内省バイク3 〜コケる私に、立つバイク〜

 バイクに不向きな私の、小型バイク教習。仮面ライダーのような感じで走りたくなったため。バイクのこと、バイクでないこと、メモってゆくことにした。

 すべての、自分を決めつけてしまいがちなヒトに捧ぐ。自分の内側に目を向けていこうぜ。壁は爪でカリカリほじくって、穴開けていこうぜ。ゴーゴーレッツゴー仮面ライダー。ライダー、ライダー。

 

内省バイク2  〜楽しむ記憶〜

 

=================

【私の中の誰かが、楽しんでいる。】

 楽しそうにやってましたね、と言われたその感覚が、あまりに同じフラメンコとバイク。どうも私は、無心な時を、ほんとに楽しんでいるらしい。

 3年ちょっと前に、それまで踊るなんてコトは考えられなかったのにフラメンコなるものをこれまた急に始めた頃、ワケもわからず無心に動いていたら、やたらといろんな人から「楽しそうに踊ってましたねー!」と言われたものだ。同じレッスンを受けていた練習生の先輩たちや、本番のステージを見たそこの社長や、カンテ(歌)の方などなどに。

 その頃には、いっぱいいっぱいで振り切れた状態になるといつもなぜかうひゃー!と笑った顔で固定してしまうだけなんです、と、弁明していたし本気で思ってもいた。けれど、、、どうも、その説明では浅いな。と、今回のワカモノお父さん&インタビュアーのおかげで気がついた。

 

【小さくワーイ】

 やっぱり、楽しそうだったということは、楽しい感覚が本気で深いところから湧き上がる様子が見えてるのだろう。なんというのかな、フラメンコもバイクも、それまで自分の生活にはまったく存在してなかったものだというのに、始めた瞬間から小さく、ワーイ!と、入りたかったところに入れてもらっている感覚が、奥底にある。

 

 <教習所の門のところに。>

 

 

 <わたくしの第5チャクラと第6チャクラにしてみました。>

 

 

 

【スジの良し悪し】

 フラメンコは、まだまだヘタなりにも、リズム感が良いとよく言われて、始めから褒められ気味なとこがある。小さい頃から音楽やってたからできるんですね、とか、ちょっとこの人は特別みたいな扱いをされることがあって、そこは私にはややウザい。

 バイクはその真逆で、先生たち毎回失笑。私も、よくもまぁ毎回おんなじこと注意されるものだと、我ながら感心する。

 何かでバイクはスポーツだという話を聞いて、まじか、あーそうなのか、と焦ったりもした。運動は苦手だしなー、と。方向音痴に加えて、自覚できるバイク不向き要素が一つ増えてしまったことになる。

 

【コケを語る】

 コケるたびに「今のはね、ギアがこーでエンジンがあーなってて足がどーなってたからコケたんだよ」とか丁寧に説明してもらっていたのに、だんだん意味も無くコケ始めるもんで、しまいにゃ先生の方から「今、なんでコケた?」と本気で尋ねられたりする始末。

 一度だけ「私はそんなに論理的にコケてるわけじゃないんだよねー」と伝えてみたことはある。ただただ、あわわわわわ!!!ってコケてるだけなのであって、決してギアとエンジンの関係を完全に理解できたらコケなくなれる、っていうような、一義的に解決できる問題じゃないのよね。

 不完全さについて先生たちに瞬時に見える理屈の上に、もっといろんな透明の、体感覚のズレや、変なとこから引っ張り出されてきた癖みたいなもんが、レイアーになって覆い被さっている感じね。先生たちが考えてるより教習生のコケは奥が深いの。複雑系ね。

 さすがにここからそこまではもう一人で行けるやろ、と先生が目を離した途端に、もうコケる。まったくちょっと目を離したスキに、という感じやろね。油断も隙もないコケ子。ひとマタギ、ひとコケ。

 私がいつも乗っている教習車の52号クンは、クラッチレバーは歪み、ミラーはグラグラバキ割れ計3回。一度、下り坂を曲がりきれず壁に激突した時には、バイクが完全に立って、私は宙に舞った。その後倒れ落ちたバイクのライトはバキバキ粉々。あれば、ただの事故現場だった。腰から着地して痛かった。

 その時の先生は、「久々に、立ったバイク見た・・・。」と呟きながらバイクを起こしてくれた。ヒトに話したら、あと半周できたら木下大サーカスで金取れるやん、と言われた。

 その直後にもう一回同じコースを走ってきなさいと言われて、また激突。今度は幅広な側溝に後輪がはまって、カッコつけたホンダの展示場みたいに宙に固定されたバイクから、私はゆったり降りることができた。

 その2日後だったか、既に基本5時間の1段階で10数時間乗った後に、「今までで1回もコケんかったの、今日で2回目!」と近くにいた先生に得意げに言ったら、本気でアハハと笑っていただけた。

 

また別の日の、コケ子。コケる準備万端。

 

【スジが良かろと悪かろと】

 しかし。我ながら驚くべきことに、このどこか自分の深〜いところで楽しんでいる感覚は、飲み込みが早いらしいフラメンコも、先生たち全員半笑いのバイクも、まっったく同質のものなんだ。

 この、習い始めた理由の根源にある「血が騒ぐ」という感覚。これは、静かに目を瞑って探ってみれば、小さい頃に一人でだまーってしゃがみこんで、自分の世界に入り込んで、大人には何やっとるのかわからない何ちゃないことを立派な楽しみ方で味わっていた時に持っていた、うちなる絶対的な感覚。

 私は今すごく、この半生で積もりに積もった覆いをどんどん引き剥がして、根源的な感覚を大いに思い出している。だからこんなにも楽しいのです。地面に打ち付けられていても。ありがとバイク。内省バイク。

 この感覚は、誰しもが実は持つものであるはずだ。

 楽しむことが魂の本質だというしね。無心な時というのは、曇りなく真の自分自身と直結できている時でもある。なんか知らんけど、私はけっこう、そのへんに寄って行けてるようなのだ。

 

 

 

→内省バイク4