みなさんさようなら。

習い事をしているところでも、

チクワンの接種を受けた人の方が

多くなってきている。

 

換気しているとはいえ、

スタジオの中で

みんなして汗をかくわけだから、

その人たちの皮膚や息から

毒素が空気中に発散される場に

私もいなくてはいけない。

 

これは、被害妄想でもなんでもない。

ファ社等の治験をやっているところの報告書にも

書かれていること、彼らは知っていること。

 

(ネット上で一時は公開されていたらしいが

その後は知らん。

そういった指摘をしている人の

YouTubeチャンネルは次々に削除されている。

あるいは、別の手段で発信している。

 

きっと、

”気づく”人の増加につれて、

そういった内容も

書き換えたりしているのかもしれんが

もう確認したくもない。)

 

形だけのマスクを義務化され、

ノーマークの(マークしようの無い)皮膚と息から

毒素を振りまかれるところに

入れられておくしかないことの、

滑稽さと情けなさを

真剣に考え始めると、

こっちが人間をやめなければならない。

究極的には

やめればいいだけだが。

 

そういうこと自体をストレスに感じすぎて

自分の免疫を下げないことだけ、

いつも心に決めている。

 

全ての人は、その時その時で

ベストな選択をしている。

それだけであるはずだ。

そう考えることに抵抗がある場合には

言い聞かせてもいる。

 

 

きのうは、先生も含めて

レッスンの部屋にいた人の中で

接種を受けてないのは私だけ。

 

レッスン中に、自分の

筋肉注射の痕の状態に気づいた一人が

あー、打ったところが赤くなってるー

と始めると、

あー私もそうなりました、とか

私は蕁麻疹が翌日に出てそれで、という感じで

症状の情報交換が始まる。

 

熱を抑える薬は飲んでますか、

あーはいはい飲みました、とか

やっぱり今ちょっと動きすぎるとつらいです、とか

無理しないでくださいねー、とか

心優しい

いたわり合いへと続く。

 

私は、ただ黙ってそこにいる。

その個人個人に、

なんとか打たないことを

選択肢に入れられないか、と

拒絶感なく伝える方法を考えたこともあったし

スタジオ自体には、チクワンに関する

市民の中立的立場からの

勉強会の案内情報を

伝えたこともあった。

(無反応であった)

 

結果、健康体の人が自分の体を

どう扱うか

という個人の問題への過干渉という壁や、

あまりのチクワン盲信の浸透の速さで、

あれよあれよという間に

あの人もこの人もう確認したくもない。

すでに毒の製造機となっていた。

 

そんな状況の中で

結果としてひとり黙っている私に、

「打ちました?」と振られたので

 

「・・・打たない。」

 

とだけ言葉を発した。

すると、労わりあう人々は、

今度は口々に

 

「私も、打ちたくはなかったんですけど、仕事でね〜」

「そこですよねー」

「私も迷ったんですけどねー、職場で

 皆が打つって言うから流されて・・・」

 

この、目も当てられぬ

救いようの無い状況で

マスメディアの情報操作に流され、

周囲に流されていたとしても

せめて、

 

接種を受けたから安心だ!

これでもう私は、567にはかからない!

 

というぐらいの

(かからない、とか無いけど。

 そんなことはチクワンの機能ではない。

 打てば発症しなくなるだけだと

 厚生労働省のHPにも明言されている。)

流された者なりの

安堵感にぐらい

満たされていてほしかった。

 

せめて盲信ぐらいあれば

一瞬のプラシーボ効果くらいなら

期待できようものを。

 

流されるままに

自らの健康体に毒を打ち込んで

毒を製造する肉体となって

周囲の人間に毒を撒き散らすことを

選んだ判断にすら

責任をとることを避けている

という

その自覚もないらしい。

 

そのうちの一人が続けた。

「接種を受けた人は

5年後に死ぬっていうから、

 

あとはこのスタジオ

よろしくお願いします(笑)」

 

・・・・・。

みなさんさようなら。