内省バイク3 〜コケる私に、立つバイク〜

 バイクに不向きな私の、小型バイク教習。仮面ライダーのような感じで走りたくなったため。バイクのこと、バイクでないこと、メモってゆくことにした。

 すべての、自分を決めつけてしまいがちなヒトに捧ぐ。自分の内側に目を向けていこうぜ。壁は爪でカリカリほじくって、穴開けていこうぜ。ゴーゴーレッツゴー仮面ライダー。ライダー、ライダー。

 

内省バイク2  〜楽しむ記憶〜

 

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【私の中の誰かが、楽しんでいる。】

 楽しそうにやってましたね、と言われたその感覚が、あまりに同じフラメンコとバイク。どうも私は、無心な時を、ほんとに楽しんでいるらしい。

 3年ちょっと前に、それまで踊るなんてコトは考えられなかったのにフラメンコなるものをこれまた急に始めた頃、ワケもわからず無心に動いていたら、やたらといろんな人から「楽しそうに踊ってましたねー!」と言われたものだ。同じレッスンを受けていた練習生の先輩たちや、本番のステージを見たそこの社長や、カンテ(歌)の方などなどに。

 その頃には、いっぱいいっぱいで振り切れた状態になるといつもなぜかうひゃー!と笑った顔で固定してしまうだけなんです、と、弁明していたし本気で思ってもいた。けれど、、、どうも、その説明では浅いな。と、今回のワカモノお父さん&インタビュアーのおかげで気がついた。

 

【小さくワーイ】

 やっぱり、楽しそうだったということは、楽しい感覚が本気で深いところから湧き上がる様子が見えてるのだろう。なんというのかな、フラメンコもバイクも、それまで自分の生活にはまったく存在してなかったものだというのに、始めた瞬間から小さく、ワーイ!と、入りたかったところに入れてもらっている感覚が、奥底にある。

 

 <教習所の門のところに。>

 

 

 <わたくしの第5チャクラと第6チャクラにしてみました。>

 

 

 

【スジの良し悪し】

 フラメンコは、まだまだヘタなりにも、リズム感が良いとよく言われて、始めから褒められ気味なとこがある。小さい頃から音楽やってたからできるんですね、とか、ちょっとこの人は特別みたいな扱いをされることがあって、そこは私にはややウザい。

 バイクはその真逆で、先生たち毎回失笑。私も、よくもまぁ毎回おんなじこと注意されるものだと、我ながら感心する。

 何かでバイクはスポーツだという話を聞いて、まじか、あーそうなのか、と焦ったりもした。運動は苦手だしなー、と。方向音痴に加えて、自覚できるバイク不向き要素が一つ増えてしまったことになる。

 

【コケを語る】

 コケるたびに「今のはね、ギアがこーでエンジンがあーなってて足がどーなってたからコケたんだよ」とか丁寧に説明してもらっていたのに、だんだん意味も無くコケ始めるもんで、しまいにゃ先生の方から「今、なんでコケた?」と本気で尋ねられたりする始末。

 一度だけ「私はそんなに論理的にコケてるわけじゃないんだよねー」と伝えてみたことはある。ただただ、あわわわわわ!!!ってコケてるだけなのであって、決してギアとエンジンの関係を完全に理解できたらコケなくなれる、っていうような、一義的に解決できる問題じゃないのよね。

 不完全さについて先生たちに瞬時に見える理屈の上に、もっといろんな透明の、体感覚のズレや、変なとこから引っ張り出されてきた癖みたいなもんが、レイアーになって覆い被さっている感じね。先生たちが考えてるより教習生のコケは奥が深いの。複雑系ね。

 さすがにここからそこまではもう一人で行けるやろ、と先生が目を離した途端に、もうコケる。まったくちょっと目を離したスキに、という感じやろね。油断も隙もないコケ子。ひとマタギ、ひとコケ。

 私がいつも乗っている教習車の52号クンは、クラッチレバーは歪み、ミラーはグラグラバキ割れ計3回。一度、下り坂を曲がりきれず壁に激突した時には、バイクが完全に立って、私は宙に舞った。その後倒れ落ちたバイクのライトはバキバキ粉々。あれば、ただの事故現場だった。腰から着地して痛かった。

 その時の先生は、「久々に、立ったバイク見た・・・。」と呟きながらバイクを起こしてくれた。ヒトに話したら、あと半周できたら木下大サーカスで金取れるやん、と言われた。

 その直後にもう一回同じコースを走ってきなさいと言われて、また激突。今度は幅広な側溝に後輪がはまって、カッコつけたホンダの展示場みたいに宙に固定されたバイクから、私はゆったり降りることができた。

 その2日後だったか、既に基本5時間の1段階で10数時間乗った後に、「今までで1回もコケんかったの、今日で2回目!」と近くにいた先生に得意げに言ったら、本気でアハハと笑っていただけた。

 

また別の日の、コケ子。コケる準備万端。

 

【スジが良かろと悪かろと】

 しかし。我ながら驚くべきことに、このどこか自分の深〜いところで楽しんでいる感覚は、飲み込みが早いらしいフラメンコも、先生たち全員半笑いのバイクも、まっったく同質のものなんだ。

 この、習い始めた理由の根源にある「血が騒ぐ」という感覚。これは、静かに目を瞑って探ってみれば、小さい頃に一人でだまーってしゃがみこんで、自分の世界に入り込んで、大人には何やっとるのかわからない何ちゃないことを立派な楽しみ方で味わっていた時に持っていた、うちなる絶対的な感覚。

 私は今すごく、この半生で積もりに積もった覆いをどんどん引き剥がして、根源的な感覚を大いに思い出している。だからこんなにも楽しいのです。地面に打ち付けられていても。ありがとバイク。内省バイク。

 この感覚は、誰しもが実は持つものであるはずだ。

 楽しむことが魂の本質だというしね。無心な時というのは、曇りなく真の自分自身と直結できている時でもある。なんか知らんけど、私はけっこう、そのへんに寄って行けてるようなのだ。

 

 

 

→内省バイク4

内省バイク2 〜楽しむ記憶〜

 こんなにもバイクに向いてないまま突入した、小型バイク教習。とにかくそのプロセスでの経験、発見を、メモっていくことにした。

 すべての、自分を決めつけてしまいがちなヒトに捧ぐ。自分の内側に目を向けていこうぜ。壁は爪でカリカリほじくって、穴開けていこうぜ。ゴーゴーレッツゴー仮面ライダー。ライダー、ライダー。

 

内省バイク1  〜私より速い私〜

 

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【半世紀前の記憶と、わたくし】

 初回。私を乗せた機械が、恐る恐るの私の指示で動き始める。ゆるゆると動きだして、わぁ〜怖いけど楽しい・・・と思った瞬間湧き上がったのは、ゴーカートの感覚。

 ゴーカートって、今もあるのか?小さい頃に一度だけ、一つ年上の従姉と、貝塚公園という大きめの平和な場所で乗ったことがある。車型の枠に二人並んで座って、丸いハンドルで向きを変えながら進む、足漕ぎ四輪車だな。黄色だった気がする。いや、赤だったかもしれん。

 あの、アスファルトの地面が、見慣れているよりちょっとだけ速く流れて、無機的な質感の物に自分が運ばれていく感じ。親戚とは大きくなるにつれシラけた関係になっていたけれど、従姉とゆらゆらむちゃむちゃしながら運転したゴーカートは、楽しい記憶だったんだなぁ。

 そして、あの足漕ぎで出した速度が、楽しめる限界だったんだなぁ(笑)。

 

 調べてみたら、まだあった。貝塚公園も、子供用のゴーカート乗り場も。

 あまりに景色が変わってない。飛行機とか電車の車両とか、遊具のいくつかは私も見覚えがあるぞ。古すぎる。昭和中頃で時が止まっている。だいじょうぶか?

 でもゴーカートは違うと思うなー、子供が一人ずつ乗っている。

 

 (お写真、『よかとこBY 福岡県徹底探検隊』より拝借!)

 私が乗ったのは、ぜったい二人乗りだった。どうでもいいですけど。ばあちゃんに連れて行ってもらった従姉妹どうし四人が、私たち二人と、私と同い年の子と一つ年下の子がそれぞれペアになって、乗ったんだ。私たちの方がゆっくりこいだ。どうでもいいですけど。どうでもいいことほど、ムキになるぜ。

 

【ワカモノたちと、わたくし】

 初回の教習がワケもわからんまま終わってバイクの教習コースから学校の建物まで戻っていく車の中のこと。まったく同じほんの数時間前に入校したワカモノ男子の一人が、何人かいた中でわざわざ私に話しかけてくれた。

ワカモノ「バイク、初めて乗ったんですか?」

わたし 「初めて!」

ワカモノ「楽しそうに乗ってましたねー!」

わたし 「楽しかったっ!(満面の笑み)」

 まるで公園デビューしたお父さんがよその子も温かく見守って話しかけくれてたかのような、大人目線の優しさ。

 

 車を降りて、バイク教習生用のプロテクター置き場で、肘とスネ膝と胸部のプロテクターを外していたら、べつの同期のワカモノ2に、また話しかけられた。

ワカモノ2「なんでバイクに乗ろうと思ったんですか?」

わたし  「うーん、なんとなく、乗りたくなった感じ。マタガルやつに。」

ワカモノ2「似合いますね!すごいチャレンジ精神ですね!」

 

 ワカモノ2は、僕ヤマモトです、と自ら名乗って、私の名前も聞いてくれて、それから時々顔を合わすと、進み具合は?とかしゃべるようになった。補習だらけの私の教習原簿(カルテみたいなやつ)を見せると、ヤマモトくんは、自分は補修無しで順調に進んでいる中「そんなに遅くもないですよ!」とか言うてくれたりして、そんな彼はもう、卒業したはず(笑)。

 

 とにかくありがとう、ワカモノたちよ。あんたたちは自分のバイク欲を抱えつつ、お父さんのように、また、相手を立てるインタビュアーのように、私を温かい目でチラ見してくれて、ほんとに、日本の未来は明るいよ。

 

 そして私は気がついた。「楽しそうでしたね」・・・聞き覚えがあるなー、と。3年少し前から始めたフラメンコで言われ続けていたのと、おんなじ言い方なのだった。

 

 

内省バイク3. 〜コケる私に、立つバイク〜 へ。

内省バイク1 〜私より速い私〜

仮面ライダー(初代)を目指して】

 いきなりですけど、あまりに何もわかってないままバイクの教習に通い始めて、2週間ほど経つぜ。

 いつからか、なんとなく仮面ライダー的な、前傾気味にまたがる姿で走りたくなっていた。・・・私の世代にとっての仮面ライダーとは、初代のことです・・・。私の赤ちゃんの時の写真は、白黒です。2、3歳頃からが、色褪せたカラー写真です・・・。

 

 そんな世代のわたくし、バイクの大きさの種類もわからず、車体の引き起こし段階からスッタモンダあって、落ち着いたのは、小型のマニュアル車

 運動音痴、スピード出すのこわい。たとえば仲間とのツーリングに憧れてるとかいうわけでもなんでもない。ついでに、ひどい方向音痴。

 ひとりでどこに行きたいのか? でもなんか、乗りたい。

 今までの自分とここまで違うことをやり始めると、一瞬一瞬が発見。あるいは確認。「へえ〜」と感じるコトは尽きない。したがって、メモしておくことにしましたの。バイクのことも。バイクでないことも。

 

 すべての、自分を決めつけてしまいがちなヒトに捧ぐ。自分の内側に目を向けていこうぜ。立ちはだかる壁は爪でカリカリほじくって、穴開けていこうぜ。ゴーゴーレッツゴー仮面ライダー。ライダー、ライダー。

 

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【スピードとエンジン音】

 私にとって、自分の足より速い速度は、すべて速すぎる。

 

 

ある日の教習を待つわたくし

 

 車の免許は大昔にマニュアルで取ってはいたけれど、街なかに住む習性のある私は、生まれてこれまで半世紀以上、出勤も遊びも、出かけるならバス電車。当然、ふだんは全く運転しないから筋金入りのゴールドなペーパー。

 私には、歩く速度で見える景色がデフォルトで、私のいる世界というのはつまり、静かで、実感としてはほぼ動かないものなのだった。車のある生活が当たり前の人にはわかりづらいかもしれないけれど、自分の周りの世界が急に速く流れていくと、なかなか判断がついていかない。

 

 それを、なぜだか私はバイクという、スピードが出ないと安定しない変な乗り物に乗ろうとし始めた。しかもスピードを保つためには、エンジンをブルブルいわせてないといけない。なるほど、言われてみればたしかにそうだ。

 ブンブンブルブルいう慣れない音の大きさに負けて、私ってそもそも必要な分のアクセルを回そうとしてないらしい。アクセルって「回す」っていうのか? 「開く」か? わからん。とにかく、エンジンの回転が根本的に足りていないんだな。

 そりゃあ、理屈からして、スピード出ない。ふらつく。倒れる。たまにスピード出たら、わぁぁぁ・・・!ってなってハンドルにしがみついたまま、つまり必要ないアクセルを急に大回ししてエンジンがぶるるるルルっルン!と騒ぎ始めたまま、コケる。とても危ないコケ方らしい。乗り手を離れたバイクだけで暴走しかねないから。

 一度、実際にアクセルを握ったままぶるるるん!ってコケたことがある。倒れ始めたバイクに先生が追いついてクラッチレバーを握ってくれたから暴走も無く、その場にガチャンと倒れただけで済んだらしい。わかってなかったけど。ありがとござます。

 そんないろんなことをしてるうち、つまり私は、スピードと、エンジン音・・・その両方が苦手なんだとわかってきた。考えたら、それが、バイクだろう。困った。

 しかし。私はなぜか、楽しんでいる。先生たちに呆れられながらもねー。

 

 初回、今思えば指導員の先生が後ろで支えてくれていた状態だったということかな、もうそんなこと覚えてもいないけれど、とにかく私のまたがったバイクちゃんは、ゆるゆると動きだした。

 

 

内省バイク2  〜楽しむ記憶 へ。

 

あわい (revised:11月23日)

夜明けはいけない。

近くの神社で、太鼓が鳴る。

また時間の流れが押し寄せる。

 

眠れない夜の終わりや、

仕事に向けた朝の始まり、

あちらとこちらの混じり合う場所で

 

さ、区切りなさいと

背中を一撫でし、杭を打つように

太鼓が鳴る。

 

あの夜明けにも

私が眠りに落ちてすぐ

鳴り響いたのだ、太鼓が。

 

夜と朝の隙間で、

闇と光のあわいで、

 

私の魂がとろとろと境目をなくした時、

痩せつくした猫の魂がとうとう

広々とした宙を目指すと決意した時、

肉体を超えて溶け合えるその一瞬

 

「今です!」

 どどん、どん、どーん、どどん、

 

祝福の響きがこの部屋を覆ったのだ。

きっと。

 

溶け合い、そしてまた

それぞれの道へと背中を押された。

空へ。

朝へ。

 

 

夜明けはいけない。

埋められない空間を一瞥する。

 

あの瞬間を、どこに片付けておこうか。

なぜ永遠をここに結びつけていられないのだ、

浮かぶ赤い風船のひものように。

 

ねぎらいなど要るものか。

苦しみ合い、這いずり回る無限の闇にもぐると、

わたしは

いつもそうだ。

あの時も。

また別の、あの時も。

 

そんなに解決したかったか。

そんなに抜け出したかったか。

あそこには歪に寄り添う安らぎが、一欠片ほどならあったのに。

 

 

夜明けはいけない。

間違ってはいませんでしたよと押し出された朝、

さて、どこへゆこう。

 

時間など無いと知っておきながら、

時間の彼方に、見送ることしかできなかったではないか、

あんなに愛おしかったものを。

横たわるからだを。

愛し、愛された証を。

 

夜明けはいけない。

また神社の太鼓が鳴る。

 

 

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アニマルコミュニケーション23(しっぽの件、つながる日常)

 

 アニマルコミュニケーション24→

アニマルコミュニケーション 23(しっぽの件、つながる日常)

【尻尾が、死後硬直をしない件】

 ホメオパスの方にもおらくザウルスの写真を見せて、尻尾が死後硬直しない話になって盛り上がり、その場でいろいろ調べてくださったりしたけれど、まぁ、今のところ猫の尻尾が固くならない説明の論文とかには辿り着いていない。

 

<ご好評につき、別角度からの、ちょっと尻尾の先っちょの形を変えたやつを>

 

・死後硬直というのは、ATP(アデノシン三リン酸:利用効率の良いエネルギーの素みたいな物質)が消費されるばかりで生産されなくなることで起きるらしい。

・筋肉には、白筋(瞬発力)と赤筋(持続力)があって、白筋が、乳酸やATPを生産する方。それを赤筋の方に送っているらしい。白筋は短距離走で使う筋肉なので無酸素的に、赤筋は長距離走の時の感じで、有酸素的に動くのね。

 

 一般的なこととして知られているこの2点から推測するしかない。何かとにかく、猫の尻尾がこのどちらかの筋肉メインで構成されているからという推測ができそうな。

 この推測の方向で合っているとすると、白筋がよく鍛えられている短距離選手と赤筋が鍛えられて発達している長距離選手とでは、死後硬直の程度が違ってくる可能性が高いのでしょうかね。

 白身代表ヒラメと赤身代表マグロを朝釣りして並べたぐらいでは、まだ比較の条件としては甘いので、比較観察しようとしたらどうしても、身体的条件の近い、イキのいい短距離選手と長距離選手を連れてきて、同時に○んでもらうしかなくなるわね。これを読んでくれぐれも猫の生体解剖とかはしないでください。

 

 死後硬直しない猫の尻尾の不思議のせいで、尻尾を触りまくられている猫もいるようです↓

itasaka-yoko.com

itasaka-yoko.com

 

 

【日常生活にならしていく感じ】

 酸素ケースを返しに行く日も、ふるむは空の何かを見ていた。

 私には見えないものが、ふるむには見えている。私には何も見えない空を、ふるむはこの日も真剣に見ていた。ほんとにこのひとは、何かを見ている。

 

 酸素を濃縮してくれるこの機械からは、ずっとブーンという低い動作音と、プシュッという空気圧の音とが切間なく出ていて、特に低音は下の階に響くのではないかと気になって、機械の下にはけっこういろんな物を敷いていた。

 できるだけ音を遮断するため、「空気」が機械と床との間に入るように意識していたつもりではある。緩衝材や、段ボール紙や。でもけっこうな重さもあるし、バランスを崩さない範囲でのことだから、どうだったのやら。

 下の階のかた、なんとなく感じていらしたとしたら、ほんとにごめんなさい。文句言わずにいていただけて、ありがたいことでした。

 

 ケースの方は、ふるむチェックも終わったので、

天板、底板、側面、扉、窓の開閉用の仕切り、とネジで組み立てていたのを、全部分解して緩衝材に包んだ。酸素濃縮器の方は、下にキャスターが付いているので、重いけれど押して運べる。

 

 こういう命綱を返却するということは、ほぼ、”そういうこと” だし、受け取る側は言葉少なに、抑えた表情で、とてもシンプルに短時間で終えてくれた。内容を確認しますので、ハイ、もうけっこうです、と。そんな、ぐるぐる巻きの緩衝材を外から眺めただけでいいんですか、ネジの数とかだいじょぶですか、と言いたくなるぐらい早かった。同じ時に同じように返却しに来ている方がもう一人いらして、なんとなく切なかった。

 

 地下鉄3駅分ぐらいか、もっとありそうな距離の味気ない道を、ぶらぶら歩いて帰った。何度かタクシーで通ったその道の景色を、虚しかった記憶で切り取ることにならないように、ふだんの自分の生活圏までつなげて、なんちゃない記憶にならしていく感じで、歩いた。

 途中のスーパーにただぶらっと寄ってみたら、隅の方に苗があって、いくつか買った。何か次につながるイノチを見つけた感じで、育て方はヘタだけれど、うちのベランダの一員になって馴染んでくれたらうれしい。これもずっと未来に続いて記憶をならしていく感じだ。

 その後、車道沿いの銀杏並木の根元のギンナンを、ビニル袋に拾いながら歩いた。イノチの恵みを、いただきます。秋晴れの空には、日常の電線と、おらくザウルスの背骨の雲。

 

【つながるベランダ】

 ベランダでも、イノチはまだまだ実り続けております。オクラもピーマンも、夏の名残りを永遠に残そうとしているかのように、今もなお鮮やかに色づいて。秋深い中、ありがとう。

 

 おらくが棺の中にも持って行った花を、Oraksa (オラクサ)と名付けた。シーボルトが、愛するおたくさんの名にちなんで紫陽花を ”オタクサ” と名付けたみたいに。オラクサのご本名は、実はゴージャス・・・「千日紅・ラスベガスパープル」(笑)。

 のどかな昼下がり、蝶々になったおらくが来ていて、ずーっとオラクサのところにいる。ほんとにこのベランダに、私に、慣れているかのように。

 

「羽を広げて見せて〜」と言ったら、粋なシジミチョウ姐さんは、江戸小紋の袖のような渋い色の羽をゆっっっくりと広げて、

鮮やかな色合いをたっぷり見せてくれた。こんな鮮やかだったの、シジミチョウって。

すごく美しい、おらくの光の国の空の色。

 

【死を通してしか伝えられないもの】

 アニマルコミュニケーターのみちよさんにも、おらくが光に戻りましたとお礼を伝えていたら、ご丁寧なご返事をいただいた。みちよさんがその道に入られるきっかけとなった猫ちゃんが、

 「『死』ということを通してしか、伝えられないことがある。それは、僕達(動物パートナー)から、あなた方(人間パートナー)へ贈る最高のギフトなんだ」

と伝えてくれたのだそうだ。何度読み返しても涙が出る言葉です。おらくが私に伝えてくれたことの中には、私がまだわかっていないこと、この先、時間をかけて気づいていくことも、きっとたくさん含まれているのだと思う。

 

 みちよさんとは何度かメールのやりとりをしたけれど、これまでは『死』という言葉を避けてくださっていたからこそ、今やっと私も聞かせてもらえた話なのだと実感する。

 そんなふうに、実はいろいろと避けていただいている気遣いというのは、少なくないのだろうけれど、避けてもらっているが故にその時すぐには感じ取りづらいものでもある。

 酸素ケースの返却の時の対応にしても、同じことだ。私の話す人たちも、別れた相手の話題を出さないようにしていらっしゃるのが感じられたり、猫ちゃんの具合はいかがと尋ねるのをやめておこうとする話の進め方がわかったり、本当に、おらくのことに限らずだけれど、日々の生活で関わるすべてのみなさまのお心、ありがたいことです。

 

 おらくちゃんに、といろんな方からお線香や手拭い(猫がサンマにそそられるセットで)や、お花までいただいて。ありがとうございます。おらくはホントに、いろんな方々にご心配いただいた幸せネコでした。

 

<いただいたお花を飾っていたら、どやつが逝ったのかわからなくなってきた>

 

【季節が移った日常】

 ブログを書くためにおらくのことを考えているとスネだしたふるむは、「気」を読む名人だけあって、なだめてもすかしても、ブログを書き続けている限り決して機嫌を直さなかった。

 暗い部屋に行ってしまっているのを抱いて戻ってきても、アオ、アオ、と鳴きながら離れて行ってしまう。また連れ戻って話しかけても、少し離れたところに座ってじーっとこっちを眺めている。

 そして私が自分のお茶でも淹れようとした瞬間、まるで「ハイだめー、今ワシのこと考えてなかった〜、失格〜。」みたいなそぶりで、素早く立ち上がって、ぷいっ、といちばん遠くへ行ってしまう。もう、「ふん!」と声が聞こえそうな態度で。

 夜中じゅう、かなり何度も繰り返した。連れ戻っても離れていくし、呼んでも来ない。ただ、そっちを見ると、暗いところで目だけ光ってこっちを見てはいる。もう、やれやれ、とブログをやめてノートを開いて、自分の行動だけを遡る日記を書き始めたら、あっさり、少し距離を詰めてきた。そんなに、私の頭の中で、おらくのことを考えているかどうかまでわかってるってことなのか。名人、おそるべし。達人。師範。

 夜も明けて、まだ近くに来ないふるむの方を向いたまま寝転がって仮眠をとることにした。

 ちょうどおらくの魂が肉体を脱いだ頃、刻を知らせる近くの神社の太鼓がどどーん、と鳴っていたはずで、その時刻は、季節ごとに30分ずつ移ってゆく。おらくの太鼓は、6時だった。ひと月しか経っていないが、今は6時半だ。

 季節が変わったねえ、と遠いふるむに言いながら目を瞑っていたら、ゴロゴロと喉を鳴らしているのが聞こえた。うとうとし始めた頃、毛布に触れてきた。

 そんなこんなで、完全にスネきったふるむの機嫌はひとまず丸一晩かけて直った。しかし今度は、毛布に触れてきたところから針は逆方向に振れ、甘えになだれ込む。

 やがて毛布の上から太ももの間にこちら向きに乗って、すっぽり体を嵌め込むと、大きくゴロゴロ言い続けながら母親のおっぱいを飲む時の子猫の "両手でもみもみ運動" が始まって、位置的に、頼んでもいない恥骨マッサージを受けることとなり、結局なかなか眠れない朝だった。

 

 

 その日以降、ちょっとでも意識がそれると不満のア〜オ・・・が始まる。私はハイハイと素直に奴隷となって、厳しい師匠の下、「気」を向ける集中力を養う訓練に勤しむ日々が続いている。

<ちゃんと見とるか?ワシのこと:師匠の、抜き打ちテストの構え>

 

 おらくがヨーグルトにまみれて残した足跡は、拭き取らないことにした。

 

いつか自然に消えるでしょう。

 

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アニマルコミュニケーション22(おらくサポートオールスターズ(2))

 

 あわい(revised:11月23日)

 アニマルコミュニケーション24→

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アニマルコミュニケーション 22(おらくサポートオールスターズ(2) )

おらくサポートオールスターズの記念撮影をした続きです。

 

アニマルコミュニケーション21

  1. ふるむ

  2. 毎日飲んだレメディたちなど

  3. おらくの骨壷と室内グッズ

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今回は、後半。

 4. ケース内外の守り神たち

 5. 酸素濃縮器

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【4. ケース内外の守り神たち】

 

[4-1] 命の水たち。

 落陽楼にはSTSプロジェクトの蘇生器(浄水器)を据え付けているが(これは、おらくだけのためというのではなく。自分の体と環境への意識としてです)、さらに強力な、ここの会社のバナジウムウォーターというのは、情報を伝える電子の量がさらにさらに多い。

 ガンのステージが進んだ人も、この水で拭いてあげているとせん妄が起きないらしい。確かに、せん妄の原因は、身体要因と薬物による意識混濁だというから、納得できる。(水について詳しくは、STSの各支局に直接お尋ねください!深いから!水を変えると体が変わる。水はすごく大事なポイントです。)

 これにレメディを溶かして飲めば、ふつうの水よりその情報がしっかり体に伝わるだろう。いろいろ、じゃぶじゃぶ使った。

 そんな水でヨーグルトをすこしゆるく溶いて、アニマルコミュニケーションでおらくの「いやな思い」を聞いてからは、嫌な味のする類のものを混ぜた水はお皿の一部分だけにして、「はい、ここがまずいとこよ」としっかり示してから皿を出すようにしていた。おらくはホントに、すぐ舐め始めていたなぁ。

 ホントに、ホントによく舐めた。小さい頃には牛乳1リットルを1週間ぐらいかけて全部ひとりで飲んでいたし、おらくの「舐め欲」はものすごかった。

 

[4-2] 白黒大小バステト神

 これらは本当のエジプトの職人さんたちが一体一体彫り上げたものなので、一つずつ微妙に違うし、輪郭に温かみがある。

 神様の彫像だから、始めは、うちの中をいっちょ神殿のように飾ってみるか、というような気分で買ったものの、うちの猫たちの近くで見ると、神部分よりネコ部分がなんだかますますリアルで、ただテキトーに床に置いといて、ただ「猫」として平等に扱うようになってしまっていた。近くを通る時に軽く頭を撫でて行くとか。バスちゃ〜ん、とか、テトちゃ〜んとか、チビテトちゃ〜んとか呼びながら。

 それでなおさら、ケースの外側に立ってもらうことが自然で、おらくをしっかり見守ってもらっていたのだった。ありがとう、大中小白黒バスちゃんテトちゃんたち。総勢4名。

 

(これは3月中ごろの姿。もうけっこう痩せていたし、長く酸素ケースで寝続けたりもした時期の後だけれど、けっこうどっしりと見える。おらくはほんとうに、その瞬間、その瞬間で顔つきも体つきも大きく違う、不思議ネコだった)

 

[4-3] 高杯(笑)。

 残念です。注文した日に届き、でも届いた日から、もう固形物は口にしなくなりました。急いでやってきてくれてありがとさん。

 

[4-4] 小皿と薔薇のスプーン。 

 高杯が届くまで、つまり固形物を食べ続けていた間は、ずっとこれで缶詰をちょこっとずつ食べていた。これも返し部分が浅いからよく外にこぼれてしまうので、スプーンですくってやったりしていた。少しずつだったとはいえ、おらくはスプーンもかじる勢いで、ガフガフと食べた。

 だんだんおらくは食べ終わった途端にその場で横になろうとするようになって、皿やスプーンの上にも横顔をつけて寝てしまうことが多くなった。それだけ具合が悪いのに、ぎりぎりまでしっかり食べる意欲はあったということだと思う。

 垂れた鼻水が頬のあたりにかたまっているところをスプーンに押し付ける状態になるものだから、顔の横にスプーンが貼り付いてしまったりもした。ある時おらくの方を見たら、ちょうどおらくが起き上がったところで、片耳にだけ大きな金色の耳飾りをぶら下げたモダン猫になっていたことがあった。

 それだけ粘性の高い鼻ダレが常に出ている大変な日常だったわけなのだけれど、ちょっと一瞬、すごく斬新な姿を、写真撮りたかった気もした。

 

<むー、再現しきれない・・・おらくの体には、スプーンがもっと大〜きく見えたんだ。同じ金色の毛並みに大きな耳飾りは、シャレていた>

 

[4-5] ヨーグルト皿とパワーストーン

 ネコ定食と同じ、いただきものの良いお皿で、その2枚の皿が鼻セレブの上にいつも並んで、いい感じの食卓になっていた。

 このお皿はおらくが食べるヨーグルトの量にほんとにぴったりで、1日でちょうど完食するぐらいのことが多かった。でも時々、いつもよりすごい勢いで舐めてしまっていることもあって、すぐにまたつぎ足してやらないといけないような日は、ほんとに嬉しかった。

 パワーストーンたちは、7月に久しぶりに行った石のお店の方に近況を話したら、猫ちゃんにとサービスとしてくださったもので、本当にお気持ちがありがたいことでした。

 まず赤い方を、くださった。猫ちゃんのベッドの四隅と中央に置いておくと、守ってくれるよ、と。ありがたや。

 7月、8月と、おらくは熱やひどい嘔吐などに襲われていた時期で、透き通った明るい赤だった石は、あっという間にどす黒い赤に変わっていた。石が働いたら色が変わってしまうと話に聞いてはいたけれど、その後お店に持って行って見せたら、やっぱりそうだった。

 「この石の役目はもう終わり。海に還してきて。」と外を指さされ、・・・ハイ、とそのまま建物を出て、ありがとう、と海に沈めた。お店は、港の建物の中。ベンリ。

 すぐになんとまた新しい赤をくださって、写真は、その二代目のほう。だいぶ明るく見えているのもあるけれど、やはり黒っぽく写っているものもある。

 石の状態の変化からおらくの状況のひどさがわかったのか、その時にはさらに、健康にしてくれる石だからと、テラヘルツまでくださった。「寝ている頭のあたりに3つ並べておいて」。

 ありがたく毛布の下に並べておいたのだけれど、気がつくと、テラヘルツの1個が妙に小さくなっていた。ここまで1個だけ大きさの異なるものをもらった記憶は無いんだよなー。不思議な話です。

 間違いなく、おらくの体の大変なエネルギーを吸い取って助けてくれた石たち、ありがとう。もう、すべて海に還します。お店にお礼を言ってから。何度か足を運んだけれど、買い付けに行ってらっしゃるのか、まだ会えてない。しっかりとお礼が言いたいので、まだ手元に持っています。

 

 考えてみればそのお店(ベイサイドプレイス博多・グランバザール)の方もエジプトの方。おらくはエジプトのパワーに守ってもらっていたんだなぁ。

 そのお店は、石の波動もさることながら、それを手に取る人自身の感覚を尊重するので、まったくむこうから勧められるということがない。

 ちょうどおらくの具合が悪くなる直前に初めてそこに行って、チベットの石だと聞いただけのブレスレットの二つが気に入ったので、両方買って、よく着けていた。おらくに大変な症状が出てから、ヒーラーさんにお任せするだけでなく実際には私自身もがんばってヒーリングを重ねていたのだけれど、その数日後、石をチェックしてもらったところ、「けっこう疲れている、しっかり使いましたね」と言われた。 

 石の疲れが溜まると、おらくの石のように色が変わるだけでなく、なんというか形相までが変わってくる。私の石の場合は、何個も、その内側に雲のような白い影が現れたし、浄化のつもりで水に浸けていたら、いちばんひどかった時には何度水を換えても、水が濁り続けた。

<はじめは同じ色合いの「無地」の石だけだったのに。働いてくれた石たちは、石ごとに濃淡もバラバラ。白い影が入るやら、マダラになるやら>

 

 二つのブレスレットはいつも一緒に重ねて着けていて、けれど形相が変わっていたのは一つの方だけだった。

 役目を果たした石たちは、ありがとうと海に還し、その分だけまた新たに元気なものを加えて作り替えてもらう。その際に聞いたところでは、私が選んでいた二種類とは、片方は邪気から守ってくれる石、もう一つは逆にハッピーになるためのエネルギーを持つ石だったらしい。形相が変わっていたのは、邪気から守ってもらうための石の方だったと知った。

 マイナス側を向いた防御と、プラス側に向けた発信という、ちょうど正反対とも言える働きを持つ二種類の石たちを、そうとは知らず「好きだから」という感覚だけで両方身につけ、奇しくも「ハッピーになる方のエネルギーを全然使ってないよ」とわかりやすく指摘されてしまったというわけだ。せいぜい、がんばりやす。

 

[4-6] 毛布。

 アニマルコミュニケーションで話した時、おらくが「この毛布、柔らかくて好き!」と言っていたから、火葬に行く時、この毛布に包んであげようかとも思ったけれど、素材とその大きさからして、きれいに清浄に燃えてくれるにはコットンの方がいいのじゃないか、と思って、おらくのイメージの、ムーミンに出てくるミーのバスタオルの方でくるむことにした。それもおらくによく使っていたしね。

 この毛布は、ふるむが大事に使ってゆきます。

 

 

[5. 酸素濃縮器】

 表彰状。あなたは、おらくの肺の一部となって、落陽楼の中の酸素を濃縮しておらくに送り続けてくれました。ありがとう、ありがとう。

 有名な誰だったかは、自分に取り付けられた呼吸器の音を、死が迫ってくる音として聞いていたのだそうで、その話を知っていた人が「おらくちゃんのそんな酸素ケースの音がし続けるなんて、おつらいでしょう」と言ってくださったことがあった。

 私にとっては、この機械の耐えることない作動音は、おらくが生きている証明のような音だった。小さい緑色のライトが点いているのが、スイッチON状態のしるしで、夜、「おらく、私はもう寝るよ」と部屋の電気を消すと、作動音と緑色だけの世界になっていた。それは次の朝につなげてくれる色と音だった。ありがとう、ありがとう。

 

 今は、何の音もしない。今日に至っては、私がブログを書き始めると、ふるむは、鳴くこともやめてしまって、ふてくされて、また隣の暗い部屋に行って戻ってこない。きっと、こういうことを書いている間おらくのことを考えているのがわかるのだろう。呼んでも、呼んでも、ふるむごめんごめんと抱いて連れてきても、また暗い部屋に行ってしまう。

 ふるむ。仲良くしよう。ふるむ。どちらもだいじなだけなんだよ、ふるむ。

 

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アニマルコミュニケーション21(おらくサポートオールスターズ(1) )

 アニマルコミュニケーション23(しっぽの件、つながる日常)

 

 

アニマルコミュニケーション 21(おらくサポートオールスターズ(1) )

【おらくサポートオールスターズ】

 酸素ケースを返却しに行く前に、記念写真を撮った。おらくを支えてくれたメンツ勢揃い。メンツ解説してみよう。

 

1. ふるむ

2. 毎日飲んだレメディたちなど

3. おらくの骨壷と室内グッズ

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( アニマルコミュニケーション22で)

 4. ケース内外の守り神たち

 5. 酸素濃縮器

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【1. ふるむ】

 とにかく、ふるむが、よく鳴くようになった。わざとだろ?と感じるぐらいに、部屋の中でも、ベランダでも大きく声を出す。

 ある時は、それじゃ喉つぶすよ?と言いたくなるようなニャーーゴ。またある時は、親が子を呼ぶ時のような、子が親を探す時のような、喉の奥からのア〜オ、アオ、アオ〜ン、というやつ。 

 ふるむのことだ、ぜったいわかった上でやっている。「ここで鳴かれるとホントは困るやろ?でも今度は、ふるむの方にどんだけ優しくできるのかね?」と。

火葬の日の夜。「さ、オレの番だろ?」

 はいはい・・・わかりました。はい、おらくにかまい過ぎました。ふるむをほったらかしにしてました。はい。すみません。これからは、ふるむ様のために尽くします。ご近所に聞こえ過ぎてヤバいやろがっ(怒)!などとは決して思わず、ベランダでお相手し、部屋の中でお相手し、台所に私が立とうが立つまいが結局は冷蔵庫に向かって催促されるその度に、かつお節を取り出してお皿におつぎします。

 朝も、昼も、夜も、かつおぶし。朝かつ、昼かつ、夜かつ。袋の下のほうにたまって粉っぽく小さくなった終わりの方のヤツだけを皿に入れても、完全に「・・・は?」という顔で、無言のままじーっと振り返られる。

 はいはい、また新しいのを買ってまいります。どうぞ香りの良いフワフワのところばっかりお食べください。カスは私が冷奴にでもぶっかけて処理し続けます。

 だからどうぞ、お願いですから、もうそんなに外に聞こえるようにアオアオ言わないでぐだざい・・・

 

【2. ケースの上】

[2-1] ホメオパシーのレメディたち。

 熱でぐったりするたびに飲ませたベラドーナ、便秘になって焦ってとらせたオピウム、呼吸が苦しいと不安でもあるだろうからとらせている方がいいと言われたアコナイト。

 息が苦しくなるたびに、酸素を行き渡らせてくれる働きのカーボベジをとらせた。小ビンはとっくに使い尽くしてしまって、大ビンを買い足したけれどそれも残りわずかになっていた。苦しかったねえ。

 その他にも、粘性の高い鼻水が出るとミネラルを奪われるからそれを補うレメディとか、弱ってきた腎臓や肺の働きを整えていくために処方してもらったサポートチンクチャーなどなどなど。

 そこにSTSプロジェクトの、栄養をしっかり届けてくれる糖鎖とか、腸を活性化してくれるミネラル酵母などなどなどを混ぜ合わせて、少しずつ何種類かの水をガラス瓶に作っておいては飲ませていたものだから、おらくに「いやな思いをしています」と言われたねー。

 抗がん剤を使った人の骨はひどく脆いと聞くけれど、けっこうな量の抗がん剤を使った治療をしていらしたある方が、終わりの1年間レメディを取り続けていらしたそうで、その骨がとても立派だと火葬場の人に言われた、という話を聞いた。おらくの骨も褒められたからねー、取り続けたレメディの影響もあったのかもしれない。

 おらくザウルスの骨の写真は、大好評よ。

 おらくを支えてくれたレメディたち、ありがとう。いっぱい残ってしまってますけど、これは、私がぼちぼち使ってゆきます。

 

[2-2]なんちゃないチュール。

 このチュールもまぁまぁの人気だったかな。体に良い素材でできている別のチュール「犬猫生活」のキャットピューレも、けっこう強い「舐め力」でいってた。いつもチュールの口を開けようとすると、おらくは「お、きたきた」といった感じで、居住まいを正して待っていたものだ。

 おそらく猫界で一番人気のあの市販のチュールは、添加物は入っているけれどやっぱりおらくもふるむも大好きだから、たまにはいいかと思って与えていたのだけれど、ある味のバリエーションの一つを与えたら、極端に体が拒絶反応を起こしたような、激しい吐き方をしてしまったことがあって、それからは、もうあれはやめた。

 

[2-3] シリンジ。

 筒の中で液体を押し出すゴムが劣化し始めると、ひっかかってスムーズに水が押し出せなくなるので、新しいものを買い足しに、何度となく東急ハンズの理科の実験器具コーナーに足を運んだ。

 5ミリリットル用は、押し出す速度を気をつけているつもりでも、おらくが飲み込める量より多く出過ぎてしまう感じで、使わなくなった。細い方の2.5ミリリットル用が、私の押し出す力加減とおらくの飲み込む量のバランスとして、まあちょうどいい具合だったようだ。

 

[2-4]  魔を打ち砕く五鈷杵(ごこしょ)。

 ご存知の通り、厄除け、災難除け。煩悩も苦悩も粉々にしてくださった。ありがとうございます。

 

[2-5] 酸素ケースに酸素を運ぶ基本の管

 症状がひどくなってからは、もっと強く噴き出す緑色の方の管だけを使うようになったけど。ありがとう。

 

【3. おらく部屋の室内グッズ】

 

 

[3-1] カリカリの上にかつおぶし。

 猫定食。私もふだん使っているふつうの陶器のお皿なので、滑りやすく周りにこぼれてしまう。厚紙を貼り付けて壁を作ってみた(笑)

 

 

写真撮ってたら、わっざわざ、来るよねー。

「このようにして、たべます」

 

[3-2] ヒマラヤ岩塩。

 悪いもんを吸い取ってくれる力がすごく強い。吸い取ってもらいました。ありがとう。

 

[3-3] 鼻セレブティッシュペーパー)。

 ヨーグルトとかつお節のお皿が低い位置にあっては、食べる時に頭を下げると、詰まっている鼻の圧がなおさらひどくなるだろうからと、いつからかこのティッシュケースを中に入れて皿を置く台にしていたから、かつおぶしの粉にまみれてしまった。

 

 私は長いことティッシュペーパーを使ったことがなかった。ヒトが来て「ティッシュは?」と聞かれれば、街で配られていたポケットティッシュを何かのケースに入れ替えたやつを、慌てて出してきて差し出していた。

 テーブルは台拭きで拭けばいいし、醤油が一滴こぼれたぐらいで、あんな広さの白い紙を一枚まるまるシュッと取ってちょろっと吹いてポイと捨ててしまう発想が、そもそも無かったのだ。

 その他、猫どもの日常的な行為としてのゲロちゃん、ウンちゃん転がりのようなガッツリ処理系には、トイレットペーパーと水スプレーなどのセットで緊急出動するから、うちでは、ソフトに一枚ずつ取り出すティッシュペーパーというものを使う場面は、無かった。

 おらくの鼻水がだんだんひどくなってきたので、トイレットペーパーよりもっと柔らかな肌触りのもので拭いてやりたいと、初めてソフトなティシュ〜を選んでみた。取っても取っても無限のように出てきていたティッシュも、毎日毎日、鼻を拭いて、拭いて、拭いて、だんだんと口の周りも拭いてやるようになって、拭いて拭いて、拭いて、新しいもう一箱も買ったところだった。

 

[3-4] 竹炭。

 おらくはヨーグルトだけでなく牛乳もとっても好きで、皿についでやればすぐ口をつけてはいたけれど、少し残った状態でよろよろと体を回しながら丸くなって寝ようとすると、皿の縁がよく腰の辺りにあたって、こぼれてしまっていたこともあった。牛乳がこぼれると、少量でもけっこう臭いんだな。

 まだ牛乳が原因だとはわからなかった頃、なんか匂う!と、重曹だの竹炭だのを置きまくった。この炭だけ、最後まで匂い取りを担当してくれた。ありがとう。

 

[3-5] 温湿度計。

 酸素ケースに付属してるヤツ。以前はケース内の酸素濃度を測る機械もオプションでレンタルしていたけれど、それはだいたいわかるようになってきたので使わなくなった。

 おらくの酸素ケースの使い方は、扉を開けている状態の方が多かったから、ケースの内外で温度や湿度に差が出るようなことは無かった。置いてはいたけれど使わなくてすんだ。ありがとう。

 

[3-6] 浣腸用のオリーブオイルと、ノズルを付けたシリンジ。

 これも東急ハンズの実験器具コーナー。これでうんちが出るようになる!と希望に燃えて買って帰った。でもノズルでうんちにオイルを注入する作戦は失敗に終わった。ノズル無しのシリンジだけでの浣腸は、何度もやった。ありがとう、道具たち。

 アイヌの文化では、ヒトの力を超えたものはすべて神(カムイ)だから、ヒトの手でやれないことをやってくれる道具も全部、カムイだって。ほんとうに。実感いたします。ありがとう、浣腸カムイ。

 

[3-7] ジオードのアメジスト

 この形と大きさが、すごく好きなヤツ。おらくの部屋に置くと、お金持ちのおうちの玄関とか居間とかに飾ってある豪華なサイズになった。

 おらくがヨーグルトを舐めてはぶるぶるっ!と周囲に白い残りを振り散らしていたので、竹炭とともに、かなり白く汚れたけれど、それでもおらくの部屋をしっかり浄化し続けてくれた。ありがとう。

 

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アニマルコミュニケーション20(火葬の日のあれこれ(3) おらくザウルス)

 アニマルコミュニケーション22(おらくサポートオールスターズ(2) )

 

 

 

アニマルコミュニケーション 20(火葬の日のあれこれ(3) おらくザウルス)

 

【整理しますと・・・】

 メールを読んでたかが知ったことは、おらくの魂がたかに会いに行っていた、というトンデモ話と、それを ”ヒーリング” などという ”目に見えないこと” を得意とする人が伝えてきた、というトンデモ話。そして私がそういうトンデモの存在を疑わないトンデモだったからこそ、その連絡が自分のところに来たのだということ。

 ある時、彼は私に「その、最近、お前が ”傾倒” している、そういう世界のこと」という言い方をしたことすらある。だから、メールを読んでどういう反応をするつもりなのか、わからないと言えば全くわからないことではあった。

 

【私は知っている】

 たかはおらくの骨壷の前で、そんなトンデモ話を否定しないどころか、その話を補強し始めた。おらくが膝に乗っている夢は何度も見ていたこと、それがいつも、重さや温もりもあってとってもリアルだったこと。

 そして、自分はたしかに目に見えないものは信じないという言い方をしたけれど、と前置きしてから、「おらくは、幸せな人生だった、って言ってた?」とアニマルコミュニケーションの方についてもまた、否定どころか、その中でおらくの言ったことを、知りたがった。

 それは、私が今までの暮らしの選択が間違っていなかったと聞きたくて、おらくとふるむそれぞれに、あの頃は楽しかった?と確認したのと全く同じ意識だったはずだ。

 

 私は、たかが本当は「"目に見えないもの" は信じない」どころか、実は私と同じ感覚を持っている人間だと、知っている。もちろん。

 

 「・・・・・・・。」

 

【ズレの原理を、少し話そう】

 ”目に見えないもの” の方が圧倒的に多いこのリアルな世界に、私たちは一緒にいたはずだった。けれど、彼はなにかと私を攻撃するようになった。それは、私を拒絶していないと、自分自身によって自分自身が押しつぶされてしまうからだ。

 彼は自分を肯定できる意識がひどく小さかった。自分を許せていない。だから他者をも許せない。実は、多くの人がそうだろう。私もそうだ。違いは、その自覚の度合いに過ぎない。(抽象的なリクツに終始しないよう、ここに具体的なことを詳しく書いていたのだけれど、書き進めるほどに救いがなくなって耐えられなくなったので、全削除。)

 

【自分の世界で起こしていること】

 他者に厳しい人というのは、職場の人間に批判的でいるところまでで止めていられれば、無能な人間とは違って自分は仕事をこなせる、というようなプライドの高い自分像を持つだけで済むのかもしれない。

 けれど実際には深いところでの自己肯定ができていないのだから、等身大ではいられない。彼の場合はやがて一緒に暮らす私の立場をおそろしく相対的に肥大化させることになっていった。次第に自己卑下がひどくなり、私の言葉にピリピリと反応し、少し意見が対立する気配が見えるとすぐ吐くようにまでなった。

 「私はあなたの敵ではない。」「あなたの周りに敵はいない。」とまで、何度も言ったし、表現を選び尽くした長い長い文章を徹夜で書いて送ったことも、一度や二度ではない。

 それでも肥大化した私に彼は圧迫され、自分を保とうとするほどに、私の言動をそう簡単に認めるわけにはいかなくなる。私を否定する部分が増えれば、自分と共通した部分まで否定せざるを得なくなる。自ら生んだ、必然的な矛盾だ。

 まるで自らの免疫機能が自身を攻撃してアレルギーやアトピーが悪化してゆくのを見ているようだった。彼は攻撃対象の私が消えた今、以前よりも自分自身を攻撃する機会を増やしていっているところなのかもしれない。出て行ってくださいと言った日から、私はもはや関与してはいないが、いずれにせよ自分で気づくしかなく、一人一人の人生とは、そのための道のりなのだ。

 

【誘う&ノル呼吸】

 たかが、おらくの骨壷の前でトンデモ話を全面肯定、そしてアニマルコミュニケーションのおらくの言葉までもを知ろうとして、思わず顔を私の方に向けていたその時の姿勢は、久しぶりに、そんな攻撃の頑なさを脱いだ、私が仲良くできるバージョンの、たかだった。

 

 骨壷を見てもらったらもう別にやることもないし、間が持たない。「おらくの骨、見る〜?」と言ったら、「それ、ワルい仲間が誘うやつやん」と、ノってきた。

 

【結局、いっしょに遊びたい】

 それから禁断の遊びを始めた。

 私たちはいくつもの過去世で一緒にいたが、ある過去世でもこうやって、私が面白い遊びを思いついては先に立ち、たかがそれを面白がってついてきて、いつもふたりで遊んでいたことがある。その過去世を見てもらった話をした時にも、他の過去世の話と同様、たかは自然に受け入れた。

 ほかにも、刀を持って背中を合わせて、互いの背後を守り合いながら戦う仲だったという過去世を見てもらったこともあったが、それを見てもらうよりずっと以前に、ある朝たかの方から驚いたような表情で言ってきたリアルな夢の話が、後で思えば、その過去生と同じような雰囲気だった。

 なにか二人で戦っていて、洞穴みたいなところに逃げ込んで、最後に私に何か大事なものを渡して自分が死んだところで目が覚めた、と。ストーリー性のある夢は何らかの過去生の記憶の断片であることが多いらしいが、たかは本当に、いろいろとリアルなストーリーの夢を見るタイプだったし、起きている時もそういう夢をいつも意識しながら生活しているようなところがあった。

 見えないものは信じない、とか、どの口が言うかな、まったく。┐(´д`)┌ヤレヤレ

 

 結局、こうして挙句の果てに、日曜深夜、今生でもまたワクワクしながら私たちは遊び始めた。

 

 青い薔薇のようなカバーの蝶々結びを解いて、十字に留めて封印してある長いセロテープを剥がして、蓋を開けた。ほんの何時間か前に部位を説明してもらいながら順序よく入れていった骨を、逆戻しで今度は私が説明しながら、テーブルの上に並べていく。

 

【おらくザウルス】

おらくザウルス

 この日、朝にはベランダの花たちに飾ってもらってやわらかいままの耳とふさふさの尻尾を持っていたおらくは、夜にはこんな見事な、かわいい恐竜になった。

 一つ一つの骨としては、かなり違う位置に並べてしまっていたりするのだろうなぁ・・・左脇の下のあたりに、どこにあったかわからない「余り」のパーツを集めてみました。

 

 火葬場の担当の人が、「しっかりした、キレイな骨ですね」とか、「これは前足です。手の部分が長い、スタイルの良い猫ちゃんですね」とか褒めてくださって、なんかお骨を拾いながらちょっと嬉しかった。

 言われたとおり、14年前の、悲しみに打ちひしがれながら拾い上げたあさひの骨は、もっともっと脆くて崩れやすかったような気がする。おらくの骨は、箸に当たってカリカリ音がしたし、拾い上げやすかった。それに、おらくは確かに、スラリとした前足が華奢でかっこよくて、なんかモデルみたいで羨ましいなぁ、とよく思っていた。

 

<昔のいわゆる「コンパニ立ち」的な。>

 

 <手が長〜い!>

 <手が長〜い!笑>

 <おらくが長〜い!笑>

 

 いろんな猫を見ていて当然の動物病院のお医者さんに、以前おらくの尻尾を「おお、立派な尻尾だねぇ」と褒めてもらったことがあって、その時も嬉しかったけれど、骨になっても褒められると嬉しいものなのだなぁ。いっぱいペットの骨を見ている人が言うのだから、骨のキレイさも丈夫さも、スタイルの良さも、まちがいない!うれしい!

 

 何でもかんでもかじりまくったかわいい牙と強力な顎。甘噛みを知らない、全力の甘噛みは、痛かった。

 骨壷に入れた時には、片方は目のところまで形が残っていたけれど、この時にはもう崩れてしまっていた。牙があるほう、上顎に見える穴は、鼻の穴よね、おらく。詰まりに詰まって黄色く粘性の高い鼻水が出続けた、その出口はこんなに小さい穴だったのだなあ。

 おらくの小さい鼻の奥の奥の空間、鼻腔を思い描いては、粘膜の過剰な反応よどうぞおさまってください、と光が通って風が流れていくイメージを送り続けた。小説か何かで読んで思い描いておいた現地に行って実際の景色を見る感覚は、こういう感じなのかもしれない。ツワモノどもが夢の跡。

 

 呼吸が苦しすぎて荒い息をし続けたせいで、レントゲンで見ると肋骨が自然に折れた痕があると言われた1年前。こんなに細い肋骨で、肺を守っていたんだねえ。なんて愛らしい、健気な細さよ。

 

 脊椎、腰椎は、コツコツの体を撫でるたびに毛の上からでも形がわかるようになっていた。特に10月に入ってから、ケースの中でガタっと音がすることが多くなった。その度慌てて目をやると、おらくが横になろうとしては力なくドタっと毛布の上に体を投げ出すので、その勢いで背骨がケースの壁に当たってしまう音だった。

 守る肉がなくなっていて痛かったことだろう。ただゆっくりと体を横たえようとするにも、それをコントロールする足腰の力が要るのだと知ったよ、おらく。

 

 おらくの尻尾は、カギ型ではなく完全なまっすぐタイプだった。よく、尻尾を持っては、その一番先を人差し指の腹でちょんちょんとさわっていたものだけれど、毛に包まれた先っちょは、けっこうツンツンと尖ってすらいるほどに細かった気がする。この骨の方が直径が太い気がするのだけれど、思い違いか?それとも尻尾の先っちょって、もっと細くなった軟骨なのか?それが、死後硬直に至らない何かだったりするのかもしれない。謎のまま、ほっておこう。(→「アニマルコミュニケーション23(しっぽの件、つながる日常)」で、少しだけ推理してみた)

 爪は焼けてしまうけれど、こうして残っているのは、爪の骨。

輪になって、躍らせてみました。

 この長い骨が、火葬場の人に誉められた、スタイルよいポイントとなる前足部分で、ひとでいう手の甲の部分に見える手首の先の骨に当たるところだそうな。このひとたちの足は、常に爪先立ちして立っているような状態だからね。ほほう。

 

 そして、女帝おらくの中の喉仏さまと、そのお説教を聞いておののく村の背骨のひとり。

 

 この骨たちはやがて土に還すから、この村の方々もね、おらくの光の国でまた楽しくやってくださいな。

 

 始めは自分の細い箸で丁寧に挟んで並べていたけれど、だんだん手で直接サクサクと動かし始めた。私が指先の粉をパンパン、と払うたび、たかが笑った。

 

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アニマルコミュニケーション19(火葬の日のあれこれ(2) 見えないリアル)

 

 アニマルコミュニケーション21(おらくサポートオールスターズ(1) )

 

 

 

アニマルコミュニケーション 19(火葬の日のあれこれ(2) 見えないリアル)

 このアニマルコミュニケーション19、20には、ヘンに長い時間がかかってしまった。詳しく詳しく書いては削り、削ってはまた延々と書き連ね、を繰り返した。書くことも、そしてそれを消すことも、どんだけ自分を見つめる作業なんだよ、と思う。

 また、見えない世界の話になるけれど、つながっていることなのでしょうがない。

 

【通い妻か】

 おらくが光の国に戻りました、とお世話になったヒーラーさんやホメオパスの方などにお礼をお伝えしておいた。ヒーラーさんからすぐお返事が来た。

 ーーー言うかどうか迷ったけど、見えたことだから言っておくね。おらくちゃん、あなたが別れた彼のところにも、行ってたみたい。ーーー

 なんだか、まるで娘が意味深な行動をとっていたとでも誤解を与えそうな言葉だけれど。

 

【たばことコロン】

 ああ、おらくだなぁ、と思った。

 おらくは、私たちが同居していた頃にはいつも、仲違いをしたら二人の間を行ったり来たりしてくれた。

 東京のたかの部屋で初めて口喧嘩になった時には、テーブルの上でこちらを向いて、私たち二人とちょうど正三角形をつくる位置に腰を下ろし、尻尾をくるりと前足の方にまで巻き付けて、目を瞑って、やれやれ・・・といった顔で、深くため息をついた。

 

<ちょうどこれと同じ姿で。その時は、尻尾の向きだけは反対で、左から巻いていたけど。>

 

 まるまる1年前、お別れしましょう出ていってくださいと伝えてからは、あちらは長年地層のように堆積させていた大量の荷物を掘り起こし始め、モノはいっそう広がって床を覆った状態になった。

 多少の物を処分した後はほぼ動く様子も見せず、暗いリビングでテレビを点けて座っているだけで、いつ出ていくのかもまったくわからないまま長い時間が経った。終わりが見えない閉ざされた時間は、永遠のように長い。出て行ったのは1ヶ月半後、12月中旬になっていた。

 その間、私は書斎の一部屋を仕切って二人分の机を置いていた自分側のスペースだけで過ごした。夜は寝袋で寝た。ベランダにも行きづらく、自分の洗濯物は、ハンガーを本棚や机に掛けたりしてできる限りそこに干した。

 猫たちはといえば、ただただふるむがべったり私の方にいて、おらくはたかの方にいることが多かった。時々、おらくが私の方にやってきた。おらくを抱き締めると、いつもたばことコロンの匂いがした。

 アニマルコミュニケーションでおらくと対話して、おらくが「ずっと一緒にいたいって、言ったの?」と聞いた時、私はこのおらくがつけてきた匂いの場面を思っていた。この時にもおらくは、私たちそれぞれに、ずっと一緒にいたいって言ったの?と聞いてくれていたのだと思う。

 

【ヘンな欲】

 おらくのことは私一人で送り出すつもりだったけれど、その対話の時にもたかに会いたいと言っていたおらくの気持ちを、リアルに思った。

 おらくが光に戻ったこととそれを連絡した理由を、伝えるだけ伝えて、うちにおらくの顔を見に来るなり、火葬に同席するなりしてもらってかまわないと言っておこうと思って、初めて私からメールを送った。

 寝かせたおらくを見ていると、もうすぐ永遠に消えてしまうこの姿をもう私しか見ないのかと思うともったいない、というヘンな欲も出て、できればこの姿のあるうちになんとか一目でも見てくれたらいいが、とも思った。けれど結局、連絡がついたのは火葬が終わった後だった。 

 

 ふるむに、おらくの姿はもうなくなるよと言ってみたけれど、ふるむも名残を惜しむふうでもないので、ここでも私のヘンな欲は満たされないまま。

 でもきっとふるむにはいつでもおらくはちゃんと見えるからいいね、じゃあちょっと行ってくるね、と言って、おらくには、たか来なかったね、そろそろ行こうか、と言って、棺を抱え上げた。

 酸素ケースのスイッチを切って、時間差で、ぷすん・・・と静かになっていく終わりの音をなんとなく聞かないように意識して、さっさと玄関を出た。

 

【影武者ネコ】

 実は火葬までの間に一度、書類関係の用事で、おらくを寝かせているリビングにしばらくヒトを通す機会があった。2週間ほど前にもいらした方なので、酸素ケースの存在もわかっているし、その時は痩せたおらくが玄関で出迎えてもいた。

 それでなおさら、どうしておくのがよいか迷ってしまった。一時的にケースごと隣の部屋に移動させておくのも、かえって何か尋ねられた時に説明するのが嫌だったし、隠すことではないしという気持ちもあった。

 とは言え、さすがに、仕事で来ただけの人に、目も口も開いたまま時間とともに剥製の表情になっていっている獣の死体を堂々と見せるのも気が引ける。一緒に暮らす死体に酸素をかけ続けるオンナというのも不気味だろう。

 むー・・・・と悩んだ挙句、直前になって、敷いていた毛布ごとくるっとひっくり返して、後ろ向きの寝姿にしてバスタオルをかけてみたのだった。

 リビングに入ってきたその方が挨拶がわりといった感じで「あれ、今日は、猫ちゃんは・・・」とおっしゃるので、「ああ、1匹はここに。もう1匹はむこうに。」と、「事実」だけ答えて、用事に移った。

 さりげなくまだ生きているふうを装ってヒトを欺くなんて、ふふふ、息の合ったおらく&私コンビの作戦成功といった感じだった。

 コトを荒立てまいと世を欺くこの感じ、なにかちょっと、おらくが時の女帝か女将軍で、おらくの生死は機密事項、どこかにおらくの影武者ネコがいるような気までしてきた。

 ん?まだどこかにいるのが、本物の方か?じゃあ、ずっと私をも欺いて暮らしていたというのか?時々ベランダの仕切りを越えてお隣に脱出してしまった、あの時だったのか?入れ替わったのは。やるな、おらく。

<おや、お客さまかい?いらっしゃい。>

 

【火葬終了】

 夕方、小さな骨壺を抱えて、静かな陽が差す落陽楼に帰ってきた。その後、からっぽになったケースのそばで、明るいうちから寝てしまっていたようで、夜、たかからの電話で目が覚めた。

 やっぱりメールを見ていなかったそうで、経緯を話したらそこで初めて小さく言葉をつまらせて、メールを読んでからかけ直す、と一旦切った。

 しばらくしてかけ直してきて、とりあえず来てもいいかと言うので、もうすべて済んだ後だけれど、まあどうぞと返事し、10時頃だったかに、たかはおらくに会いに来た。

 

【23日と23日】

 そうか。今気がついた。火葬の日は、10月23日。12月、一人になって10日ぐらい経ったころ、それまで完全に元通りかと思えるほど一旦回復していたおらくが、夜になって急にまた痙攣を起こし、両手足は宙を激しく掻いて目は泳ぎ、私は冷えて、覚悟したことがあった。

 さすがに、別れた途端に何もたかに伝えずにこのまま終わってしまうのは悪いと感じて、既に削除していた電話番号を思い出し、もう最期かもしれないから来てくださいと電話したことがあった。それも23日だった。たしか。

 すぐに通じたけれど20分ほど経ってたかがうちにやってきた頃には、おらくはもうケロッと回復していて、冗談みたいな再会だった。ほか弁を食べて、別れた。

 それからまるまる10ヶ月後の23日が、こんな日になっていて、再びたかがやってくることになろうとは。

 たかは、おらくの前で少し泣いた。私が落ち着かないまま朝になった頃にスケッチして放り出していたおらくの姿を見て、「俺が知ってるおらくよりもっと痩せてる」と言った。そうでしょう。あれから10ヶ月という時間の波を、とことんくぐってきたのだから。

 泣いているたかの斜め後ろで壁に寄りかかって、私の方はなにか、たかがちゃんと悲しんでいることへの安堵感のようなものと、疲労感と、元には戻らない時間とを同時に感じて、ぼーっとしていた。

 

 

 

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アニマルコミュニケーション18(火葬の日のあれこれ(1) 落陽楼の思い出…おらくに花束を。)

 

 アニマルコミュニケーション20(火葬の日のあれこれ(3) おらくザウルス)

 

 

アニマルコミュニケーション 18(火葬の日のあれこれ(1) 落陽楼の思い出…おらくに花束を。)

 いろいろ書きたいのに、進まないなー。なんかダラダラ書いて止まらなくなりそうで書けない。こういう時は、まず自分のつぶやきに頼る。

 

 ちょっと幅がギリギリだけれどおらくの身長にはちょうどゆとりのある箱があったので、おらくの体をそれに移した。尻尾だけでなく、首もゆらっと動いた。

 ずっと猫たちに囲まれて暮らしていらっしゃる方が、以前、呼吸の止まった大事な愛猫ちゃんをずっと抱いていたら体は硬くなったけど尻尾だけはそのままぶら〜んとしていたよ、とおっしゃっていたのが、ずっと頭の中にあった。

 どれだけ長い時間その子を抱いたままじっとしていらしたのだろうと胸の痛む気持ちと、ほぅ尻尾は固くならないのか、という興味と。

 寝かせたままのおらくの耳と尻尾をさわったり撫でたりしながら、これまでの数日間、なるほどやっぱり硬くならないもんだ、といろんな部位を観察したりしていた。薄い薄いピンクベージュになった肉球もすこしプニュプニュするし、手首も少し動く。名残惜しさはつきない。

 

 箱は、ちょうどふるむがバリバリ爪研ぎに使っていたやつだったし、ベランダの花と、みんなで写った写真を1枚入れたので、全員参加型の棺になった。

  

<この後、火葬場に着くとまずこの棺ごと重さを測られた。焼くには何かと重さが基準になるようだった。

 箱もバスタオルも花も入れて、1.75キロしかなかった。帰ってから同じぐらいの段ボール箱とバスタオルの重さを測ってみたら、それらだけで800グラム以上はあった。きっとおらくの体重は、1キロを切っていたんだな。

 思えば、見た目にもすぐわかるほどコツコツに痩せてしまっていたおらくの体重を、もうわざわざ数字を見て確かめることなど、いつからかまったく考えつかなくなっていた。体重は、大きく元気に育った幸せの数値として目にしたい。

 元気な頃でも3キロに届かないくらいだったスリムな体が、その3分の2の重さを失っていったことになるこの1年の時間の過酷さを、あらためて思い知った。>

 

 出発前、そんな全員参加型の軽い棺を抱えて、落陽楼の中をぜんぶ回った。

 ほーら、どこもかしこも、あんたが元気に元気に飛び回ったところ。爪を立てて登りまくった網戸。引き戸。

 

 ふるむと追いかけっこをしては軽々と駆け上がっていたネコ棚。本棚や戸棚にさっさと辿り着いて、あるいは時々天翔ける勢いで飛び渡って、すぐにポーズをとるかのように必ずこっちを見下ろす表情は、いつも自慢げだった。

 

 それから、見事にベッドにして寝こなしていた押し入れ。枕カバーやシーツの端は、すべてかじられてボロボロになった。その上の天袋は、隙を見てはすごいスピードで柱を駆け登って飛び込んでくるあんたと、季節の終わったこたつ布団や毛布類をぐちゃぐちゃの毛だらけにされまいと必死に防御する私との、攻防の場だったね。

 

 

 ほんの一瞬の隙にするりとクローゼットにもぐりこまれたら最後、バッグや帽子がぐちゃぐちゃに落とされているか、皮のコートの肩が爪でやられているか。またガタゴト音がし始めると、しまった!次は何がヤラレてるんだ!?といつも慌てて駆けつけては、尻尾をつかんで悪魔を引きずり下ろした。

 

 

 私の机のところにおらくが来ると、ふるむも来るから、占領されて仕事にならない。

 

 せっかく買ったどこかの国のガラスの花瓶は、さあ使おうと梱包を解いた途端、あんたの一回のアゴすりすりで椅子の金属の足に倒れ、見事に目の前で割れ果てた。絶句したよ。

 

机の上が弥生式土器を復元する資料室の作業台のようになって、かなりがんばってみたけど、

 

細かく割れすぎていてもう無理だった。

 

 

 それに、見事に現代音楽家のような不協音階で鍵盤を踏み渡って奏でたピアノ。大好きな水遊びをしたトイレと洗面台とお風呂場。

 

 そしてお隣さんまで仕切りを超えて遊びに行ってしまったベランダ。いつも一緒に外の景色を眺めたベランダ。最後に光を浴びてゆっくり息をしたベランダ。

 

 ありがとう。ありがとう。ありがとう。おらく。ありがとうっていうのは、なんて距離のある言葉なんだ。おらくにありがとうと言いたい時には、なんて言えばいいんだ?おらく。おらく。この響きに、きっとすべてが詰まっている。おらく。おらく。

 ほんとうに、ほんとうに、私は12年間、その一瞬一瞬がありがたかった。14年前にあさひが急に逝った時の、病院で触ったあの体の冷たさがずっと記憶の端にあった私は、同じ光色のおらくの体の暖かさとしなやかさを、一瞬一瞬、ほんとうに、一瞬一瞬、ありがたくありがたく触っていたんだよ。

 何の悔いもない。おらく、おらく、と名前が呼べる幸せを、私はずっと味わった。おらくがうちに来た日から、いつかこの子はいなくなるという残酷な約束と引き換えに与えられていた幸せを、いつもいつも、私はありがたく味わった。

 何年も何年も、毎日毎日、おらくはホンに愛らしか。おらくはホンに愛らしか、と呼吸するように言い続けた。おらくはホンに愛らしか。こんなに飽きない言葉が他にあるだろうかと思いながら、いつも新鮮にそれを声にした。

 おらく。おらく。おらく。おらく。私の一方的な気持ちばかりで満足しては勘違いが過ぎるのだろうけれど、私には何の悔いも無いのだよ。こんなにも切ないけれど、一点の曇りも無いのだよ。

 勘違いも包み込んで、おらくは黙って、けれど饒舌に、私の時間の一部であった。ありがとう。ありがとう。おらく。おらく。おらく。

 

おらく。おらく。おらく。おらく。おらく。

 

 

キリがないから、ゆきましょう。ねえ。

ちゃんと、つづくから。これからも。気持ちは。心は。魂は。

 

 

 

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アニマルコミュニケーション17(おらくの10月)

 

sachi-de-saint-phalle.hatenablog.com

 

 アニマルコミュニケーション19(火葬の日のあれこれ(2) 見えないリアル)