柱の傷。

もう使わなくなっているノート類を

捨てようと思って、

手に取ったものの一つが

以前あれこれと思い悩むアタマの

整理のために使っていたものだった。

 

ずいぶん今と違うことが、メモってある。

あんなにど真ん中にいたぐるぐる思考が、

今は昔となった。

 

その、3年くらい前の私は、自分をとりまく

不安、ネガティブな感情というのを

取り払うべく、

まずどうにか具体的に捉えようとして

過去・現在・未来に分けて

何やら書き込んでいる。

 

未来についての不安;老、病、死

現在についての不安:社会的な目

過去についての不安:ヒトが抱いているかもしれない自分への悪印象と自己嫌悪。

 

ちっちぇえなぁ、我ながら。

人間だなぁ。

人間だもの。相田サンファルみつを。

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未来についての不安は、

時間と切り離せないところも多。

現在と過去については、

他人軸、自己否定の要素の絡み合い。

である、と。で、

 

自己否定は、

自分の意識でなんとかコントロール可能、

時間と他人は、コントロール不可、

とも書いている。

 

自己否定も、

そう簡単にコントロールできるなら

苦労は無いわけで。

 

ほぼ、コントロール不可能な

不安たちの中で、私は

溺れていたのだった。

まぁ、記憶の通りではある。

 

今の私には、無くなったなぁ、

こういう感覚は。

 

そんな感覚のまま、もし

このコロナ騒動時代に突入していたら、

私も、多くのばかばかしい

上っ面情報に

脅されたいだけ脅されて、

多くの迷える羊たちの群れの中で

人一倍怯えきっていたのかもしれない。

 

ゾッとする。

 

このノートは、

背丈を測って残った

柱の傷みたいなもんだなぁ。

 

「何をやっても思うようにならない時

上にのびられない時に

根は育つ」

と、みつをは言うから、

まぁ「背丈」ならぬ、「根丈」を

測ったようなもんかな。

 

根を張っとるな、おれ。

その時はただ、精一杯

そのように立っていただけだったけれど。

 

人間、死ぬまで生きるものだ。

それだけだ。

魂が決めてきたことをやってしまったら、帰る。

その時の肉体の状況を、死因と呼ぶのみ。by サンファル。

 

必要なことをするための環境は、自ずと整う。

必要なお金なら、入ってくる。

 

他人は他人。自分は自分。

それのみ。

 

他者たちの価値観の世界から

弾き出されないよう、他者に合わせるか、

自分の心地よさを優先するか。

それだけだ。

その選択に慣れてしまって

完全に身軽になりきるまでは、

つらい判断であるけれども。

私も、道半ばにも至っちゃいないけれども。

 

親、兄弟姉妹、配偶者、

すべて、自分ではない。他者。

 

他者の反応は、他者の範囲。

自分にコントロールできるのは、自分の意識のみ。

自分の反応すらも、観察対象。

 

そんだけのことでおます。

 

涙は、出るさ。まだ。

表面的な糸が切れる瞬間には。

ほっといたら死ぬる肉体を持ってるがゆえに

他者の中で揉まれて安心を得ながら

生きてきたのだもの。

でもそれだけだ。

 

 

私は何をしに来たのだろうかね。

こういう姿を見せるために来たのだろう、とよく思う。

まだ糸を切れずに

良い子、良きオトナでいようとする人たちに対して。

 

涙は出るのだよ。

ひとりで寂しいか、

集団の中で寂しいか、

の違いだ。

 

私は前者を選ぶ。

スッキリしとるもんね、前者の方が。

そして前者には、希望もある。

 

いんだよ、

いつまで綺麗ゴト言うとるのか、

と言われても。

良きオトナは、背も根も伸びまい。

 

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このひと、特に最近よく、こういう感じで

何も無い上の方の一点を見つめている。

誰か来てくれてるのだろうな。

ありがとうございます。

 

 

落陽楼。砂上楼。

落陽楼と名づけている

自宅マンションは

「私と猫と時々オトコ」で生きていく

と宣言して購入し、

その後、言葉が現実化、

猫も拾い、

出会った同居人と一緒に

10年間暮らしていた。

 

ここの眺めは好きだ。

西の空が雲を照らし、

落陽が美しく差し込む。

 

「時々オトコ」と宣言した言葉が

正確に現実化したためか、

オトコだけお別れすることとなった。

 

お別れすると決めたなら、

さっさと出てってほしんだけども、

相手はなにせ金が無いからか

一向に出て行こうとしない。

この、行動が遅いというのが、

私はいちばん苦手なとこだ。

 

これも人生修行。

そう思って、

まったく進まない引っ越し荷物が

広げられたまま

停滞したうちの中、

最低限の行動範囲で

私は生活している。

 

 

ひさしぶりに、

今朝の夢の中にASKAが出てきた。

 

この人は、私が数年前まで

心の師と仰いでいた人なのだけど、

 

復帰後の始めのステージが

あまりにも悲惨で、

 

自分のアーティストスタイルとして

謝罪の記者会見はしない、

今後の活動、作品の出来で判断してほしい

と、自分でハードルを高くしておいた

にもかかわらず、

 

あの一曲目の一声目からの酷さは

あまりに客を馬鹿にした状況だとしか感じられず、

 

それまでの36年間だったか

何年だったかもう忘れたが、

クソバカ報道の頃にも

全身全霊で彼をかばい続けたけれど、

 

もはやこれまで、と

気持ち的には

三行半を叩きつけるようにして

会場の福岡サンパレス

後にしたのだった。

 

以後、私は

「今、僕は音楽に試されているのでしょう」

と語っていたCHAGEのステージの

素晴らしさには

深く深く魅了されたけれども、

CHAGE & ASKA というもんには

別れを告げた。

非常に残念であった。

 

私はよく、どうにもならない

区切りに出会う時、

「残念だ」

と感じる。

 

感情的にではなく、

他に施しようが無く、

静かに、ばっさりと切り捨てる響きだ。

 

今、自分で選んだお別れに際して、

久しぶりに彼らの歌が

頭の中に流れている。

 

今まで、やりきれない事が起きるたび、

私はいつも彼らのところに

泣いて帰っていたようなものだった。

 

あの人を知る前から、

私はこんなに支えてくれる歌を知っていた。

 

そう思うと、いつも

うかれ騒いだだけの

腫れ上がった時間が小さくなって、

まるで太陽からまっすぐ降りた

光とつながるかのように、

本来の自分の心と信念を

確認できるのだった。

 

つらい時にいつもやっていたことだったから

もはや身に染み付いて

癖になっていたようだ。

今度もまた、

彼らのところに戻ろうとしたのだろう、私の心は。

 

けれど、彼らはもう私の中では

リアルタイムではない。

まだ愛している人たちも

いっぱいいるのだろうけれども。

 

支えてもらう歌の主も居ないままに

自分の中にまたお別れが来て、

また一人だけで立とうとするなんて、

思えばこれは、
まるで初めての経験なのだった。

 

そう意識するより以前に、

もう心の中で

今度のお別れを決めた時から

結局、彼らの、いわゆる懐メロのようなもんが

流れ続けていたことにも気がついた。

 

別れる時のどうしようもない切なさも

私はやっぱり

彼らの歌の中で既に経験していたのだと

改めて思い起こす。

 

そんな原体験は、

人生経験を重ねた程度の時間や

ちょっとやそっとの感情では、

消せないものなのだ。

 

巡り会ったことに感謝したりもした

綺麗事はすべて捨てて

残った理屈だけでいけば、

商業的な流通に乗せて

私の耳に届いただけの歌だ。

 

その彼らの歌の中にあった真実は、

何パーセントぐらいなんだろうか。

 

真実があったことは、きっと事実だ。

同じ周波数の部分どうしが

共鳴したのだから。

 

その後、何が起きていようと、

商業的流通がいかに遮断されようと、

その後、気持ちが揺れ、離れて行こうと、

純粋な何かを受けとった

純粋な記憶は

永遠に純粋なままに。

 

 

夢の中に時々出てくるASKAは、

私からいつも説教されている。

 

私はよく、

あんたがどれだけ理屈を言おうと、

あの時の

あのステージに向けた意識はサイテーだった、

と訴える。

 

あんたは許されると思ってたんだろうが、

そういうとこがあんたのイカンところだ、

と正面から

こんこんと説く。

 

彼はいつも、

黙って聞いて、最後に

俺もそう思う

と言う。

 

今朝の夢の中では

スーツを着てメガネをかけていて

他の人かと思って見ていたら

あやつだったとわかって、

なんだよ、じゃあ、

気持ち的に準備はしてなかったけど

説教するしかないな、と

思ってるところで目が覚めた。

思いは伝えられないままだった。

 

あの時もはや3曲目の段階で

もう聴いていられず、

それまでの30余年を振り返るための時間として

4曲目を過ごし、

5局目のイントロで席を立ち、

チケットの半券を

ロビーの床にひねり捨てて

出て行った福岡サンパレスも、

 

信頼関係の回復を望み続けて果たせず

断つことを選んだ今のうちの中も、

 

信じ続けることの

虚しさに満ちている。

20211123233827

写真:過去、厳選、肯定、捨て。

今は、同居解消に向けて、

これまでの10年間を

整理しているところ。

 

写真なんかは、

まず思いつく「捨て」対象だ。

 

ある時期に画像ファイルから

わざわざ選んで

プリントしてみたものの、

紙袋に入れてそのまま・・・

になっていた写真が

札束のように

けっこうな枚数あった。

 

大きな断捨離をするにあたり、

写真=思い出=捨てろ!

という、定番の

お別れ方程式によって

あ〜棚がスッキリするわぃ、

と、

部屋中のゴミ回収態勢で

左手に構えていた

45リットルのゴミ袋に

紙袋ごとつかんで、

捨てかけた。

 

けど。

 

いつまで繰り返すんだろう。

 

と思った。

私は、こういうことを。

何かあるたびに。

 

前に進むために

切り捨ててゆく必要もあるけれど、

そして、実際に物体を

ゴミ箱にバン!と投げ入れる行為で

きっと、脳にも

はい、過去、捨てました!

と言い聞かせる

利点もあるとは思うけれど、

いったい、過去は、どこまで

えぐり取れば済むのだろうか。

 

ガンの再発を恐れるかのように

これからの自分のために

やたらと用心しながら

境界線を極めようとするほど

ナイフは自分の内側まで削り取る。

 

それで、ほんの少し

考え直した。

「全捨て」はやめてみよう。

 

時を楽しんだ自分の姿だけは

肯定する。

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厳選もせず写真すべてを

バッサリ捨ててしまったら、

この年月、ただ

失敗を繰り返しただけだったような

気分だけ

残ってしまう。

 

楽しませていただいた時間を

ありがたく眺めればよい。

 

積み重ねた時間の中で

感謝できる場面を

意識の前面に並べて

捉え直すことができるツールだ、

写真とは。

 

 

最近、2日連続で虹を見た。

1日目は、東の空に

きれいに虹の橋が二重にかかっていて

感激して写真に撮って、

大きくて入りきれないので

スマホを動かしながら動画でも撮って、

楽しんだ。

 

翌日の虹は、

短くて太い足元だけが

仕事中に、というか、

授業をやっている最中に、

教室の後ろの窓から見えて

「あ〜!みんな、後ろ見て!」

としばし全員で見入ったが、

その後まじめに

授業に戻ってしまって、

どうせなら写真も撮ればよかった、と

後悔した。

 

でもその分、

あの七色に透けた街の

美しい記憶は

1日目の完全な二重橋よりも

鮮明に残っている。

 

そんなもんだ。

写真に撮ると、たぶん

その時点で既に

自分から

やや切り離されている。

 

きっとそうだ。

捨てるべき写真というのは、

剥がれ落ちる寸前だった皮膚

みたいなものだ。

 

剥がれ落ちるのを助けてやる程度の行為だ、

「写真を捨てる」とは。

楽しんで血となり肉となった部分を

むしろ鮮やかに残すために。

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みなさんさようなら。

習い事をしているところでも、

チクワンの接種を受けた人の方が

多くなってきている。

 

換気しているとはいえ、

スタジオの中で

みんなして汗をかくわけだから、

その人たちの皮膚や息から

毒素が空気中に発散される場に

私もいなくてはいけない。

 

これは、被害妄想でもなんでもない。

ファ社等の治験をやっているところの報告書にも

書かれていること、彼らは知っていること。

 

(ネット上で一時は公開されていたらしいが

その後は知らん。

そういった指摘をしている人の

YouTubeチャンネルは次々に削除されている。

あるいは、別の手段で発信している。

 

きっと、

”気づく”人の増加につれて、

そういった内容も

書き換えたりしているのかもしれんが

もう確認したくもない。)

 

形だけのマスクを義務化され、

ノーマークの(マークしようの無い)皮膚と息から

毒素を振りまかれるところに

入れられておくしかないことの、

滑稽さと情けなさを

真剣に考え始めると、

こっちが人間をやめなければならない。

究極的には

やめればいいだけだが。

 

そういうこと自体をストレスに感じすぎて

自分の免疫を下げないことだけ、

いつも心に決めている。

 

全ての人は、その時その時で

ベストな選択をしている。

それだけであるはずだ。

そう考えることに抵抗がある場合には

言い聞かせてもいる。

 

 

きのうは、先生も含めて

レッスンの部屋にいた人の中で

接種を受けてないのは私だけ。

 

レッスン中に、自分の

筋肉注射の痕の状態に気づいた一人が

あー、打ったところが赤くなってるー

と始めると、

あー私もそうなりました、とか

私は蕁麻疹が翌日に出てそれで、という感じで

症状の情報交換が始まる。

 

熱を抑える薬は飲んでますか、

あーはいはい飲みました、とか

やっぱり今ちょっと動きすぎるとつらいです、とか

無理しないでくださいねー、とか

心優しい

いたわり合いへと続く。

 

私は、ただ黙ってそこにいる。

その個人個人に、

なんとか打たないことを

選択肢に入れられないか、と

拒絶感なく伝える方法を考えたこともあったし

スタジオ自体には、チクワンに関する

市民の中立的立場からの

勉強会の案内情報を

伝えたこともあった。

(無反応であった)

 

結果、健康体の人が自分の体を

どう扱うか

という個人の問題への過干渉という壁や、

あまりのチクワン盲信の浸透の速さで、

あれよあれよという間に

あの人もこの人もう確認したくもない。

すでに毒の製造機となっていた。

 

そんな状況の中で

結果としてひとり黙っている私に、

「打ちました?」と振られたので

 

「・・・打たない。」

 

とだけ言葉を発した。

すると、労わりあう人々は、

今度は口々に

 

「私も、打ちたくはなかったんですけど、仕事でね〜」

「そこですよねー」

「私も迷ったんですけどねー、職場で

 皆が打つって言うから流されて・・・」

 

この、目も当てられぬ

救いようの無い状況で

マスメディアの情報操作に流され、

周囲に流されていたとしても

せめて、

 

接種を受けたから安心だ!

これでもう私は、567にはかからない!

 

というぐらいの

(かからない、とか無いけど。

 そんなことはチクワンの機能ではない。

 打てば発症しなくなるだけだと

 厚生労働省のHPにも明言されている。)

流された者なりの

安堵感にぐらい

満たされていてほしかった。

 

せめて盲信ぐらいあれば

一瞬のプラシーボ効果くらいなら

期待できようものを。

 

流されるままに

自らの健康体に毒を打ち込んで

毒を製造する肉体となって

周囲の人間に毒を撒き散らすことを

選んだ判断にすら

責任をとることを避けている

という

その自覚もないらしい。

 

そのうちの一人が続けた。

「接種を受けた人は

5年後に死ぬっていうから、

 

あとはこのスタジオ

よろしくお願いします(笑)」

 

・・・・・。

みなさんさようなら。

 

 

 

喉は喉で。私は私で。

ヒーラーとかリーディングとかやっている方と

仲良くさしてもーてます。

 

その友人が、

ある、滝修行してる人に

(・・・すごい人間関係だな)

アンタもっと、軽やかにいきなはれ!

みたいなことを言った、

というか

熱を込めて訴えたらしい。

 

そしたら、その後、喉が痛い、って。 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210802025053j:plain。 

電話で話してたらしいけれど、

大声で喋り続ける酔っ払いだったわけでもなく

怒鳴り散らした喧嘩でもなく、

ちょっとやそっと

がんばって話したぐらいで

ふつう、

そーそー喉が痛いとこまでは

いかないでしょう。

 

つまり、

喉も、喉なりに、

感じてたんだと思うわー。

ほんとうに。

 

もっとこうしてほしい!

説得したい!という

我を出したからかな・・・

という自覚が

友人にはあるらしい。

 

だからきっと、

本当はそういうことは

言わなくていい状況を望んでいるのに

そうじゃない現実があることに

不快さや、

やりきれなさや、

苛立ちを覚えてしまう、

そのこと自体が

喉への負担になっているのだ。

 

人の体が

肺に、心臓に、肝臓に、

胆嚢に、脾臓に・・・と

内臓にいくつもの感情を

溜め込んでしまうように、

 

喉にも、私たちは

言いたくないことまで声にしてしまう

内側と外側とのギャップを

溜め込んでしまうのだろう。

 

友人の喉の痛みは、

ギャップによる軋みだ。

 

すべて、そういうことだと思うのだ。

 

気分的にウキウキしている時は、

歌いたくなるものだ。

声を体の外側に

響かせたくなるというか。

 

逆に、

歌を認めてほしい!

なんでわかってくれない!?

みたいな意識でライブやっても、

声がスコーンと出てなかったのは、

あったりまえぢゃ!

 

自分を自ら

バリアで覆っていた。

 

喉のチャクラが開くとか

活性化するとかもわかるけれど、

なんか、

喉そのものも

感じてハルねん、ぜったいに。

 

わたいは、あんさんの喉でっけど、

そゆこと声に出して、

ホンマにそれで、よろしんか?

みたいな。

 

チョーえせ関西弁が、

なぜかよく似合う。

 

私の場合、声にとどまらず

あるライブの時には

ピアノの音まで

こもってしまって、

最後の曲の

イントロを始めた瞬間、店長が、

PAが指示通りのことしてないのか!?と

慌ててPA卓の方を振り向いて、

(いや、指示通りにやっとるな)

あれ?なぜ?と

ステージの方に向き直った・・・

 

ということもあったぐらいだ。

そうね、その時は

ピアノまでもが、

ピアノなりに

私の出す「負」の気を感じて、

 

サンファルはん、

そんなネガティブボイスを

このわたいの音に乗せて

人に届ける気でおますのかいな?

かなんなー

気ぃ乗らんなー

えーかげんにせー

 

と、そう思うてたんだろう。

と思います。

 

本気で思うてます。

私は、もう、ぜったいに

あんな音も声も、出さない。

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【ベランダグリーン】蔓に学ぶ ”星咲き るこう草”

今年はどうしたことか、

うちのベランダが初めて

緑に満ちている。

 

画期的だ。

私の、何かが変わったからなんだよなー。

それだけは間違いない。

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土や葉の状態チェック、水やりは、朝の日課よ。

(結局、水ぶっかけ過ぎたりしてるけど)

 

100均の種から育つ生き物たち!!

 

その中の、たった一本。

なーんも知らずに植えた人間をよそに、

がんがん蔓を伸ばす、

「星咲き るこう草」。

追われて、水やりをがんばる、この照れ感。

 

例えるならば、

養子縁組して招いた小さい子に、

ここを我が家だと思っていいんだよ、とは言え

そんな急には懐いてくれんかもしれんが・・・

と遠慮がちに眺めてる端から、

ごはんパクパクオカワリして

ちゃんと、とーちゃんかーちゃんにワガママゆって

チョーわんぱくに育って

すぐ背丈追い越されて、

さっさと自分の進路も自分で決めてった、

立派な子。みたいな。

 

え、いいんですか、という喜び。

養子縁組したことは無い者の

例えですけど。

 

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7月16日→7月31日

左の花の位置は、右の写真の真ん中あたり。2週間でニョキニョキ。

 

蔓の行き場が無いと判断すると、

どうも、その蔓は

伸びるのやめているもよう。

 

そして、違うところから

次の蔓をぐんぐん伸ばして

いわば、

さっさと再スタートを切る。

 

こちとら、

天を

目指してんだからよ。

最善の策をとるまでのことよ。

 

なんとも、

人生における力の入れ具合、

抜き具合を教えてくれる、

まさかの、るこう草。

 

これが、蔓を伸ばしてがんばってる順番です。

 

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あっという間に、固定している網戸に付けた糸を

昇りつめたので、

多少なりとも

かまりどころに余裕のある

隣の糸に巻きつかせたら、

巻きつくまでに

蔓の一部が下降したのが良くなかったのか、

1はその後すぐ、伸びなくなった。

 

その直後から

2が伸び始めたけれど、

上の1に追いついたらどうするんだろう、

という心配を

本人も感じたのか、

また伸びるのをやめてしまった。

 

この、蔓の先の絡まり具合は、

なんとも躊躇した軌跡だ。

 

その直後、またすごい勢いで

3が伸び始めた。

 

3は、1と2の枝分かれよりも

後方から出てきた。

明らかな、仕切り直し。

 

その細く強い曲線は、

もう、人間の導く糸なんてものを

頼ってられるか

と言わんばかりに、

網戸やその先の壁を見限って

逆方向の

宙に向かって

ひよひよすわすわと

浮かび始めた。

 

根と片腕は

土と窓に固定されたままに。

 

伸び過ぎた重みゆえか、

ある日の強い風に掴まされたのか、

諦めたかのように

低位置に巻きつくと、

それまで伸びる予定ではなかったはずの4が、

3より後方から脇芽を伸ばしてきた。

そして、次の急成長候補は、5だ。

 

でもこの数日、

これまでの勢いと比べて、

伸びが悪い。

 

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もはやこれまで、と天を仰いでるとこなのかねー・・・

すまぬ。

マンションの限界、

というか、植物の性質を知らぬ人間の

限界なのだよ。

 

こんなに、

生きるものの

考える戦略を

見せられることになろうとは。

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人間サマには、

空が飾られて、心地よいです。

ありがとう。

 

花まで咲かしてくれはっておーきにるこうはん。誰や。

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2021年7月4日の星咲。ああ、11年前におらく猫が来た日だ。

 

 

プロポリス

はちみつ売り場。

 

わぁ、国産の、有機はちみつ。

 

他のお客さんと話しているのに、

私がはちみつの方を見た途端に

「こんにちはっ!」

と、ふっくらとした

おっかさん的な販売員さんが

愛想よく声をかけてこられた。

 

テキトーに

こんにちはぁ、と

反射的に会釈しつつ、

今無いし、欲しいな、はちみつ・・・

と寄って行くと、

もう一人の、こんどは

小柄な方の販売員さんが、

いかがですかー

と、私の対応を始めた。

二人とも養蜂場キャラらしく、

まぁるい、同じくらいのお年の。

 

有機はちみつは、

トチの花と、きはだ。

 

どんどん試食させてくれる、ちっちゃい方。

こちらもおいしいですよ、

ぼだいじゅ。

独特のクセのある、そば。

 

使い捨ての、透明の樹脂の

小さいスプーンに

とろっと丸く垂らして。

 

舐めたら、そのスプーンに

すぐ次のを継ぎ足してくれる。

 

どうですかー?

と言われても、

口の中が甘すぎて、もうよくわからない。

 

チェイサーをくれたのが、

甘いはずのはちみつレモンで、

それを口に含んでは

酸っぱいなー、と感じて

なおさら、

口の中がもう、よくわからない。

 

でも、香りが良くて好きな

ぼだいじゅと、

有機はちみつという肩書きに惹かれて

きはだの瓶の

二つを買うことにした。

 

「今、新規でご購入いただいた

 お客様には、

 プレゼントがあるんです。」

 

新規客となるために、

お客様情報をください、と。

あー、はいはい。

名前と住所を書いた。

 

その間に、商品を

袋に入れてくれている。

 

書いて渡すと、

「あのー、こちらから

電話をおかけするようなことは

ありませんけれども、

できれば

お電話番号までお書きいただくようにと

言われているもので・・・

よろしいでしょうかー」

 

あーはいはい。

電話番号も書いてから渡した。

 

もう一人のおっきい方が、

私の右からやってきた。

 

「お客様、今日は、

プレゼントが2つなんです!」

ほー、追加?

 

手には、お試しセット的な

少量の何かが数種類、

細々と入ったビニル袋。

 

その中の、おもちゃのような

樹脂の小さなボトルを、

ビニルの上から触りながら、

 

「これは、プロポリスの原液です。」

 

たしかに

はちみつの瓶の一群の横には

プロポリスが並んでいる。

 

飲み物にほんの数滴、

垂らしてお飲みください。

朝起きた時なんかに。

喉にいいんですよ、喉が痛い時なんか。

ちょっとぴりっとしますけどね、

それが効いてるんです。

 

液体の上面に浮く成分が

コップの内側について

取れにくいから、

紙コップなんかがいいですよ、と。

 

それから、と旅行用のような

小さな蓋つきの丸い容器を指して

これは、軟膏。

怪我をしたところに、塗ってください。

 

そして、このローヤルゼリーのカプセルは、

1回2個ずつお飲みください。

 

そして、これは・・・

と、次の何かの説明をしようとするけれど

もうビニル袋の中で

いくつも重なっていて、

全貌が見えない。

 

説明を続けるため、

おっきい方の販売員さんは、

口の止められたビニルの袋を

ガサガサ開けてしまって

その最後のやつを取り出した。

 

ん、開けるのか、と少し思った。

 

私の左でいつからか

商品の袋を持って待ってた

ちっちゃい方は、

 

「説明の紙は、中に入ってますよね。」

と軽く確認する。

あんたがそこまで説明しなくても、と。

 

「うん、入ってる。」と言いながら、

右からの説明は続く。

それが、何か?と。

 

最後のやつは、なんだか

痛み止め入りだという

プロポリスカプセルだった。

 

とにかく、 

それを大もとのビニル袋に

また戻そうとするのだけど、

カプセル10錠ほどと

乾燥剤が入った小さい袋と、

それが上の方をホチキスで止められて

プロポリスカプセルと印字された

台紙との間に、

外袋の口の縁が

挟まれてしまう状態になって

がっさがさ引っかかり続けて、

いつまでたっても

物が元どおりに収まらない。

 

お客様にぜひこのお試し用を

お渡ししようと思って、と。

 

客を喜ばせたいお気持ち

いっぱいなんだなー。

それが感じられるから、

客側としては、なにも嫌ではない。

ありがとう。

 

そこに、食い気味で

待ちきれないように

左から

ちっちゃい店員さんの方が、

もう一つのプレゼントのことを

話し始めた。

 

ワタシがはじめにお伝えした、

この、正真正銘の、プレゼント。

 

お試し用なんかの

付け足しみたいなやつじゃなく。

 

これぞ

プレゼント中のプレゼント。

 

そんな誇りに満ちた態度で、

プロポリス商品のさらに隣に

売り物として並んでいる

4、5種類の

はちみつキャンデーの袋を

指し示す。

 

この中から、どうぞ一つ

お選びくださ~い!

これなんか、人気ですよ~、と

教えてくれたのは

やはりプロポリスキャンデー。

 

じゃあ、それをいただきます、

と言ったら、本当に

にこにこと嬉しそうに、

商品の袋に入れてくれた。

 

この人も、

客を喜ばせたい気持ち

いっぱいの人であることは、

間違いない。

 

すると右から、

「これはまだ

 試飲していただいてないでしょ?」

 

次は私、右向く。

 

左手に小さい紙コップを持っている。

あ、さっきのはちみつレモン?

もういただきました、

と言おうとしたら、

右手には、

ほうじ茶色のプロポリス原液を

たっぷり吸い込んだスポイド。

 

左が言う。

「あ、・・・・ああ、

 プロポリス入れたのは

 ・・・まだ・・・です」

 

私も、

いただきました

と言うのをやめた。

 

「こうやって、ほんの数滴、垂らすんです!」

 

飲んでみてください・・・・!

 

右と左から見守られ、

小型の紙コップに

けっこうたっぷり入った液体を

受け取った。

 

確かに、はちみつレモンの

表面に浮いた成分が

コップの内側に付着している。

 

私「あ、ちょっと臭いがありますね」

右「そうなんですよ~!」

私「ほんとだ、すこし喉がピリッとする」

右「そう!それが効いてるということですー!」

 

左から会話に入ってくる。

「紙コップも

 お渡しすることになってますよね?

 紙コップなんて

 おうちに無い方が多いから。」

 

はっきり理由も言うたー。

研修で、そのように

指導、説明されたのだろうなー。 

 

プロポリス原液お試しセットだけ

渡してどうする。

紙コップも一緒に渡さぬか。右よ。

 

「うん、そうよ。」

右、余裕崩さず。

 

「プロポリスは、免疫も上げるんですよー。」

「そうですか、じゃあ、今の時代にぴったりですね」

「そうなんです~!だから皆様に本当にオススメしているんですよー!」

 

左から商品お渡し。

ありがとうございます。

 

「あの、一冊、説明のついた、あれは、入れてる?」

「はい、入れてます、中に」

 

大事な、プロポリス。

試飲させたお客様に、プロポリス。

 

ちゃんと手抜かりなく、入れたのか、説明書を、左よ。

入れたに決まってるじゃないのさ、いちいち何よ、右よ。

 

「どうぞー、またお越しください~~!」

右大臣と左大臣

二つ並んで、

にこにこと私に商品の袋を渡し、

見送ってくれた。

 

 

そのしばらく後に、

謎のケータイからの着信。

家に帰ってから二度目の着信。

 

「もしもし、堀内さまでしょうかー」

 

よくあることとして、

ハイと返事しといて

間違いはないと思うけれど、

私の苗字の漢字は、

土偏だけれど堀ではない。

 

「あの、堀内さま、

さきほど、はちみつを

お買い上げいただきました、

○○養蜂場の者です」

 

者、って・・・名のらず。

名前聞いてもわからないけれど。

どっちだろう、右か、左か。

 

あのー、商品を一つ、

入れ忘れておりましてー、

たいへん申し訳ございません!

 

あらら。

2つ買った

はちみつのうちの1つ。

 

右から左からの

プレゼント合戦の中、

入れ忘れられていた主役。

 

「あの、もう一人のカノジョが

手渡した時、

お買い上げは1つだと

思ってて、確認しなくて、ごめんなさい」

 

は、はーん・・・

どうも、右だな。

 

送ってくれるという。

期間限定の売り場なので、

あと数日の期間中にまた

そこまで行くかどうかは微妙だ。

大袈裟だけれど、

お申し出どおり、送ってもらうことにした。

 

念のため確認いたします、と

名前と住所を読み上げられる。

 

電話することはありませんが、

と言って速攻、電話され、 

最もこちらの労力少なく

事態収拾のために動いてくれようとして

確認される私の住所氏名。

 

ここまで

お客様情報フル活用されると、

書いた甲斐もある。

 

今度は、私が記入した

ふりがなの方で、

右は

正しい苗字を

淡々と読み上げた。

 

私のことをさっきまで堀内さんと

呼んでいた記憶は、

もう消えているらしかった。

 

マンションの部屋番号を

まったく異なる数字と桁数で

読み上げられたのは

完全に、想定内。

 

しかし、終わりの挨拶は、

私の想定など軽く吹き飛ばした。

 

「それでは、明日の発送で

送らせていただきますー。

申し訳ございませーん。

 

ふじかわが、

ちょっと入れ忘れたんですー」

 

 

じゃ、送らせていただきますー、

もーしわけございませン、

ありがとうございまーす。

 

明日も仲良くなー、

右プロと、左ポリス。

 

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「紙コップもお渡しすることになってますよね?」