サンファルの過去生 --踊るバカ女--

 ノウイングのワークで、広い意味でアカシックリーディングとも言える、退行催眠というのをやったんだ。

 

 過去に自分でもやったことはあるのだけれども、今回のテーマは、「アカシックにバリバリつながっていた自分」につながること。

 そして、それはもちろん「今の自分に、見る準備のできている」過去生。

 

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こんなキレイな東京タワー見たことない、と東京の方々も写メ撮りまくり。

 

【想定外のバカおんな登場】

 以前にも、前意識になるための軽い練習として、自分の過去生を見る練習をした時に、「サイキック能力を使っていた過去生」を見たこともあったし、自分で他のテーマとして見ようとしたときに、あーこの時の私はサイキック能力持ってたのねぇ、という過去生を見たこともあったので、まぁ、その中で見た過去生の誰かが、たぶん出てくるんだろうなぁ・・・などと、思っていたのだった。軽く。

 

ところが。

 

違う人が出てきた。

違う転生。

 

なんか、踊ってる姿が、見えてきたんだ。

 

くねくね。くるくる。

ベリーダンス的な。

若く、美しい踊り子ヽ(´▽`)/

 

ただただ、ジブンの体に、

上から来るエネルギーを通すひと。

実に、気持ちがいい。

その感覚は、この今の私に、すごくわかる。

気持ちいいんです。

そして、これなんです、私が欲していたのは。

 

【おかげで納得できてゆく記憶】

一瞬にしてわかるこの感覚。

小学生の頃から私は、

無邪気にはしゃぎまわる同級生や

年の近いいとこたちなどを、

「子供らしく無邪気で、いいなぁ〜」

と心底おもって、眺めていた。

無邪気さが、マジでうらやましかったのだ。

ほんとうは無邪気にしていたかったのに、

でもできない、という強烈な意識があった。

押さえつけられていて。

 

【バカおんなだもの・・・奢り】

その踊り子の私は、天真爛漫。天衣無縫。

天からエネルギーが来るままに、

体を動かせばそれは「踊り」になり、

声を出せば「歌」であり、

言葉になれば「メッセージ」として人々に染み込む。

 

外でも踊り、酒場でも踊る。

賑やかな音楽に合わせて。

賑やかであればあるほど、アガる。

踊れば拍手が来る。

歌えば耳を傾けられる。

上からの言葉を聞かせてほしいと

酒場の客が次々に言葉を聴きにやって来る。

毎日、毎日。

行くところ、行くところ。

拍手と賞賛の日々。その繰り返し。

 

だんだんそれに飽きて来る。

あーあ、タイクツ。・・・ってなる。

 

そんなタイクツ心がふくれあがる中、

噂は独自に噂を呼んで、

やがてその国の権力者の耳にも入り、

とうとう王子様まで、上からの言葉を聴きにやって来る。

お互い、まんざらでもない感じになった。

 

しかし。

王子様の態度なんて、ただ一時的なもの。

片や、バカ女の方は、

ほれ、ワタシの才能と美貌は、一国の将来の女王にも値する!

と、鼻高々。玉の輿!万能感。

 

【今生のブロックは、自作です】

わかりやすい話だ。

たかが踊り子風情で・・・と、

高くなった鼻をへし折られる。

町から蹴り出される。

もはや、人々は冷たい。

 

死ぬときに抱いた感情、決めたことは、

「自分を出しすぎると、痛い目に遭ってしまう」

「言いたいことは、言ってはいけない

 

これはあくまで、まだこの踊り子個人としての

ごく狭い、ミクロな感覚。

ジブンは悪くないのに、的な。

 

オーバーソウルの視点から眺めた。

ほんとうは、そゆことじゃない。

 

彼女には、感謝が無かった。

 

感謝さえあれば、完璧!

完璧に、私の理想の生き方。

 

【どう生かす!?その過去生】

そうなのです。

そこを、過去生を見た後の

ジブンの中の「ひとり反省会」で、話題としたわよ。

 

前半の、踊るイタコ状態は

まっさっにっ、ゼロ葛藤。

才能を謳歌できることが、いかに幸せなことか。

そこに、まったく意識が向いていなかった。

いかん、いかん。

過去のいつの人なのかは知らんが、

若い踊り子さんよ、それはいかんよ。

 

同時に、目を閉じてこの転生を見ていた間の、

あの懐かしいリアルな気持ち良さ。

あれです。

ワタシの本性が感じていた、そして

永遠に感じたいと追い求めていた、リアルな感覚。

 

才能を楽しむ能力。

さらには、それを持ちながら、

多くの人にそれを認められ、賞賛され、

またかれらの資源ともなって感謝までしてもらえることが、

いかに幸せな循環であることか。

 

そこに感謝の念を持つ人になろうよ。

そういう人でいようよ。

 

 【災い転じて、塞翁が馬。かも。】

感謝の念が無かったことでスパッ!と

それまでの生活から転落してしまった、という人生後半。

それを象徴的に今生のタイムラインにつなぐポイントが、

10歳頃の、母の買い物について行ったスーパーの前の場面。

 

母がスーパーの前に自転車を止めている間にも

私はただ機嫌よく、その当時テレビで見続けて好きだった

渡辺真知子の「カモメが翔んだ日」を、

身振り手振りも真似しながら歌っていた。

誰の目を気にするでもなく。

ちょうど、歌い始めの、

 

  ♪ハーバーライトが 朝日に染まる

 その時 一羽の

    カモメ〜が〜、飛〜ん〜だぁ〜〜

 

の、「飛〜ん〜」のあたりだった。

並べられた自転車の間で、

抑えて吐き出す息と一緒にツンザクような母の声が

 

「やめなさい!恥ずかしかっ!」

 

・・・恥ずかしか・・・?

 

その声と言葉は、私の胸にぐさっっ!と刺さった。

 

まるで、ジャンプした瞬間に、脳天をスパイクされて

ばんっっ!と地面に叩きつけられたような。

私のすべてを一瞬で

ぐっっっ!と封じ込められたような。

 

今の今まで、そのほんの1.5秒程度の場面は、

私とはどこをとっても正反対の母の言動の一つとして、

私の方が許して忘れ去っていくしかないものだと思って

心の隅に追いやっていた。

強烈で鮮やかな痛みが続いていたとは言え。

 

けれどそれはまさしく、私が

最も懐かしみ、

最も取り戻したがっていた

踊り子の封じ込められた感覚を思い出すための、

欠くべからざる重要なゲートなのであった。

 

今生での私の母なる人として、

私があの母親を選んだ大きな理由の一つは、

そのゲートから

あの踊り子の天衣無縫さにつなげてもらうことに

あったのかもしれない。

 

なんと巧妙な。

なんと回りくどい。

もともと覚醒しているくせに。

 

・・・ったくよ。

 

そのくらい大きく視点の広がった経験だった。

 

【おぉ・・・!】

あとちょっとなのだ。

私の感覚。

私は、あとちょっとで、のびのびと楽になれる。

 

その後のアカシックレコードの読み合いで、

ある人が見てくれた。

「メスがすーっと入っていく感じ。

 ちょうど、蛹が羽化する時のように。

 もう、準備できてる。脱ぎ捨てれば、きらびやかに羽ばたける。」

 

・・・だろー?

 

過去生退行プロセスの最後には、

感謝の念を持つワタシとなったところで、

さて、どうぞ、

今の私と、統合しましょ。

 

・・・ドッキーング!

 

統合しました。

ちょっとスタイルも良くなった気がするぜヽ(´▽`)/

 

 

 

フジコ・ヘミングのお役目 〜誰にも奪いようのないもの〜

10月24日、フジコ・ヘミングを聴きに、福岡シンフォニーホールへ。

 

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ツアー、すごい頻度だ。

前回のツアーは、福岡が確か5月下旬。オーケストラとの協演。

 

私はそっちは行けなくて、ちょうど東京にいられた6月に

すみだトリフォニーホールで聴けた。

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ソロが聴きたいけどなぁと思っていたら

うまいことチケットがとれた東京の方はソロの日で、ナイス。

 

今回の福岡も前回同様、オーケストラとの協演なので

わたし的には、たった4ヶ月ぶりの贅沢とは言え、

協奏曲などという未体験の予定。

 

ところが、です。

 

とんでもないことって、起きるのです。

 

フジコ、まさかの大遅刻!

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協奏曲を楽しみにしていらした皆さんごめん、って(汗)

そして遠いところからやってきたオーケストラの皆さんの方は、

フジコ無しで、ふわぁ〜っと演奏。

 

18時20分に空港に「到着」(予定)って、

「着陸」っていう意味の?・・・よね。

空港出るまでに、だいぶかかるよ?

18時30分開場、19時開演だよ?フジコー!

 

ちなみに、私が仕事から博多駅に戻ったのが18時10分。

みょーに腹減っていて、

地下鉄の時間とのタイミングもあって

うーむ、どぉしよう、ギリギリになりすぎるかな

とか迷った挙句、

えーい、迷っている時間がもったいないわ!と

蕎麦屋に飛び込んだ頃・・・まだフジコは空中にいたのかよ。

 

オーケストラが1時間ちょい演奏して、

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ジャ、ジャ、ジャ、ジャ〜〜ンと「運命」やってくれたりして

ま、これも運命よねー、

この人たち、そう思って弾いたりしとるのかな、

なんて思いながら、

なんっか、音うつくしいけど、

このホールの音響、オーケストラなんて不慣れなワシには

度を越してやーわらけーなー・・・

などと思いながら、

聴いていたら、あっちゅー間だった。

 

フジコが出て来たのは、

休憩を挟んで、そうねぇ、20時20分頃?

も少しあと?半近く・・・ぐらいだったかな。

 

やたー!到着ー!

ほんとにここまで来たー!フジコー!

 

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これは終演直後。ステージ両脇に、オーケストラが使った椅子が積まれたまま。

急なこととは言え、なんで要らんもの

ステージの上に置いたまま、フジコスタート???

なに?この、雑多感。

そうまでして、急な変更ぶりを演出せんでもよかろうに。 

 

スタッフの人に支えられながら、ゆっくり歩いて登場したフジコ。

マイクを持って始めにおっしゃることは、

一人では歩きづらくて補助がいることへの、
なんというか、
「カッコ悪いとこお見せしちゃって(テへ)」
的なところ。
 
この大ハプニングの説明は、そのあと。
この順番が、永遠の少女フジコね。
いいわよ、その調子。
 

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一週間ほど前に、ロンドン公演に行くところだった
パリ北駅?だっけ?で、
スられちゃったんだってー(泣)
 
「あの辺は、スリが多いんです。」とフジコ。
まぁイギリスへはパスポート無しでも入れたけど、
福岡へは〜・・・と、大変だった様子。
(福岡が、日本ツアーの初日だったのね。)
 
フジコと言えば、父親の国籍との関係で
たしか19歳まで?だったかな、無国籍状態でいたから
留学したい時期にすぐには動けなかったりという、
人生を左右するやきもき体験もなさってる
と、お聞きしております。
 
そんな方が、世界的に有名になった後にまた
よりによって
日本へ入ることを阻まれるなんて。
 
 
「列車の中でも、寝てなくって・・・」
「20分ぐらい前に着いたばかりで(みんなため息)」
「うまく弾けるかどうかわかりませんけれど」
 
まぁこれは、とは言え弾けるっていう前提と、
実際弾けた事実があるから
ふつーに許される、成り立つ挨拶なのだ。
やれない人が、前もって口にしてはぜったいダメなやつ。
 
そして、自分はうまく弾けないかもしれないけど
みなさんはぜひ、
「この後のオーケストラの方々の、素晴らしい演奏の方をお楽しみに」
と、もはや状況も把握していないフジコ。

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いいんだよ、フジコ。
 
ピアノの前に座りさえすれば。
そこからフジコの世界だから。
 
弾き始めるフジコ。
 
 
今日はちょっと体調が〜とかさ、
事情があって練習できてなくって〜とか、
あーもーリハ無しでどーなることやらー、とか、
なんなら、
なんか、なんっか、なんっかが、ヘンなんだけど!とかさ、
 
オレたち演奏ってもんをしたことがある人間なら、
いや演奏に限らず、
人目に晒される何かをやったことがある人間なら
その多くが、
自分のパフォーマンスがうまくいかないことを
「自分の外」のせいにするリクツを、
まるでそれが客観的な
避けられない大前提でしかなかったかのように、
自分は単なるその被害者で
憐れまれることを求めるかのように、
言葉にしてしまうよなー。
 
よく聞くし。私も例外ではなかった。

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ネオン街に向かって、反省。

 
その自分の演奏が影響を受けている要素が
「自分の外」から始まっていようが、いまいが、
そもそも環境とは影響を受けるもの。
影響を受けてこその、生の環境。
影響を受けた環境の中で
自分の持つものをその時の完璧な形で発揮できなかったのなら
それは、そこまでの力でしかなかった
ということだ。
 
フジコはわざわざパリから、大変な思いをして
そういう「上」からの伝言
(=私たちの「中」から気づくべきこと)を
届けに来てくれたようなものだ。

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金のスカルをネオン街に向けて、感謝の意を表明。

 
盗難事故被害の精神的動揺、
パスポートの無い不安と混乱、
それに伴う入国手続きによる疲れ、
海外からの移動の疲れ、
直前の曲目変更、
慣れない街での慌ただしい移動と
練習リハ無しでいきなりの本番。
楽屋の混乱、
たった一人のステージ。
 
そして最後には、
命がけのような覚悟でないと弾けない、
その人の生き様がすべて出ちゃうとおっしゃる
リストの「ラ・カンパネラ」を、
会場全体が心待ちにしている。
 
おそらく、究極の
 
「入り込む」
 
「ゆだねる」
 
「込める」
 
を見せ、そこから響く音を、聴かせてくださった。
あれが、
 
「誰にも奪えないもの」
 
だ。
外からの要素には左右されない
いや、「左右させない」ところの。
 
ナチスの迫害という不条理な状況に翻弄され、
逃げて、逃げて、
飢えながら隠れて、
見すぼらしい姿になりはてたピニストが、
ドイツの軍人に見つかった極限状態で
そこにあるピアノを弾いてみろと言われて、
 
 
弾く。
ピアニストの音で。
 
 
あの時の、感じに近い。
誰にも奪えないもの。
神もその人から奪い去ることができないもの。
 
 
もう、ほんっとフジコったら。
これまでの経験へのご褒美のように花開いた今を謳歌して
ゆったりと世界中を楽しみながら
演奏して回ってたらそれでいいじゃないの。
 
でももはや、そこに集まってくる人々に、
神が(それはつまり、自分の中の、気づける部分が)
気づかせるために
フジコは動かされ、伝える領域に入っており、
そしてそのこと自体が、フジコへの終わりなき試練なのかもなぁ。 

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そういうふうに
神の使いとしてのフジコのお役目に少し気づきつつも、
私はまだまだ、
あぁフジコがうまく弾けますように、などと
試練を受ける生身のフジコ自身のことも、
すこし心配したりした。
 
フジコの指がほんっの時々となりの鍵盤に触れてしまった時には
自分のことのようにドキッ!としたりしてしまって。
弾く人への「共感」が、いつにも増して
大きくなっていたとも言えるかな。
 
それはまるで、
部活で監督に見込まれた先輩が
居残りでさらに特訓受けているのを、
固唾を飲んで見守るしかない補欠後輩みたいな
無力かつ純粋な感覚だった。
・・・フジコせんぱい・・・・・(涙)
 
アンコールまで済ませ、
フジコはやはり
「この後のオーケストラのベートーベンにも
大きな拍手をお願いいたします」
とかなんとか、
ひとりだけ違う時空から挨拶をして、
ゆっくり消えてった。
 
ありがとうフジコ!
ごゆっくりお休みになられて、この後も各地で
人々に多くの気づきを、どうぞお与えになり、
またご自身も、日々お健やかに〜!

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しっかりと何かを学んで、

雨に濡れた中洲方面に帰るさち・ド・サンファルヘミング。

 

 

形式の力:即位礼正殿の儀〜あるバタバタmorning の回想

今日は即位礼正殿の儀というのが、執り行われていたようですけれども。

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同世代のかたが天皇になられると、やはり感慨深い。

日本が戦争に転がり落ちるのを止めることができる天皇であってください。

 

儀式とかの形式の担う力ってやっぱ、あるんだなー、と

ここのところ、折に触れよく考える。

 

儀式というほど大袈裟ではないけれど

アファメーションについて考えていたことを

ちょっと思い出した。

 

・・・アファメーションというのが、ありますね。

自分自身について、肯定的な宣言を繰り返す行為というか。

 

私たちの発した言葉は、

地球のエーテル体というところに届くのですって。

攻撃的な言葉は、

発した自分のエーテル体も、相手のエーテル体も

傷つけてしまうらしい。ひぇ〜

 

エーテル体って言われても、と思うヒトの方が多いとは思うけど。

私も、最近やや聴き慣れてきた程度で、

まだそんっなにリアルすぎるほどには、リアルなもんでもない。

まぁとにかく、私たちを覆うエネルギーの、層の一つね。

 

けれど、そういうものとも絡むアファメーションとか儀式とかの

「形式」というものについて、

なんかちょっとリアルなところにたどり着いた、

という話を進めます。

 

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地球のエーテル体かぁ・・・・

 

相手を殴ったりしてしまっても、肉体だけでなく

エーテル体まで傷ついてしまうそうなのだけれど

それよりも、言葉で傷つけられると

実はエーテル体が元に戻るには、さらに時間がかかるのだとか。

 

ピンと来ないなりにも、ためしてみるといいのは、ですね、

手のひら(センサーね)を相手に向けて、意識的に近づいていくと

もわっ、と弾力性が出てすこし暖かくなる境界線がある。

それがヒトのエーテル体なのねー。

(ペットでもわかります。もわもわっ、て)

 

それで、生身の肉体がエーテル体を持つように、

地球には地球のエーテル体があるのですと。

きっと、リアルなもんなんだと思うわ、

”星” 規模でモノを考えたり、動いたりしていれば。

 

私にとっては、今はまだ言われた通り

そう信じておくしかないところですけれど、

私は、素直にそう信じて、コトを進めるよ。

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地球のエーテル体・・・なんか、あんだろうなぁ・・・・

 

だからつまりは、イヤでも

届いてしまうんだね。

在るんだから、エーテル体が。

そして、発したんだから、声を。

声ですよ、リアルな肉体が、リアルな空気を振動させた、

エネルギーの波。

 

んだから、朝イチで発する声が

肯定的なエネルギーを発していれば、

当然のこととして

それが地球のエーテル体に届き、

そのエネルギーはまた、私たちを守ってくれもするのでしょう。

 

私は今、ノウイングでおべんきょしていますけれど、で、

その中にもいくつも、儀式というもんも出て来るんだけれど、

アファメーションというものも、ありますノデス。

(儀式というのがまた、面白いのよね。これはまたいずれ。)

 

で、スクールでも言われましたのよ。

毎朝、起きて一発目に発する声として、

自分の世界を肯定的な方向へ進める意図を載せて、

アファメーションを唱えてください、と。

(言葉自体は、自分に合うものを

 自分で作り上げていけばよいもの。

 スクールではいくつか提示してもらったりもしていて、

 珍しく私としてはその言葉がそのままハマったので

 ずっとそれを使っている)

だから、とにかく、

 

唱えていたんだよね、毎朝。

 

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そして、それが習慣化した頃に、気がついたことがあるのだ〜。

 

それは「毎朝起きてすぐ」という、

日常生活の中に位置付けている習慣だからこその成り行き

なのだと思う。

 

ある朝、起きてすぐからけっこう

バタバタしてしまって、色々時間と闘ってしもーて、

家の人間が出かける時になって

「行って来ます」と言うので、

あ、もうそんな時間だ、とまた

バタバタしながら玄関まで見送りに出て来て

「行ってらっしゃい」と言・・・おうとした

発声の準備に入った喉の状態から瞬間的に

 

 はっ!今から出すのが今日の一発目の声だ!

 (やべ、アファメーションしてなかった( ゚д゚) ・・・)

 

と感じた、その一瞬あとの、

 

う・・・も、もう、もはや「行ってらっしゃい」の前に

アファメーション唱えてくるから待ってとも言えない、

でもあーあアファメーションじゃない一言で

今日一日を始めることになっちまうのかよ、ちっ

(その心の中の「ちっ」もいけない (゚o゚;; ので、寸止め)

 

と考えた次の瞬間にとる行動は・・・・?

そう。そのとおり!

 

 

「行ってらっしゃい」

 と、穏やかに優しく言う

 

 

だろー?

それが地球のエーテル体に届いて、自分に戻って来ても、

アファメーションと同じだけの(あるいはそれ以上の)

肯定的な守ってくれるエネルギーを持つ声と言葉であったなら、

問題ないだろー?

 

問題ないどころか、むしろそれこそが、

日常の中でアファメーションを繰り返すという

形式あってこそ引き起こされる絶大なる効果を持つ、

「形式の持つ力」

なのではないか?

 

形式のおかげで、そこにエネルギーが生じていて、

それを逸脱してしまいそうになった時には

しっかりとその指針になるというか。

拠り所として戻ってこれるだけのリアリティとも言えるような。

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そう気づいてからは、

 そうか、すべての瞬間の発声が

 すべて穏やかであればよいのだ

と、リアルに実感するようになった。

格段に、何かを悪く言う言葉も、

理屈からでなく

体感として良くないから、使わなくなった。

 

毎朝アファメーションするという儀式の枠の中にいる安心や満足感にも増して、

日常の中で

その枠から逸脱してしまうことで得られる実感というものにも、

とても価値がある!

 

いわゆる儀式や、アファメーションなんていう「形式」というのは、

むしろ、それを行おうとする「意図」とか「意味」とかからは

乖離していってしまうものなのでは?と

思わなくもなかったのだけれど。むしろ反対であった。

 

あー、形式の持つ力って、そゆことでもあるのかもなー、と

けっこうかなりリアルに感じた、

ある日のバタバタモーニングだった。

 

 

《追記:即位礼正殿の儀の日に思う》

 

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・・・・しっかし、

 

「国民に ”寄り添う”」という表現が多用され始めた気がするなー。

平成の天皇さまご譲位の頃から。

 

天皇さまは、特に今はまだ(なのか?「今はまだ」であってほしい)、

上皇さまが国民に寄り添ったことを長々と述べる時間が、長い。

 

まーほんとは、「今はまだ」とは言え、

「今」だからこそご自分のことを宣言する場があるわけなのだが、

とにかく、そういう公の場での公の宣言の中で

 自分のオリジナルの決意を述べる以上に、

 上皇さまを褒め称える尺がやたらと長い

と私は思います。

解説ではそれを「踏襲」で表していたけれども。

 

だからなおさら、上皇さまが使ってらした「国民に寄り添う」を

耳にする機会が2倍になっとるのかもしれん。

 

そんなこんなで、

あまりに平易な言葉での儀式というのも、やや照れた。 

 

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「君はひとりじゃないから」とかまでは、言わないでほしいです。

 

 

なんでも、中継の後の解説によると、

総理大臣の寿詞(よごと)の中の文言が、

前回の平成への代替わりの時の海部総理大臣の使った表現から

ちょっと平易な表現に変更されていたらしい。

 

平成「最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます」

令和「最善の努力を尽くしてまいります」

 

それは、 皇位継承式典事務局ってところが、

内閣総理大臣の『寿詞』は、国民の代表として述べられるもので、それに適した表現にした」

説明しているのですと。

 

その事務局ってところが、

どれだけ社会を的確に捉えようとした、

どれだけ語感のある人たちの集まりなのかはわからんけれども、

つまりは、

「お誓い申し上げる」っていう表現を

リアルに理解できる国民が減ってる、とかいうような認識

による変更ということになるのかね。

 

それは非常に国民をナメた&センスのない見方だし、さらには、

「代表する」って、そういうことではないと

私は思う。

 

儀式、形式、言葉について考えた一日。

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儀を終えて。

 

 

 

 

嵐を呼ぶオンナ!

【秋のウンザリタイフーン】

東京での、ノウイングってぇスクールの授業が、

移動費のクソ高い10月12(土)〜14日(月祝)の

3連休の予定だったのだけど、

9月に引き続いて、また見事に台風と出会うこととなり

初日は休講、2日目は午後から、ということに。

 

こんなこともあろうかと、

3連休を避けて少しでも安い前日に

前乗りすることにしていたのが功を奏した。

 

・・・と、私一人が移動できてもダメか。

首都圏の交通機関自体が、計画運休を次々に発表。

 

9月の授業も台風に見舞われて

けっこうな状況を楽しむハメになった私としては、

ウンザリこいたわ、しょーじき。

(この、「計画運休」という言葉、9月のタイフーン以来

 急にポピュラーになってきた気がする。

 ふだんJR博多駅を利用する私は、

 鹿児島本線の情報メールを受信するようにしとるのだけど

 その鹿児島本線までが、

 いっちょまえに計画運休します、とか言うてきてた)

 

でも、思い直して。

東京のホテルの一室で台風に耐えることを

趣味にしてることにしてみた。

 

部屋でやるべき勉強自体はいろいろあるので、

あとは、部屋のみグッズを揃えて飛び立ったさ。

コップと、カボスと、包丁。

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包丁持ち歩くには、荷物を「預入手荷物」にしないとねー。

(以前、包丁を研いでもらった時に

 包丁やさんに念を押されたのだけど、たしか

 包丁持ったら「目的地」まで

 さっさと移動しないといけないらしいよね。

 むやみに危険物を持ち歩かない、ってことね。

 寄り道したら銃刀法違反か?)

 

預け入れ荷物にすると、さっさと移動したい時には不便だけど。

前乗りとかの、ちょっと気分的に余裕があるときは、

スーツケースにハサミや包丁も入れとくと、ほんと便利 ♪

移動が多い人には、オススメです(そゆ人はもう、知ってるか)。

 

2泊以上する時には部屋に花を置くし、

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良いところ(地下鉄大門駅からすぐ)に、良い花屋さんを発見。bird flower という。トルコキキョウは、「おまけ」★

花を切れるとホント、花も長持ちするし

ぐっと

生活している!という感覚も出る。

何よりも、無機質な、どこ泊まっても同じ感じの

ホテルの部屋が、

ぐっと

自分ち!になる。

だから、ホテルに泊まることが多い人には、

お花はホント、オススメです。

 

で、今回は、秋という季節も手伝い、

今ならカボスが冷蔵庫にたっぷりある我が家なのに

そこから離れたくない!

という気分になったおかげで、

そうか!カボス携帯すればよい!と気づいたのでした。

 

これも、移動の多い方にはオススメ。(そうか?)

移動が多くて、部屋飲みする人には、だな。

 

 【LINEその1】

授業が休講になって、受講者どうし、

LINEでの会話が飛び交っていたのだけれど、

やがて、自然に

「嵐が大惨事にならぬよう

 皆で意識を揃えて祈りましょう」

という話になっていった。

 

 「葛藤」の無い心で「意図」すれば、それが即「結果」となる

 

ということを学んでいるわたくしたち。

皆、自然と、それぞれ純粋な心で祈ったのでした。

11日(金)午後10時、

12日(土)午前10時、午後10時と。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20191013010449j:plain

これはどう見ても、龍神でしょう!

そして、このLINEが飛び交っていたのと同じ頃・・・

 

【LINEその2】

スクールとはまっっったく関係ないはずの

高校の同級生たちと先生とでできている

LINEのグループでもやりとりが始まっており・・・

(だいたい、いつも不思議だなー、と思っていたのが、

 スクールのある時に、よく

 この人たちのLINEも始まるということ。)

 

私が、会話の途中で

また趣味で東京の台風を体験しているとか、

台風だけじゃなく、地震まで来たよ〜とか伝えて、

龍神の雲の画像↑を送ったところ、

やっぱり龍に見えるとおもってたとこ、

という発言もあったりして、

 

ほっといたらどんどん、参加者の発言が

興味深い方向に進み始めたのだ〜。

 

「よく考えたら、お前は台風に何度も当たる

不運なやつなのではなく、

台風を自分の方に呼び寄せて

九州から逸らしてくれている霊能者だったのだ!」

「じゃ、包丁は宝剣だ!」

とかいうことになってきて、

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20191013012914j:plain

そこまで言うんなら、宝剣を奉ってるところを送ってあげたさ。

「江戸にいる本来の目的は、部屋飲みじゃないよね」

と言うので、

違います、明日は外飲みするけど

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20191013013725j:plain

(部屋飲みメニューは充実してるけど)

と答えると、

 

「霊能者の目的は、雨を止めて、

ダムの緊急放水をストップさせることだろ!」

とかいう方向に。

 ↓

その努力は、もうやってます。

スクールの方々と。

 

私にはもう、ノウイングのLINEだったか

高校の方のLINEだったか

区別がつかぬほどのシンクロぶり。

 

そうなると、このなんとなく持ってった包丁の絵が、

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20191013013308j:plain

「嵐で浄化された街の姿です」

「ほんまや!」(なぜか大阪弁

ということに、なっていくのでした。

 

やっぱ、なんか、やるよなー、この同期していく感じ。

私が媒体になっている気すらする。

意図することを意識的にやっている人たちと

まだそこまで意識的ではない(けど、じゅうぶん

潜在的に知っている)人たちとをつなぐ。

 

【だから、嵐を呼ぶワタシ】

そういうわけで、

話題の展開があまりにも自然だったため、

 

 ワタシの江戸滞在の本来の目的は、

 宇宙の仕組み、「ワタシは ”何” であるか」

 を知ることですの。

 もうこっちで言われる前に

 あっちで祈っとるから。

 

という話をした、という不思議な嵐の夜だった。

 

【おまけ】

今は昔、私たちの高校の合格発表の日は、

陽が差したかとおもったら霰が降るような

ヘンテコな天気の日で、

入学候補者たちを前にはりきったある先生が

「今日は人生のすべての天気が現れた象徴的な一日だ、

 君たちは嵐に向かって進め!」

とかなんとか口走ったのがきっかけで、

その後、私らの学年は

「向嵐会」と名付けられたのだった。

 

何を隠そう、あの日の嵐を呼んだのも、

この私です。

 

ということだ。わはは。

 

 

お花レッスン 《リーフアレジ》

お花レッスンのメモ。備忘。

でもどなたかのお役には立つでしょう、きっと。

【花材】

<枝もの、葉もの>

(1) 雲竜柳(アカジクドラゴン)黄色っぽいくねった枝 3〜4股に分かれてるの1本

(2) モンステラ 中くらいの 2枚

(4)(8) タニワタリ 3枚

(11) 雪柳(紅葉) 赤っぽい 1枝

 

<マス>

(3) ピンクッション(コーディフォリウム)赤 2輪

(5) ビバーナム(アルプスルビー) コンパクタとも言う。黄色い丸い実 秋っぽい 1枝(実は3房)

(6) (10) リューカデンドロン(サファリサンセット) 2本

(7) バラ(アマダ)ふっくら中くらい 赤 2輪

(9) テマリソウ みどりの玉 2輪

 

 

 

これは、三方見(さんぽうみ)。

マスになり得るものたちが皆、

デカい&色の主張がはっきりしている 。

 

【準備】オアシス

長い方を正面に。花器の縁から2センチ程度の高さまで押し込む。

特に、角はしっかり花器の内側に向けて、面取りしてセット。

セロファンは、2センチぐらい残してカット。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914151928j:plain

 

【スタート】大きく。

(1) いきなり雲竜柳からいってみましょう。

他の葉物を活けてから柳の高さを決める方法もあるけれど、

のびのびと、柳を先に置いてしまう。

前後の位置も自由。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152154j:plain

けっこうな長さ、高さ。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152304j:plain

 

他の葉物も、花類も、

あまり散らすよりもグルーピングする(まとめる)方が、

その特徴が際立つ

 

葉っぱ類のもともとの向きなども考えて、

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152418j:plain

このモンステラは、正面に向かって右側に来て欲しいので、

 

(2) 柳のお次はモンステラ

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153042j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153112j:plain

 

次の葉物は、左に来るものを。

レッスンの時は、もう(3) フォーカルになる花を選んだ気がしてきた。

 

けど、うちでやり直しているこの写真では、

間違えて左側の葉物を先に挿してしまった。

結局、あとでやっぱりバランスが悪くて、挿し直すことになったわ。

 

まぁよい。そのまま進めます。

(3) 左側に来るタニワタリを、今回は、葉先をまるめて使う。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153205j:plain

両面テープで止めてみてから、形が決まったら、ホッチキスで

2〜3箇所パチン!パチン!と止めてしまう。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153317j:plain

↑これは、裏側の模様を敢えて外側に出してみた。

↓こっちは、表側を外側に。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153346j:plain

長さが決まったら、オアシスに挿す

中心の芯の部分を残して、葉の部分は切り取る。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914154900j:plain

 

1枚目。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914155116j:plain

 

2枚目。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153734j:plain

 

とりあえず、葉物は2枚ずつ。

あとのタニワタリ残り1枚は、バランスを見てどこかに。

 

(4) ここでは、フォーカル。

高さが活かせるのがフォーカルになると、映えるよな。

その他の花は、フォーカルを活かすため、低めに。

 

今回のフォーカルはピンクッションで。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914155559j:plain

フォーカルを決めたら、やはり、

同じ種類は近いところどうしの方が、引き立てあえる。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914155850j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914155919j:plain

 

(5) ビバーナムの、実の垂れた感じを活かして使いたい。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160642j:plain

立てて高めの位置で垂れさせるとか、

下草(したくさ)的に、下の方で垂れさせるとか。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160135j:plain

今回は、立てて一枝まるごと。

これは3かたまりある実のついた、一本の枝です。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160528j:plain

(この、葉っぱのついたヤツね。)

 

(6) リューカデンドロンも、2本近づけて。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160800j:plain

 

(7) あとバラ。

これも、目立つ赤!なので

周囲の色とのバランスで、

1輪は、モンステラの緑の間に、横顔として。

もう1輪は、フォーカルを引き立てるために

後ろから覗かせる、という方法もあるし、

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161209j:plain

 

フォーカルのピンクッションの間に

ビバーナムがあるので、

その黄色い実をバックにして

前に持って来る、という方法も。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161041j:plain

レッスン終わって花持って帰って来て、

こうして挿し直すまでに2日経ってるからなー。

バラがすでに、ヘタれている。

けど気にしないで!もう少しよ!

 

それに、やっぱり左側が窮屈。

これも後でやり直してしまうから、

気にしないで!

 

(8) 3枚目のタニワタリを、

左の2枚の間にちょこっと見える位置に補充。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161851j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162402j:plain

 

(9)  テマリソウ2輪プラス。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162019j:plain

 

(10) 仕上げ1

あとは、正面の後ろが、まだスカスカ。

 

2輪目のバラを前に持って来てるので、

後ろからちょこっと、濃い色を覗かせるため、

リューカデンドロンの残りをプラス。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162212j:plain

 

(11) 仕上げ2。

雪柳の1枝の、先の方をちょっと覗かせる。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162349j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162402j:plain

 

あとは前の方の下のほうに、下草として補充。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162857j:plain

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163332j:plain

 

できあがりなーのだ。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163215j:plain

 これはレッスンの時の完成状態なーのだ。

まだバラやピンクッションが生っき生きしておーるのだ。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163502j:plain

グロテスクではあるけど、美しい。

ピンクッション(コーディフォリウム)。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163456j:plain

テマリソウは、ほんに、器用な立ち回り。

マスにもなれて、下草にもなれる。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914164213j:plain

ビバーナム(アルプスルビー)(先生は、ずっとコンパクタと呼んでらっしゃいました)と、

まだふっくりしてるバラ(アマダ)。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914164504j:plain

いつ聞いても、聞く者の耳にその名を轟かす、リューカデンドロン!

またこやつも、マスでもいけるし、長くも短くもいけるし、

長さ調整したあとの残りも、ちゃんと脇役でいけるし、

ドライになってもまだいける!すごい!燻し銀!

 

おつかれさまー。パチパチヽ(´▽`)/☆

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

お花レッスン 《リーフアレジ》

お花レッスンのメモ。備忘。

でもどなたかのお役には立つでしょう、きっと。

【花材】

<枝もの、葉もの>

(1) 雲竜柳(アカジクドラゴン)黄色っぽいくねった枝 3〜4股に分かれてるの1本

(2) モンステラ 中くらいの 2枚

(4)(8) タニワタリ 3枚

(11) 雪柳(紅葉) 赤っぽい 1枝

 

<マス>

(3) ピンクッション(コーディフォリウム)赤 2輪

(5) ビバーナム(アルプスルビー) コンパクタとも言う。黄色い丸い実 秋っぽい 1枝(実は3房)

(6) (10) リューカデンドロン(サファリサンセット) 2本

(7) バラ(アマダ)ふっくら中くらい 赤 2輪

(9) テマリソウ みどりの玉 2輪

 

 

 

これは、三方見(さんぽうみ)。

マスになり得るものたちが皆、

デカい&色の主張がはっきりしている 。

 

【準備】オアシス

長い方を正面に。花器の縁から2センチ程度の高さまで押し込む。

特に、角はしっかり花器の内側に向けて、面取りしてセット。

セロファンは、2センチぐらい残してカット。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914151928j:plain

 

【スタート】大きく。

(1) いきなり雲竜柳からいってみましょう。

他の葉物を活けてから柳の高さを決める方法もあるけれど、

のびのびと、柳を先に置いてしまう。

前後の位置も自由。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152154j:plain

けっこうな長さ、高さ。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152304j:plain

 

他の葉物も、花類も、

あまり散らすよりもグルーピングする(まとめる)方が、

その特徴が際立つ

 

葉っぱ類のもともとの向きなども考えて、

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152418j:plain

このモンステラは、正面に向かって右側に来て欲しいので、

 

(2) 柳のお次はモンステラ

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次の葉物は、左に来るものを。

レッスンの時は、もう(3) フォーカルになる花を選んだ気がしてきた。

 

けど、うちでやり直しているこの写真では、

間違えて左側の葉物を先に挿してしまった。

結局、あとでやっぱりバランスが悪くて、挿し直すことになったわ。

 

まぁよい。そのまま進めます。

(3) 左側に来るタニワタリを、今回は、葉先をまるめて使う。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153205j:plain

両面テープで止めてみてから、形が決まったら、ホッチキスで

2〜3箇所パチン!パチン!と止めてしまう。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153317j:plain

↑これは、裏側の模様を敢えて外側に出してみた。

↓こっちは、表側を外側に。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153346j:plain

長さが決まったら、オアシスに挿す

中心の芯の部分を残して、葉の部分は切り取る。

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1枚目。

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2枚目。

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とりあえず、葉物は2枚ずつ。

あとのタニワタリ残り1枚は、バランスを見てどこかに。

 

(4) ここでは、フォーカル。

高さが活かせるのがフォーカルになると、映えるよな。

その他の花は、フォーカルを活かすため、低めに。

 

今回のフォーカルはピンクッションで。

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フォーカルを決めたら、やはり、

同じ種類は近いところどうしの方が、引き立てあえる。

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(5) ビバーナムの、実の垂れた感じを活かして使いたい。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160642j:plain

立てて高めの位置で垂れさせるとか、

下草(したくさ)的に、下の方で垂れさせるとか。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160135j:plain

今回は、立てて一枝まるごと。

これは3かたまりある実のついた、一本の枝です。

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(この、葉っぱのついたヤツね。)

 

(6) リューカデンドロンも、2本近づけて。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160800j:plain

 

(7) あとバラ。

これも、目立つ赤!なので

周囲の色とのバランスで、

1輪は、モンステラの緑の間に、横顔として。

もう1輪は、フォーカルを引き立てるために

後ろから覗かせる、という方法もあるし、

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161209j:plain

 

フォーカルのピンクッションの間に

ビバーナムがあるので、

その黄色い実をバックにして

前に持って来る、という方法も。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161041j:plain

レッスン終わって花持って帰って来て、

こうして挿し直すまでに2日経ってるからなー。

バラがすでに、ヘタれている。

けど気にしないで!もう少しよ!

 

それに、やっぱり左側が窮屈。

これも後でやり直してしまうから、

気にしないで!

 

(8) 3枚目のタニワタリを、

左の2枚の間にちょこっと見える位置に補充。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161851j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162402j:plain

 

(9)  テマリソウ2輪プラス。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162019j:plain

 

(10) 仕上げ1

あとは、正面の後ろが、まだスカスカ。

 

2輪目のバラを前に持って来てるので、

後ろからちょこっと、濃い色を覗かせるため、

リューカデンドロンの残りをプラス。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162212j:plain

 

(11) 仕上げ2。

雪柳の1枝の、先の方をちょっと覗かせる。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162349j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162402j:plain

 

あとは前の方の下のほうに、下草として補充。

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f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163332j:plain

 

できあがりなーのだ。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163215j:plain

 これはレッスンの時の完成状態なーのだ。

まだバラやピンクッションが生っき生きしておーるのだ。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163502j:plain

グロテスクではあるけど、美しい。

ピンクッション(コーディフォリウム)。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163456j:plain

テマリソウは、ほんに、器用な立ち回り。

マスにもなれて、下草にもなれる。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914164213j:plain

ビバーナム(アルプスルビー)(先生は、ずっとコンパクタと呼んでらっしゃいました)と、

まだふっくりしてるバラ(アマダ)。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914164504j:plain

いつ聞いても、聞く者の耳にその名を轟かす、リューカデンドロン!

またこやつも、マスでもいけるし、長くも短くもいけるし、

長さ調整したあとの残りも、ちゃんと脇役でいけるし、

ドライになってもまだいける!すごい!燻し銀!

 

おつかれさまー。パチパチヽ(´▽`)/☆

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

リアルエネルギー:Chageライブ2019.09.13 仲秋の名月。

エネルギーは、消えずにそこにある、のね。

創造主が自分自身を知るために

自分をひっくり返して宇宙に解き放った細胞、

 

その二つが引き合った時に生まれたエネルギー、

そこからそれはずっとそこに在って、

今の私たちにまで続いて引き継がれ・・・というのが

ノウイングの、私たちは何者か、という

宇宙全体の説明のはじめのところで出てくる。

 

エネルギーはそこにあるまま、というのが

わかるような、そうでもないような、

そうなのねーと思っといて次に行くしかない

というのが実情のような感覚もあったけれど、

 

・・・あるな、エネルギーって、そこに。

いわゆる形は無いようで、

それだからこそ実にリアルに。

 

Chage が歌っていて、私たちはそれを聴いていた。

いや、いつも感じることだけれど、

演奏を、音楽を、聴いてるわけじゃないのだ。

それなら機械が音を組み合わせていればいい。

技術でいくらでも生身の人間に近づけることもできるだろうし、

逆にミスタッチの無い演奏の方が得意だろう。

歌詞も間違えない。

 

わざわざ演奏の場に足を運ぶ私たちは、

それを通して放たれるエネルギーに触れようとしているのだ。

 

歌が歌として持って生まれたエネルギー、

歌われて歌われて聴かれて、そこに注ぎ込まれたエネルギー、

それらは、そのまま保存されて、そこにある。

 

そして、それを聴く人を、

それを歌う人を、

ときに、それを始めに形にした本人さえをも、

その歌の持つエネルギーの場所まで引き上げる。

 

ほんとうにあの人は、強い。

自分の立ち位置を俯瞰して把握しながら、

まず歌に触れる人たちを歓ばすことが

あの人の魂の歓びなのだ。

 

世の中は勝手なことを言う。勝手だ。

何も知らないで。

彼の音楽を聴こうともしないで。

彼の胸のうちに、どれだけの闇が押し寄せたことだろう。

 

世の中だけではない。

ASKA自身の態度を、Chage

胸の奥底でどこまでどんなふうに感じてしまったのか、

それは彼自身にしかわからないことではあるけれど、

私たちに見える表面だけでいけば、

この9月のライブでも

ちょうど1年前の9月のライブでも

ASKAが自身のブログで撒き散らしてしまった言葉の

収拾にあたらざるを得なかったのは

Chageのほうだった。

 

もう5年経つ。

私たち皆に悲しいことがわかってしまった直後から

それでも私たちを気遣いつつ、

彼は歌った。

 

その後も、彼はツアーで帰ってきては、歌った。

新しい歌を。

君が僕を選んだ、僕が君を選んだ、と。

魂が打ち震えるような歌だった。

 

あの時には弱虫風が吹きかけた、と本音の一部も語ってくれた。

勝手な世の中が封印してしまったCHAGE&ASKAの楽曲も

良い歌なのだから歌う

と宣言して、歌った。

 

良い歌なのだから、歌うのだ。

魂が震えるから、触れに行くのだ。

それだけだ。

心の中を音楽で伝える姿勢の、理想形のような場だ、

結局Chageに会うたびに、そう感じた。

 

心休まらない、悲しいはずだった条件を

Chageがあまりにきっちりと昇華して

最高の状況にしてしまったおかげで、

その理想のエネルギーを浴びた私は、

僭越ながら、

あの後のライブでは、もう

あの高揚感を超えることはできないのではないか

とすら感じてしまっていた。

 

ところが。

またもやASKAのブログでの発言が

ワイドショーを賑わしているらしい今

(私はもはやASKAのブログも見ないし、

ワイドショーはもっと見ない。

それでも漏れ聞こえてきてしまうところによると

ASKAが一方的な見解をいろいろ書いているらしい、

世の中の人にとっての情報はそれがすべてらしい

ということだけはわかる。

ここには書きたくもない)、

自分の音楽の原点に回帰しつつも

また新たなる境地を表現した歌を、

完全に今に昇華した往年の名曲たちを、

もうあれは、

私たちの胸に、彼は、突き刺した。

私は、突き刺された。

 

エネルギーを見た。

歌の中に込められ、そこに在るエネルギーを、

彼は、生み出した者であると同時に、

増幅させながらその恩恵を最大限に浴びる恵まれた者として、

私たち一人一人に、

 

勇気とは

決して騒ぎ立てず、すべてを赦す強さとは

こういうことだ

 

と、示してくれた。

神々しくすらあった。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914115939j:plain

 

彼らがデビューして40年。

このツアーに使うギターを選ぼうとしていた時、

デビューしてすぐ作ったギターの、

埃をかぶったギターケースが

その前を通った時に、カタカタと鳴ったのだとか。

 

ん?と振り返ってその前に戻ると、また

カタカタと鳴ったのだとか。

それで引っ張り出して、弦を張り替えてみたら

すごく良い響きだったのだと。

Chageの歴史の始まりにあるギターが。

それは、Chageを守ってくださっている存在からのメッセージだ。

私もお礼を言いたい。

ありがとうございます。

 

 

私には、去年12月のASKAの復帰コンサートでの

醜態が赦せない時期があった。

その後、私の中の指針であったCHAGE&ASKAは、切り捨てた。

私の40年間の一部でもあるものを

いったんすべて取り除こうとして、

実はこの9月のChageのライブにも

行くつもりをなくしていた。

 

けれど。

 

あまりにも、いくつかのタイミングが

重なったのかもしれないとはいえ、

デビュー40周年記念の日に

ASKAが ”脱退” という形をとるなんて

あまりにも、

あまりに、やりきれないことであった。

通過点に過ぎない、とわかってはいる。

でもやりきれない。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914120228j:plain

 

行って良かった。

Chageの声がかすれていたのなんて、

私は40年の中で初めて聴いた。

ステージドリンクで喉を湿らせている姿も

初めて見たような気がする。

声のかすれはごまかしつつも

歌以外のところで、疲れているようにも見えた瞬間はある。

 

それも含めて。

強さを見た。

「昔」が吹っ切れていた。

私も、CHAGE&ASKAとは完全に別の存在の「今」として

Chageを見た。

 

それでもなお彼は、CHAGE&ASKAの楽曲も歌っていきます、と改めて宣言した。

良い楽曲なのだから。

 

歌のエネルギーが、彼を引き上げて行くのが見えた。

あるいは、Chageが少しでも弱気になってブレてしまえば

跳ね飛ばされかねないほどの

強いエネルギーを孕んだ歌をも、

彼は翼のように身につけて、体に取り込んで、歌った。

大きかった。

 

Chageは、これまでの歴史を

Gパンのお尻のポケットあたりのバッヂのように

さりげなく身につけて

自分は誰だ、歌でも歌おうか、と

魂で魂に呼びかけていける

とんでもない独立したアーティストだ。

 

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=おまけ=

ここにも、CHAGE&ASKAに訣別宣言した人が?

 

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Zepp FUKUOKA から地下鉄までの帰り道に、チャゲあす知ってる人ならすぐわかる NOT AT ALL ツアー(2001>2002)のタオルがポツンと・・・。

私も行ったさ。このロゴのマグカップなど、持ってたさ。

皆それぞれの、区切りの付け方。