アニマルコミュニケーション 18(火葬の日のあれこれ(1) 落陽楼の思い出…おらくに花束を。)
いろいろ書きたいのに、進まないなー。なんかダラダラ書いて止まらなくなりそうで書けない。こういう時は、まず自分のつぶやきに頼る。
陽が昇ったら、出発の準備に移ろう。こうして寝かせている最後の夜にはこの姿を絵に残しておこうなどと思っていたけれど、ただ横になって眺めているだけだなー。今も微かに息をしてお腹のあたりが動いてるような気がしてしまう。キリがない。耳と尻尾は固くならないからなおさら。愛らしい寝姿よ。 pic.twitter.com/JrhPbs5N1x
— さち・ド・サンファル! (@sachi_girigiri) 2022年10月22日
ちょっと幅がギリギリだけれどおらくの身長にはちょうどゆとりのある箱があったので、おらくの体をそれに移した。尻尾だけでなく、首もゆらっと動いた。
ずっと猫たちに囲まれて暮らしていらっしゃる方が、以前、呼吸の止まった大事な愛猫ちゃんをずっと抱いていたら体は硬くなったけど尻尾だけはそのままぶら〜んとしていたよ、とおっしゃっていたのが、ずっと頭の中にあった。
どれだけ長い時間その子を抱いたままじっとしていらしたのだろうと胸の痛む気持ちと、ほぅ尻尾は固くならないのか、という興味と。
寝かせたままのおらくの耳と尻尾をさわったり撫でたりしながら、これまでの数日間、なるほどやっぱり硬くならないもんだ、といろんな部位を観察したりしていた。薄い薄いピンクベージュになった肉球もすこしプニュプニュするし、手首も少し動く。名残惜しさはつきない。
箱は、ちょうどふるむがバリバリ爪研ぎに使っていたやつだったし、ベランダの花と、みんなで写った写真を1枚入れたので、全員参加型の棺になった。
<この後、火葬場に着くとまずこの棺ごと重さを測られた。焼くには何かと重さが基準になるようだった。
箱もバスタオルも花も入れて、1.75キロしかなかった。帰ってから同じぐらいの段ボール箱とバスタオルの重さを測ってみたら、それらだけで800グラム以上はあった。きっとおらくの体重は、1キロを切っていたんだな。
思えば、見た目にもすぐわかるほどコツコツに痩せてしまっていたおらくの体重を、もうわざわざ数字を見て確かめることなど、いつからかまったく考えつかなくなっていた。体重は、大きく元気に育った幸せの数値として目にしたい。
元気な頃でも3キロに届かないくらいだったスリムな体が、その3分の2の重さを失っていったことになるこの1年の時間の過酷さを、あらためて思い知った。>
出発前、そんな全員参加型の軽い棺を抱えて、落陽楼の中をぜんぶ回った。
ほーら、どこもかしこも、あんたが元気に元気に飛び回ったところ。爪を立てて登りまくった網戸。引き戸。
ふるむと追いかけっこをしては軽々と駆け上がっていたネコ棚。本棚や戸棚にさっさと辿り着いて、あるいは時々天翔ける勢いで飛び渡って、すぐにポーズをとるかのように必ずこっちを見下ろす表情は、いつも自慢げだった。
それから、見事にベッドにして寝こなしていた押し入れ。枕カバーやシーツの端は、すべてかじられてボロボロになった。その上の天袋は、隙を見てはすごいスピードで柱を駆け登って飛び込んでくるあんたと、季節の終わったこたつ布団や毛布類をぐちゃぐちゃの毛だらけにされまいと必死に防御する私との、攻防の場だったね。
ほんの一瞬の隙にするりとクローゼットにもぐりこまれたら最後、バッグや帽子がぐちゃぐちゃに落とされているか、皮のコートの肩が爪でやられているか。またガタゴト音がし始めると、しまった!次は何がヤラレてるんだ!?といつも慌てて駆けつけては、尻尾をつかんで悪魔を引きずり下ろした。
私の机のところにおらくが来ると、ふるむも来るから、占領されて仕事にならない。
せっかく買ったどこかの国のガラスの花瓶は、さあ使おうと梱包を解いた途端、あんたの一回のアゴすりすりで椅子の金属の足に倒れ、見事に目の前で割れ果てた。絶句したよ。
机の上が弥生式土器を復元する資料室の作業台のようになって、かなりがんばってみたけど、
細かく割れすぎていてもう無理だった。
それに、見事に現代音楽家のような不協音階で鍵盤を踏み渡って奏でたピアノ。大好きな水遊びをしたトイレと洗面台とお風呂場。
そしてお隣さんまで仕切りを超えて遊びに行ってしまったベランダ。いつも一緒に外の景色を眺めたベランダ。最後に光を浴びてゆっくり息をしたベランダ。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。おらく。ありがとうっていうのは、なんて距離のある言葉なんだ。おらくにありがとうと言いたい時には、なんて言えばいいんだ?おらく。おらく。この響きに、きっとすべてが詰まっている。おらく。おらく。
ほんとうに、ほんとうに、私は12年間、その一瞬一瞬がありがたかった。14年前にあさひが急に逝った時の、病院で触ったあの体の冷たさがずっと記憶の端にあった私は、同じ光色のおらくの体の暖かさとしなやかさを、一瞬一瞬、ほんとうに、一瞬一瞬、ありがたくありがたく触っていたんだよ。
何の悔いもない。おらく、おらく、と名前が呼べる幸せを、私はずっと味わった。おらくがうちに来た日から、いつかこの子はいなくなるという残酷な約束と引き換えに与えられていた幸せを、いつもいつも、私はありがたく味わった。
何年も何年も、毎日毎日、おらくはホンに愛らしか。おらくはホンに愛らしか、と呼吸するように言い続けた。おらくはホンに愛らしか。こんなに飽きない言葉が他にあるだろうかと思いながら、いつも新鮮にそれを声にした。
おらく。おらく。おらく。おらく。私の一方的な気持ちばかりで満足しては勘違いが過ぎるのだろうけれど、私には何の悔いも無いのだよ。こんなにも切ないけれど、一点の曇りも無いのだよ。
勘違いも包み込んで、おらくは黙って、けれど饒舌に、私の時間の一部であった。ありがとう。ありがとう。おらく。おらく。おらく。
おらく。おらく。おらく。おらく。おらく。
1年間おらくの呼吸を支えてくれた酸素ケース、ありがとう。ケースの隣から酸素を送り続けてくれたこの大きな機械の音が消えたら、おらくの息がほんとうに消え果ててしまう。この4日間そのままにしていたが、私のためだ、出発する時にスイッチを切ろう。 pic.twitter.com/Wl86W29FvV
— さち・ド・サンファル! (@sachi_girigiri) 2022年10月22日
キリがないから、ゆきましょう。ねえ。
ちゃんと、つづくから。これからも。気持ちは。心は。魂は。
おらくがベランダをさんぽした時にも咲いていたお花を、いっぱい持っていってちょうだい。お花たち、おらくを飾ってちょうだい。おらくの光の国が、落陽楼のベランダといつもつながっているように。 pic.twitter.com/xYLnlSCQvJ
— さち・ド・サンファル! (@sachi_girigiri) 2022年10月23日
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