思い直す。ということ。

思い直す。

 

私は同居人の感覚がわからず、戸惑った。

<詳しくは、というのもナニだが、

 2020年10月後半から12月前半の

 事情については、こちら(汗)

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311114104j:plain

(この秋冬はほぼずっと、自分の机の足元で寝袋に入って寝た。

在宅勤務で、仕事用のもんを色々持ち帰っていた私の領域。

ただでさえモノが多い中、ここにヨガマットとか敷いて冷気から逃れつつ。)

 

そこに至るまでの自分を見つめたプロセスと、

結論って無いよなー、という

途上の結論をメモっておく。

 

【つまり、私が変われと言われているのだ。】

散々といえば、散々。

自然な流れといえば、それまで。

体験したくて体験しているのだと思い直せば、

しみじみと、

今、この体験以外には、あり得ない。  

 

この半生、頭がごちゃごちゃになり尽くすことも

そりゃぁ多々あったものの、

ここまでの身近な存在が

こっちの次元を

こんなにまで捻じ曲げてくるような話は無かった。

 

それが今ふりかかって来たのは、やっぱり

それを今経験する必要があったのだろう。

私の次元を変えろ、と言われているのだろう。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311114542j:plain

(安ホテルを渡り歩いていた10月、11月。

見上げるとアンタ、空には鳳凰よ。)

 

【浮力ゼロ継続】 

キーッと怒り狂うような嫉妬のエネルギーが出るわけでもなく、

いやだー別れたくないだって好きなんだもん的な感情も無いので、

ただただ浮力ゼロ状態となってしまう。

 

ただ、私がもしも元々相手所有の住居に入り込んでいる

逆の身軽な立場だったとしたら、

もうメンドくさいしスッキリしたいしシラけたしで、

多分さっさと出て行ってしまっていただろうとは思う。

 

なかなか自分のマンションを売り払ってまで

今の生活を解消しようとするには腰が重かったというか、

そこまでする前にもう少し自分の中を見つめなおせよ、と

メンドくさがりゆえに「余地」を探す方に向いたというか、

そういう様々な

消去法による現状維持によって、

「これからのオレの態度を見て判断してもらうしかない」

という、なんとも冴えない言い分を

飲む結果となっていた、2020年12月。

 

けれどその後も、「オレ」氏は、職場の話題を出し続ける。

(職場というのが、つまりその、

 好きになってフラれた相手がいるところ。)

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311115233j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311114828j:plain

(人のいない部屋の中の静けさは、ほんとに

良いものなんだろうと思う。見れんけど。)
 

 

【NOやっぱりね!】

そんな12月のある日、一人でいた時に、

職場の話を続けられるその不愉快さが

どうにも流せないと感じたので、

感じたことに素直に動こうとすぐスマホを手に取り、

いったん職場の話題はやめてくれないか、

とメールしておいた。

 

一生その職場の話をするなとまでは言わない。

ほとぼりが冷めるまで、というやつだ。

でも、例えばだがこの同居人は、

「”いったん” とは聞いたが ”ほとぼりが冷めるまで” という言い方は聞いてない」

「話をすり替えた」

とか本気で言う発想の持ち主ではある。

 

けれど「これまでの経験」 からして、

相手の行動を「やっぱり・・・」と捉えていては、

こっちの記憶を上塗りしたフィルタで相手を見続けるばかりで

「これまで」から抜け出せんし。

 

そういう思いがもし湧いて出た時は、

意識的に否定するようにしている。

NOやっぱりね!

 

メールしたその日のうちに、

わかった、不快な思いをさせてすまん、

と返事が来た。

 

が、

 

その後も、職場の話題は続く。

どんな発想で続けているのだ?

もう自分の「いったん」が過ぎたのか、 

狙っていたカノジョの話題さえ出さなければよい、

と考えたのか、などなど。

 

今回のリクツは、後者であった。

 

【そこなんだけどね。】

件のブチ切れが起きる前の、2020年9月

同居人の誕生日。

仕事から帰ってきた相手に一応プレゼント

(けっこう、いいやつよ。)

(でもその頃にはもう同居人の癇癪のような

ピリピリ感もひどかったし、

こういうことするのも最後かな、と思いながら選んだ。)を渡してから

予約していた店に美味しいものを食べに出かけたが、

店に行く間にも、店についてからも、

止まらず続けるのは、その職場のコの素晴らしさの話であった。

 

で、「それ以外」の職場の話を続ける12月。

なんだかなー。

 

そうやって話題に出し続けていた人のことだけを

急にスッポリ切り取ったように抜かして話すことが

こちらにどういう印象を与えるのか、

ということはわからないらしい。

さすがは、甲斐性のない勝新太郎である。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311120045j:plain

(必然的に、寝袋のところで過ごすことの多くなった

うちの人たち。おっぱい丸出し。)

 

「職場のことは話しちゃいかんけど、今日ね・・・」と

いう前置きまで付けて話し始める態度に、

 

「話しちゃいかん」?

その、意に反して禁止されているからそれに従っているだけだ

という不敵な発言にも聞こえる前置き・・・

 

も流しつつ、 

「やっぱり」と捉えないようにしている私としては、

それでも敢えて今話題に出す必要のある話なのだろう、と

良きように解釈して、話を切らずにいた。

 

結果的にぜんぶ話を聞いていたことになるが、

そこまでして今それを話す必要があったのか、

と私には思われる、笑えない話でしかなかった。

 

それが二度続いて、恐ろしくなった。

本人は、

「たった二回しか話してない」と言い放った。

意味のある話だった、

オレもなんでも話しているわけじゃない、と。

 

そこなんだけどね。

【「浮気」できるのも、協同作業】

いつからこんな歪みにはまってしまっていたのか。

いや、その考え方自体が、幻想の上に立つもの。

買いかぶりだ。

始めから皆ズレている。同じはずはない。

その「程度」の問題なんだな。

 

そう思うと、

妻に浮気がバレないように裏でドタバタ画策してみたり、

バレて言い訳してみたり、

ついでに多目的トイレに隠れてやったりしている

夫という立場の人たちって、

なんかしっかり奥さんと同じ価値観の中にあるなぁ、

同じ大地に立って世界を共有してんなぁ、

と思うに至って、感慨深い。

「浮気」ってもんが成り立つのも、夫婦の協同作業ですらある気がしてくる。

こういうことに気が付けたのは、ほんとうに良い経験です。

 

 【年末の口論】

いわゆる年末や正月は、まったく断絶したままで過ごした。

何の年越しでも新年でもない。

しかも、せっかくの大事な節目を楽しく過ごせないのは

私が「小さいこと」で腹を立てているから、という理屈が

あちらにはある。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311120530j:plain

(弁天様にも詣らぬまま。)

 

そういった理屈で悪者にされることで

こっちが更に気分を害して傷つく

というパターンは、この人生、もうさすがに飽きた。

 

悪いのはそっちだ、という水掛け論に

水を掛け続けるような次元には

私はもういない。

 

そんなわけで、へこみもしない。

ただ、笑う気は起きない。

掃除をする気にもならない。

私が掃除しなければ、誰も掃除しない。綿ぼこり。

 

同居人が買い続けるコンビニ弁当のゴミ、ファストフードのゴミ、

酒の空き缶が急速に溜まっていく。

10月前半まで毎日磨いていたトイレは、

もはや公衆便所のような匂いがしている。

 

何の日でもない。

顔も合わさない。

 

ただ日が過ぎてゆくだけの。

ただ仕事が再開してゆくだけの。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311115745j:plain

(鼻炎持ちのこちらの熟女が陣取る寝袋の表面には、

 鼻水の跡がついてゆきます)

 

考え続けたり。

目の前の興味をネットで追ってみたり。

本を読んでみたり。で

一日一日が過ぎた。

 

一週間ぐらいか。

 

【自分の言葉 】

私はあの時、12月の、30日だったか、

晦日だったのか、もう覚えてもいないけれど

こっちの不快さを伝えてまた口論になった時、

 

別れることも考えているということを伝えた時、

 

言っている意味がわからない、と

買いことばで責めてくる相手に

とうとう、

 

人の気持ちを踏みにじっといて。

 

と口にした。

我ながら、此の期に及んで

薄っぺらいありきたりの言葉を使うものだ、と

言った直後に思った。

 

瞬間的に、いろんなことを考えた。

私に、わかりやすい歌詞が書けないのは、

わかりやすい歌詞を書こうともしないのは、

これを薄っぺらだと感じるからだ、とも思った。

 

怒っていること、不快を感じていることを

自覚してしっかり伝えるのは

意識的にやったことだけれど、

それにしても、婉曲的に言っている場合でもなく

ただその瞬間に口論のスピードの中で

不快感を吐き出したら、

結局はそういう薄っぺらさになった。

 

本心なのに、なんだこれは、と思った。

確かに、言葉にしてしまうと、踏みにじられたから

こうなってしまってるわけですけど。

 

それにしても、

 

踏みにじられたって言ってしまうのかー、私・・・とか、

単に相手にシラケてしまってるのだよなーつまり・・・とか、

シラケた中で

こっちの言い分は主張しとこうとしたから、

感情との間に距離ができたゆえの表現だったのかもしれんなー・・・とか。

 

地球上のある程度の部分では大きな区切り目だった時を挟んで、

時間を超越した気分になりながら

考え続けたのは、結局、

自分が瞬間的に吐いたその言葉のことだった。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311120713j:plain

(やっぱり私は、好きな場所にいると思う。

この落陽楼の夕景は、どんな精神状態で見ても美しい。)

 

【随伴者】

で、いつからか、なんとなく気がついた。

というか、ぼんやりと見えてきた。

 

その言葉を吐いた場面の、

多くはないのだけれどほんの一部分には、

お前のリクツより私の気持ちをまず優先せんか、

という

相手の行動への要求が入り混じっていた

ということ。

それを認めざるを得ないということ。

そこに多分、気がついた。

 

自分の不快を伝えただけ

だったつもりが、

相手の行動のほうに踏み込んで口出しする意識を、

織り交ぜてしまっていたんだな。

 

大まかに見れば浮力ゼロだと感じられたけれど、

微細なところまで言葉を追って見つめていたら、

ゼロではなく、負の感情で動いているところがあった

ということだなー。

 

これで今もし別れたら、

結局わたしは、

不快を捨てて快を取ったという理想的選択ではなく

生煮えの感情だけで

単に自分の生活までを振り回してしまうようなことを

しているだけ・・・

になるのではないか。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311120919j:plain

(なんで飽きんとかいな、夕陽って。)

 

この後、どういった選択をするにしても、

今この感情のままで別れるほうを選んでは、

これまでの自分と結局は何も変わらず

振り出しに戻らされる。

 

まだまだ自分の中に、相手のせいにしているだけで

見つめ直すべき不完全さが

てんこ盛りになっている。

長い時間一緒にすごす相手は、

それを炙り出してくれるありがたい随伴者だ。

 

腹が立つところがある限り、自分の方に何かある。

 

 

【思い直す。ということ。】 

それで、思い直した。

いや、そう簡単ではないから、

「思い直す方向を向くことにした」

というのが本当のところ。

 

徐々に。

 

一月はいく。二月はにげる。

 

2月12日の旧正月を祝うことにした。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311121444j:plain

(2021年2月12日撮影。)

 

部屋中、時間の許すところまで掃除して、

玄関も流して、飾り物もやっと去年のものを外し、

おせち的なものを買い出しに行って、乾杯した。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311121646j:plain

(2021年2月12日撮影。ほんとうに(笑))
 

旧正月というのは、

冬至を過ぎて二度目の新月

なんだってな。

 

以前から太陽暦の1月1日は気分的に

全然正月らしくないと思っていたけれど、

いざ本気で旧正月を目指してみると、

その節目というのは、ほんとうに体に馴染む感じがある。

陽の光の強さが、新しい年の始まりに合ってもいる。

 

【わしのコロナ年】 

こんなどうしようもないことがきっかけで、

初めて旧正月を実感することになった。

 

2020コロナ年は古い地球が脱皮していくための

激変の年だったとはいえ、

私はコロナ自体ではあんまり

意識の上での劇的な変化を感じてはいなかった。

 

けれど、私にとってのこの一連のことは

2020年だけでなく、それまでにずっと溜まってきていた

すべてのエネルギーの噴出以外の何物でもない

と思い起こすと、

これが私にとっての

コロナ年にふさわしい、必要な大激変だったのだと思う。

 

これは全然、話の「顛末」でもなんでもない。

途上にあって、今という一点からいったん振り返って、そう思う。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311121824j:plain 

(なんと正月らしい(笑)・・・2021年2月12日撮影。)

 

信じるもの、頼れる前提を持つことを許されず、

どうしようもなく

一人で進むことを見つめ、覚悟させられた挙句、

最も確実に実感できたことは、

太陽と月の間で浮かんでいる地球の呼吸であった。

 

というようなこと。

 

私が思い直したからといって、すべてが

そうさっさと大きく変わるわけではない。

 

日々意識しているのは、

いま体験している世界は自分の内側の投影である

ということ。これだけ。

 

そのことが120%リアルに実感できるようになる時が、

浮力ゼロによるゼロ感情でなく、

本当に重い感情から解放された「自由」と

すべてへの「感謝」の時。

 

なんじゃないのかぇ?

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20210311120337j:plain

(アタマ隠して、乳首隠さず。)

 

終。