そこで、妖精をお招きして茶会をやってみた。

 

【妖精いろいろ】

妖精というと、ティンカーベル的な

かわいらしいイメージが先行するけれど、

いわゆる妖怪とか、いろんな呼び名の、

人間にいたずらして来たり、助けてくれたりする、自然霊。

 

ちょうど一年前の3月、

スタジオでの録画の中に、

光の粒が、ぽよ〜ん、ふわふわ〜り・・・

と舞って映り込んでいた。

(ちょうどこの開始時点5分25秒〜30秒ぐらい

youtu.be

 が、いちばんハッキリ飛んでおる。)

あれは、応援してくれていた妖精だわね。

飛ぶよね、妖精。

最近は仕事のため作った動画の中でも飛んどったからね。

 

 

【窓を開けて、お呼びする】

妖精は楽しそうにしてるところにしか来ないから

楽しくしてる「ふり」でもいいから(笑)、

皆で楽しく笑っておしゃべりを・・・というのも

妖精茶会の開き方(というのが、あるのだよ)のうちの

大事な要素の一つらしい。

 

 でも、お茶会に来る予定だった人は

ご都合でキャンセルになったことだし、

やっぱこういう記念すべきゼロ地点は、

自分ひとりで迎えるものなんだわー、と

楽しく一人で賑やかに茶〜飲んだ。

 

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妖精の席にに集う、

マトリョーシカ猫、ガイコツ、水晶、鈴、香り、花びら、マツカサ・・・

 

【ストロープワッフル】

お茶会用に、とお菓子を買うなんて、いつぶりだー?

ひっさびさに、大好きなストロープワッフルもいただいた。

香ばしい薄焼きワッフル生地に

キャラメル味のシロップがサンドされてるやつね。

 

中学1年の時、なんかしばらくオランダに行っていた親戚一家が

送って来てくれて、初めて食べたんだよなー。

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温かいお茶の入ったカップの口に蓋をする状態で

しばらく置いておくことで、

挟まれたシロップが温まって、

トロ〜リととろけて美味が増すのだと

今回、パッケージを読んで初めて知った。

 

そんな、名前も食べ方も知らないままに、中学生の私は

それが送られてくるたび、ワクワクしながら

ただパクついていた。

 

あれはもっと大きい円形だったと思う。

シロップを挟んだずっしり丸いワッフルが

何枚も重ねられて、

異国情緒の絵柄の筒状の缶に入っていて、

開けると甘い香りがして、

他には無い初めての噛み心地と、広がる旨さに、

あたしゃーほんとに感激したヨ(ちびまる子ふう)。

 

ああいう、味や香りに対する

純粋な感激というのは、

とても強い刺激として、記憶に残る。

良いものだ。

 

あの一家が私にしてくれた

唯一の嬉しいこと。

一つだけでも嬉しいことがあったのなら、

ま、ありがたいこった。

 

その人たちからの、あれやこれやのイヤな言葉の数々と

相殺しようとするほどに、

あの感激は

大きな比重をもって、私の記憶に根を張る。

 

 

【妖精が、杖で、ピ〜ン!】

なにせ、一人でやってるから(笑)、

ぜんぶ妖精相手に

自分の胸の内をいろいろしゃべった(怖)。

 

敢えてやってみると、

最近の自分を振り返る、実に良い機会になった。

 

きっと妖精のおかげだぜ。

先に星のついた杖で、私のどタマを、ピ〜ン!と

突っついてくれたのだろう。

リラックスして、気がついていく感じ。

 

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「どタマを・・・。」

 

その、一年前の光の粒の時には

まだどこか、アタマでわかっていることと

体感できていることに乖離があった。

 

「不安」を抱えているうちは、まだまだ

気の持ち方として「不完全」な状況だ、と

つい、どこかで感じてしまっていたのだと思う。

 

けれど、そんな、あなた、

このまま進んでいいのかな、という不安は

あって当たり前だもんな。

寿命のある肉体をもって、生きているのですから。

 

いくら今やっていることがベストだ、と

アタマではわかっているつもりでも、

あるいは、後でそう思えるように

がんばっているつもりはあっても、

 

曇り空の下で人生の持ち時間が減っていっている

と考えてしまう発想からまでは

なかなか自由になれないのが

・・・実際のところだろ?

 

だから、当たり前なんだよ、いちいちの不安は、あって。 

よーがんばっとるよ。

私も。

あなたも。

 

ごく自然にそう思えて、 

そしたら、妖精さんにお帰りいただく頃には

なんでか無性にワクワクして、

ものっすごく楽しくなって、

声まで出してキャハハハ〜と笑ったりした(大怖)。

 

ってことは、やっぱ、いらしてたんでしょね、妖精たち。

ありがとござます。

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<羽の妖精、ヒゲの妖精>

 

いいんだよ、なんでも。私はそういう存在を

思いやり、同時に、味方につける、

とはっきり意図したのだから。

 

 

【また妖精が、ピ〜ン!】

妖精茶会を開くには、「花」も欠かせない。

一週間ほど前かな、

これまたワッフルに引き続いてひっさびさに、

花を買っていた。

 

それがまだまだしっかり保っていたから、

水切りだけして活け替えて、

直前に摘んで来た草花も添えて

妖精の席に飾った。

 

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今は、ラナンキュラスの季節でございます。

ローズゼラニウムの葉も、良い香りなのでございます。 

 

何かしながら

お茶タイムをしていることは多いけれど、

わざわざ茶会と名付けて、席まで整えて

お菓子とお茶を味わいながら

花を愛でるなんて、

まぁ、なかなか無いわな。

 

あーもーワッフルうめぇぇ〜、

全粒粉ビスケットもうめぇぇ〜、

オーガニックレーズンもうめぇぇぇえ〜、

コーヒー派だけど紅茶もうめぇぇ〜、

と、思い続け、

声にも出す。

 

味わいまくりながら花を眺めていたら、

妖精がもう一振り、ピ〜ン!

また気がついた。

 

なんてぇのかしら、私は「花」も

実は好きだったんだ。

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【実は、中身が乙女座】

でもそれも

自覚していなかったことの一つだったなー。

オレに花束なんか似合わねぇ、と。

 

フラワーアレンジメントも習っているというのに(汗)、

いや、これは別ですし(何が別なんだ?)、

とか

お花にぅわあ〜かーわーいーい!とか言う人たちとは

違いますし(自分もすぐかわいーとか言うやないか。)

とかいう、ひずんだ意識で。

 

ピンクの服や、フリルふりふりスタイルも似合いませんし。

そう頑なに否定し、自分に言い聞かせることで、

自分の輪郭をイビツにも確保して、自分を保ってきたからなぁ。

 

いや、実際、似合わんし。

似合わんでもいいし。

 

と考えるのが、決めつけなんだ。

 

いや、でも、似合わんでもいいわけやし、

別にフリフリ好きでもないし。

 

と考えるのが、思い込みなんだ。

 

がんばりました。

もう、ゆるみましょう。

 

 

・・・・オレって、月が魚座なんだよ。

占星術の話な。

そこが、オレが惑わされてきたとこらしいんだよ。

 

月は実際の性質と真反対のところで

人間を惑わし続けてきてるらしいんだ。

 

その話を聞いた瞬間に、腑に落ちたから

それはきっと真実だ。

(いろいろあるけど、この話とか。

youtu.be

 

すごいお話をいろいろとなさるのですけど、

何が一番すごいって、この方のお名前。

どげなお名前だと思いますか?

マドモアゼル・愛。まじで。

 

 

youtu.be

この話とか、どんだけ精魂込めて

月と向かい合ってきたんだ?

という印象です。

 

オレには実は、魚座と反対の

乙女座なスタイルが合う、という

衝撃の真実を知ったんだよ、最近。 

 

いわゆるOLファッションだよ。

そんな服ひとっつも持ってないんだよ。

避け続けることに慣れすぎて、まだOLになれてねぇ。

冬にグラムロック風のパーマかけたとこだしよー。

 

でも、花を拒絶していたことと、

OLスタイルをすぐに受け入れられないこととは、

肚の底で、しっくりつながることなんだよベイベー・・・・

 

【ヘンタイ支配者】

思えば、私は花を、けっこう連れ回す。

ときどき、猫にもやるヤツです。

猫の意思をわざと無視して抱っこして

こっちにおいでよー、とこっちの「好き」だけを

ゴーインにゴリゴリ押しつける

(イヤーッ!と前脚で突っ張って拒否られたりするのとセットで楽しむ)

のと、同じ感じの。

 

花よ、私のもとに来たのだから、

私と共にあっておくれよ。

猫と違って、君は逃げられないからねぇ。。。

という、少々ヘンタイも入った、

許して受け入れてもらうのが当たり前の、

支配者的な連れ回し。

 

東京でホテルに泊まる時には1〜2本買って、

帰りの飛行機にも抱えて乗っていた。

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2019年6月のホテル。

立てば芍薬。立ってる芍薬

ホテルの部屋にはコップしか無いから、はじめのうちは

こんなアンバランスなことに・・・。

その後、以前ミュージアムショップで見かけた

ペラペラペタンコ花瓶を購入、愛用することになる。

 

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2019年7月のお伴。

も、ほんと、この花瓶チョー便利。

花が一輪あるだけで、ホテルの無機質な空気が

一変するからね。

 

去年10月、11月の安ホテル渡り歩き騒動の頃も、

その時うちにいた花を、文字通りあちこち連れ回し、

ホテルの部屋で水切りを繰り返した。

 

その都度、過酷な状況にしなだれかけては

コウベをもたげ直すのであった、健気なピンクのケイトウ(たぶん)。

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マジでこの花、ひと月近く一緒にいた。

最後はうちで、このように。お疲れのご様子。

すまぬ、過酷な道連れ旅。

でもすごく、”共にいた”実感があるんだ。

 

考えれば、うちの中でも

仕事をする時に自分の部屋に置いて、

食事の時にはキッチンやリビングに持って来たり、と

動かす、動かす。

 

なんだよ、好きなんじゃねぇか。

 

勝手に敬遠していたのは、やっぱり単に、

巷のオナゴたちの

「ぅっわぁ〜〜、お花キレ〜イ(*^^*)、ワタシ、大好き〜」的な、

花につきまとわせガチなキャピった態度や、

ヒトの目の方だった。

 

恐るべきジェンダーの塀の高さよ。

もうそれがわかったから、大丈夫だと思うわ。

 

オレは、

オレは・・・・

は、は、はな、花が・・・

花が、好きだーーーっ!!

 

 

そうやって、春分の日の茶会は

めでたく終了した。

 

 

妖精は一応、窓からお帰りになったけど、

でもいつもこのへんに、ピラピラといてくれてると思うわよ。 

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うまいオーガニックなレーズン。

レトロ感のある箱が、また、よい。

 

秋に、ご縁あって手元にやってきた

アンティークなイギリスの花のカードとも、違和感が無い。

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・・・また花じゃ!

 

これ、このアンティークなカード。

これ、いいんじゃ。

昔、たばこ?パイプ用の葉っぱ?か何かを

買ったら付いて来てたとかいう、

おまけみたいなもんだったらしい。

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ひとつひとつ丹念に野の花の絵が描かれ、

その裏には解説も。

いいよね〜

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これは、ブルーベル。

たしか、佐野元春がどなたかと組んでた

ユニット名も、ブルーベル。

 

今度は

これを愛でながら妖精呼ぼ。

思い直す。ということ。

思い直す。

 

私は同居人の感覚がわからず、戸惑った。

<詳しくは、というのもナニだが、

 2020年10月後半から12月前半の

 事情については、こちら(汗)

 

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(この秋冬はほぼずっと、自分の机の足元で寝袋に入って寝た。

在宅勤務で、仕事用のもんを色々持ち帰っていた私の領域。

ただでさえモノが多い中、ここにヨガマットとか敷いて冷気から逃れつつ。)

 

そこに至るまでの自分を見つめたプロセスと、

結論って無いよなー、という

途上の結論をメモっておく。

 

【つまり、私が変われと言われているのだ。】

散々といえば、散々。

自然な流れといえば、それまで。

体験したくて体験しているのだと思い直せば、

しみじみと、

今、この体験以外には、あり得ない。  

 

この半生、頭がごちゃごちゃになり尽くすことも

そりゃぁ多々あったものの、

ここまでの身近な存在が

こっちの次元を

こんなにまで捻じ曲げてくるような話は無かった。

 

それが今ふりかかって来たのは、やっぱり

それを今経験する必要があったのだろう。

私の次元を変えろ、と言われているのだろう。

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(安ホテルを渡り歩いていた10月、11月。

見上げるとアンタ、空には鳳凰よ。)

 

【浮力ゼロ継続】 

キーッと怒り狂うような嫉妬のエネルギーが出るわけでもなく、

いやだー別れたくないだって好きなんだもん的な感情も無いので、

ただただ浮力ゼロ状態となってしまう。

 

ただ、私がもしも元々相手所有の住居に入り込んでいる

逆の身軽な立場だったとしたら、

もうメンドくさいしスッキリしたいしシラけたしで、

多分さっさと出て行ってしまっていただろうとは思う。

 

なかなか自分のマンションを売り払ってまで

今の生活を解消しようとするには腰が重かったというか、

そこまでする前にもう少し自分の中を見つめなおせよ、と

メンドくさがりゆえに「余地」を探す方に向いたというか、

そういう様々な

消去法による現状維持によって、

「これからのオレの態度を見て判断してもらうしかない」

という、なんとも冴えない言い分を

飲む結果となっていた、2020年12月。

 

けれどその後も、「オレ」氏は、職場の話題を出し続ける。

(職場というのが、つまりその、

 好きになってフラれた相手がいるところ。)

 

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(人のいない部屋の中の静けさは、ほんとに

良いものなんだろうと思う。見れんけど。)
 

 

【NOやっぱりね!】

そんな12月のある日、一人でいた時に、

職場の話を続けられるその不愉快さが

どうにも流せないと感じたので、

感じたことに素直に動こうとすぐスマホを手に取り、

いったん職場の話題はやめてくれないか、

とメールしておいた。

 

一生その職場の話をするなとまでは言わない。

ほとぼりが冷めるまで、というやつだ。

でも、例えばだがこの同居人は、

「”いったん” とは聞いたが ”ほとぼりが冷めるまで” という言い方は聞いてない」

「話をすり替えた」

とか本気で言う発想の持ち主ではある。

 

けれど「これまでの経験」 からして、

相手の行動を「やっぱり・・・」と捉えていては、

こっちの記憶を上塗りしたフィルタで相手を見続けるばかりで

「これまで」から抜け出せんし。

 

そういう思いがもし湧いて出た時は、

意識的に否定するようにしている。

NOやっぱりね!

 

メールしたその日のうちに、

わかった、不快な思いをさせてすまん、

と返事が来た。

 

が、

 

その後も、職場の話題は続く。

どんな発想で続けているのだ?

もう自分の「いったん」が過ぎたのか、 

狙っていたカノジョの話題さえ出さなければよい、

と考えたのか、などなど。

 

今回のリクツは、後者であった。

 

【そこなんだけどね。】

件のブチ切れが起きる前の、2020年9月

同居人の誕生日。

仕事から帰ってきた相手に一応プレゼント

(けっこう、いいやつよ。)

(でもその頃にはもう同居人の癇癪のような

ピリピリ感もひどかったし、

こういうことするのも最後かな、と思いながら選んだ。)を渡してから

予約していた店に美味しいものを食べに出かけたが、

店に行く間にも、店についてからも、

止まらず続けるのは、その職場のコの素晴らしさの話であった。

 

で、「それ以外」の職場の話を続ける12月。

なんだかなー。

 

そうやって話題に出し続けていた人のことだけを

急にスッポリ切り取ったように抜かして話すことが

こちらにどういう印象を与えるのか、

ということはわからないらしい。

さすがは、甲斐性のない勝新太郎である。

 

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(必然的に、寝袋のところで過ごすことの多くなった

うちの人たち。おっぱい丸出し。)

 

「職場のことは話しちゃいかんけど、今日ね・・・」と

いう前置きまで付けて話し始める態度に、

 

「話しちゃいかん」?

その、意に反して禁止されているからそれに従っているだけだ

という不敵な発言にも聞こえる前置き・・・

 

も流しつつ、 

「やっぱり」と捉えないようにしている私としては、

それでも敢えて今話題に出す必要のある話なのだろう、と

良きように解釈して、話を切らずにいた。

 

結果的にぜんぶ話を聞いていたことになるが、

そこまでして今それを話す必要があったのか、

と私には思われる、笑えない話でしかなかった。

 

それが二度続いて、恐ろしくなった。

本人は、

「たった二回しか話してない」と言い放った。

意味のある話だった、

オレもなんでも話しているわけじゃない、と。

 

そこなんだけどね。

【「浮気」できるのも、協同作業】

いつからこんな歪みにはまってしまっていたのか。

いや、その考え方自体が、幻想の上に立つもの。

買いかぶりだ。

始めから皆ズレている。同じはずはない。

その「程度」の問題なんだな。

 

そう思うと、

妻に浮気がバレないように裏でドタバタ画策してみたり、

バレて言い訳してみたり、

ついでに多目的トイレに隠れてやったりしている

夫という立場の人たちって、

なんかしっかり奥さんと同じ価値観の中にあるなぁ、

同じ大地に立って世界を共有してんなぁ、

と思うに至って、感慨深い。

「浮気」ってもんが成り立つのも、夫婦の協同作業ですらある気がしてくる。

こういうことに気が付けたのは、ほんとうに良い経験です。

 

 【年末の口論】

いわゆる年末や正月は、まったく断絶したままで過ごした。

何の年越しでも新年でもない。

しかも、せっかくの大事な節目を楽しく過ごせないのは

私が「小さいこと」で腹を立てているから、という理屈が

あちらにはある。

 

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(弁天様にも詣らぬまま。)

 

そういった理屈で悪者にされることで

こっちが更に気分を害して傷つく

というパターンは、この人生、もうさすがに飽きた。

 

悪いのはそっちだ、という水掛け論に

水を掛け続けるような次元には

私はもういない。

 

そんなわけで、へこみもしない。

ただ、笑う気は起きない。

掃除をする気にもならない。

私が掃除しなければ、誰も掃除しない。綿ぼこり。

 

同居人が買い続けるコンビニ弁当のゴミ、ファストフードのゴミ、

酒の空き缶が急速に溜まっていく。

10月前半まで毎日磨いていたトイレは、

もはや公衆便所のような匂いがしている。

 

何の日でもない。

顔も合わさない。

 

ただ日が過ぎてゆくだけの。

ただ仕事が再開してゆくだけの。

 

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(鼻炎持ちのこちらの熟女が陣取る寝袋の表面には、

 鼻水の跡がついてゆきます)

 

考え続けたり。

目の前の興味をネットで追ってみたり。

本を読んでみたり。で

一日一日が過ぎた。

 

一週間ぐらいか。

 

【自分の言葉 】

私はあの時、12月の、30日だったか、

晦日だったのか、もう覚えてもいないけれど

こっちの不快さを伝えてまた口論になった時、

 

別れることも考えているということを伝えた時、

 

言っている意味がわからない、と

買いことばで責めてくる相手に

とうとう、

 

人の気持ちを踏みにじっといて。

 

と口にした。

我ながら、此の期に及んで

薄っぺらいありきたりの言葉を使うものだ、と

言った直後に思った。

 

瞬間的に、いろんなことを考えた。

私に、わかりやすい歌詞が書けないのは、

わかりやすい歌詞を書こうともしないのは、

これを薄っぺらだと感じるからだ、とも思った。

 

怒っていること、不快を感じていることを

自覚してしっかり伝えるのは

意識的にやったことだけれど、

それにしても、婉曲的に言っている場合でもなく

ただその瞬間に口論のスピードの中で

不快感を吐き出したら、

結局はそういう薄っぺらさになった。

 

本心なのに、なんだこれは、と思った。

確かに、言葉にしてしまうと、踏みにじられたから

こうなってしまってるわけですけど。

 

それにしても、

 

踏みにじられたって言ってしまうのかー、私・・・とか、

単に相手にシラケてしまってるのだよなーつまり・・・とか、

シラケた中で

こっちの言い分は主張しとこうとしたから、

感情との間に距離ができたゆえの表現だったのかもしれんなー・・・とか。

 

地球上のある程度の部分では大きな区切り目だった時を挟んで、

時間を超越した気分になりながら

考え続けたのは、結局、

自分が瞬間的に吐いたその言葉のことだった。

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(やっぱり私は、好きな場所にいると思う。

この落陽楼の夕景は、どんな精神状態で見ても美しい。)

 

【随伴者】

で、いつからか、なんとなく気がついた。

というか、ぼんやりと見えてきた。

 

その言葉を吐いた場面の、

多くはないのだけれどほんの一部分には、

お前のリクツより私の気持ちをまず優先せんか、

という

相手の行動への要求が入り混じっていた

ということ。

それを認めざるを得ないということ。

そこに多分、気がついた。

 

自分の不快を伝えただけ

だったつもりが、

相手の行動のほうに踏み込んで口出しする意識を、

織り交ぜてしまっていたんだな。

 

大まかに見れば浮力ゼロだと感じられたけれど、

微細なところまで言葉を追って見つめていたら、

ゼロではなく、負の感情で動いているところがあった

ということだなー。

 

これで今もし別れたら、

結局わたしは、

不快を捨てて快を取ったという理想的選択ではなく

生煮えの感情だけで

単に自分の生活までを振り回してしまうようなことを

しているだけ・・・

になるのではないか。

 

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(なんで飽きんとかいな、夕陽って。)

 

この後、どういった選択をするにしても、

今この感情のままで別れるほうを選んでは、

これまでの自分と結局は何も変わらず

振り出しに戻らされる。

 

まだまだ自分の中に、相手のせいにしているだけで

見つめ直すべき不完全さが

てんこ盛りになっている。

長い時間一緒にすごす相手は、

それを炙り出してくれるありがたい随伴者だ。

 

腹が立つところがある限り、自分の方に何かある。

 

 

【思い直す。ということ。】 

それで、思い直した。

いや、そう簡単ではないから、

「思い直す方向を向くことにした」

というのが本当のところ。

 

徐々に。

 

一月はいく。二月はにげる。

 

2月12日の旧正月を祝うことにした。

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(2021年2月12日撮影。)

 

部屋中、時間の許すところまで掃除して、

玄関も流して、飾り物もやっと去年のものを外し、

おせち的なものを買い出しに行って、乾杯した。

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(2021年2月12日撮影。ほんとうに(笑))
 

旧正月というのは、

冬至を過ぎて二度目の新月

なんだってな。

 

以前から太陽暦の1月1日は気分的に

全然正月らしくないと思っていたけれど、

いざ本気で旧正月を目指してみると、

その節目というのは、ほんとうに体に馴染む感じがある。

陽の光の強さが、新しい年の始まりに合ってもいる。

 

【わしのコロナ年】 

こんなどうしようもないことがきっかけで、

初めて旧正月を実感することになった。

 

2020コロナ年は古い地球が脱皮していくための

激変の年だったとはいえ、

私はコロナ自体ではあんまり

意識の上での劇的な変化を感じてはいなかった。

 

けれど、私にとってのこの一連のことは

2020年だけでなく、それまでにずっと溜まってきていた

すべてのエネルギーの噴出以外の何物でもない

と思い起こすと、

これが私にとっての

コロナ年にふさわしい、必要な大激変だったのだと思う。

 

これは全然、話の「顛末」でもなんでもない。

途上にあって、今という一点からいったん振り返って、そう思う。

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(なんと正月らしい(笑)・・・2021年2月12日撮影。)

 

信じるもの、頼れる前提を持つことを許されず、

どうしようもなく

一人で進むことを見つめ、覚悟させられた挙句、

最も確実に実感できたことは、

太陽と月の間で浮かんでいる地球の呼吸であった。

 

というようなこと。

 

私が思い直したからといって、すべてが

そうさっさと大きく変わるわけではない。

 

日々意識しているのは、

いま体験している世界は自分の内側の投影である

ということ。これだけ。

 

そのことが120%リアルに実感できるようになる時が、

浮力ゼロによるゼロ感情でなく、

本当に重い感情から解放された「自由」と

すべてへの「感謝」の時。

 

なんじゃないのかぇ?

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(アタマ隠して、乳首隠さず。)

 

終。
 

 

 

ひっかかっている点は、どこなのか?

ひっかかっている点は、どこか。この一点だ。自分に問うている。

パートナーとのすれ違い。

相手が募らすイライラ。

解決できたかと思ったら、一瞬にしてもっと根源的なところへ展開。

長くて短い道のりを述べる。

 

 

最後の日常生活 

 10月中旬。

 パートナーと湯布院に行った。

 画廊で、良い絵をたいへん破格の値段でお譲りいただけた。そのお礼状を書こうとしていた。

 乗馬にも行った。馬との呼吸が合ってきた感じがあった。私の方が褒められることが多くなり、相手はちょっと前から、不機嫌な空気でいることが多くなっていた。

 始めた当初は彼のほうがよく褒められていたので、私はそういう関係にあるほうが安心できると感じていたけれど、最近は、同じ馬に対してでも私のようにうまく扱えないこともあり、向いてないとすら言い始めていた。

 同じ馬場にいても、一緒にレッスンを受けている嫌なおばさんが嫌なことを言ってきやがった、とパートナーが一人苛立っていることも少なくなかった。

 仕事にしても何にしても、いちいち敵対しようとするから、相手もそういう態度となるのだと私は感じていたが、そう伝えることすらもギスギスしていてできず、言葉を選ぶことがとても多くなっていた。

 

 乗馬の帰り、私には夕方すこし予定があったが、午後6時半以降は自由に使える、と伝えると、食事はどうしようか、という自然な話題になった。そしてパートナーは自分から、よく行く中国料理店の名を出したので、それもいいねと言いながら帰った。

 

不条理な一場面

 帰ってくるとピザの宅配のチラシが一枚入っていた。その写真を見た途端、「ピザでもいいな」と言う。ふつう、言ったことを後で変えると嫌がるのに、急にそう言うので、ピザといえば少し前に行ったイタリア料理の店がおいしい上に気前が良く、次回ちょっとしたピザ一枚サービスという楽しい小さなチケットをくれていたのを思い出して、じゃああのチケットを使おうか、と言ったところ、

 「そんなに立派なものじゃなくていい。もういい。意見がずれたから、今日の話は全て無し」

と、どこで食事をするわけでもなく、ただ険悪なイライラだけが残された。

 ほんとうによくある、ひとりでイライラを露わにする態度だったので、そうですかと放っておいた。

 回答していなかった国勢調査が再送されてきていたりもして、本人に聞かないとわからない項目があったり、絵のお礼状を急いで書こうと言っていたタイミングでもあったので、気分を変えてそういう話題について声をかけ誘ってみたが、情報が必要ならこれを見ろという態度で黙って会社の封筒をテーブルに投げ出すやら、お礼状を書きたいのはお前のペースだ俺は気分が悪いのだから書きたくもない、などと言い出すやらで、悪化の一途だった。

 理不尽さが多すぎるので、そもそもそのイライラはそちらの感情であることを伝えたところ、もう食事の話は終わったことなのに、お前がまた持ち出した、と怒鳴り始めた。

 

お前がいるからわるい(あたしのマンションだし在宅勤務中だしなー・・・)

「だいたいおれは、一人だったらそんなに毎回食事に時間はかけなくていい。テキトーにすませられる。毎回毎回お前と一緒だから気を使って時間を使わないといけない。一人だったらこんなことにはならない」「いつもいつも、仕事から帰ってきたらお前がいて、おれは一人になれない」

 頬に息と唾とがかかる5センチぐらいの距離から、目をむいて怒鳴られた。クソが。とも続けられた。そしてまるで自分に言い聞かすように、俺は正しいから俺のやりたいことだけをやる、と言い放つ態度は、悪魔に呪われているかのような姿だった。

「わかった。」と私はそのへんにあった雑誌を足元に投げつけたが、こんなに心の中は冷静でいられるのか、と我ながら驚いていた。その後、彼はその雑誌やら他のものやらを粉々に破り散らかし、部屋中に何かの物体がぶちまけられ放置された状態がずっと続いた。

 

あんたも家におったやろ

 私が家にいるのは、在宅勤務になったので、当然のこと。

 コロナでもなんでもなかった3年前、相手は自分の意思で気に入らない職場を離れ、その後まるまる1年間、仕事をしていなかった。なぜしないのかも私に言わなかった。ただ、家にいた。一人になれず私もストレスだった。ヒトに愚痴は言うまいと決めていた。仕事の帰りにわざわざカフェに寄ってぼーっとしてから家に戻ったりしていた。

 そのまま、ハワイに旅行することになった。貯金がいくらあるのかなど、私からは尋ねなかった。出発の成田空港で、残金が千数百円しかないから、お金を貸しといてほしい、と言われた。帰国しても、仕事をしようとしなかった。

 尻を叩いて、話し合って、外に行かせた。新しい仕事をやっと見つけてきた。やれば認められ、契約社員としてある程度とりまとめ役的なポジションについた。そこで今度は過剰とも思える自信に満ちた発言の数々が始まった。

 理のある正義の味方的な論理も入っているので、信用も得ているところはあるし、闘いたいエネルギーを持っている時期でもあるだろう、とも考え、そうそう抑えつけるようなことは私も言わなかった。彼は私よりずいぶん若い。

 

敵じゃないのに敵視され続け・・・

 だから時々、家で話をする中で、私も「まぁ根本的に違う相手とあまり闘ってもしょうがない」となだめる程度のことはしていたけれど、それ以外は、いつもまた職場のバカな上司が、こんなバカな発言をしてまったく世の中やってられない、という、いわば自分を確認するためのような話がずっと続いていて、私はまぁ、あまりおもしろくはなかった。

 でも自分で気づくしかないし、と思って黙って聞いていたところは多い。

 相手のイライラが大きくなると、私が諸手を挙げて賛成していない空気にもイライラするようになった。

 いつも買っていたワインの通販で、また何か選ぼうよ、とノートパソコンの画面をみていた瞬間、パタッと画面を閉じたと思うと「なんで返事をしない!?」とイライラと足先を動かし始めている。機嫌よく独り言のような何かを口にしていただけだと感じて隣にいただけだったので、寝耳に水にも程がある。

 「私はあなたの敵ではない」と、同じような場面のたびに何度となく伝え続けた。

 これまでだったら、私もいちいち相手に反応し、感情の渦の中に互いに飛び込む繰り返しだったけれど、私もずいぶん変わってきているという自覚がある。彼のイライラの根源には、その距離感への焦りも含まれているのだろう、とも感じ続けてはいる。

 

 自分が機嫌を悪くした話題の一つだから、ということなのだろう、ワインのことは二度と自分から話題にしない。ワインは買わないまま。そうやって一つ一つ、楽しく動けるところが少なくなっていっていた。

 

安ホテル生活

 そんな中の、10月後半。息と唾とがかかる5センチの距離からの「お前がいるから」イラつくのだという怒号であった。

 コロナのイライラから始まって、6月だったか、いつだったかもう覚えてもいないけれど、相手は、私との諍いで一度奇声を発した。10月に私を怒鳴りつけた後、それと同じ奇声をまた発した。

 あまり、自分の意のままに周囲を動かすのに叫べばよいというものではないけれども、私は相手の一人になれなかったことによるストレスを最大限に汲み、「一人の時間を過ごしてください」と伝えて、仕事の道具を持って近くの安いホテルを探しては2泊3日ずつぐらいして戻り、洗濯して自分の部屋に干す、というのを何回か繰り返した。午前中のオンライン授業をホテルでやるためには、その日を挟んで2泊とっていないとできないのだ。

 

家庭内別居(狭いのによ・・・)

 さすがに仕事に支障をきたすので、その後はうちの中にいるようにはしたけれど、食事は完全に別のまま、部屋もトイレも私は掃除しないことにしていたので、荒れ放題。相手が使った皿類や、毎晩何本かずつ飲み続ける酒類のビンや缶は、シンクやその周辺に3週間放置。毎晩、何か出来合いのものを買ってきてはチンしてテレビを見ながら食べ、その直後にトイレに行ってはゲーゲー吐くという行為を繰り返していたようで、トイレットペーパーの減り方が半端なかった。

 私は冷静を心がけ、朝、顔をあわせたような時には、おはよう、と言うようにしていた。11月は、ただそうやって過ぎた。別々に仕事をして、別々に食事をし、別々に寝ていたら、ほんとうに相手の存在というのは、消えていくものだと実感した。

 ほんの少しずつむこうも挨拶するようになってきた12月初旬、少しずつ少しずつむこうがメールを送ってくるようになった。私もそれに返した。10月の乗馬の帰りに行くはずだった中国料理の店に行かないか、と誘ってきたので、うん、と返信した。店の前で待ち合わせた形になって、久しぶりに話した。

 

再会(か?)

 その日は、相手は「全然関係ない話だけど」と言いながら、どうでもいい話をし続けた。その日は吐かなかったようだ。翌日は、まるで怒鳴りちらかして言ったことを忘れたかのように、食事を共にする発言をするようになったので、流れに任せて、久しぶりにテーブルに並んで食事をした。

 

 その夜、食事が終わってから急に、「理不尽な感情のぶつけ方をしてすみませんでした。」と始まった。

 意地を張るタイプなのに、私が感じていたことそのままを口にして謝ったので、よほどの自覚があったのだろうと感じたし、私も自分の感情を冷静に保ったままでいることができて、良い結果に戻ってよかった、と、一瞬感じた。

 

しかし、困惑する理屈が待っていた。

 

ひっかかる点

謝り方は、こうだった。

「自分の態度はコロナのイライラから始まったのだけれど、それに加えて、

 a. 好きな人ができて、

 b. その人に気持ちを伝えたけど、受け入れてもらえず

 c. そのイライラをサンファル(私な。)にぶつけた。

 d.  abcが理不尽だったので、謝る。」

 

・・・・・私がひっかかっている点は、どこか。

 

aは、しょうがない。

それで共同生活が解消されるのは、どうしようもないことだ。

暮らし始めた時から、そういうこともあるだろうとは思ってもいた。

cは、済んだこと、という感じか。謝ったし、と。

・・・dって、謝ったのか?

abcを伝えることで?

 

bは何か。

それを選ぶのは個人の自由だ。

bの判断、行動に移ることを選んだ段階では、

これまでの生活が同じように続くはずはない。

少なくとも精神面では。

と思う。私は。でも

違う

という。

 

bで受け入れられなかった。新しい段階に移れない。

百歩譲って、そこで思い直し、これまでを見つめ直し

心から(が大前提ですが)気持ちを改めたのは本当だとしよう。

 

なぜ、それをこっちに言うのか。

「言わないのは不誠実だから」

 

不誠実はどこ?

サンファル「bでうまくいけば並行生活を続けていく気でいたことは、不誠実ではないのか」

 

「伝えない方が不誠実だ。これまでもこれからもそうする」

 

これからも・・・?

 

サンファル「外でうまいことやろうとしてできなくても家に帰ってくればいい、という保険のかけ方はおかしい。

 理不尽に感情をぶつけられるのも嫌だが、理不尽に甘えられるのも好きではない。

 そんな発想の人とは一緒に暮らせない。

 もっと大きいものに向かって学び合うことができる相手なら一緒にいる意味があると感じるけれど、そうでない相手との生活なら、私には無意味だ。」

 

おわかりでしょうか。相手には、

 (1) サンファルと暮らすことと

 (2) 好きになった人に気持ちを伝えること

は、別のことだと。

 

なぜなら

 (1) サンファルと暮らすことは、創作していく上で大切なこと。

 (2) 恋愛は、大したことではないから。

 

「創作」がスムーズにできている相手でもないわけですけど。

(そこには、「意識で世界が作られている」ということを全く信じない(それはお前の ”傾倒” している人たちの主張であって、俺はそんなふうに思って生きていない、と今も言い放つ)相手との、深い溝があるわけで、気が遠くなる。でもそこが埋まらないと創作はできないと私は思い、解決への実現をあーでもないこーでもないと画策してきた。)

 とにかく相手の主張は、abcdと(1)(2)との、掛け算から出ているものらしい。

 外で新しい嫁さんと子供作ったのに夫婦漫才しつづけてた人たちおったよな。そういうの私は嫌ですし。

 

「好きな相手に気持ちを伝えたということが悪いこととは思っていなかった。保険をかけたとも思っていない。でも、それがいけないと言うなら、これから自分を戒める」

 

 ”いけないと言われたから”とか、”戒める” とかいうのは、自然な感情がありながら、私のせいでそれを抑えつけるということ。それは将来また溜まって私に対して爆発する原因となる。私が "悪いことだ” と言ったからしない、と明言する発想はおかしい。

 

コバンザメのヒレがくすぐったい

理屈では、都合のいいことを言う奴だと思う。

ほんとうに感覚が違う相手ならなおさら、切り捨てる方が簡単なことだ。

「悪いと思っていなかったことだが、いま悪いと言われたので、それを戒めると言っているだけだ。恋愛なんて大したことではない。そんな気持ちを戒めて生きるのは難しいことではない。サンファルと暮らすことと、他の女とうまくいくことは、違うことだ。

 自分があんなに理不尽なことを言った後なのに、自分のメールに最高の返しをしてきた時、ほんとうに悪かったと思った。自分にとって、こんなにセンスの合う人はいない。そんな人と、離れて暮らす理由が無い」

 

 良いように言えるものだ。外で発情して満たされなかった分をうちで発散していたと言われても仕方のないことをしちらかしていたのだが。

 レンアイカンジョーというものが根底に微塵も持てなくなっているのに創作に関してはこいつと一緒にいれば何かおもしろいことが体験できそうだ、という発想でついてこられるのは、腹にくっついたコバンザメの背びれでくすぐったいだけの足手まといでしかない。

 

だから、切り捨てるのはある意味、理屈の上では簡単なことなのだ。

今見つめたいと思っているのは、もうすこし違う角度から。

 

ほんとうの自分を垣間見たいだけなのです。

切り捨てたいと思う衝動は、

・abcdと(1)(2)の掛け算を急に浴びせられての一時的な苛立ちに過ぎないだけなのか、

・外での発情をうちで処理しました、という点の生理的に気持ち悪い部分が許せないのか(それが一時的なもので時間が解決するもんなのか、体質的に無理なのか)

・人の過ちを一滴も許す気の無い冷徹さがまだ残っているがゆえの、揺るがない論理なのか(果たして、相手のその「発想」が「一時的な過ち」で済むのか、というところの見極めも大きな課題だけど)

・出ていくならさっさと出て行ってほしい、すっきりした正月を過ごしたい、ものを放置、溢れさす人間がいなくなれば、さぞすっきりできることだろうと本気で夢想する

 

悩んで引きずる気持ちは、

・この年末の、自分も特に多忙な今月中に、わさわさと出て行かせるのが煩わしくて、もう少し先延ばしで様子を見ようとしているだけなのか

・ほんとうに相手の宣言通り何かが変わることに1ミリでも期待したいところが強いのか。

 

そしてそれは

希望ゆえか、寂しさへの不安ゆえか。

 

その希望というのは、

今まですべての人間関係を「また失敗だった」と感じ続けてきた自分を終わらせることができるのではないか、という期待。

 

それと同時に抱える不安は、

その希望を持とうとしたばっかりに、もっと先になってやっぱりあんな発想の人間が変わるわけがなかったじゃないか、と結局傷を大きくすることになった自分にうんざりしてしまうのではないか、という不安。

 

希望に賭けたいと思う気持ちに、寂しさを避けたい下心が働いてはいないか。