喉は喉で。私は私で。

ヒーラーとかリーディングとかやっている方と

仲良くさしてもーてます。

 

その友人が、

ある、滝修行してる人に

(・・・すごい人間関係だな)

アンタもっと、軽やかにいきなはれ!

みたいなことを言った、

というか

熱を込めて訴えたらしい。

 

そしたら、その後、喉が痛い、って。 

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電話で話してたらしいけれど、

大声で喋り続ける酔っ払いだったわけでもなく

怒鳴り散らした喧嘩でもなく、

ちょっとやそっと

がんばって話したぐらいで

ふつう、

そーそー喉が痛いとこまでは

いかないでしょう。

 

つまり、

喉も、喉なりに、

感じてたんだと思うわー。

ほんとうに。

 

もっとこうしてほしい!

説得したい!という

我を出したからかな・・・

という自覚が

友人にはあるらしい。

 

だからきっと、

本当はそういうことは

言わなくていい状況を望んでいるのに

そうじゃない現実があることに

不快さや、

やりきれなさや、

苛立ちを覚えてしまう、

そのこと自体が

喉への負担になっているのだ。

 

人の体が

肺に、心臓に、肝臓に、

胆嚢に、脾臓に・・・と

内臓にいくつもの感情を

溜め込んでしまうように、

 

喉にも、私たちは

言いたくないことまで声にしてしまう

内側と外側とのギャップを

溜め込んでしまうのだろう。

 

友人の喉の痛みは、

ギャップによる軋みだ。

 

すべて、そういうことだと思うのだ。

 

気分的にウキウキしている時は、

歌いたくなるものだ。

声を体の外側に

響かせたくなるというか。

 

逆に、

歌を認めてほしい!

なんでわかってくれない!?

みたいな意識でライブやっても、

声がスコーンと出てなかったのは、

あったりまえぢゃ!

 

自分を自ら

バリアで覆っていた。

 

喉のチャクラが開くとか

活性化するとかもわかるけれど、

なんか、

喉そのものも

感じてハルねん、ぜったいに。

 

わたいは、あんさんの喉でっけど、

そゆこと声に出して、

ホンマにそれで、よろしんか?

みたいな。

 

チョーえせ関西弁が、

なぜかよく似合う。

 

私の場合、声にとどまらず

あるライブの時には

ピアノの音まで

こもってしまって、

最後の曲の

イントロを始めた瞬間、店長が、

PAが指示通りのことしてないのか!?と

慌ててPA卓の方を振り向いて、

(いや、指示通りにやっとるな)

あれ?なぜ?と

ステージの方に向き直った・・・

 

ということもあったぐらいだ。

そうね、その時は

ピアノまでもが、

ピアノなりに

私の出す「負」の気を感じて、

 

サンファルはん、

そんなネガティブボイスを

このわたいの音に乗せて

人に届ける気でおますのかいな?

かなんなー

気ぃ乗らんなー

えーかげんにせー

 

と、そう思うてたんだろう。

と思います。

 

本気で思うてます。

私は、もう、ぜったいに

あんな音も声も、出さない。

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