桜桃忌

6月13日といえば桜桃忌。

太宰治の命日。

 

べつに太宰が好きだ

というほどの

思い入れがあるわけでもないけれど、

毎年、ちらっと思い浮かべる。

 

「桜桃忌」という

文字からくる

薄明るい黄色やピンクの

眩しい寂しさ。

 

 

中学生の時、

家の中でもらう少しのお年玉が

所持金のすべてだった頃、

 

きっと何かを求めて

ひとりでレコード店に行った。

 

永井龍雲という

おそらく名前だけで

並び立つシングル盤に目星をつけ、

自分に合う何かを

ごそごそ探したのだったと思う。

 

そして

ジャケットの

草にねそべる、虚ろな目をした

「いい感じ」の女性の絵と

「桜桃忌」という文字に

惹かれたのだろう。

 

アーティスト買いであり、

ジャケ買いであり、

タイトル買いでもある。

 

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その一枚のレコードだけを手にして、

きっといつもの

ぶすっとした顔で

私は家に戻ってきたのだろう。

 

ひとりで

薄暗い部屋の

小さいプレーヤーの前に座った私は

もう

今に続く世界にいる。

 

ちりちりと始まりの音がして

歪んだピアノの

イントロが始まって、

 

透き通る永井龍雲の声は

もの悲しく、

 

歌は

私の好きではない

6月の季節のことを

「襟元を吹く風が

 心地よく肌に馴染む」

と美しく描き始めたが、

 

私が持つ

夏の眩しさへの

居心地の悪さのようなものが

この歌の世界にはあって、

 

「思い出す 桜桃忌」

と歌ってからサビに行く

大人の歌詞の一行一行を

私は

何度も何度も聴いた。

 

 

「あなたは他の誰よりも

素直に生きていた」

「でもほんの少し先を

見つめすぎただけのこと」

 

繰り返すたたみ掛けが、

なんとも意味がわからないような、

それでいて

ずっとひとりでいる自分に

言われていると確信できるような、

重なり合った感覚のまま、

うつむいた目線の先の

絨毯の柄と一緒に

今も耳に残る。

 

何度も

針を元に戻して

繰り返し聴きながら、

 

「桜桃忌」の意味を知り、

「いい感じ」の絵の作者を知った。

 

あの環境の中で

ひとりで

知らない情報にたどり着いたのだから、

 

きっとうちに唯一あった

広辞苑か何かを抱え込んで

小さい文字を追って

調べたのだとしか思えない。

 

太宰治という大人のことや、

竹久夢二という絵描きのことは、

その時から

意識の中にはっきりと座った。

 

 

何月のことだったのか

まったく思い出せないけれど、

6月の眩しさを

虚しく感じる瞬間には

今も、瞬間的に

私の視界は

あのレコードプレーヤーの前に戻る。

 

自分から

今日は私のたんじょうびなんです〜と

申告しては

「おめでとう」をもらう人達を

私はいつも遠く感じる。

 

この湿り気に満ちた

薄曇りの空気の中、

自分が生まれたと言われている6月の、

自分が生まれたらしい日を

すこし過ぎた、この

桜桃忌の日には毎年、

 

今よりさらに

身を守る術も知らず

たったひとりで

自分の心を守っていた中学生の自分を

思い出す。