ひっかかっている点は、どこなのか?

ひっかかっている点は、どこか。この一点だ。自分問うている。

パートナーとのすれ違い。

相手が募らすイライラ。

解決できたかと思ったら、一瞬にしてもっと根源的なところへ展開。

長くて短い道のりを述べる。

 

 

最後の日常生活 

 10月中旬。

 パートナーと湯布院に行った。

 画廊で、良い絵をたいへん破格の値段でお譲りいただけた。そのお礼状を書こうとしていた。

 乗馬にも行った。馬との呼吸が合ってきた感じがあった。私の方が褒められることが多くなり、相手はちょっと前から、不機嫌な空気でいることが多くなっていた。

 始めた当初は彼のほうがよく褒められていたので、私はそういう関係にあるほうが安心できると感じていたけれど、最近は、同じ馬に対してでも私のようにうまく扱えないこともあり、向いてないとすら言い始めていた。同じ馬場にいても、一緒にレッスンを受けている嫌なおばさんが嫌なことを言ってきやがった、とパートナーが一人苛立っていることも少なくなかった。

 仕事にしても何にしても、いちいち敵対しようとするから、相手もそういう態度となるのだと私は感じていたが、そう伝えることすらもギスギスしていてできず、言葉を選ぶことがとても多くなっていた。

 

 乗馬の帰り、私には夕方すこし予定があったが、午後6時半以降は自由に使える、と伝えると、食事はどうしようか、という自然な話題になった。そしてパートナーは自分から、よく行く中国料理店の名を出したので、それもいいねと言いながら帰った。

 

不条理な一場面

 帰ってくるとピザの宅配のチラシが一枚入っていた。その写真を見た途端、「ピザでもいいな」と言う。ふつう、言ったことを後で変えると嫌がるのに、急にそう言うので、ピザといえば少し前に行ったイタリア料理の店がおいしい上に気前が良く、次回ちょっとしたピザ一枚サービスという楽しい小さなチケットをくれていたのを思い出して、じゃああのチケットを使おうか、と言ったところ、「そんなに立派なものじゃなくていい。もういい。意見がずれたから、今日の話は全て無し」と、どこで食事をするわけでもなく、ただ険悪なイライラだけが残された。

 ほんとうによくある、ひとりでイライラを露わにする態度だったので、そうですかと放っておいたが、回答していなかった国勢調査が再送されてきていたりもして、本人に聞かないとわからない項目があったり、絵のお礼状を急いで書こうと言っていたタイミングでもあったので、気分を変えてそういう話題について声をかけ誘ってみたが、情報が必要ならこれを見ろという態度で黙って会社の封筒をテーブルに投げ出すやら、お礼状を書きたいのはお前のペースだ俺は気分が悪いのだから書きたくもない、などと言い出すやらで、どんどん悪化の一途だった。

 理不尽さが多すぎるので、そもそもそのイライラはそちらの感情であることを伝えたところ、もう食事の話は終わったことなのに、お前がまた持ち出した、と怒鳴り始めた。

 

お前がいるからわるい(あたしのマンションだしなー・・・)

「だいたいおれは、一人だったらそんなに毎回食事に時間はかけなくていい。テキトーにすませられる。毎回毎回お前と一緒だから気を使って時間を使わないといけない。一人だったらこんなことにはならない」「いつもいつも、仕事から帰ってきたらお前がいて、おれは一人になれない」

 頬に息と唾とがかかる5センチぐらいの距離から、怒鳴られた。クソが。とも続けられた。そしてまるで自分に言い聞かすように、俺は正しいから俺のやりたいことだけをやる、と言い放っていた。

「わかった。」と私はそのへんにあった雑誌を足元に投げつけたが、こんなに心の中は冷静でいられるのか、と我ながら驚いていた。その後、彼はその雑誌やら他のものやらを粉々に破り散らかし、部屋中に何かの物体がぶちまけられた放置された状態がずっと続いた。

 

あんたも家におったやろ

 私が家にいるのは、在宅勤務になったので、当然のこと。

 コロナでもなんでもなかった3年前、相手は自分の意思で気に入らない職場を離れ、その後まるまる1年間、仕事をしていなかった。なぜしないのかも私に言わなかった。ただ、家にいた。一人になれず私もストレスだった。ヒトに愚痴は言うまいと決めていた。仕事の帰りにわざわざカフェに寄ってぼーっとしてから家に戻ったりしていた。

 そのまま、ハワイに旅行することになった。貯金がいくらあるのかなど、私からは尋ねなかった。出発の成田空港で、残金が千数百円しかないから、お金を貸しといてほしい、と言われた。帰国しても、仕事をしようとしなかった。

 尻を叩いて、話し合って、外に行かせた。新しい仕事をやっと見つけてきた。やれば認められ、契約社員としてある程度とりまとめ役的なポジションについた。そこで今度は過剰とも思える自信に満ちた発言の数々が始まった。

 理のある正義の味方的な論理も入っているので、信用も得ているところはあるし、闘いたいエネルギーを持っている時期でもあるだろう、とも考え、そうそう抑えつけるようなことは私も言わなかった。彼は私よりずいぶん若い。

 

敵じゃないのに敵視され続け・・・

 だから時々、家で話をする中で、私も「まぁ根本的に違う相手とあまり闘ってもしょうがない」となだめる程度のことはしていたけれど、それ以外は、いつもまた職場のバカな上司が、こんなバカな発言をしてまったく世の中やってられない、という、いわば自分を確認するためのような話がずっと続いていて、私はまぁ、あまりおもしろくはなかった。

 でも自分で気づくしかないし、と思って黙って聞いていたところは多い。

 相手のイライラが大きくなると、私が諸手を挙げて賛成していない空気にもイライラするようになった。

 いつも買っていたワインの通販で、また何か選ぼうよ、とノートパソコンの画面をみていた瞬間、パタッと画面を閉じたと思うと「なんで返事をしない!?」とイライラと足先を動かし始めている。機嫌よく独り言のような何かを口にしていただけだと感じて隣にいただけだったので、寝耳に水にも程がある。

 「私はあなたの敵ではない」と、同じような場面のたびに何度となく伝え続けた。

 

 自分が機嫌を悪くした話題の一つだから、ということなのだろう、ワインのことは二度と自分から話題にしない。ワインは買わないまま。そうやって一つ一つ、楽しく動けるところが少なくなっていっていた。

 

安ホテル生活

 そんな中の、10月後半。息と唾とがかかる5センチの距離からの「お前がいるから」イラつくのだという怒号であった。

 コロナのイライラから始まって、6月だったか、いつだったかもう覚えてもいないけれど、相手は、私との諍いで一度奇声を発した。10月に私を怒鳴りつけた後、それと同じ奇声をまた発した。

 あまり、叫べばよいというものではないけれども、私は「一人の時間を過ごしてください」と、仕事の道具を持って近くの安いホテルを探しては2泊3日ずつぐらいして戻り、洗濯して自分の部屋に干す、というのを何回か繰り返した。午前中のオンライン授業をホテルでやるためには、その日を挟んで2泊とっていないとできないのだ。

 

家庭内別居(狭いのによ・・・)

 さすがに仕事に支障をきたすので、その後はうちの中にいるようにはしたけれど、食事は完全に別のまま、部屋もトイレも私は掃除しないことにしていたので、荒れ放題。相手が使った皿類や、毎晩何本かずつの飲み続ける酒類のビンや缶は、シンクやその周辺に3週間放置。毎晩、何か出来合いのものを買ってきてはチンしてテレビを見ながら食べ、その直後にトイレに行ってはゲーゲー吐くという行為を繰り返していたようで、トイレットペーパーの減り方が半端なかった。

 私は冷静を心がけ、朝、顔をあわせたような時には、おはよう、と言うようにしていた。11月は、ただそうやって過ぎた。別々に仕事をして、別々に食事をし、別々に寝ていたら、ほんとうに相手の存在というのは、消えていくものだと実感した。

 ほんの少しずつむこうも挨拶するようになってきた12月初旬、少しずつ少しずつむこうがメールを送ってくるようになった。私もそれに返した。10月の乗馬の帰りに行くはずだった中国料理の店に行かないか、と誘ってきたので、うん、と返信した。店の前で待ち合わせた形になって、久しぶりに話した。

 

再会(か?)

 その日は、相手は「全然関係ない話だけど」と言いながら、どうでもいい話をし続けた。その日は吐かなかったようだ。翌日は、まるで怒鳴りちらかして言ったことを忘れたかのように、食事を共にする発言をするようになったので、流れに任せて、久しぶりにテーブルに並んで食事をした。

 

 その夜、食事が終わってから急に、「理不尽な感情のぶつけ方をしてすみませんでした。」と始まった。

 意地を張るタイプなのに、私が感じていたことそのままを口にして謝ったので、よほどの自覚があったのだろうと感じたし、私も自分の感情を冷静に保ったままでいることができて、良い結果に戻ってよかった、と、一瞬感じた。

 

しかし、困惑する理屈が待っていた。

 

ひっかかる点

謝り方は、こうだった。

「自分の態度はコロナのイライラから始まったのだけれど、それに加えて、

 a. 好きな人ができて、

 b. その人に気持ちを伝えたけど、受け入れてもらえず

 c. そのイライラを私にぶつけた。

 d.  abcが理不尽だったので、謝る。」

 

 

・・・・・私がひっかかっている点は、どこか。

 

aは、しょうがない。

cは、済んだこと、という感じか。謝ったし、と。

・・・dって、謝ったのか?

abcを伝えることで?

 

bは何か。

それを選ぶのは個人の自由だ。

bの判断、行動に移ることを選んだ段階では、

これまでの生活が同じように続くはずはない。

少なくとも精神面では。

と思う。私は。でも

違う

という。

 

bで受け入れられなかった。新しい段階に移れない。

百歩譲って、そこで思い直し、これまでを見つめ直し

心から(が大前提ですが)気持ちを改めたのは本当だとしよう。

 

なぜ、それをこっちに言うのか。

「言わないのは不誠実だから」

 

不誠実はどこ?

サンファル「bでうまくいけば並行生活を続けていく気でいたことは、不誠実ではないのか」

 

「伝えない方が不誠実だ。これまでもこれからもそうする」

 

これからも・・・?

 

サンファル「外でうまいことやろうとしてできなくても家に帰ってくればいい、という保険のかけ方はおかしい。

 理不尽に感情をぶつけられるのも嫌だが、理不尽に甘えられるのも好きではない。

 そんな発想の人とは一緒に暮らせない。

 もっと大きいものに向かって学び合うことができる相手なら一緒にいる意味があると感じるけれど、そうでない相手との生活なら、私には無意味だ。」

 

おわかりでしょうか。相手には、

 (1) サンファルと暮らすことと

 (2) 好きになった人に気持ちを伝えること

は、別のことだと。

 

なぜなら

 (1) サンファルと暮らすことは、創作していく上で大切なこと。

 (2) 恋愛は、大したことではないから。

 

「創作」がスムーズにできている相手でもないわけですけど。

(そこには、「意識で世界が作られている」ということを全く信じない(それはお前の傾倒している人たちの主張であって、俺はそんなふうに思って生きていない、と今も言い放つ)相手との、深い溝があるわけで、気が遠くなる。でもそこが埋まらないと創作はできない。でも相手はそう思っていないわけだ。)

 とにかく相手の主張は、abcdと(1)(2)との、掛け算から出ているものらしい。

 外で新しい嫁さんと子供作ったのに夫婦漫才しつづけてた人たちおったよな。そういうの私は嫌ですし。

 

「好きな相手に気持ちを伝えたということが悪いこととは思っていなかった。保険をかけたとも思っていない。でも、それがいけないと言うなら、これから自分を戒める」

 

 ”いけないと言われたから”とか、”戒める” とかいうのは、自然な感情がありながら、私のせいでそれを抑えつけるということ。それは将来また溜まって私に対して爆発する原因となる。私が "悪いことだ” と言ったからしない、と明言する発想はおかしい。

 

コバンザメのヒレがくすぐったい

理屈では、都合のいいことを言う奴だと思う。

ほんとうに感覚が違う相手ならなおさら、切り捨てる方が簡単なことだ。

「悪いと思っていなかったことだが、いま悪いと言われたので、それを戒めると言っているだけだ。恋愛なんて大したことではない。そんな気持ちを戒めて生きるのは難しいことではない。サンファルと暮らすことと、他の女とうまくいくことは、違うことだ。自分があんなに理不尽なことを言った後なのに、自分のメールに最高の返しをしてきた時、ほんとうに悪かったと思った。自分にとって、こんなにセンスの合う人はいない。そんな人と、離れて暮らす理由が無い」

 

 良いように言えるものだ。外で発情して満たされなかった分をうちで発散していたと言われても仕方のないことをしちらかしていたのだが。

 レンアイカンジョーというと非常に堅苦しい定義にも聞こえてしまうけれど、そういうものが根底に微塵も持てないままなのに、創作に関してはこいつと一緒にいれば何かおもしろいことが体験できそうだ、という発想でついてこられるのは、腹にくっついたコバンザメの背びれでくすぐったいだけの足手まといでしかない。

 

だから、切り捨てるのはある意味、理屈の上では簡単なことなのだ。

今見つめたいと思っているのは、もうすこし違う角度から。

 

ほんとうの自分を垣間見たいだけなのだ。

切り捨てたいと思う衝動は、

・上のセリフを急に浴びせられての一時的な苛立ちに過ぎないだけなのか、

・外での発情をうちで処理しました、という点の生理的に気持ち悪い部分が許せないのか(それが一時的なもので時間が解決するもんなのか、体質的に無理なのか)

・人の過ちを一滴も許す気の無い冷徹さがまだ残っているがゆえの、揺るがない論理なのか(果たして、相手のその「発想」が「一時的な過ち」で済むのか)

・出ていくならさっさと出て行ってほしい、すっきりした正月を過ごしたい、ものを放置、溢れさす人間がいなくなれば、さぞすっきりできることだろうと本気で夢想する

 

悩んで引きずる気持ちは、

・この年末の、自分も特に多忙な今月中に、わさわさと出て行かせるのが煩わしくて、もう少し先延ばしで様子を見ようとしているだけなのか

・ほんとうに相手の宣言通り何かが変わることに1ミリでも期待したいところが強いのか。

 

そしてそれは

希望ゆえか、寂しさへの不安ゆえか。

 

その希望というのは、

今まですべての人間関係を「また失敗だった」と感じ続けてきた自分を終わらせることができるのではないか、という期待。

 

それと同時に抱える不安は、

その希望を持とうとしたばっかりに、もっと先になってやっぱりあんな発想の人間が変わるわけがなかったじゃないか、と結局傷を大きくすることになった自分にうんざりしてしまうのではないか、という不安。

 

希望に賭けたいと思う気持ちに、寂しさを避けたい下心が働いてはいないか。

 

ゆーりっぷちゅ

 チューリップ柄のスカーフを持っていた。とても幼い頃、幼稚園ぐらいか。

 持て余すほどに大きく感じた四角い布はつるりとしていて、2、3センチほどのオレンジの縁の中に、濃い色の絵の具をぼってり塗った筆のタッチで、びっしりと描かれたチューリップが咲いていた。他の花もあったのかもしれないけれど、もう覚えていない。

 それを襟元にどう巻いていたのか、巻いてもらっていたのか、あまり記憶に無いからきっと重要なことではなかったのだろう。むしろ、深い色合いの絵が大きな一面に描かれた布地という姿はしっかりと記憶に残っているから、広げて眺めることの方が多かったのかもしれない。今も一面に絵が描かれたような広い布地を見かけると、腰に巻くかシーツ代わりに布団に敷くか壁にかけるかという用途は後で考えるとしてつい買ってしまう「布好き」の自分の、原点の行為だったのかもしれない。

 

 とても幼い頃、「家出」という言葉を覚えてすぐのある日、「もう、いえでする!」と宣言した。テレビの近くで、両足で立っている姿だったと思う。何かとにかく、私は本気でプンプン怒っていて、両親は、そうか家出するのか、あははと笑っていた。

 うちは戦前からの旅館を簡易的にアパートに仕立て直したとても古い建物で、両親と弟と4人で暮らしている場所から廊下側に出ると、アパートの人たちのドアの前や共同の流しなどがあって、そこを通り過ぎて、さらに暗くて長い廊下を進んで曲がっていった先が、私のばあちゃんが暮らしている部屋だった。私はいつもばあちゃんのところで遊んでいた。私は、ばあちゃんのところに家出する、と宣言した。

 私は決意のもと、チューリップ柄のスカーフを風呂敷にして畳の上に広げて、タンスの自分の引き出しから着替えの服を何枚か畳んで、対角線上に置いた。一番上には、いちばん好きなピンク色の毛糸のベスト(「チョッキ」だな・・・)のような、袖なし前開きのセーターを置いた。前に並んでいるコロンと丸いボタンもピンク色だった。

 向かい合った角と角を結んでパンパンに四角くなったスカーフの包みを抱いて、親が見守る中、私はプンプンしたまま、ばあちゃんの部屋に家出した。

 

 その先は覚えていない。親もばあちゃんも笑っていたし、それは、おそらくは、ただの微笑ましい光景の一つとしての笑い話だったのだろう。数ある不愉快な記憶の中、その「家出」に関してはそれ以降の嫌な記憶も無いから、きっと暖かく包まれて終わった出来事だったのだと思う。

 

 ここで多分、こういう話は、思い起こせば愛されていたんだ的な?いつの日も一人ではなかった山口百恵秋桜』的な?子供の感情の方が常に浅はかで、親の愛の方が広くて深い的な?必殺、親になればわかる的な?まとめ方に収束していくから、「自分」の感情の方は不完全さゆえだったと気づくのがオトナだという予定調和の中での「良い話」への道筋ができ、「自分」というものが雲散霧消してしまうのだ。

 なぜか今朝、急にこの場面が久しぶりに思い出され、考えた。これをただの微笑ましい光景として終わらすのは、幼い私にとって失礼などころか、私自身にとってはあっちとこっちのパラレルワールドほどに話が違ってくる。

 たしかに私の両親は、社会的な極悪人でもなんでもなかった。だからこそ、それは逆に、いわゆる一般的な社会基準の中で善良に生きようとする、その善良さをわかろうとしない子供が社会的に不完全なのだという、世代を超えた負のサイクルを引き継がせてしまう集団的な罪を、無自覚に作り続ける人たちの一員であった。

 私は今も多くの人がそうであるように、その負のサイクルの中に結局は引き摺り込まれていたため、親が愛情を持って接してくれていたことを認めなければならない、と自分に言い聞かせようとばかりして、ずっと苦しいままでいた。

 それは、あの私の本気のプンプンした怒りが、認められていなかったからだ。怒りの感情はすでにあの幼い私の中に明確に存在していたのだということ、あんなに真剣に怒るほどに、逃げ場のない幼い私は、まだおぼつかない言葉の限りを駆使しながら、しっかり一人で考えようとしていたのだということを、オトナにとっての不完全な子供の感覚が引き起こした不完全な態度として私自身までが、なんとひどいことに、今までずっと、ぬぐい去ろうとしていた。

 あの時の確かにあった自分の感情を、いま自分で認める。

 ああやって怒りはうやむやに押しやられて流されているうち、掃き溜めにたまってゆく。成長の中で言葉を身につけ、時々その感情に至るプロセスから伝えて分かってもらおうと言葉を使うたびに、その言葉の持つ論理性は大人たちがなあなあで笑って眺めていられる許容範囲を超え、脅威となってしまい、お前は理屈ばかりで人間ができていない、と歪んだ角度から押さえつけられるようになり、親戚や外の人に向かって私の存在を嘆かれるようにまでなっていった。

 私は私で、ああまたか、とその言動の動機が見えてしまうから、もう言葉にもしなくなる。ただ諦める。いつからか私は、自分の人生自体が、諦めを感じる場所のように感じ続けていた。

 

 あのスカーフで家出した私の感情の出し方こそ、今の私が思い出すべき行動だ。

 イヤだからイヤだと言う。イヤだと感じた瞬間に、全身で怒った。そしてすぐ行動に移した。その件に関してその後のことを覚えていないのは、それなりにもうそこでスッキリしたからだ。

 家出した私は、何歳だったのだろう。4、5歳かな。自分にまとわりつくイヤな音としてサッちゃんと呼ばれていた長い時間は、まだ始まったばかりの頃。数少ない言葉で、意思疎通もままならない中よくがんばっていた。

 これからのわたくしの、行動指針とさせていただきます。

 あの感情を一人の人格から湧き出たものとしてまず認める。そうしたら、それを深刻なことと捉えることはできないまま流し続けた私の親の役割が、不完全な人間の愛すべき不完全な行為の一つとして見えてきた。

 そう。相手を認めなければ、と言い聞かすより、まず自分を認める。そうすれば、相手を認める意識は、その自然な副産物として降りて来るのだな。 

黒服と指輪ごっつ

猫背について振り返っていたのと前後して、

自分の黒服モンダイについてもあらためて考えた。

 

【後ろへ前進】

思えば1年前まで、私は黒ばっか着ていた。靴も。

油断すると、黒を買ってしまうのだった。

  

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  2018年12月。黒くないのは壁と床と猫の片方。

 

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2019年1月。白黒猫、黒ダチョウBAG、魔法使いのおばあさんと一体化。黒ゆえに。

 

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    2019年4月。正義の味方を守ってやってるところ。

 

それは強迫観念のなせる技だった。

自分はデカい、お尻も大きい、足もデカい、

白っぽい明るい膨張色なんて身につけられるハズもない、

だから締まって見える黒だ、カッコよくきめればいい。

というリクツとなる。

  

黒でやっぱり私の意識はどこか、隠れていたのだ。派手好きの忍者か。

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  正義の味方を守り切ったところ。

 

赤系の黒から緑系の黒まで、

無限の色数がある黒って楽しめるよねーとか

面白くなっていったりしたところもあるけれど、

ま、それは後付けのリクツだ。

  

【アクセも葉隠ツール】

同じ理由でアクセもごつごつデカかった。

目立たせて楽しみつつも、やはりどこか

人の目から自分を隠すための手段でもあった。

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重いネックレスたちを力強く捧げ持ってくれているのは、壁に釘で打ち込まれたアイアン。

 

学生の頃から、化粧はほとんどしないのに

イヤリングはやたら大きいのでユーメーだった。

 

顔の近くに大きいのじゃらじゃらつけてれば、

トカゲの尻尾みたいなもんで、視線を顔から逸らせるからね〜、と

冗談のように言っていたけれど、それは

けっこう本気の言い分なのだった。

 

指輪もデカいのを並べてつけていた。

手がデカい、指が太いから、華奢なのなんて似合うわけがない、

というこれまた強迫観念のもと、

ゴツゴツのシルバーを、両手の、人指し指と薬指に、とか。

 

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    指輪たちが重すぎて、この赤い手はよくひっくり返る。

 

思えば、アクセ、特に指輪は、

私にとって「外向き」のものだった。

 

帰宅するとまずもう無意識のうちに、指輪をはずす。

服は部屋着に着替えずそのまま

他のことをやっていたりすることもあるのに比べると、

指輪はほんっとに無意識のうちに取ってしまっていたし、

休みでうちにいる日はまっっったく着けない。

 

逆に、朝やたらとバタバタ急いでしまって

指輪を着けて出るのを忘れでもした日にゃあ、

もう、一日中落ち着かないのだった。

なんか、パジャマで人前に立っているかのように、気合が入らないというか。

身の処し方がわからない、というほどに。

戦闘モード用というか。

なんか、護符みたいな感覚すらあった。

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タイのカレン族のシルバーをわざわざ溶かして作られたこのシリーズは、完全なる護符。

揺れてアバラにゴツゴツ当たると、マジ痛い。

 

つまりとにかく、一見、人目をひくものを身につけることで

結局、人の目から自分を隠していたというリクツ。

 

隠れつつ、シャレこいていた。

ひっこみたがりの、超・攻めの姿勢とでもいうかしら。  

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   攻めとるなー。2019年3月。

 

何かと、リクツをつけるんだオレは。

自分のすべての動きに、理由を必要としていた。

そしてどんどん直感から遠のいてしまう。

後ろへ前進していたような。分裂。

 

【パターン崩し】

自分というカラダを隠してくれる黒は

家の外にいる間中の拠り所みたいになっていて、

服装の中に黒が入っていないなんて、ありえなかった。

 

それに気づいた去年の夏は、そのパターンを崩すべく、

黒を封印して、

私にとっての黒の対極、ベージュ!で行こうと決め、

サンファルフェミニン化プロジェクトが進んだのだった。

 

となると、本気で黒以外の服が無いので、ゼロから始めたお買い物。

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 2019年7月。ベージュを羽織っているだけでも画期的。

 

一つや二つ買っても、洗い替えが無い、という感じで始まった、

2019年夏(汗)。ベージュ元年。

 

「はじめは黒を少し残してもいいですから」

とはお店の方のアドバイス

ベージュに拒絶反応を起こさせぬための。

 

そうやってゲットしたベージュを羽織って

行きつけの美容室に行き、いきなり「フェミニンにして。」と言ったら

間髪入れず「なんかあったんですか?!」と尋ねられてしまった。

 

んで、あたしをフェミニンにする計画にそやつも巻き込んだりした。

「柔らかく風に揺れる感じですよ、フェミニンって」と

雑誌のモデルさんの写真を見せながら

フェミニン慣れしてない私にフェミニン具合を教えてくれたりもしたなぁ。

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  2019年9月。とうとうスカートも黒から解脱。

 

この頃に久しぶりに会った友達は、

私を見た時、口を開くよりも前に

「あ、黒くない・・・」

と思ったらしい。

 

しまいにゃ、完全に

フェミニンコスプレ↓

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 おほほほほほ・・・・2019年10月。

 

慣れってこわい。

オレって、すぐ加速する。

 

【肉体で、ハートを呼吸】

ハートとか喉とかを開く効果があるという呼吸法を、

最近は続けてみたりしていたところだ。

ハートを開け、とアカシックリーディングで

よくメッセージをもらうし。

 

「ハートを開く」なんていう表現は、なんか、

ぽやっと夢見るユメ子がキラキラつぶやく世界にいるようだが、

ちゃんとリアルに大事で、

世界は私と一つなのだという深い意識まで到達しないとつまりは始まらん

という心の面の話でもありつつ、

実際、「胸(心臓を囲んでいる胸郭)を開く」ことで心の硬さが溶けてゆく

という、肉体とも直結した話でもある。

 

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 このひとは、「ハートを、開くどころか、くわえて恍惚とする」。

 

肉体と感情というのは、ほんっとにつながっているからねー。

「呼吸」もまさにその機能ど真ん中なので、

せっせと呼吸法に励んでいるわけだ。

 

【肉体と感情】

まさに派手忍者パターンに気づいてそこから脱出しようとする

流れの中にあった、まるまる1年前の8月下旬、

人生初の断食をやってたのだけれど、

7日間のうち3日目の朝から脾臓が痛くなった

 

左のあばらの下あたり。

断食終わるまで、ずっと痛み続けた。

 

脾臓は、感情を溜め込む臓器なんだとよ。

断食で体のいろんな眠っていた機能が刺激され始めて、

言いたいことを長年言わずにいた肉体から

感情が排出され始めた痛みだったらしい。 

 

肉体と感情の直結具合の話でいくと、ヨガの本で読んだのだけど、

例えば、いわゆるブリッジをして

胸郭がぐっと広がることで、感情が急に表に出て

制御できず、泣き始める人もいるらし〜。

 

言いたいことを言えず、言っても通じず

形状記憶猫背を抱えて生きていた

私の猫背ばなしにも通ずるところだ。

 

【ハートオープン秒読み】

7月、8月頃にやってもらったアカシックリーディングでは、

やたらと「ハートを開く」がキーフレーズとして登場していた。

 

「親へのわだかまりが解けて、

もともと愛されていたんだと汁おっと、知ることになる」とか。

 

「何かそのきっかけになるようなことが起きる」

と読むアカシックリーダーもいたし、

まさに呼吸法などで

「ハートを開くことを積み重ねていく日々の中で気づく段階が来る」

と読んだリーダーもいた。

 

猫背ライフにさよならすることになってきた

最近の流れと気づきというものも、

まさに文字通りムネを開くという行為そのもの。

 

そういうことが見えていた、ということでもあるのだろうなぁ。

すごく、「流れ」の中にいる感じです。

 

【そして更に、パターンは崩れゆく】

リーディングの中には、

そもそも私には、自分が虚しさを感じると

「愛されていない」と解釈してしまうパターンを持っている、

という見方もあった。

 

そうか。

「愛されていない」のも「思い癖」に過ぎないのか。

 

愛されていないことだけは私の宇宙の大前提とすら感じていたが。

大前提であること自体が、思い癖の正体だからなぁ。

 

そこに気づかせていただけるなんて、

なんとありがたいことでしょう。

 

ぎしぎしに組まれていた積み木の一つを外すように

自分の作り上げたパターンを崩し始めたら、

おお、次から次へと、過去が崩れ去ってゆく。

もう止まらないぜ。

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  きっとこうして巡らす思考も、あれも、これも、一炊の夢よの。

 

sachi-de-saint-phalle.hatenablog.com

さよなら猫背ライフ

 

最近フラメンコとか習ってたりして。

いくつもの気づきやタイミングが合流して、するっと

始めるに至った経緯の話は、

また別の機会においとくことにして・・・

 

で、自分の猫背について考えておった。

レッスンで特にこの頃よく注意されるから。

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 わりと伸びた猫背。 

 

姿勢悪すぎて肩こりこりもいいとこだったずっと以前に比べると

自分の中ではかなりまともに戻って来ていたのだけれど、

やっぱ〜、何よりキリッ!と動いてシャキッ!と見せるメンコ踊りとしては

ぜーんぜん背中丸すぎますよ、という

よりよき姿勢のための、ありがたいご指摘。

 

で、あっほらまた姿勢、あっそうか・・・と

何度も何度もふっ、と肩と胸をそらすその度に、その感覚がどこか、

このところの自分の意識にあった、

生活の中もう一段階「次」に行きたい、でもどうやって?どこに?

という感覚に、すぽっ!と当てはまる感じがある。

ほんと、メンコ習い始めてよかったわー。

これもやはり、大きな流れの一つなのだとよくわかる。

 

【半生の彫刻】

私の猫背は、思えば、

この半生で辿ってきた時間そのものの形だ。

 

小さい頃からずっと

終わらない説教を聞かされ続けた姿勢。

気がつけば、背中と首がバキバキになっている。

 

他にも様々に背中を丸めた時間を、私は渡って来た。

勉強している時の姿勢、

大人のそばで、あるいは一人で、縫い物をする姿勢、

枕元の電気スタンドで日記書くやらラジオ聞くやら、一人の時間を作っている姿勢、

一緒に歩きながら、自分より背の低い人たちの声を聞き取るのに背をかがめた姿勢、

ムネのあたりの輪郭をウヤムヤにしておく姿勢・・・

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 猫背を肯定する猫。

 

そう。背中の問題は、表裏一体、胸の問題でもあったのだ。

 

【ムネ問題】

お年頃でムネが出てきたこと自体が恥ずかしかった。

ムネ問題は、大きい。ムネは大きくないが。

それは、小さい頃から親類親戚の中でも私だけずっと太っていたことと、

自分の女性性を極端に認めていなかったことという、

私の荒んだ心の二大巨穴に関わる。 

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  太っていた私と、女性性を否定する私。
 

そう。ムネが大きくないのは、遺伝的に、親類のオナゴ一同そろって、

なんだかな〜的な態度をとるしかないことだった。

血族の中で太っていたのは私だけなのに、

なんだかな〜の方は私も紛れることなく、立派な一員だった。

 

でも、じゃあ大きければ希望通りなのかというと、

そこがそう簡単にはいかないところで、

私にはそれは「太って見える」という

最もネガティブな発想と直結してしまうことでもあった。

 

豊かなムネがふくよかで女性的だとか、おぉ谷間がセクシ〜!とかいう

明るいポジティブな価値観の方向に、どこか、いききれない。

 

いや、こんな私もはじめはその方向だったというか、

世の中にはその方向しかないものとぐらいに思っていたというか、

あまりに自分のすべてに否定だらけだった過去としては、

”なんだかな〜” なおムネだから人生悲しいのだ、

とまで思ってみたりとかもしていた気がする。

それで、テレビで見たマッサージを「おっ★」と試してみたりとかな(笑)

 

でも、そーじゃないんだよなー、とムネの内ではわかっているから

べつにそんなベタな行動も続かないわけで、ただ、

自分のこのカラダにオッパイぼよ〜んとつけてみた場合の姿が

恥ずかしくて耐えられない、

という感覚。

我ながら、実にフクザツなオトメゴコロである。

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 花言葉は「オトメのオッパイ」。うそ。

 

ほんとうに、どれだけ振り返っても、

私はムネが存在していること自体というか、

オナゴである以上、胸部のあたりに何かあってしかるべきとされている部位

というものの(サイズとか、切除したとかに関係なく)存在自体を、

見て見ぬ振りするかのように

肩を内巻きにして、自分で自分を隠しながら

猫背を無意識に強化していたのだ。ほんにほんに。

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  猫背を肯定し続ける猫。 

 


【ムズムズ来ていた】

今9月ですけど、今年の始め頃からだったか、何か、

また次の段階へ変わるための自分内部のムズムズが始まっていた頃、

無性に感じるようになっていたのが

 ・肌に触れる部分は天然素材にしたい!

ということと、もうひとつ

 ・体の線の出る服を着たら、もっと自由になるんじゃないの?

という直感だった。

 

体の線が出るとはいっても、イケイケ方面とか全身タイツ方面とかじゃなく。

「線を敢えて隠す」というのと反対方向という意味で。

 

カラダの線かぁ〜・・・、カラダの線ねぇぇ〜・・・、っと

思っていたところでやがてコロナ引きこもり期となり、

新しい服を調達したわけでもないままに、

やってきたのが最近の猫背モンダイなのだった。

 

私の猫背は(”わたしのねこぜ” って・・・(笑))、

言いたいことを言えずウチにこもって、

体という自分そのものを隠したい意識を持ち続けているうち

出来上がってしまった、

形状記憶合金みたいなものだ。

形状記憶猫背。

 

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 猫背な猫好きンちの猫の背の向こうで猫背と書く猫のピンバッチ。

 

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 猫背記憶合金。

 

ムネはウヤムヤにするものだと

記憶してしまっていた背中を反らせて

ぐーっとムネを張り、

私のそのまんまが出てていいじゃんけ、と

体の線に沿った服を着よう。

 

それは、世の中から「隠れていた」自分を表に出して

本心そのままに、両手を広げて風に吹かれることなのだ。

 

そゆふうに思いながら、

まぁこれから新しい服を探そう、などとも思いながら、

 

とりあえずの外出にとりあえず今までの服を着て出かけ、

台風以来もう涼しくなっている風を感じながら

歩いていたら、

 

 

あー、

 

のびのびと

 

歩いているわたし。

 

風が

 

気持ちい〜・・・

 

いつだったかアジア雑貨屋で買った

メンズの直線的なぶかぶかゆるゆる長袖シャツと

古着屋で買ったストンとゆるいパンツに、

新しい季節の風が寄って来て、

 

今までと同じように布地の内側にあった肩やムネや脚の線を

ヒュ〜っと軽やかに探し当てて

わたしの体の一番外側に張り付けていった。

 

体の線を隠さない服とは、

自分を隠す必要の無い心で着る服。

風の吹くまま、吹かせておく姿。

 

さよなら、猫背ライフ。

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 「・・・・・・・・。」

 

  

 

【過去生メモ】過敏な御者の無表情

急に、なんだか過去生の情景が出てきた。

唐突な言い方ですけど。

心を落ち着け、アカシャとつながる呼吸などをしていたら。

 

こういうことは初めてだ。

メモっとこ φ(.. )メモメモ

 

【わたし、御者でした。】

馬車正面の、ちょっと左寄りに腰掛けて

ガタガタ揺られながら黙々と走らせている。

 

馬車は、なんていうのかしら、幌馬車じゃなくて、

もうすこしがっしり箱状になってる感じの。

ちょっと黒っぽく装飾のついた感じの。

中は密室、御者は外。という感じの。

 

三頭並んだ(その前に更に二頭かそれ以上いる感じもある)

芦毛の馬たちの尻を見ながら、

ほんの時々長いムチをただ触れる程度に打ち、

やたら冷たい風と、

駆ける馬たちの蹄が飛ばしてくる砂つぶや泥を顔や体に受けつつ。

 

それが肉体的に大変そうだと見る人もいるけれど、

そこには、さほど辛さは感じない。

 

働く時間が長いほど、一人で内面を見つめる時間が過ごせるので

実はこの仕事は性に合っている、と感じている西欧の男性。

痩せ型の。メガネの。帽子かぶって。

シューベルト肖像画みたいな顔。

18世紀終わりころのような気がする。

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シューベルトの絵を見ながら描きました。こんな顔。もすこし細身。画力及ばず。

 

妻子はいるけれど、べつに。

何を言われたわけでもないけれど、疎外感を持っている。

大事にしているのは、おじいちゃんからもらった小ぶりの懐中時計。

とても大事なもの。

ポケットの中で時計を触る、そこだけが今も続く

安心できるふれあいの場。

とてもすべらかな触り心地。

 

じいちゃんとは意思疎通ができていて、

その幼い頃の記憶だけが、リアルな人間関係と言ってもよい。

 

酒はそんなに飲まない。

暖かいお茶で体を温めて、それで終わり。

 

客は、自分より身分の高いやつらばっかで、

馬車の箱の中での話題は、なんとなくわかってしまう。

なんのシンパシーも感じない。

 

そいつらと一緒にいるときは、自分にも周囲はへこへこする。

一人になると、周囲はそうでなくなる。

なんとなく人の心が透けて見えてしまう。

「どうせ」に行き着く。

 

目的地まで客を送り届けると、

馬たちを休ませる専用の厩舎に預ける。

いつもその厩舎まで行くと、そこに暮らして

管理している家族の様子がちらりと見える。

粗末だが明るいピンクのドレスを着ている幼い女の子の姿とか。

それが何か羨ましい、自分では諦めている団欒の姿。

 

何も大きな悲劇は起きていないのに、

いつも、いつからかずっと、悲しい。

 

この感覚、現生の私と同じ意識だ。

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なんで今出てきたんだろう、この人が。

 

【無意識×無意識】

過去生を見ると、実にはっきり今の自分と同じパターンの部分が見える。 

今その過去生が出て来たのは、

今の私に必要なことに気づかせるためだ。

 

シューベルト似の彼は、無意識に感じ取っていたんだろう。

周囲の、その人たち自身も無意識なままの、心のヒダを。

無意識の狭間のヒダは、増幅してかぶさってくる。

 

【疎外感のカラクリ】

穏やかな空気の中にいると、ひっそり人一倍楽しい。

でもそこにいる人たちは自分ほど楽しそうなわけでもなくて、なんとなく拍子抜けしてしまう。

 

そのギャップは、やがて

この人たちには何かどこかに、自分といるよりもっと楽しいことがあるのだろう、

という疎外感になってゆく。

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この疎外感のカラクリは、彼の心の中を見つめていて得た

いちばんの収穫かもしれない。

 

なんで私は、友達と会ってしゃべっている間、

その話題や状況なんてべつに、

そこまで魅力的かと言われるとそうでもなかったりするのに、

その人たちの、私の思うある一定の間隔をもってまた次に会おうとしない感じが

こんなふうに一人勝手に寂しいのか。

 

しかも恐らくは、その人たちにしてみれば次にもまた会うつもりはあって、

でも次までの間隔が私の思うそれとは違う、という程度であるだけの可能性も高いのに、

そう理屈で考えても、

自分の中でもよくつきとめきれない茫漠とした感情は、いつもあった。

 

でも、なんか腑に落ちた。

人一倍ひっそりと嬉しかったのだ。

 

自分の感覚だけを眺めていては

我ながら照れるだけだったりするけれども、どうも

御者の感覚を通して客観的に見ると、そういうことらしい。

 

【無表情のしくみ】

シューベルト似は逆に、

周囲の空気に恐れのようなものが少しでも入ると

発信源の存在はわからないままに

その不快さゆえに、不安になるやらイラつくやらしてしまう。

 

結果的には、実際には何も起きていない何かに過敏になって、

ひとりで疲れてしまう。諦める。

気難しいと思われる。また諦める。

なんとなく自分が悪いのだろう、

というところにいきつく。

 

だから彼は、心を閉ざして感情の起伏をできるだけ無くし、

淡々と生きていたのだ。

シューベルト肖像画みたいに、表情を動かさず。

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シューベルトさんご本人(ウィキべディアより)


【察知能力:アリ】 

私もそうだ。

わかってしまっていたなー、

親の小さな正義感とか。狭い視野とか。

周囲の人たちの無意識部分の本質とか。

 

その人たちの愛すべきささやかな取り柄と、情けなく貧相な心配の核が。

だから見捨てるわけにもいかず、同時に、これ以上の居心地の悪さを知らない。

 

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彼らは、怖いだけだったのだ。

集団からはみ出してしまうことが。

それが我が子であれ、自分であれ。

 

彼らの奥底に沈んだ恐れは、

理屈だらけの言葉となって、

アンタのためにならないからそれはやめろとか

オマエのことが心配だから言ってるのにわからんのかとか

なんとかかんとか

ごりごり、ぐだぐだ、子供の領域を侵してくることになる。

 

【理解力:ナシ】

型で押したような理屈ゴリ押しの彼らは無意識だが、

それは実は屁理屈だ、というところまではわかっていたなぁ。

 

けれど、如何せん、

彼らの奥底を震源地とする「恐れ」を自分が感じ取っているという自覚が、

持ててないんだよ。

 

ごりごりぶつけられ続ける非難の言葉を聞き流す性格もなし、

彼らのキャパを理解してやれる心の広さも持ち合わせず、

味方もいない。

 

圧倒的な孤独の中で、

整合性を求めて全身でアタマを働かせ、

「この親は、私のことより自分たちのことの方が大事な人たちなのだ」

と解釈するようになった。

のだろう。

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ある意味、事実だったのだけれど。

実際にはふつうの親子として愛されていた部分までも、

そこで吹っ飛んでしまったのだろう。

 

 こうして

「愛されていない」私の宇宙の大前提はできあがってゆく。

 

【それもこれも、ブループリント】

つべこべ言うても、つまりは

矮小なキャパシティの人たちと近くに居合わせる

という体験の青写真を、生まれる前から決めて

選ぶ決意どおりに進んできてるのよなぁ〜、

私も。御者の彼も。

 

あ〜そのことを彼にも伝えることができたら、

彼の虚しさはもう少し軽いもので済んだかもしれない。

 

彼は芦毛の馬たちに、余計なムチをあてていない。

馬たちの感覚がわかっていたから、時々ふれる程度で

はじめから微調整ができていたのだ。

 

それも彼の敏感さゆえのことだったのに、それを長所だと感じる自覚もできず

過敏な不快感を避けて一人で生きた。

 

今、伝えてあげよう。

腹のなかでつながって。

 

そしたら私につながる彼の波長が少しだけ軽くなって、

きっとそれは、今の私をも軽くしてくれる。

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そんな感じの、過去生による良い気づきでした。

ありがとう、シューベルト似のわたし。

 

 

 

 

 

【おしえて!オラクル先生】ドラム野郎とサンファル(番外編)

 サンファルのお悩みをオラクルカード先生方がひもとくシリーズの番外編。

 サンファルとドラム野郎との間に流れる、考えたらほぼ無言のやりとりの時間が圧倒的に長い、そういう関係についての。

 

 番外編てゆうか、実は同じ質問でまだ尋ねてたぬぉ、7月編、8月編の間にも・・・っていう話だ(汗)。しかも、タロット先生に加えて、オラクルMap先生にも尋ねている。おみくじの大吉が出るまで、という夢を見たい意気込みすら持ててない精神状態だというのに。同じことを何度となく尋ねてすがり、そして、おんなじことを言って帰されているところを、ご覧ください。

 あとで画像の日付を見ると、ちょうど7月編と8月編の中間ぐらいのところ、2週間ぐらい経ったところで、尋ねているから、やっぱそのぐらいの期間が、煮詰まるまでの限界だったってことだな。

 なんかあるんだろうな、2週間っていう長さに。たしか、暗く沈んだ気持ちが2週間以上続くという条件が、鬱と診断される時の基準に入ってると聞いたことがあるような。以前しずみきっていた時も、10日間を過ぎると息が苦しくなって来て顔上げた、みたいな感覚があったしなー。ま、いいんですけど。

 

【また来ちゃいました】

 ひとつのお悩みが続き過ぎて、占いやアカシックリーディングなんかをする人のもとに、しょっちゅう同じ質問をしに来る人がいるとは聞くけれど、ほら、こんなにおんなじ答えしか出てこないでしょ?という説得としても、このページは使えるかもしれん。と思えるほどの、カードの重なり合いの妙。猫の尻もかぶさっとることだし。

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 猫の曲尾が隠しているのは、この時のスタート地点:the 不協和音(▼「カップ2」)(▼は”逆位置”ね)。そしてそれにも屈せず、やはりきっちり現状を秩序立てて捉えようと(「法王」)している今。

 そんなことをするからキツいのだ。それはいわば、7月編、8月編でも言われ続けている「あんまり深く考え過ぎないようにね〜」の正反対なわけだから。(質問以上の課題として深く考えよ、というポイントで登場なさる大アルカナだし。)

 そうやってゆく先、近未来はというと、出ました逆位置ワンド:▼「ワンド Knight」。やる気の空回りで周囲を振り回すやつ。8月編のドラム野郎を表しているカードと同じ。こういうことだ、カードのつながりの面白さというのは。

 この辺のことです。しょっちゅう同じお悩みを抱えて同じことを尋ねて来ても、「・・・ね?同じでしょ?」と言われているなあとわかる、自分を納得させる客観的材料となる、というポイント。

 

 その当のドラム野郎の位置には、▼「ペンタクルス1」。こだわり過ぎて、始めようとしているのに始められない。まさに。ほんとこれに尽きる。10年間。

 かたやサンファルの位置には「ペンタクルス Queen。これまでの積み重ねを現実的にどのように活かして行ったらいいのかしらん・・・と俯いて内側見つめて考えとる。内側見つめてばっかしぢゃ。(この女王様も、後でまた私が最もとりがちな行動をとった場合の「現状」として、再登場なさることになる。)

 

 アドバイスとしては、重荷背負い過ぎてますよー、自分の力でやれる範囲超えてますよー(「ワンド10」)、このままでは、結局どうしていいかわからん(▼「ワンド3」)って状況にしかならんよー、と。

 目も当てられん。そら猫の尻もどかぬはずぢゃ。

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【だからどうしたらいいんですか】

 と、フヌケのように尋ねるしか無い。アタマ働かないからね。

   ↓

 「悪魔」が言いました。「抜け出せない状況を、そうやって敢えて受け入れて楽しんでいなはれ。」三者から見ると、なんでそんなことで悩んでいるのさ、という状況らしい。ふん。っそーなのかよ・・・

 

 意識の持ち方としては、「はぁ〜〜もう苦しい、大変」て思ってればいいやん(「ペンタクルス5」)。べつに、なんか目に見える達成感的なもんとか、なーんも目指さんでいいから(▼「ワンド6」)、と。

 なんというかしら、もう誰も、がんばれとかポジティブなアドバイスなんてしてくれないのだ。

 

 そして自分の心が寒すぎるこのビンボーカード「ペンタクルス5」もまた、次でも出て来るんだ。私の「気持ち」として。すごいよなー、この駄目押し具合。78枚のフルデッキ、オールキャストでお送りしてるはずなのにねぇ。超売れっ子しかブッキングされない、ってぇ感じの重なりよう。

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 そしてまたもや大アルカナで突きつけられた「悪魔」による厳しい一言。抜け出せない状況を楽しんでいるのらしい、私は。これは、7月編でタロット先生に指摘された「好きでその試練受け入れてるんでしょが?」ということと、同じご指摘。これも大アルカナ。嗚呼、大ある哉。

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[7月の行動指針の中の、”落ち着きどころ”としてご登場の▼「吊るされた男」]

 

だから、どう尋ねても、

・自らそこにハマっているだけ(←大アルカナね。)

・それ以上努力しようは無いよ、考えるのやめたら?

というのがセットで伝えられるばかり。という感じだと気づく。今思えば。でもこの時はその程度にすら、引いて見ることなんてできてない。

 ・・・だから、また尋ねちゃうのです。単なるリピーター。 

 

【熱烈リピーター】

多少尋ね方を変えたところで、同じ本質には、同じ答えで返される。

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「自分の中の、3つの対応の仕方がぐるぐるしているのです、タロット先生。」と聞いてみた。

 

(1) 相手も傷ついてるのだろうから、と相手に合わせるのか(例えば、またスタジオに練習に行こうと言われたらそれに従う、とか)、

(2)いったんこれまでの本音をまたぶちまけるのか、

(3)いやもーお手上げっすなんも考えられないっす考えたくないっす(腕押しのれん)とクラゲのように漂っとくのか。

 

 矢印の出発点が、サンファルの現状。

 はい、再登場。心が寒いビンボーカード「ペンタクルス5」すなわち、「あ〜苦しい、身も心もさぶ〜・・・((´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`))」という気持ちを起点として、考えられる3つの場合それぞれの先がどうなるのか、っつーと・・・

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(1)気遣いは、繰り返しの元!

 相手も傷ついてるのだろうから、とか、常に怯えていたのだろうから、とか相手の気持ちを結局優先して考えてやってしまうのは、これまで私が人生で感じて来た全てのやりきれなさを呼び込んでしまうことにつながる。

 現実としてどのように相手の気持ちを汲んで慰めていくことができるかしらんと、俯くことばっかり続けている(「ペンタクルス Queen」)。これは、自分のイライラをちらしては、結局、相手のこれまでの態度を助長していくことになるだけ。作ってしまった役割の繰り返しというか。

 つまり、やる気はあるけどそれゆえにパタッと不機嫌に態度を変えたりするような、訳わからん振り回し(▼「ワンド Page」)を相手に繰り返させることになる、ということ。

 この問題、特にドラム野郎に関しては、やる気がストレートに勢いとして出せず空回りしたり周囲を振り回したりという状況を表す「▼ワンドのスート」(振り回し力が強い人々のカード)ばっかり。見事なリレー。

 

(2)内心ぶちまけるのも、もう古い!

 内心をぶちまけるというのも、建設的なつもりの一選択として何度となくやって来たことだけれど、そういう荒療治的な手放し方(「ソード10」)は、まぁやったはやったで、無いと思ってたものをちゃんと持っていたことに気づいて、新たな段階に行くには行けそうな(▼「カップ5」)。ある意味、(1)よりは望みも残ってはいる。

 でも、(1) で溜まって(2)で爆発して雨降って地固まらす、という方式を長年とってきているので、このパターン自体にサンファルは疲れているのだ。

 

(3) 新手の極意:何もしない! 

 その場合、今までやったことのない(3)が一気に浮上する。いや、もう疲れたので何の改善策も考えません、何の気を使うとか、何を繕うとか、そういう努力も一切いたしません、だって気が乗らないから。

 ・・・と、そういう態度でドタッとかまえとくのがいいのだろう、と実感としてやっと気づき始めていて(▼「月」)、そうやった先には、むしろキラッと希望は見える(「星」)ようだよ、と。

 そしてこの希望の「星」も、8月編の「近未来」で再登場することになるカードなのだ。絶望のズンドコおっとドン底にあって、希望を象徴するカードが再登場してくれると、ほんとに、浅く固まっていた息が、ふっ、と広がる。 

 

【”自分の内側を見つめる” とは・・・?】

 それが、まず相手の反応を気にするのでなく、本当の意味での「自分の内側(の感情の湧き出す原点の部分)を見つめる」ということなのでしょう。

 それが自分を中心に置くということの始まりであり、そこから次に自然と出て来る言動が、いわゆる「欲しいものを(当たり前のこととして)欲しいと言う」という、現実を引き寄せる宇宙へのオーダーでもある、ということなのだ。と思ひます。

 

 理屈ではわかるけれど、実に難しいんだほんとに私には。たぶん、多くの人にとっても、そう簡単なことではないんじゃないかなぁと思う。

 

 サンファルとドラム野郎との関係に限らず、たいていの人間関係の、なんらかのマイナス感情を生む場面というのは、そういう「パターン」をお互いが覚えてしまっているところであることが多いだろう。

 だからこそ、互いにはまり込んでいって、いやだーとか思いつつ実は慣れた状況の中にいつもの居場所を見つけて、安心しているのだ。ある意味、そういう方法でお互いの何かを確認しているのだろう、ヒートアップ具合から推測できるこっちへの真剣さとか。確認のしかたが、重すぎるな。

 だからなおさら、そのガチガチの関係の外側へ、自分の方から先に抜けていくことは難しいのだ。

 私にも本当に難しい。すべての人との関係において。でも、もっとも私にとって大事な点でこうまで繰り返されるのだから、やっぱり私がクリアすべきレッスンなのだろう。逆に、ここをクリアしさえすれば、私にはきっと、この関係以外の関係におけるレッスンなんて、ほぼ自動的に完了するに等しい。

 

 そう。私は、相手の感情を先に捉えてしまって、「悪気はないのだから」と「解釈」してしまう。あるいは、違和感を覚える言葉を突きつけられても「悪気はないはずだ」とか「この場でそんな理屈の通らないことを言うにはもっと私のわかっていない論理があるのだろう」と、つじつまを合わせてやろうとしてしまう。

 違和感を感じた自分の感覚の方に先に手を当てて ”手当てしてやる” べきなのに。それは後回しにして、相手を傷つけないことを最優先にするために、相手の言動への「解釈」を先にやってしまうのだ。

 

 悩み続けてしまった「ソリチュード論理式」シリーズも、全てその意識によるあぜ道、田んぼの畝みたいな、よろよろとした「相手優先」の発想から膨らんだものに過ぎない。

 あれは、シンプルに、優れたアカシックリーダーとして名を馳せているらしい人の限界に過ぎない。それまでの転生がどれだけ偉い人物だったか、どれだけ今世で人を愛しているかを周囲の人々が好意的に語っても、あの場面でのあの言動のまずさは、単にその人が肉体を持つ3次元世界での自称「人間らしさ」としての限界でしかない。

 それを、私は、自分以外の登場人物たちすべてに「悪気は無かったはずだ」と解釈してやるところから始めてしまう。だから同時にしわ寄せとして自分の中に生じる空しさの、扱い方がわからなくなっていくのだ。バカバカしい話じゃござんせんか。

 

 もう、やめるよ。好意的に解釈してやるなんてことは。

 

 さて、こんなにも難しいことなのだ、私には。そしておそらく、多くの人にも。ほんっとうの自分の奥底の感情を優先し、自分の感覚をまず大事にするということが。

 それこそが自分のハートを開くための原点だというのに。ハートが開ければ、もっとすんなりと、欲しいから欲しいと言え、嫌だから嫌だと言え、それによってコトはひどい方へは転がらない。はずだ。ひとりひとりがそうやれたら、それがマジのパラダイス。

 

 もう、オラクルMap先生とのやりとり紹介するのは、やめた。

 これがすべてだ。

 ほんと。これがすべて。

 

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【おしえて!オラクル先生】ドラム野郎とサンファル(2020年8月編)

 サンファルのお悩みを探るシリーズ。

 ここは、さっすがにサンファルほどではなかったわー自分の悩み具合は、と安堵してゆく人、いづこもおんなじだなーと共感を覚ゆる人、が袖すり合う場ともなっております。

 

【8月編】

 つらいつらい、何も変わらず相変わらずつらい、と思っていたから、ほらやっぱりつらい、と感じて捉えてしまっていたけれど、若干、変化も見える。

 なんか、画像も暗いな(汗)

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 大きく見ると、7月は、ホットな苛立ちの真っ最中であったので、まずそのイライラを認められ、8月になると、すこーしずつ憤りも鎮めて、まぁ、冷静に見つめてみ、と言われているような感じ。 

 まずはダイアグラムから。

【相手の気持ち、自分の気持ち】

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1過去:▼「ソード King」

 7月のダイアグラムの中で、サンファルを表していた「ソード King」。それが逆位置。

 そのサンファルの性質が蓋をされたイライラ状態から始まっている今月。この繋がり方が、見事なんだよなータロット先生って。

 

2現在:▼「ワンド1」

 やる気の空回り。始められない。どうスタートすればいいかわからない。

 

3近未来:「星」

 でも、ここがすごい。希望があるらしい。残ってるらしいんだよ、希望が。

 豊かな感性持ってるやん、って。まじか。

 

4キーカード:「隠者」

 そのためにも?自分の内側を見つめろ、と。

 

5ドラム野郎の気持ち:▼「ワンド Knight」

 やっぱり。やる気はあるのだけど、また出し方がわからず、周りを振り回す人。

 7月のときは、▼「ワンド Queen」だったが。どちらも、ワンドが逆位置で出て、周りを振り回す力、大。Knight の方がまだ振り回してはいるものの、本人が中心的にガチャガチャしとる、というふうに振り回す力はやや弱小化。それは私の方の気持ちの持ちようによるのかもしれない。

 

6サンファルの気持ち:「ペンタクルス2」

 変わりやすい状況の中、2つの選択肢を調和させないと・・・と思っているサンファル。揺れ動いているのだけど、この「ペンタクルス2」っていうカードには、深刻さは無いらしいんだよなー。むー・・・このへんが。私は表面的に深刻だと思っているだけということなんだろうか。こんなにキツいのに。

 

7最終予想:「ペンタクルス7」

 地道に積み重ねてゆけば?ということかな。

 動きたいけど時間かけないと、という葛藤もありつつ。

 まだ何が最もよいことか、定まってもいないのだから。と。

 

でも潜在的に希望はつながっていることだし、手探りしてゆきなはれ、というところか。

 

だからやはり、もう少し具体的にはどうしろと・・・?と尋ねたくなりますわな。

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8行動指針:「愚者」

 もう、あまり何も考えず。直感でいけ。ただ自由に。

 

9心構え:▼「皇帝」

 ひとりで、正しくまとめ上げようなどと、がんばろうとしなくてよいですよ、と。

 

10落ち着きどころ:「カップ King」

 慈愛たっぷりに、大きく受け止めてゆきなはれ。懐深く。

 

まじか。

 

【全体を眺める】

【大アルカナの位置】

<3近未来:「星」>

<4キーカード:「隠者」>

  f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200821000829j:plain    f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200821000905j:plain

 「まだ希望はあるよ」「だから内観せよ」と言われております。

 アカシックリーディングで「大きな諦めのエネルギーを感じる」と言われたと7月編の方で書いたけど、それと近い時期に受けたまた別の機会のリーディングで(交換で練習するから、けっこう頻繁に受けることがあるのです)、この話をしたわけでもないのに「ほかに可能性が無い、などと諦めないで」「あなたが思っている場面だけが全てではないから」と言われたことがあって、

 

 へ〜〜?!まじで?!?!(こんなに、もう打つ手はないと絶望してるところなのに?)

 

と驚嘆したことがあった。その部分のことかな。そして、それがやっぱり、全て自分の中にあるんだな。

 

<8行動指針:「愚者」>

<9心構え:▼「皇帝」>

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200821001104j:plain f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200821001125j:plain 

 でも、だ。でも、だから今までは、ここで、内観にリキ入れすぎていたわけだ。

 自分の世界は自分が作ってんだから、自分が感じてしまっている不快感は自分のネガティブが原因なんだ、という部屋ん中無菌状態目指す目標へと、苦しくなっていたわけです。

 いわば、7月の「ソード King」だよ。そして、8月の▼「ソード King」に逆戻り・・・

  f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200821001851j:plain ←→  f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200821001920j:plain

     [7月のオレ]                        [8月のオレ]

という、地上に生を受けた時点で全員が未熟である以上、当然、無間地獄のようなことになってくる。

 だからこその「考えるな」「ひとりでまとめようとせんでいい」という大アルカナ。

 

 手放せ、ちゅこっちゃ。

 

 手放すとは、私の場合、「悪い癖:相手はもっと傷ついているだろうから、と察して動いてしまうこと」を、やめることだろうな。これで疲れるわけだからな。

 ものすごく難しいことだ。ほんとうに。これがすべてに通ずる「遠慮」でもある。アカシックリーディングでも指摘されるところ。すべてに遠慮をしてしまっている。そして結果的には、その遠慮ゆえの言葉の曲げ方で変なふうに誤解されて伝わるやら、余計に自分の苛立ちを増すやら、とさらに傷つく方向に向かってしまう。

 それを、もうやめなはれ、疲れたやろ、というこっちゃ。手放せ、ぢゃ。

 

これで壊れるならすべて壊れればいい。

嗚呼、大ある哉。 

 

 7月に言われたとおり、自分で選んでるんだものな。

   f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200821004320j:plain

 こうして深く向き合っていくと、すこーしずつ心の皮がめくれてゆくのを、時々感じる気もする。

 あー・・・内省・イン・サマーですバイ。 

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【おしえて!オラクル先生】現状一望パノラマで見る、サンファルのお悩み

サンファルの「のたうちまわる現状」を、共に見てゆくシリーズ。

おそらくは、密かにのたうちまわってる人がこっそり一緒にのたうちまわるという、隠しテーマも、きっと底を流れている。

 

【今のパノラマ】

今のサンファルの精神状態はというと、「諦め」全開。ピーク。

 

これがサンファルの現状。ほんとにモロに現状一覧絵巻。

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オレンジで囲った「淑女」カードが、オレな。「淑女」な。
今のどうしようもないコトといえば、

 

 うちのドラムと合わせる術が、私にはもう無い


ということ。大袈裟でなく、私には人生の死活問題。

事情はすべて省くが、つらい。 

ドラム野郎(「紳士」のカード)は、ナニゲに右上の角に立っている。

四隅のカードは、この状況における重要なテーマを表す。

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「紳士」の他には「手紙」「鳥」「鍵」。

「手紙」は、しっかりと書いた封書とか、契約書などの書類、メールなんかも含む。

「鳥」は会話なども表すが、ネット上のツイートのことかも。

大きく見ると、それらがこの現状を紐解く「鍵」となる重要な情報をくれるのかもしれん。そのへんに希望をつなぐとして、もうすこし細かく現状を見てゆきます。

 

【ドラム周辺】

このドラム野郎「彼(紳士)」について。

本人のことを、というのではなく、あくまでオレ(淑女な。)の重要なテーマのカードとして、ナイティングという関係性をたどって詳しく見てみる。

 

・・・青い点線の2つの道。どっちも重い。

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2つのうちの1つ目は、「錨」「十字架」「ムチ」。

(このドラム男を占う時には、例外なくこの「十字架」がつきまとう。)

→背負っているもの(十字架)で口論、紛糾(ムチ)が絶えなかった。その記憶への固執イカリ)。またそれによる口論。というか、私にしたら、なんでそうなるの?と、もう口論する気力も尽き果て、なす術をなくしているという現状。

 

2つ目は、「山」「庭園」「騎手」。

てゆか、「紳士」自体が「錨(重くて動けない)」「鎌(ばっさり切り捨て、腐れ縁の解消)」「山(立ちはだかる問題)」という重たすぎるカードで詰将棋みたいに囲まれていやがる。

・・・ ┐(´д`)┌ヤレヤレ

 まとにかく、この「紳士」カードは、動かせない問題、課題(山)を抱えている。

 

 でも、だ。それを乗り越えると、利益をもたらしてくれる人々との交流が始まる、社交的デビューの場面(庭園)。その状況は、誰かがやって来てもたらしてくれる(騎手)らしい。

 しかも、それがこの状況を解く「鍵」にも続いている。

(「蛇」が近くにいるので、狡猾な人には注意しとかんといかんが。)

 

・・・そうか、こっちだ。重々しい山が立ちはだかって、出口など無いと絶望しかなかったこの夏。でも、ここを突破すれば、行けるってことか。天城越えか。

 

ならば、だ。

この「山」(目の前に立ちはだかる大問題、課題)の性質を、このカードが出ている位置(ハウス)から見てみるわよ。

  

【立ちはだかる問題点の性質】

「紳士」がいるハウスは、9→「花束」のハウス。

 つまり、オレの現状のパノラマの中に大きなテーマとして立っているこの「紳士」は、「花束(愛情)」の性質を帯びている、ということ。

  →やっぱこのドラム野郎は、「愛情」を持っておる。オレへのな。

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そして大問題「山」のハウスは、18→「犬」

  →これはまた、いつもドラム野郎を私との関係の中で占うときには、「ベストパートナー」「裏切ることのない忠誠心」「ソウルメイトのような純粋な友情、援助」といった相手として登場し続けていたカード。

 それについての大きな大きな問題・・・というか、それゆえ肥大してしまっているとも言える問題が立ちはだかっている、というわけなのだった。

 

【ダメ押し確認】 

それが証拠に、オレの過去・現在・未来は、こうだよ。

「淑女」のタテとヨコを、ご覧くだされ。

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オレの現在:黄色のタテ列。

今のオレと表裏一体、下にぴったりはりつく「雲(悩み、不安)」。その下には「道(選択)」。岐路に立って悩むオレさま。

 

オレが、アタマに「太陽」が輝いてるにも関わらず、「雲」つまり、悩んでるのが何についてなのかというと、

 

「雲」のハウス→22:「道」なんですねー。雲の真下の。

 

不安の要素を帯びた岐路。

具体的には、だからどうすんだよ、この関係。

一緒にやれないだろう、こんなんじゃ。

じゃあ一緒に暮らすのが無理になっていくのも時間の問題だ。

と、精魂尽き果てているオレ。他に方法を知らない。お手上げ状態。

 

そんなにまで「道」、つまり悩むことなのか、とお思いでしょう。

勝手にやりゃいいじゃん、と。これまでどおり一人でやりたいなら、やればいい。それだけじゃねぇかよ、と。

そのキツさをきちんと説明してくれてるのが、ルノルマン太郎。

 

この「道」のハウス→31:「太陽」なんだよ。しかもオレの頭上。

 

この道の選びようが、それだけ私の本質を輝かすためのテーマと絡んでいる、ということ。

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ほんとすごいよな、愚乱タブ郎。

 

横のオレンジの時系列を見ると、

オレの左側、すなわち今までのこととしては、けっこう(左から順に)愛情とか仕事とか約束とか、後ろ盾も受けつつ一応進んできたのだが、

 

オレの右側、すなわちこれからが、ものすごい前途多難感。

ドラム男にぴったりはりつく「山(大問題)」に向かって、「ムチ(口論)」「鎌( ばっさり切る、整理する)」と、「紳士」の抱える要素と入り乱れてゆくドツボ to the future。

 

あーーーー・・・・ 

 

【乗り越えた先に見えるもの】

 でも、それを乗り越えたらデビュー(庭園)だってよ(半笑い)。なんか知らんが、楽しいところに。

 

「庭園」のハウスは、27→「手紙」

 

 しかもここでは、手紙はon the corner。重要なテーマの一つ。希望をつなぐしかない、と言ってたのは、このへんのこと。

 

つまり、「山」を超えれば、だ。

越えれれば、だが。

そうすれば、

メールとか、あるいは人とのおしゃべり、SNSなど(”言葉”だよな。)で

もたらされた情報による展開とか、

契約につながるような社交の場や重要な人とのつながり

という、明るい方面につながる可能性も、あるにはある。

と見ることもできそうだ。

 

首の皮一枚の希望。

登るしかないのか。この山を。

 

【魂のほつれ髪】

 二人で音楽を生み出そうとすることに向き合いすぎて、口論にも疲れ果てて、疲弊し切っておる私。べつに、せんでもいことだからな。だーれにも、頼まれとらんわ。なんでこんなことで人生わずらってるんだ?

 最近アカシックリーディングしてもらったら「大きな”諦め”のエネルギーを感じる」とか「何度も何度も転生しては同じように傷ついて、疲れてしまっている」とか言われて、その通り過ぎて、もう脱力したところでもあった。


てゆか、「人生に疲れた」とは聞くことあるけど、「転生に疲れた」て・・・(もっと半笑い)

もう、オレの魂、ほつれ髪で片肘ついて手酌で酔いしれとるわ。 f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200818165637j:plain

 

タロットに尋ねても尋ねても、「今は何の成果も望まんでよし」「全部手放せ」とかいうアドバイスだらけ・・・(半笑い)

長くなりすぎるので、これは別ページ(↓)で見ることにしゅりゅ。
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 とにかく、その私にまだ言うか、という感じです。目の前に干からびた人参を吊るして、この立ちはだかる山を乗り越えれば、嬉しい未来が待っているよ、だなどと。

 そして、ここまで疲れ果てていても、ドライ人参から目をそらしてしまったら、お前が天城越えしなかっただけじゃないか、ということになるのでしょうか・・・・

 

 果たしてこれは、「鍵」の横にいる「蛇」のしわざなのか? 

 それとも、「木」のスピリチュアリティと「ハート」の愛に背中を押されながら駆けて来るメッセンジャー(「騎手」)からの、愛の呼びかけなのか?

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 闇の中にぼぅ・・・っと唯一灯る希望の光「庭園」を巡る、この逡巡。これも地球の上の体験の微分積分

 

 結局、見せつけられているのは、自分の意識が作り上げた世界。それはアタマではわかってるのだ。それについてはタロット7月・8月編でこねくり回すとして。

 今回は、ここまで。

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【おしえて!オラクル先生】ドラム野郎とサンファル(2020年7月編)

 サンファルのお悩みの現状をひもとくシリーズ。

 根底には、密かに悩んでる人が、こっそり自分と照らし合わせては、自分はここまでひどくないわと胸をなで下ろしながら帰ったり、同じ穴のムジナどうしと遠くから共感してくれたりするという、隠しテーマが流れている。

 

【世界を作ってるのは、誰】

 相手に気を使い続けてきたがゆえに、言葉がすぎたり、またその態度は何だよと言われて不本意ながらもそう感じさせたならとまず謝ったり、それはそれは何日もかけて心境を説明する長い長い長いメールを書いて送って出直したり。たりたり。

 

 それもこれも、「経験している世界は、自分の意識が作っている」っていうアタマがあったから。でも今は、そのこと自体が私の邪魔をしているのではないか、というところに至りつつある。

 

 意識つまり自分の内側が外に映し出されているというところに関しては、そうなんだろうと思ってはいるけれども、そのことで自分を言い聞かせようとしすぎてしまうと、

 

 「嫌な思いをしてしまうのは、結局、自分のせいだ」

   ↓

 「自分の内側のネガティブな部分を探して見つめて、早よ取り除こう!」

 

というふうに発想してしまいがち。でもそれは、

 

ハウスダストか体に良いわけないんだからと言って、

無理して家ん中ばっか掃除しすぎて無菌状態にしようとして

疲れてしまってる感じ?

 

いや、こんな掃除して体力消耗したかないんだよ、

と体を休めることで免疫あげる方が結果的には体に良いと気づき始めた

という感じ?

 

今までの私は、けっきょく自罰努力型。

典型的な奴隷体質。

 

【諦めの7月--2020年--】

 あまりに頼るもんが無く、7月にタロット先生に尋ねたのに、8月にも尋ねちまった。まずここは7月変おっと、7月編。

   f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200818170544j:plain

 相手と自分の二者それぞれの気持ちとか関わりを見るダイアグラム(左)と、じゃあそれでどうしていく?という、行動指針(右)を見たのさ。

 まずは左のダイアグラムから。

 

【相手の気持ち、自分の気持ち】

   f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200819055020j:plain

1過去:「力」

 まぁ、おれたち、やったるわ。おれたちならできるのよ! という力をみなぎらせていたのが始まりだった、というこのストーリーのスタート部分。そうだった。もう遠い昔。

 

2現在:▼「ソードPage」 (▼は逆位置ね)

 ところが今は、ドラム野郎は警戒心だらけ。もう、こいつピリピリしすぎて、わけわからん、近寄れない、という感じ。そう。私は心から、演奏している最中にまでそんな警戒心ピリピリでいるなんて、つらかろうに、と思うが。

 ドラム野郎は Page か Knight でよく出る。ここは己の未熟さゆえに警戒心過剰で行動する ▼Page で出てきて、やっぱり、という感じ。

 

3近い未来:▼「カップ7」

 だからこのままいったら、実際には起きてないことまであれこれ考えすぎて、とっちらかるよ、と。だろうな。

 目の前の相手がわけわからん、という状況が続いていくと、やがて頭の中は、不愉快さを避けようと先回りしてしまって、考えすぎ状態になる。

 もうだいぶこの未来にさしかかっとると言っても過言ではない。あの頃の未来に僕らは立っているのかな。

 

・・・そこで、出た、キーカード。

 

4キーカード:▼「審判」

 先送りしときなはれ。

 まぁ、でも大事なことに気づいていくためのことですよ、と。

 

5ドラム野郎の気持ち:▼「ワンド Queen

 やる気はあるが空回りで周りを振り回す。そう。

 

6サンファルの気持ち:「ソード King」

 冷静。思考と言葉で、きちきちっと手厳しい。他人より、自分に向けられた厳しさ。そう。

 そうです。この最悪な状況を、最悪に苦しんでしまう要素はここに現れている。自分のこととして捉えてしまう。だからうんざりなのだ。

 

 この自分に向けた虚しさは、常に私を背後から追いかけてくる。この虚しさに追いつかれて足を取られた人が、自殺っていう行為に至ってしまうのだろう、と、ずっと前から、そうねもう何十年間も、感じている。

 

 このすべての不完全な世界の原因は最終的には自分の中にある、てゆか、不完全な世界そのものが自分の内側の東映おっと投影なのだ、という大前提の中で、それでも、お前の不完全さをそこまでこっちに向けてくるか?という状況は、いろんなミクロなレベルで起き続けることだ。

 そこに対しては、それはおかしすぎるだろう、という自分の感情の存在を認めることにはしている。そのこと自体がまた虚しいわけだけど。

 言葉を選び選び、態度を選び選び、できるだけできるだけここまでは言わんようにしていたが、そんな振り回し方があるかよ、そこまで自分の「怯え」のフィルターでしょーもない攻撃をしてくるんなら、こっちにはいくらでも言いたいことはありますけど、という現状。

 

 すべて省くが。すべて省くよ。書いちゃ消し。消しちゃ書いたよ。ここに。

 

 最終的に書いて、最終的に消したさ。618文字。文字カウントしてみたさ(笑)。これに導入とまとめ部分つけたら、ほぼ大学入試の小論文ぐらいになっちまう文字数だよ。でも消したんだ結局、ソードのキング様が。こうやっていくことが、向き合うことでもある。

 そうやって、ソードのキングができる努力はし尽くした。こんな私の世界を作っているのは私だと聞いてから、それまでより穴があくほどずっとずっと自分に向き合ってきた。これでもか、これでもか、と自分の中に繰り返されるネガティブな要素を探しては向き合い続けてきた。

 

 疲れた。

 

7最終予想:▼「ペンタクルス King 」

 頑固で、他者とのコミュニケーションをしようとしなくて、ただのガチガチ。ですよと。

 もし自分たちの積み重ねてきたものを、ほんっっとに生かしきってゆければ吉。と捉えることもできなくはない、かもしれなくもない。かな。

 

【課題以上の課題を見る】

 大アルカナは、こちらが尋ねたくて尋ねているテーマ以上のことを考えさせてくださるカード様です。

 大アルカナ先生が出ているところを掘り下げる。2箇所あるよ。

 

<1過去:「力」>

 この物語のスタート時点の「志」的な部分。

    f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200819112034j:plain 

 サンファルの心とか、ドラムがサンファルの歌の核心的なところをポン!と感じ取れるタイプであったこととか、サンファルが一人でもがき苦しみながら歌っている要素を、おれのドラムが入ることでもうすこし人に広まる方に進む「聴きやすさ」が出るんじゃないか、という提案とか。

 そこにあったのは、精神力とか行動力とか勇気とか。それを表しているのが「力」。

 今振り返っても、これは何一つ、思い上がってもツケ上がっても間違ってもいない原点だ。

 

<4キーカード:▼「審判」>

 アドバイスのお言葉。

   f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200819112219j:plain

 そして、何かに気づいて再生していくために、いったん、ほっとくしかないよ。と。

 自分の内面を統合することによる再生が必要なのだ。

 でも解き放たれるための勢いが、今抑えられてるから、と。

 むしろ、気づく方向に進んでいるからこその混乱でもあるのだろう。

 だからこそ過去を引きずっている、まとまれない、とも言えるけど。

 (このへんのことは、手を替え品を替え、カード先生からのメッセージは続く。8月編でも。ルノルマンカードの方でも。8月にはまた別の方面から手放せとか、内面を見つめろとか言われ、ルノルマンでは、引きずりまくっている現状の重たさを表すカードが並んでいる。)

 

【だから、どうするのか】

ここまでのダイアグラムは、ほとんど現状確認みたいなもんだった。

こういう場合、私はデッキそのままに引き続き「行動指針」を見ることにしている。

   f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200819112427j:plain 

 正逆の位置に良いも悪いもない、とは言え、だな。やっぱ、ぱっと見の印象として、全部さかさまかい・・・┐(´д`)┌と感じる。だいたいこうなるんだ。気分的に落ち込んでいるときにタロット先生に頼ると。

 

1行動指針:▼「ペンタクルス10」

 私らいい感じのユニットだわね!っていうような行動は、せんでいいよ、と。

 

2心構え:▼「ペンタクルス7

 これまで色々がんばってきたし、ここでもうちょっとどうにか工夫して、なんとか・・・とか思わんでいいよ、と。

 

3落ち着きどころ:▼「吊られた男」

 自らその試練を受け入れてると気付きなされ。 

ですと。

 

【全体を見渡す】

大アルカナの位置はやはり、重要なチェックポイント。

あと、気になったのがペンタクルスの連続、King と Queen の乱れ愛。

   f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20200818170544j:plain

 

【大アルカナの位置】

志→(迷いへの)助言→最終的に目指すべきところ

大きい志で出会って何かやろうとしとるんだろ?

うまくいかんなら離れとれ。

その先に得るもんがあると信じて、敢えてその試練受け入れとるんだから。

と、おっしゃってます。

この苦しみを、やっぱり私は選んでいるのだ。

 

【ペンタクルスたち】

 ダイアグラムの「7最終予想」からの続きで「じゃあ、どうしたらいいの?」と尋ねた行動指針と心構え。この連続した3者すべてペンタクルス。

 これまで築き上げたもの、やってきたこと、時間、努力・・・の部分に、意識が向いているということかな。

 すべて逆位置で出ているのも、それへの警告というか注意の強調かもしれん。

「ペンタクルスKing」は「今までのことでガチガチにならんようにな」という警告を、「ペンタクルス10」「ペンタクルス7」は「今までの、とかそゆことは、いま気にすんな」というご助言を。

 そうなんだろう。

 

Queen & Kings】

 ドラム野郎の気持ちが▼Queen、サンファルの気持ちがKing。力のぶつかりあい。

だから最終予想も▼King なのかね。ガシャンガシャンと、甲冑のぶつかりあうような不協和音が聞こえる。

 

 まぁ、奴隷体質ゆえ、自分に鞭打って鞭打って鞭打って、

 

まだツラい

  

「まだ私のがんばりが足りないんだわ!

 ほら、世界は自分の意識でできてるんだから!

 さ、わ、笑って!(ぐぃ!)」

 

的に歯を食いしばって笑顔作ったりもしてきたわけですけど(面白くなくても、顔が笑ってると、脳が楽しいと感じ始める、とかいうからね。我ながら健気だよ)、力尽きて、荒療治だが、そこで力を抜くという選択肢が見えてきた、という感じかな。

 

つくづくどこまでいっても奴隷種族だな。

でも奴隷種族の裏切り者になるのよあたしは。

デビルマン的に。 

 ♪裏切り者の名を受けて、すべてを捨てて戦う男。

  ん?すべてを「かけて」戦う、だったか・・・・? 

 

 私は戦わんけど。とにかくそういう意識の出発点にそろそろ立ち始めたとはいえ、まだそう簡単にデビルマンにはなれない。重い夏、同じお悩みでタロット先生に尋ねた8月変おっと8月編は、こちら

  

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証拠は、ラーメン。

もう緊急事態じゃないですよ、という状況となった。

そのほんの翌日かな、金曜日、

まるで空気中にまだ漂うウイルスを洗い流すかのように、

ひさしぶりに、一日中けっこうな雨が続いた。

一向に止む気配もないままに夜になったが、

そんな時に限って、なんとなく

ラーメンが食べたくなった。

いや、あっという間にもうどうしても食べたくなってきた。

まだ店が開いてる可能性は低いけど、急に大きな食べたい衝動。

降りしきる雨が、なんだというんだ。

出かけた。

 

車道も歩道も、すごい水たまり。

水の中を歩いている様に湿り切った夜の空気。

なんでこうまでして、こんな夜にラーメン?

  

あっという間に裾から湿って重くなって来たGパンで

水たまりをびちゃびちゃ跨ぎながら

望み薄な暗いラーメン屋方面に歩きだしてわりとすぐ、

・・・あ・・・!

その明確な理由が急に浮かんだ。

 

そう。

私は東京とかに、特に自分のライブで何日か出かけていたりして、

博多に戻ってからなんとなくゆるっと外を歩いているような時に

ほぼ100パー間違いなくラーメン食べたい欲に襲われて、

そのままラーメン屋に向かう。

とんこつ・ザ・リラックス。

 

春からほとんど無かったほどにしとど降る雨の夜の、

不条理なラーメンそぞろ歩き。

そこには、

東京から博多に帰って来たそぞろ歩きと共通する精神状態があったんだな。

そうね。緊張がほどけた状態にあったのだな、私はその時。

そうね。緊張していたということなのだな、それまで私は。

 

なんと。気づいていなかった。

これまでの不穏な事態宣言下の自分が、緊張していたということに。

 

無批判にただただマスクが品薄だということに怯え続ける人や、

レジに並ぶ後ろの客に近すぎるだろもっと下がれと金切り声を上げてしまうおばさんや、

非国民と後ろ指を指されないように、居酒屋なんかに行くのはやめなきゃね

と言ってしまう良識人に、

静かに嫌悪感を抱いてはいたが、

大げさに揺れるのは良くないと表情も感情も変えず平静を保ち、

縮小せざるを得ない飲食店を応援し、

できるだけマスクをつけることは最小限にして、

しかしつける時には楽しんでいた。

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・・・のだが。

 

ラーメン欲の衝動で気づかされるとは。

己の中に潜んでいた緊張に。

我ながらおそるべし。博多っ子DNA。

 

けっきょくアテにしていた店を

何軒か回ったが、開いてなかった。

まぁおかげで入ったことのない餃子屋に惹かれて、入ってみた。

それはそれで良かった。

 

コワモテ揃いなのにすごく愛想の良い人ばかりの店の人たちが、

カウンターの中と外とで2、3人ずつ立ったまま

ジョブズとかアップルとかグーグルとか

中洲の中で助け合うとか意欲とかチラシ配るとかデキん子育ててくのは教育と一緒だとか

私たち客のすぐ近くで

なんかこれからの餃子屋を熱く語っている。

 

なかなか静かな夜明け感のある夜だった。

帰る頃には、小降りになっていたぜ。

ラーメン欲は、持ち越しですタイ!