ソリチュード論理式:諦めがっかり具体例その1

 ゲリー・ボーネルという人がいる。地球上のすべてのことが記録されているアカシャにアクセスして「情報を得る」ということを、我々は皆「虫の知らせ」とかいうタイプのこととして、やれてはいるし、意識的にその感覚を鍛えれば、得られる情報はより明確になっていくようにはなるものらしい。私も始めたばかりの、練習中の身。

 この人は、アカシックリーディングと呼ばれるその技術に長けている人であったらしく、私はあまり詳しくはわかっていなかったのだけれど、人生すべてにおいてスッキリしたくて見つけて約一年前から通い続けて来た某イングスクールとはこの方の学校であって、結果的にこの人のいろんな教えを学ぶ一年となった。

 月1回か2回のスクールが、日本にいる時期と重なれば直接の講義もあったし、そうでないときには、スカイプでの講義、というのが恒例であった。講義とは言っても、通訳を介して、受講生の質問に答えるという場面も多かった。

 これは、そういった講義中の、私の質問と、それへの返答の記録。私が「敬意を払う」こと自体を諦めるしかないのか、と思うに至ったきっかけの大きな一つなので、ここでとりあげる。日本時間の午前10時から12時の2時間(この日は、2時間7分)のスカイプでの講義の中で、これに費やした時間は、1時間10分。このやりとりをお読みになって、あなたはどう思われるか。長いが、すべて載せます。

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以下、「さ」=サンファル、「げ」=ゲリー・ボーネル氏

さ:コロナウイルスのことを、アカシックリーディングの観点からお聞きしたいんですけど。

 「2020年の予言」(某イングが毎年行っているらしい。有料だが、期間限定の無料配信を最近見た)をなさった去年の10月の時点では、パンデミックについて予言できてなかったということですよね。

 

げ:2年前でした、予測したのは。<に、にね・・・>

 

さ:・・・この状況は予測されてないから、オリンピックがあるという前提でお話をされてたと思うんですが。

 

げ:同時に、行われないかもしれない、という可能性も話しました。オリンピックがありますか、という問いに対しては、それは見えません、と答えたはず。

 

さ:お孫さんがオリンピックに出る予定だから、そのかたと、そのお母さん二人の意識を通して見てるから、オリンピックの頃の東京の様子が見える、とおっしゃってたと思います。

 

げ:アカシックレコードの情報を見る時には、関わる人(マインド)が1人の時には読みやすい。関わる人が増えるほど、ぼやけていく。個人の情報はかなり正確に読めるが、東京などの「街」はどうか、となると難しい。<これは、アカシックリーディングの大前提とされることとして、私も既に聞かされている>

 孫は、今もオリンピックチームと一緒にトレーニングを受けている。まだ2020年にオリンピックがあればいいと思って、トレーニングをしている。でも結局、2021年までの彼女の競技というのは、すべてキャンセルされている。

 彼女ひとりの意識を通してはオリンピックの延期は予言できない。延期を決めるのは、彼女だけでなく、多くのひとの協議をとおして決まるからだ。<そりゃそうだろうが、もう既に論点がずれ始めている>

 

さ:ゲリーさんには、いつ頃、何が見えていたのか、お聞きしたいです。

 

げ;人造のウイルスによるパンデミックが起きるということは、数年間予言している。中国からスタートして、人造のウイルスだと言ってきた。それ以上のことが、あとどれだけ言えたというのか。

 

さ:それは、どういう意味ですか?

 

げ:屋根のてっぺんからパンデミックが起きるぞ、と叫び続けたほうがいいのか。それとも、他のテーマに移って話したほうがいいのか。

 「2020年の予言」の夜は、ほとんどが、来たひとの質問に答える、という形だった。<まぁ、その形式はわかるけれど、2020年のオリンピック期間中の東京のことをあんなふうに語るのは、別のモンダイだと思うけどなぁ。東京のことは見えない、と言っとけばよかっただろうに。>

 

さ:アカシックリーディングの能力をどのように世界、社会に役立てるか、について知りたかったんです。

 屋根の上で叫び続けるかどうかは、皆迷うところだと思うけれど、何か具体的に伝えるということは、なかったということですか?

 たとえば、1月になって、そういう情報を受け取っていたとしたら、なぜ伝えなかったのか、ということ。

 

げ:その情報を聞きたい人、耳を傾けている人に対しては、私はその情報をシェアする。

 

さ:ということは・・・たとえば1月の某イングの授業(スカイプでの講義)の時に、私たちがもし何かを尋ねていれば、それについて何かを伝えてくださっていた、ということですかね。「何かこの先、とんでもないことが起きますか?」「パンデミックが起きますか?」とか質問されていたら、「マスク買っといたほうがいいよ」とか教えてくれていた、ということかなー・・・

 

げ:そういう時に、私はまず、日本人の集合意識とつながる。ウイルスに関して、日本人の集合意識がどうなっているか、ということにまずアクセスする。知りたいですか?

 

さ:こんなに大変なことになる前に、ひどいことが起きるよ、と教えることは、有益なのではないか、と思うんですけど。全員ではないかもしれないけれど、某イングの人たちは、ゲリーさんに見えているものは受け入れる準備ができている人たちなのではないのかな、と思う。

 

げ:いいえ。あなたが今言ったことはちがう。いつ、マスクをつけ始めたか?<自分を慕って、信じて、集まって来ているはずの自分の学校の関係者をも、「私の言葉を信じない人たち」と言い切ったことになる>

 

さ:・・・これ(ネコの覆面マスク!)は最近買いました。

 

げ:そうじゃなくて。ふつうにマスクをつけ始めたのはいつですか

 

さ:最近です。<そうじゃなくて、って・・・マジやんこいつ。私はこの人がいつも言う "笑いが大事、ユーモア" を重視して、こんな変な猫のマスクつけて授業受けてるというのに>

 

げ:2月にマスクをつけ始めなきゃいけなかったんです。

 でも、日本の政府と、日本人の集合意識は、これは中国のもの、韓国のものであって、日本にはやってこないだろう、それが日本人の集合意識だったんです。

 

さ:(だからパンデミックの警告をしなかった、って理由になるほどの)「集合意識」っていう・・・のは・・・・なんですか

 

げ:Oh,God,,,(失笑)・・・なんで、こんな時間つかってそんなことを聞きたいの

 

さ:火事が起きていて、一番に気づいた人は、「火事だー!」って言うと思うんです、周りの人たちに知らせるために。だから、私は、アカシックリーディングの能力を決意をもって世界のために、人々のために役立てる意識があったら、「火事だー」と言うのと同じこととして、ほかの人より先に気がついたゲリーさんが、「マスクつけ始めた方がいいですよ、2月の段階で」と言うのは、何も集合意識に反することではない、と考えるんですけど・・・

 

げ:私は2月にエジプトのツアーを予定していたが、コロナウイルスのせいでキャンセルした。私自身もぜったい病気にはなれなかったし、ツアーの人たちもウイルスにかからせたくなかった。そういう意味では、それに関わっている人たちを救った。

 ナイルツアーに参加した人たちは、コロナにかかって、そのうち何人かは亡くなっている。

 たとえば地震について、異常気象について何か言うと、どうしてそうやって人心を惑わすのか、とたくさんのメールをもらいます。

 メインドクターは、ともかく家に居てください、自粛してくださいと言ったがゆえに、周りから攻撃された。(ゲリーの主治医が、という意味なのか?)

 あなたの言うことは聞いてるし、批判も受け入れている、それはノープロブレムです。<批判ではないのだが。もうこの後もずっと「批判」としてしか捉えていない>

 おそらく、僕に見えている未来のすべてをあなたに話したら、あなたは自殺するでしょう。これからの20年というのはひどい。

 

さ:変えられないことは知ってもどうしようもないと思うけれど、知ることで変えていける未来があるから、「予言」をなさってるわけですよね。

 

げ:そのとおり。ウイルスは変えることはできないものだった。専門家たちにも。これは人造的な生物兵器だからだ。<うーん、ウイルスのことと捉えるのはおかしい。私はウイルスを取り巻く「ヒトの意識、行動」のことを言っている、「変えられる」ことというのは。

 「変えられない出来事でも、”どう反応するか” を変えることで、結果は変わっていく」。これもアカシックリーディングの大前提として教わることだし、リーディングを行う前にはクライアントに必ず聞かせる説明事項でもあること。従って、ここでゲリーが「変えられない=ウイルス」としか捉えないのは、アカシックリーディングを教えている人間として、とんだ思い込みによる勘違いとしか言いようがない。>

 

さ:だからこそ、パンデミックになった後で、ゲリーさんがいろいろ教えてくださってますよね、ゴムの手袋をした方がいい、とか、うがいの方法とか。

 だからそれを、日本全体にじゃなくても、「知る」ことで・・・・「はやりそうだから2月、1月の段階から、絶対に手を洗っておきなさい!」と私たちに言ってくださっていたら、今わたしたちは既に知らずに保菌者となって広げているかもしれない、そのおかげで罹患しているかもしれない人たちは、かからなくても済んでいたんじゃないかな、と思うんです。

 

げ:まったく、まちがっています。私たちの習慣、癖というのは、ほんとうに変えるのが難しい。あなたに、顔に触らないでくださいと言ったとします、できますか?

 

さ:じゃあ、その、アカシックリーディングというのは・・・

 

げ:No, just say, just say YES or NO。イエスかノーかだけ答えてみてください。

 

さ:(その理屈にYESと答えてもNOと答えても、あなたの次にとる態度はもう決まっとるじゃないか)うーん・・・

 

げ:そうでしょう。あなたがほんとうに怖いと思うまでは、今までの習慣はかえられないでしょう。

 私の娘だって、孫たちの大学の春休みに、慣例の行事には孫たちを行かせないで、と言ったのだが、娘は言うことを聞かないで、子供達をその春休みの行事に参加させて、皆ウイルスにかかってしまった。

 基本的に人間というのは、習慣に縛られている。ほんとうに女神が目の前に現れて何か言わない限りは、変われない。

 12年前にアメリカ政府は、今の状況が来ると警告して(されて?)いた。日本の政府も同じ。でも両方の政府ともそれに関しては何もやらなかった。そして皆それに対して何も準備しない、できてないから、こういうひどい状態になった

 

さ:政府が言ったとかどうかではなく、私がお聞きしたいのは、ゲリーさんのアカシックリーディング能力を信じてる人たちに、ゲリーさんがすごく積極的に訴えかけるということをなさったとしたら、その姿を見て、「あ、ほんとに来るんだなパンデミックが。」と信じる一部分はできて来るんじゃないかと思うんだけれど、政府が言ってたけどみんな聞かないから、というふうに考えられるということは、アカシックリーディングの能力は、何に使うものなのでしょうか?人々の役に立てない?立てようと考えないほうがいい?

 社会のために、自分の利益だけでなく、つまり、人の資源になるために、どのようにお使いになる、ということなんですか?

 

げ:2年前に、私は中国から生物兵器が溢れ出すと言った。それを聞いた日本人もアメリカ人も、そういうことがあるのか、という程度でそれは脇に置いた。<だから、いつ頃から何が見えてきたのか、見えてきてからどうしたのか、を問うているのに「2年前に言った」とばかり。>

 これから、あまりお話ししていない話をします。ゆりこ(通訳、講師)と僕は共通の友人がいる、日本政府の人。その人は、TEPCOのリーダーと友達だった。アカシックレコードを読むと、さらなる地震が来て、残された原子力発電所の、残された部分がさらに壊れてしまって、太平洋全体が死ぬ、という情報が見えた。

 そして私たちは友達である政府の人と話をしてともかく力(influence)を使って、炉心を取り外してほしい、と話した。

 最終的には、東電を説得して、残された炉心を取り除くことができた。炉心をとってくれた人の1人は、そのために亡くなっている。

 日本政府が何を始めたのか、想像してみてください。放射能に汚染された水を、太平洋に流し始めた。それは、炉心がもう一度水に晒されると同じ悪影響を与えるだろう。だから、そういう悲劇が起きるよ、と言って、それをとりのぞこうとしたにも関わらず、日本政府はまた同じ悲劇を作ろうとしている。

 だから、あなたは、僕に(これ以上)何をしろと期待するのですか。

<そんな感情的な理屈を急に出してこられても、そゆこと知らんから聞いてるのであって。>

 

さ:今の東電の方々に働きかけてくださったというのは、ほんとうに、ありがとうございます、と思いました。それがまさに、私が、そういうことはなさらないのかな、と、アカシックリーディングをつかって・・・

 ↑

<この私のコメント部分は訳されないうちに、次をかぶせて>

げ:OK, I’m gonna talk directly to you for a moment, not everybody else, just you. (ほかの人はおいといて、あなただけとお話しする。)<通訳の人も、ここまでの私のセリフを訳しておくべきだと思う>

 In the future, you will die of a…of a… version of radio active poisoning. (あなたは、未来に、放射能汚染の影響を受けて死にます。)Because you won’t change your habits. You won’t give up SUSHI, you won’t give up deep sea fish, you won’t give up your habits, so YOU<こっちを指差して> are gonna die from radio active poisoning.(それは、あなたが習慣を変えないからです、寿司を食べるのをやめない、深海魚を食べるのをやめない、あなたはあなたの習慣をやめないから、放射能の影響で死ぬんです

<職権乱用。能力の誤用。これが、私の質問への答え。>

 

さ:私は、ゲリーさんが、今、なんてゆーんだろ、私がゲリーさんを、なんかもっとちゃんとしなさいよって文句を言ってるように捉えてらっしゃるなぁと感じるんですけど、そうじゃなくって、アカシックリーディングの・・・

 

げ:No, I feel that you’re not able to understand the complexity of what goes on and collective mind, that’s what I believe, and, AND, you’re SO INTO what you’re thinking about it, that you can’t hear what’s been said.

(いや、あなたは起きていることと集合意識がいかに複雑かということをわかっていない、そして、自分の信じていることを言おうとしているだけで、言われてることを聞いていない

 

さ:私は ”私の信じていることを言おうとしているだけ” なのではなく、私に見えたポイントポイント、予言の半年前には見えてなかったんだな、とか3月の段階では手を洗いなさいと言われたとかの、その間はどのように見えていたのかな、その時に、みんなアカシックリーディングの能力を、私たちも練習しているわけなので、みんなが磨いていく能力を、どんなふうに使われているのかを知りたくて、お尋ねしているんです。

 

げ:もしあなたが未来を見て、インフルエンザのような病気が見えたとする。そして、もしあなたが未来に完全に、直接リーディングをして、その病気にかかる人を直接リーディングしない限りは、その人がインフルエンザなのか、それに似たようなウイルスなのか、見分けがつかない。だから「2020年の予言」をした夜に、聴衆の人が手を上げて「私はそのウイルスにかかりますか」と尋ねていたら、その人の個人的なアカシャに入って、イエスとかノーとかを答えることができました。<だから、個人的なこととして見てなかったから、このパンデミックは間近になってもいつ爆発的に広がるかはわからなかった、ということになのだろう。そう答えてくれる方が、何が読めて何がどう読めないのかのとても良い体験談となるのに。私の質問を、単なる個人攻撃としか捉えていない。>

 でも、このウイルスはほかのウイルスに酷似した状態に開発されているので、ほかのウイルスと区別がつきにくいんです。

 これで説明の助けになりましたか?<ならねーよ>

 

さ:・・・だから、「尋ねられたら答える」という、、、、

 以前、アカシックリーディングの読み方として、尋ねられていないことを勝手に教えるのはルール違反、倫理違反だと(講義でも聞いた)。

 でも、ゲリーさんがおっしゃっていたことで、その人が深刻な病気になるとがわかっている場合、話題を振ることはある、「健康面はどうですか?」と。それでもその人が「いや、お金の方が気になる」と言ったら、もうそのことは言わないよ、と。

(訳者:だから、それを振った方がよかったんじゃないかっていうこと?)

 だから、やってないことを責めてるとかじゃなくて、アカシックリーディング能力をどのような範囲に、どう役立てることになるのか、の、範囲を知りたいわけです。

 

げ:古くから、アカシックレコードというのは、人々に明晰性をもたらす、ということが目的。私は50年以上、個人にアカシックレコードリーディングをしてきた。そして、そこで2つの真理を見つけた。人々は、未来への好奇心は持つけれど、それは今起きてるわけではないから、それに対して何もしないんだ、ということ。

 ある人は、28年間知っている人。結婚しようと思っているんだ、その人の名前を言って、その人は僕にピッタリ合っているひとですか?と尋ねるから、アカシックを読んで、その人と結婚すると不幸になるよ、と言った、2人ぐらい子供はできるけれど、ずっと不幸な生活を送ることになるよ、と。そしてその人はどうしたと思う?その人と結婚した。自分のした選択で悲惨な目にあって、文句を言っている。

 結局、あなたはほかの人を助けることはできない。その本人が自らを喜んで助けようとしない限りは。だからアカシックリーディングというのはシンプルに明晰性を与える、伝えるだけです。<そこは、わかる。だからと言って、何も言わないの?って聞いてるのだが。>

 日本人の2人のクライエントがいる。そのうち1人は、東京からロンドンに引っ越した人で、3日前にメールが来た。あなたがパンデミックが来ると言ってくれていたおかげで、ニュースが来た途端に、やるべき準備を全部した、ありがとう、と。

 もう1人は、パーフェクトな英語を話す人だけれど、「確かにパンデミックのことは聞いてたけど、名前も教えてくれなかったし、今度のがそうだとは思わなかったよ、どうしてもっと詳しく教えてくれなかったの?」と。

 同じ情報で、これだけの差。自分が自分で救おうと思う人じゃないと、あなたは人を救えない。<だから、そこは、わかる。>

 

 アカシックリーダーになってあなたがほんとうにフラストレーションがたまることは、けっきょく、人々は、過去生で誰だったかとか、今自分はどんな人間か、とかいうストーリーや、安心のためにいろいろ聞きたがるけれど、それだけ<虚しいのはわかるけど、そこまで虚しさを全面に押し出されると、もう、「今皆がやってる練習=自分の学校でやらせてること」も、無駄ってことですか、って思わせることにはならないか?>

 日本の政府に入っている友達は、ずっと昔、自分は首相になれますか、と尋ねた。イエスと答えた。でも、何かを変えないと、と。若い人たちとつながって、属する政党を変えないといけない、と。まだ彼はそれをやってない。

 能力を使うことはできても、でもそれを使って人を変えることはできない。自分が与えた情報を相手がどう受け取るかも、自分はコントロールできない。<だから、そこは、わかる。>

 

さ:それは私もわかります。ですから、使う側の、それでも言い続けるとかいう姿勢、考え方をお伺いしたかっただけです。ハイ、わかりました。

<私はここで終わろうとした>

 

<訳者:屋根の上で叫び続けるかどうか、ゲリーがするかどうかを聞きたかった、と?(さ:そういう姿勢を・・・見える人としては、はい)どういう意識を持っているかを聞きたかった、ということ?>

 

さ:もう繰り返しになりますから、いいです。

 <2回目終わろうとした>

 

げ:私は人に責任を負ってはいない。もし屋根の上に立って、ウイルスが来るよ、マスクして、手を洗って、と言って、実際にパンデミックが来るのが2年後だったら、誰が私のいうことを聞くでしょう?またあの気がふれた奴が屋根の上で変なことを言ってるよ、ということになる。<だから、「2年後」だからだろ。>

 

さ:それは「恐れ」ではないんですか?「フェイクニュースを広げてると糾弾されてる」と先週もおっしゃってたけど。

 

げ:ちがいます。屋根の上には立たない、なぜなら、人は自分の習慣を変えない、変えないことに対して責任をとろうとは思わないから。

 

さ:ハイ、わかりました。

 <3度目終わろうとした。ここまでで50分。以後、20分続く。>

 

げ:あなたは、車を運転しますか?

 

さ:・・・時々。

 

げ:運転する時は、交通ルールにすべて従いますか?

 

さ:一応、はい。

 

げ:全然そうは思わないねー。停止の標識で全部きちっと止まったりしてないでしょ?

 

さ:運転する時はしています、歩く時は無視することもあるけれど。

 

げ:This is a habit. <←汗 ゴーイン> 人は結局、習慣で生きていく。結局、全部のルールに従ってください、とか言っても、全然みんな言うこと聞かないでしょ。

 なぜこの例をあげるかというと、数年前に行ったあるセッションで、未来にひどい事故が見えた。そこから治るのにとても時間がかかる、と。そこで、言ったんです「どうか、ともかく、交通ルールに従ってくださいね」と。でも従わなかった。Is that my fault?(これでも私が悪いですか)<そんな理屈を、いつまで続ける気だ?>

 

さ:全然そんなことは思っていません。結局自分の邪魔をするのは自分だという(ゲリーさんの)お話は聞きました。そんなことは聞いてないし、思っていません。

 

げ:Ok, so…

 

さ:ゲリーさんの話はわかりました。

<もう、かなりカブせ気味。4度目終わろうとした>

 

げ:屋根の上に立って叫んでも、何も変わらないです。2年前に聞いたから知ってたよ、と言う人もいれば、名前を教えてくれなかったからわからなかった、という人もいる。

 

さ:・・・・はい。あの、東電のリーダーの方に、そういうお話をしてくださったということ、そういうお話を聞けて、とても嬉しかったです。

<5度目、笑顔でまとめてまで、終わろうとしている>

 

げ:あれはけっこう大変でした。<まだ続けるのかよ> 誰も東電のトップの人に逆らいたくなかったから。結局、睨まれたくないから。残念ながら、日本政府は放射線で汚染されたものを海に流そうとしている。もうすぐ、深海魚は見られなくなる。それから、その後、浅いところの魚も食べられなくなるでしょう。ウニが死にかけている。ヒトデも死にかけている。クジラ、イルカは体に傷を負っている。<まだ続けるのか、私が放射線の影響で死ぬという話?>もうすぐクジラやイルカが食糧となって食卓に上るでしょう。毎年日本人はイルカを殺している。その肉がけっきょく、ごはんになる。そして、甲状腺ガンが増える。そして、体の中の弱い遺伝的傾向性が表面化して来るでしょう。<どこまで脅し始めるのか。もう完全に私はこの人の ”人間を見ている”>

 これから10年以内、日本人の4割が亡くなる。それはアベさんのような馬鹿なリーダーのせいです。ですから、屋根の上に立って10年以内に40%が死ぬぞーと叫んだ方がいいでしょうか?<いつまで繰り返す?>おそらく、私は連れ去られてしまうでしょう。

 未来について私の知っていることを全部知りたいですか?ははは。もし全部話したら、あなたは自殺するでしょう。<終わらない。終わらす気がない。>それぐらいひどいです。

 でも、ちゃんと自分のセンターにいて、明晰性を保てるならば、正しい時に、正しい場所にいられるでしょう。そうすれば、知性より直感の方が大いなるものだから、そうなると40%には入らないでしょう。<急に、今まで一貫して求めていたような方向性のことを、急にちらっと言うたな> でも日本だけじゃないです、世界中で同様なことが起きるでしょう。

 

 このクラスの中には厚労省でお勤めの方もいらっしゃると知っています。すべてを明らかにしたとして、中国のこのウイルスでの死者は700万人超、もし(ロックダウンなど?)何もしなかったら、6億人なくなることになる。

 なんで、コロナウイルスであの国はこんな極端なことをするのか。日本は中国を怒らせたくないからあまりプッシュしない。アメリカも同じ。トランプは中国にチャレンジすることによって、自分の貴重な貿易ルートを断ちたくない。人が死んでも構わない、もう一度経済をオープンにしなくちゃ、と。トランプの子の一人はウイルスにかかっていて、亡くなるでしょう。

 

 アカシックリーダーとして、情報はとれるかもしれないが、人類というのは、その癖をとるのに何千年もかかるんです。ですから、あなたの能力を使って人々がより大いなる旅ができるよう明晰性を得ることをヘルプしてやってください、その人をその人自身から救うことはできません。<もう止まらないんだな。ただループしている>

 僕の長女の結婚式に僕の弟が来た時、裏庭に座ってビールを飲んでいて、「グレッグ、医者に行けよ、肺にガンの影がある」と伝えたが、でも彼は行かなかった。そして数年後、交通事故にあって、肋骨を折ったが治らなかったので医者に行ったら、ガンがあるとわかった、医者が言うには、一年前にわかっていたらこの手のガンは治っていたのに、と。その人自身からその人を救い出すことはできない。<何っ度も聞いてる、この話。>

 

 100年以内に、この地上の人口は、5億5000万人になる。なぜか知りたいですか。どなたか知りたい人、手をあげてください。<他の人に広げてしもうた>

 戦争のために人口が減るのではない。新しい生物兵器によるものでもない。

 定期的に太陽から電磁波が放出される。ガスでできた惑星ではなく、大地、地面をもった惑星を見ると、そこに、ある傷を発見することができる。火星にもそれを見ることができる。太陽から電磁波爆発が放出されると、地上の生物はリセットされる。1980年代、アトランタのエリアで、どういう情報を与えればその出来事の後、人々が助かるだろうかと我々は話し合った。

 そこで、ガイドストーンという石を作りました。オンラインで見てもらえばわかる。ジョージア州アトランタ。ガイドストーン(石盤)には、各国の言語で言葉が刻まれている。8ヶ国語。そこに刻まれている言葉が、未来の人々にヘルプになると思って記した言葉。そこには、「地球には5億の人々が住んでいれば、自然とバランスがとれる」とも書いている。言葉は10個あって、10番目の言葉は、「地球上のガンにならないで。地球を自然に返しましょう」。

 私が屋根の上に立って、何回もこの話をしたとしたら、完全に無視されるでしょう。残念ながら、ガイドストーンの上に落書きをする人達がいる。ガイダンスを得るということに対して、人類がどう反応するかということは、それを見ればわかるでしょう。<一貫した、「無視されるから皆には話さない」という発想。>

 悪い知らせの話をしてごめんなさいね<えー?!今さらそんな謝り方・・・>、でも100年後だから、皆さんはきっといないでしょう<いなけりゃいいのか?>。いっぱい顔にクリームを塗りたくってください、電磁波エネルギーというのは顔を焼いて(フライにして)しまうから。

 

 こういう話をしようとは思っていなかったけれど。

(~1:52:40)

 

<次の質問の後、レクチャーの終わりに>

げ:プランどおりの話ができなかったのは残念だったけれど、起きたことは、起きるべくして起きたことだと思う。(する必要のあった話なのだろう、という意味。)

 

<翌日のレクチャーの中で>

げ:きのうの会話について、どう思いますか。

 

<翌々日のレクチャーの中で>

げ:私はこれまで、屋根の上に立って何度も叫んできたわけですが・・・

 <屋根の上では叫ばない、って言ってたやん>

 

<べつの話題の中で>

げ:覚醒した状態(まだ悟れていない受講生たちとは違う、なかなか行けない領域にもう達しているという状態)にある自分でも、「わかろうとしない相手」にフラストレーションを感じてしまう、そこは自分の人間味だ。

<完全な、正当化。自ら言い訳。>

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 同じクラスの人たちの中には、その後で私に「だいじょうぶ?」とか、「ゲリーさんの気に当たっちゃったんじゃない?」などと心配して個人的に連絡をしてきてくれた方々もいた。

 その方々の私への思いやりには感謝するが、その発想は、「私もいたたまれないことがあったから」<私がゲリーに責められていたたまれない気持ちになっているという推測>とか、「あの話は、誰も悪くない。ゲリーさんは、幼い頃に虐待を受けて、入ってきてほしくない領域があるんじゃないかな、次の授業は胸を張って出てください」<まったくゲリーのスピハラの理由にはなっていないと感じます>とかいうふうに、解釈や励まし方が、ねじれていく。

 

 私は淡々と、この人の説明(弁明、釈明、言い訳)には何も得るところは無い、人間を見たなー、と感じながら話を聞いていただけだった。私には単に、彼が、数十人の前であれだけ話の筋を曲げながら、アリを戦車で轢き殺すようなことをすることが、自分の姿や能力を小さく見せてしまうことに他ならないことになぜ気づかないのか、ただ不思議でならなかった。

 

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東京の夕景。富士山が見える方角らしい。

9ヶ月ほど通った某イングの教室の窓より。あとはZOOMでの遠隔授業となった。

 

 私がいろんな人に払ってきた「敬意」って、何なんだろうか。一年間、毎月、東京に通って、この人のスクールで学んできたのですけど。単に、学ぶ相手を間違っていた、というだけで済ますのかなー。

 

 ちがう。

 

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連泊も多かったホテルの部屋では、花で「気」を保った。

この花の時は特に台風で授業も予定変更、2日間缶詰状態。ひどい台風は他にもあった。

これは、やっと授業に行ける、台風一過の朝。(手前に酒の瓶 ((((;゚Д゚))))))) )

 

 ほんとうに、これが典型だと言ってもよいほどに、これまでの私は、敬意を払ってきた相手の「えっ?!」と思わされる言動によって、それまでの自分の従順さを顧み、ときに恥じ、信じてきた自分が無判断だっただけなのではないかと考え直す、ということを繰り返してきている。そして最終的には、相手との関係を保とうとした自分にウンザリしてしまう。同時に、相手を意識の外に、捨てる。捨てたら、二度と元の意識には戻らない。

 繰り返し起きていることには、必ず、学ばなければならないことが含まれているのだろうから、これも見つめる必要があるのだろうと思うのだが。。。。

 

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もう、卒業しちまったよ。

あの時窓辺にわたしと共にあった記憶を、きっと今もとどめている花。

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2020年5月という地球の季節

誰にとっての何が、

不要不急と必要早急との境目なのでございましょうか。

月はじめのお神様参りは、サンファルには必要必至。必死。

 

先月は、博多総鎮守櫛田神社から

手水舎柄の杓が消え、鈴緒も消えていたと知り、

私は涙が止まらなくなり、

本殿の前で長いこと立ち尽くしていた。

 

今月はもう泣くほどでもなく、ただの先月と同じ景色を眺めている。

こうやって、少しずつ暗く硬い方の景色に見慣れていってしまうのだ。

慣れてはいけない。

 

愛宕様の茶店は、開いてるんだよなーふつうな感じで。

ほんとうにありがたい。

ふつう、お神様に詣る時には、

ご挨拶したらすぐ次のお神様へ向かうのだけど、

先月はお櫛田さんの柄杓&鈴緒GONE ショックで気が滅入っていたので

その足で向かった愛宕様で、

なんか立派な見た目の方の茶店に入ってみた。

出る時には「また気分転換にいらしてください」と

ほんとうに、ほっとすることを言ってくださったのが印象的だった。

 

だから今月は、もう、ほぼその茶店に入るのが目的だったのかと

思える勢いで、お詣りして石段降りてきたら

そのまますーっと、店内へ。

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ほんとうに、中に入るとすべてが「今までのふつう」。

お客さんたちも自然にマスクを外すから、何よりそれが気持ちいい。

店内にも、ご本殿の周りにも、人は多い。賑やか。

みんな求めてるのです、ふつうを。

 

巷では疫病退散させる妖怪も出回っているようだし、

愛宕さまもウイルス終息祈願中。

(ほんとは、柄杓も鈴緒も自粛したお櫛田さんの博多祇園山笠こそ

疫病退散から始まった祭りなのに、今年は中止。

疫病に負けるとはがっくりだわ。)

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なんか、疫病終息を願う御本殿が、

歯をむき出した兜の武者の面のように見えて、

へぇ〜、威嚇しとるなー、と思っていたら、

入った茶店の中に立派な武者がいらした。

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こんな時にも暦どおりにていねいに季節を扱う、立派なお飾り。

気がつけば、地球は5月だった。

日本は、皐月だった。

思い出した。

心から、この文化的な時間に感謝いたしました。

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あまりの外界とのギャップの気持ち良さに、ケツ根(お尻に根が生えた、の意)。

もう、お神様のところに詣る時間としては遅くなってしもうたので

次の弁天さまのお詣りは、後日に予定変更。

 

外に出ることが減ると、こんなにも

季節を感じることが減るのだなぁ。

帰り、スーパーのちょっっっとした花を買って、

季節というか、もう

「生身のもの」そのものを連れて帰る感覚に、

ホッとする。

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そういうことを考えながら歩いていたら、なんか

人影まばらな公園のベンチにぽつん、と

新聞紙の・・・花束?ではないか?(笑)

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持ち主は見当たらず。

ちょいくたびれかけた菖蒲。不思議だけれど、こんなところにも季節のお花が。

どうしたんだ。しっかり生きなされ、季節の使者よ。

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手前には、シロツメクサ。まばらなガキンチョ。

これが、2020年5月という地球の季節。

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もう花壇の花々も、花と散ったあと。

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<花びらの落ちた後のチューリップは、別物として好きでございます>

 

先月上旬に、慣れない「テイクアウトありまぁ〜す・・・」の

注文したメニューを待つ間、一緒に並んで叫んだりしたお店が

なんか、開いてなかったのよなー。

前は呼び込みやってた時間帯だけれど [タメ息]・・・

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日にち自体は、ぼわ〜んと過ぎていっているのに、

過ぎたことの一つ一つは、もう幻のように遠い。

 

誰もお花見をしてなくてむしゃくしゃしていた桜の木は、

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もう緑の風の色。
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けれど、近づけば、名残の桜。

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幻などではなかったよ、と。

 

 

 

【おしえて!オラクル先生】ソリチュード論理式はまちがい。らしい。(4)

サンファルを悩ますソリチュード論理式

そのロンリネスは少しずつ崩壊の兆しを見せ始めている。かも。

そのダメ押しとなるか?今回は、

悉曇(しったん)せんせいと、タリワラせんせいからのお言葉をちょうだいする。

(タリワラさんとは、あるお方のガイドさま)

そして!

タリワラ先生に、これに関連する大事なもう一件を尋ねたことから、

論理式崩壊への道を模索するぜ。

 

悉曇カード】一枚引き。

Q:ソリチュード論理式から逃れるには、どうしたらいいですか?

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梵字悉曇は、高い意識の状態や宇宙の法則を表す言葉と言われている。
一文字一文字が意味、波動を持っている。
その基礎となる約50の音=意識の中の一つ。
  ↓
引いたカードは・・・
<AH>( [アh] =息を吐くような音):遠離、超越。手放して、次に進んでいくこと。
 究極的には涅槃の状態でもある。
 全ての段階、一つのサイクルが終了し、次にそれを超越するというエネルギー。
 過去の体験を完了させていないと、常に過去に捕らわれてしまう。
 過去を完了させて初めて、新しい現実を作り出すことが可能になる。
  ↓

やっぱり、なんかとにかく、ここで悩むまでに、

一巡りしてきてんだよな。

それが、ソリチュード論理式Aでなく、Bで悩んでるというとこなんだとも思う。

でも、これまでの体験が完全に完了できていないというわけだろう。

 

それはつまり、ソリチュード論理式がBであろうがAであろうが、

つまりは、他人軸の古い感覚のままでいるという点は同じで、

その段階を完了させれば、新しい現実が作り出せる、という。

これまでのオラクメッセンジャー先生たちと、言ってるのは同じことだ。

 

【タリワラさんトランプカード】
Q:ソリチュード論理式から逃れるには、どうしたらいいですか?

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<Bliss 至福 ♣︎3
「無意識に、一定して不幸であることに安住している。
 ネガティブな傾向、心構えを逆転させることで至福が手に入る。
 今は、至福に満ちた生活を送る権利を、拒んでいる状態。
 否定性を解放していけば、最悪だと思うところにも希望はある。」
  ↓
やっぱり、今の考え方は、ネガティブらしい。
ロンリネスじゃない方に行く道を、つまり自ら閉ざしている、
だからその考え方を手放せ、と。
さすがに、もうね、同じことを言われていると思い知らされる。
 
  ↓ ↓ ↓
だから、トータルで、
オレのアタマがガチガチに古くて固い。ということなんだヽ(´▽`)/
同じことを繰り返してるんだ、と。
まだ全然腑に落ちたというわけではないのだが。
Cardせんせいたち総出で、言い聞かせに来られている感じ。
 
 
そこで。
 
タリワラせんせいに尋ねたもう一件に対する答えから、
ソリチュード論理式崩壊への道へ進もうと思うの。
 
Q2:あの時、敬意を払っていた相手にがっっっかりさせられたあの場面には、どういう意味があったのでしょうか?

「あの時、あの場面」について、詳しくは、ウェブで((((;゚Д゚)))))))

(次回な。)

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<Charity 慈善 ♣︎4>
「他人を判断しようとするときに示す思いやりと寛容の精神。
 不親切な人に対してでさえも慈善の態度で接すれば、
 自分が受けた不親切から生み出されるネガティブなエネルギーを乗り越えることができる。

 このカードを選んだということは、最近他人に対して不親切であったということ。

 (この私が、不親切?!逆だろうによ。

 心の中にはまだその記憶が残っている。それを引きずり出して、正面から向かい合って、解き放ちなさい。」

 (私はしばらく幾重にもコトが重なって不愉快ではあったから、

  その相手との対面場面ではそりゃあ、満面の笑みではなかったよね。

  それのことなのでしょうか。)

  ↓

相手の態度は、不親切な人どころの話ではなかったわけだけれど、

確かに「あの時」、私はその人について、

ぅわーこんなに、自分に不利にしかならない態度をとってしまう人だったのかよー、

と、明らかに「判断」を下しながら、

つまりは、「あららー・・・この人も ”違ってた” のか」と残念がりつつ、

不快な個人攻撃の言葉を浴びせられ続けていた。数十人の前で。

誰も何も言えない。言わない。

あとで、「あなたは何も悪くない」とか慰めて来てくれたりした人たちはいたが。

本人の発言の中には、あとで正当化するような表現も何度かあった。

それをも、あれをも、思いやりと寛容の精神で?包み込め、となー。

 

だから、そうなんでしょうね。その方向なんでしょうね。

だから、だけど、

仮によく言う母親が子を見守るような、ただただ

相手の不完全なところにも、なぜそんな態度をとってしまったのかを

奥深く見つめて共感もできるほどまでに包み込んであげている

という「慈母」状態と、

敬意を払って、いわば謙虚な気持ちで相手を高め、

こちらは従順にそこから吸収していこうとしている関係性、

その相手の、敬意を払うに値しなかったと知らされる行動に対しても

寛容でいろといわれている「茫然自失の弟子」状態とが

私、まだイコールにならないのです。

 

イコールになってないということは、

この後者、つまり、

「こんなハズじゃなかった、こんなに真剣に慕っていたのだが、

 自分が間違えてたのか・・・?!」

と、立ち尽くしている弟子の方には

まだまだエゴイスティックな要素がベタベタ付いているということになる。

 

ハズ:自分の予測、期待による設定

  (満たされるか否かは相手次第。自分の機嫌とりを、相手に委ねた状態)

こんなに真剣に〜間違えてた:かけてきたエネルギー、時間を捨てるのは損だ

  (過去に執着、変えたくない、認めたくない)

慕っていた:相手の能力、才能への敬意、全幅の信頼が大前提

  (★ここだよな、やっぱり。

   ここには、「その才能を認めている自分の価値」も入っている、ということか?

   「あれらのヒト、コト、モノでなく、”この対象” に敬意を払っている自分」の意識とは、他の「あれら」と比較しての優位性を感じたがるところにある、ということか?)

 

 でも私が素朴に言いたい「敬意」って、単にこういう感じなんだ。

 オリンピックの、例えば、なんでもいいけど、フィギュアスケートの誰とかの演技に心から拍手大喝采する、その意識の中には、そこまでがんばった努力を労う、とかの理屈だけじゃなく、その努力によって磨き上げることのできたそもそもの天賦の才能というものへの、ため息が漏れるほどの無条件の憧れとか、大げさに言うと畏敬の念みたいなものも、入ってるだろ?

 で、そゆ時、単に嬉しいやろ。なんか、単に。わ〜すごいな〜、好き〜、とか。そういう感覚が持ててこそ人間なんじゃないのかね、と思っているわけだ。

 

 そして、そゆ相手がもし仮にその後、社会的におバカな発言したとか、何かやらかしてしまったとかしたとすると、がっかりするとこあるだろ。街ゆく人々がそんなニュースへのインタビューに答えてるだけにしろ、大ファンが語ってるにしろ、それなりに、がっかりしてるわけやろ。

 

そゆところ・・・・・

 

 まーーー、結局は、がっかりからの立ち直りの差でしかないのかね。がっかりさせられた瞬間に、「まだ若いからなー」とか、「まーやっぱ俺たちと変わんないなー」とか言ってさっさとそれまでの美化していた妄想に気づいて等身大に戻せば(こき下ろせば)済むところを、私は、そのがっかり部分をやたらと大きく感じてしまっているだけなのだろうなぁ、結局は。

 

 思い入れが大きい私の意識が、すぐまた相手を肥大化させてしまう妄想を生んで結局ギャップが生じているのか?

 精神世界を教えてくれていたハズの、未来のことが読めるハズのゲリー・ボーネルというヒトのハラスメントに対しても。

 私の世界はこの人たちがいなかったら成り立っていなかったとまで感じ続けてきたCHAGE & ASKA の、あの情けない出来のASKA復活コンサート(復活できてないコンサート)に対しても。

 両親に対しても。

 そうか?人間として、己の足で立つためにこそ、それらの人々を、「単に、慕う」ということの中に、妄想が混じり込んでいるというのか?

 

ちょっと、今回はここまで。

次回、実際のサンファルのがっかり感を検証しよう。

 

 

【おしえて!オラクル先生】ソリチュード論理式はまちがい。らしい。(3)

なおもしつこく、サンファルは訪ね歩く。

ラクメッセンジャー Card先生のもとを。

何のために、って?

それはあなた、もうお馴染み、ソリチュード論理式なる根底のロンリネス

 敬意を払う → またもやがっかりさせられる → 諦めるしかないのか、この世は? → 孤独

という、生きる意欲を奪ってしまう結論を拭い去りたいからだ。

 

これまで、タロット先生、オラクルMap先生を訪ねた。

お二方とも同じことをおっしゃる。

ラクルに素直なサンファルは、そうなのだろうなぁ、とは思い始めている。

でも、まだ完全に腑に落ちてるわけではないのよね。

 

なぜなら、このロンリネスの出発点が「敬意」だからで、

敬意は、今のところ自分の満足を満たしてほしい「期待」とは

異なる、自分の中心から相手へ向けた愛の方に近いものだと思っているから。

 

でもとにかく、訪ね歩く旅を続けてみるの。

今回は、アカシックレコード Cardです。

Q:ソリチュード論理式から逃れるためには、どうしたらいいですか?

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1 現在の状態 <7ガイド>:覚めた協力体制、意識的なパートナーシップ 
 迷路の上に佇む子供を、7人のガイドが囲んで、無私のサポートをしている。
  ↓
今のわたくしは、生きる希望をなくすほどまでに迷ってしまっているけれど、
ちゃんとしっかり見守られてるんですよ、と。
 
2 ブロックとなっていること <14観想> 考察と反省の欠如、思いやりのない、容赦のない
 このカードは「霊的なレベルでは質問と答えは同じ表現である」という体験を意味している。
 現在体験している「意図」と「結果」に影響を及ぼしている状況に対して、すぐに深く考察する必要がある。
  ↓
だから、どゆこと?
まだ考えが浅い、ということ。
とにかく、思う「結果」が得られていないのだから
「意図」やその周辺に、見直すべき問題がある、ということなのだろう。
 
3 この問題に対する過去の態度はどうだったか <逆・9自主独立>:他者への従属、追随
 他者に従属していた。主権を持った個人の意識が、拡大できずにいた状態。
  ↓
他者に従属=他者に自分の機嫌を取らせていた、
他者の振る舞いに「がっかり」していた、
それはつまり、自分の意識が存分に拡大できていない状態だった、
とも言える、と。
 
4 今後待ち受けている展開 <11魔法使い>:弁解しない、拡大している、冷静さ、落ち着き、後悔のない、指令を下す、錬金術的。
 日常レベルで集団幻想、自己に対する妄想を表す。「魔法使い」は、無私の自分自身。このカードは、魂が地上にいる間に使う「すべてを現実化する能力」(魂が生来持っている力)の象徴。魂と肉体すべてのバランスがとれた状態の中にいるのが、真の ”魔法使い”。その整ったバランスの中では、 ”目的にかなった必要なもの” を現実化するために声で指令を下す時、葛藤が生まれることはない。
  ↓
これから起きてしまうことが、自己に対する妄想・・・。
孤独も妄想、自己憐憫みたいなことだから、ということか。
 
でも、魂意識と肉体の感覚意識のバランスを
整えていければ(簡単に言ってますけど)、
目的にかなったものを、迷いなく現実化できるようになる。らしい。
 
5 最も起こり得る結果 <逆・1ゲートウェイ>:古い合意を破る、自分への抵抗、停滞、閉塞
 自分がどう反応するかによって、未来(結果)は変わる。
 「私にはどのような選択肢があるのか?」とこのカードに問え、と。
 新しいチャンスの訪れと始まりを表す。変化の時。ターニングポイント。
  ↓
このままじゃ、停滞、閉塞してしまうよ、と。もうしてます。
だから「古い合意は破って、新しい局面に動いていく」という
選択肢もある、と読んでいいかな。
 
6 この問題に関わる深い内的な葛藤を引き起こしている心配事 <逆・17声>:表現し、達成したい目的の欠如、操作、脅かす
 「私に失敗してほしい人は、誰か?」とこのカードに問うてみよ。
 このカードが象徴するのは、意思に満ちた意図、日常の次元の現実に指令を下すパワー。
  ↓
私に失敗してほしい人・・・それは、私なんだろう。
人は自分で自分の足を引っ張る。それはわかっている。
 
私の人生の「詰まり」みたいな部分は、喉。
言いたいことを声に乗せきれずに来た。
まさに、「共鳴したいのに、諦めている」のが、私の内的葛藤。
 
もう少し詳しく言えば、
そもそも共鳴したいのに、その相手との間にはズレが生じて、共鳴できない。
でも、自分を貫くためには、共鳴することの方を諦めるしかない
ということ。
すなわちそれは、
自分の欲求の方を引っ込めている=現実化する意図が弱い
ってことなのかよっ(怒)!
 
このカードが言っているのは、それを引き起こしている心配事が、
「達成したい目的が不完全で、指令を下すパワー不足」である、ということ?
 
そして、「4 今後の展開」との重なり方。
真のバランスが取れていれば、葛藤なく現実に指令を下すことができるはずだが、
今はそれができていないから、モヤっとした方向に考えが進んでいきがち、という
「今」と「すぐ後」。
 
「4 しっかり指令を下して現実化」の邪魔をしているのが
「6 現実に指令を下すパワーの不完全さ」。
バランスが整っていないから、パワーが不足していて、
だから現実化できていない目の前の現実を見て諦めてしまう、というのか?
 
ぐるぐる回っている。ふーむ。
だからこそ、変えられる未来として、ここからどう反応してゆくか
という「5 最も起こりうる結果」がある。
古い合意を破り、変化すればいいでしょう、と。
 
7 セルフイメージ <10ここから先>:神聖な状態、変化、変容、完了。
 「私はどれだけ自分自身を知っているのか?」何かが完了した後に体験する二元的な状況。このカードは、ある状態から、それまでとは関係のない状態への変化(非常に深い変容)を意味する。描かれているのは、自然の死(人生という試みからの意識の撤退)。
  ↓
この星にはもう用は無いんじゃないか?
生きる希望が見出せない、と感じているわけだから、
かなり現状への執着が希薄になっているとも言えるこの状況を、
どっぷりと地上の次元に浸って見てみれば、
まずこのカードはぴったり言ってるわけだ。
 
さらに、もう少し自分に希望をもって見れば、
こうして彷徨っているところをうまいこと抜け出せたら、
その前と比べると、けっこうな変容の方向に進んでいるのではないか
・・・という気もしている。
もぞもぞしている感じ。
 
8 問題に関する外的な葛藤の影響 <27戦略>:活性化した夢、ビジョン、成功、安全、進化するイメージ
 このカードに、「なぜ私は外部からのネガティブな影響を受け続けていたいのだろうか?」と問うてみるとよいらしい。
 自分がなんとか達成したものがいつしか奪われてしまうのではないかという恐れの中で、己が生き残るための「安全」を求め、人はコントロールと戦略を探し、それに服従し続ける。また同時に、健やかで満たされた人生を獲得できるかもしれないという未来への希望を通しても、戦略に服従する。永遠に満たされた状態とは、「何も獲得したり失ったりしない」状態。それでもなく、あれでもない状態。
  ↓
そんなつもりはないけれど、究極的には
「ネガティブな影響を受け続けて ”いたい”」ことになるんだな。
 
「未来への希望」を通して、という形でも、やっていることは「戦略」
つまり、地上で対立した他者から己を守るために使ってしまう、
サバイバルな発想と行動ということになる。
目指しているはずの永遠の穏やかな状態との、対極にあるものだ。
 
やっぱり相手の振る舞いに「がっかり」するのは、
その始まりが単純な「期待」であっても、「敬意」であっても
「自分の内側」で思い描いたものと、
「自分の外側」にいる実際の相手との「ギャップ」があるからなのだから、
「外側」=他者から希望をもらおうとしていることに変わりない
ということになるのだろう。
 
ソリチュード論理式の「敬意を払う → がっかりする」部分が
この外的な葛藤にあたるのだった、ということだ。
 
  
「敬意」というものを素数扱いしていたが、
もっと因数分解しないといけないということになってきたな。
 
9 展開していく状況に関する希望と恐れ <25埋葬>:関係性の尊重、協力体制。創造主の意識。
 この「埋葬」という表現は、魂が神聖なる境界線の中(肉体)に置かれることを表す。創造主の意識の現実化。創造主が魂とスピリットとの組み合わせの中に「埋葬」され、それが一時的に、地上で形を持つ肉体の中に「埋葬」されている、というイメージによるものらしい。魂がスピリットとの協力体制を終えた時に、肉体も手放す。
 「私は、何を期待、想定しているのだろうか?」と問うてみよ、と。
  ↓
肉体を持っていながらの、創造主の意識の現実化。
だろうね。私がやはり望んでいることは。
戦略を使わないといけないようなサバイバルモードでの
お金の引き寄せ的な現実化という意味ではなく。
 
外側に翻弄されてがっかりしてしまったりすることのない
永遠の穏やかさを、地上でも体験しようとして、
もがいている。のだ、私は。
 
10 最終結果 <逆・18意図>:分散した、叡智の欠如、学習する、嗜好
 「すべてはどこへいくのか?」と、このカードに問うてみること。
 人生に何度もストップをかける偶然の産物かのような「結果」と、自分の「意図」との間には、何の関係も無いように見えるが、その罪悪感と恥のゲームが終わって、人間が完全に純真無垢で自由に表現できるようになれば、「結果」は単に「意図」の現実化したものとなる。  
 ↓
このまま私が凝り固まったままでは、
「9 展開していく状況への希望」として現実化を意図したとしても
何度もストップをかけられる、と感じ続ける状態に
いわば ”あり” 続けるだけ、ということかな。
「どこかへ ”行く”」以前に。どこへも進まないまま。
それはまだ私が完全に純真無垢で自由な表現をできていないからだ。
 
というふうになりますかね。
 
 ↓ ↓ ↓
<まとめてみる。>
今は、意識としては「さまよって」、悩みまくっているけれども、それは守ってもらいながらの変容のプロセス。
このままでは、自分をこれまでどおり、他者に預けて現実化の力も無いまま、サバイバルモードに置いているだけ。
その目でサンファルを悩ましていたソリチュード論理式ロンリネスの中を見直すと、
「敬意を払っていた → がっかりさせられた」部分=外的な葛藤による影響
「がっかりした → 諦める」部分=内的な葛藤から来る発想
ということになりそうだ。
 この観点を以って今後必要なのは、迷いなく現実化できると信じることができるところまで、内外の葛藤の存在を認識して、減らしていくこと。だな。
言うは易し、だけれども。
 
ここまでで、こんな感じになってきたぞ。
【ソリチュード論理式崩壊への序章】

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(注:「意義素分解」とは、単語の意味を因数分解みたいに
 より小さい意味の組み合わせとして解いていく感じね。
 例えば「殺す」→「相手が死ぬ」+「相手をその状態にする」みたいな。)
 

 

 

【おしえて!オラクル先生】ソリチュード論理式はまちがい。らしい。(2)

 このところサンファルのアタマの中でパンパンに膨れ上がっている
敬意を払う→がっかりする→諦める→孤独感
という、ソリチュード論理式ロンリネスを乗り越えようと、
サンファルがメッセンジャーCardたちのもとへと、旅するシリーズ。
今回は、オラクルMap 先生だ。
 
Q:ソリチュード論理式から逃れるにはどうしたらいいですか?

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まず、すべて逆位置。
落ち込んでる時にはこういう景色が、多いのだよなー。
なんか、イメージ的にがくん・・・という感じは、否めねぇ。
 
1 過去の影響 <逆・月の光>
「お前さまは、考えすぎて、消耗してしまっておる。
 もう判断能力を失うほどに。
 でも、とにかくどうにか信頼できる人間関係を
 今まで築こうとしてきたんだよねぇ。
 まぁがんばってはいたってことじゃ。」
 
2 現在の状況 <逆・幻の地>
「その結果、今のお前さまは、けっきょく
 過ぎてしまったこと、起きてもいないことについて考えている。
 そういう過去や未来の幻の地から離れて、現実の生活の中に喜びを見つけなされ!」
 
3 拒んでいること、今後挑戦すること <逆・夢の畑>
「自分の夢について再考せよ!
 自身の能力を正当に評価せよ!
 インスピレーションを受けて、未来を作り出す力は自分の中にあるのぢゃ!
 誠実に行動しておれば、すべては良い状態になってゆくからー。」
 
4 予期せぬ助け <逆・神聖な池>
「お前さまは、このまま自己否定を続けている方が楽なのであろう。
 自分を否定し、犠牲者として生きる方が、本当のリスクを負う必要が無いから。
 今のお前さまは、同じことを繰り返しながら違う結果を望んでいる状態にある。
 自分を傷つけたくなる気持ちを手放すことぢゃ。」
  ↓
それが「予期せぬ助け」とはどういうことか?
 
私が、敬意を払い、
がっかりせざるを得ない振る舞いを見せられてきた人々が、
私の進む道への、大きな助けになっているということか。
 
もう犠牲者ではいられなくなる道の方を、
選べるようになってきていた・・・と思っていたが。
 
「やっぱり、この世って諦めて孤独を感じるしかないのか?」
と、「探求し、考え尽くした末の結論のように ”思われた”」ということが、
実は、それらのがっかりさせ名人たちによって試された結果の
思うツボで、私がむしろそれにキレーイに乗せられて、
それをかわすことができず、
ソリチュード論理式どおりに孤独だと「思わされた」、
またあの「古き懐かしき道」の方に、
やすやすと「自ら戻った」ということか。
すなわちこのCard先生の言うところの、
「同じことを繰り返しているばかり」に過ぎないということか。
 
もと居た檻の中から出たつもりでいたのに、出てなかっただけってことか。
お釈迦様の掌上での卒業検定不合格ってことなのか。
 
理屈はそうだ。でも、それだけではソリチュード論理式のすべては解けない。
でも、このCard先生の言うてるところは、多分そうだ。
 
5 次にとるべき正しい行動 <逆・飛ぶ>
「今は、飛び立つための翼を得るためにやるべきことが残っている。がーがー動くべきではない。
 今は、忍耐強く、謙虚でおりなされ。
 何かをやり過ぎたり、急かしたりすると、後々空に飛び立つこともできなくなるぞえ。」
 ((((;゚Д゚)))))))
  ↓
やや、脅されている。でもわかる。
今動こうとすると、結局、自暴自棄方面の言動を生み出してしまいそうな
去年までの自分の感覚がある。
 
6 予想される未来 <逆・願いの井戸>
「人生は、選択肢の連続ぢゃ。
 願い事をして、でもそれを叶える方法は、天に任せること。
 今は、何かを無理に起こそうとする時期ではない。
 特に、難しそうなことには挑戦しないこと。なぜなら、今欲しいものを宇宙に要求すると、”満たされない欲求” は ”強い執着” となり、破壊的な方向へ進んでいく。
 深呼吸して、今は、お前さまが ”望んでいる” 状態からしばらく目をそらしなさい。
 本当に必要なものは何かを考えること。
 希望的観測はもたずに、ただ祈っておくこと。
 天に ”要求” するのでなく、”共に創造” すれば、やがて望んでいる状況になってゆくからの〜。」
  ↓
これは、3 で言われている「やるべきなのに、まだやってないこと」を
もう一度言われた感じだ。同じような表現が出てきている。
自分の本当の夢とは何か。
いま本当に必要なことは何か。
 
 ↓ ↓ ↓ 要するに、
 私はガチガチに考え過ぎて(そりゃ、考えるわ!考えてナンボぢゃボケ)、過去からのことに捕らわれ(そりゃ体験の記憶として持っとるわボケ)先のことにまで勝手に不満を感じてしまっているに過ぎない(これでもか、とがっかりしたから希望がない、とぐらい感じるやろボケ)
 
それは自分を低く評価して、変わろうとせず、ずっと不幸がっているということでもある。もうそうでないと思っていたのに、結局は、何かあるたびに元の状態にすぐ舞い戻ってしまっている、まだそのぐらいの地点にいるに過ぎない、ということ。(上の「4 予期せぬ助け」のところでも書いたけど、ほんっと、罠ですやーんこんなの。卒業検定(というか、卒業じゃあないにしても。次へのステップに進むための見極めチェック検定)の、覆面審査員がものっすごいとこに潜んどった、ってことなのかよ。ちっ)
 
今は静かに謙虚に、ただ「今」を誠実に生きて、信じて祈っておくしかないらしい。

 

こう繰り返されると、そうなのかよ(怒)!と思うしかない。

でもまだ解けてはいないんだ。ソリチュードなロンリネスは。

 

 

【おしえて!タロット先生】ソリチュード論理式はまちがい。らしい。(1)

このところずっと私を悩ませて、

生きる希望を奪っているソリチュード論理式

 敬意払う→がっかりさせられる→諦めてしまう→孤独

あまりにこのロンリーな論理式が虚しくて、

ほんとに生きる希望がなくなりそうで

夜通しカードを引いて尋ねまくった。
 
どのカードで見ても、なんか結局同じことを言われていると気づく。
えー・・・っとも思うけれど、無意識の部分を指摘しつつ
言い聞かせられているのだから、
そうなんだろう・・・かなぁ。
そうなんだろう・・・なぁ。
そう、なんだろう。

 

まずは、タロット先生から。

Q:ソリチュード論理式から逃れるためには、どうしたらいいですか?

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1 今後の行動指針
  3 目指すべき着地点
2 心がけておくこと
 
行動指針:古い習慣を捨てなさい、囚われるのをやめなさい。
心がけ:冷静に、客観的な目で判断し、物事を捉えること。
着地点:新たな局面に向けて、そこにある希望を目指してゆけよ。
  ↓ ↓ ↓
考え方が、凝り固まっているらしいんだ。
それを捨てるためにも、いつもやってるつもりだが
より広い視野で物事を冷静に見つめて、
逆境だからこそ洞察力が冴える、ということもあるのだし、
新たな局面、希望を目指してゆけ!
 

・・・と、タロット先生はおっしゃってる。

結局、自己を探求しつづけた挙句、もとの自分の嘆き方に

チョー戻ってきた感のある、

この諦め500パーセントの孤独な日々。

それが結局は「古い考え、古い習慣のまま」のところに

飛んで火に入る夏の虫。

ってことなのかよー。ちきしょー。

どーしろってんだよー((((;゚Д゚)))))))

 

思い悩みゴーオン。

 


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ソリチュード論理式

  私は特にこの一年間、いろいろ考えて過ごしてきた。某イングというところでも考え続けたし。ずいぶんと自分を自由にしてやれるよう変化もしてきた。

 

しかし。

悩める根本は、まだ変わらないどころか、深くなった感もある。
 

 

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行きつけの中国料理店、コロナで営業時間短縮 、がらんとした店内、

生ビールは悪くなってしまうから採算合わず、もう置いてない。

嗚呼、もの思ふ日々のこの心、

瓶ビールついだコップの中に浮かんだ白い鳥の如く儚きことこの上なし。

 
 
【私の中の葛藤】
 私の中にある葛藤は、
「人と共鳴したいのに(自分を貫くためにそれを)諦めている」
ということ。
 
 一年前まで、人と共鳴したがるなんて、そんな甘っちょろいのは自分ではないと思っていたけれども、やたらと自分の内部を掘り下げていったら、恥ずかしながら、そうだったもよう。つまり、真の私は、人と共鳴したがりまくっていた。自分の誠意を伝えたいし、相手の誠意をそこに感じたい。その響きあいがあると、無性に嬉しい。らしい。私は。どうも。そこを歌でやりたがるから、さらに悩みが複雑に絡み合うことにもなっていたんだな。
 
 
【ソリチュード論理式A】
今は、歌はおいておく。
共鳴したいのに、諦めざるを得ない、諦めがつきまとう、ということについて。 
 
人と共鳴したい。けれど、なかなかそれができない。こっちの誠意を見せては、相手の態度にがっかりさせられる。
自分の誠意の方を、けれど、捨てるわけにはいかない。
自分を貫こうとすると、相手を諦めざるを得ない。
 
 期待 → がっかり → 諦め → 孤独
 
私のソリチュード論理式。
このパターンの中にいるという自覚はあったけれど、「孤独も幻想」って言うし、そう思いたい。孤独なんて、カッコよくもなんともない。はずしたい。はずせるものなら。
 
 しかし、いろいろ考える指針を求めてたどりつき、例えば、去年の5月から今年の4月までの一年間、腹をくくり腰を据えてご指導を仰いでいた某イングに対してさえも、やっぱりこのパターンで締めくくることになった。日本人講師陣、外国人講師の言動、反応。誠意のなさ。スピハラとも言える言動。終始というほどではないが、後半、終盤、だんだん露呈してきた。
  それはある意味、私にはもうこの星で諦めや孤独を感じなくなることは不可能なのではないか、と思われ、これからのすべてへの意欲低下につながるほどの大きなことでもあった。その人たちの問題というより、私が考えさせられるために、私に起きていることとして。なんかこの世って、もうどこへ行ってもこの程度なのかなー、と。
 
 
【ソリチュード論理式B】
 相手への期待というのは、他者に自分が思い描いたとおりに振る舞ってほしいと願うこと。願いどおりになれば嬉しい。そうならなければ嬉しくはない。相手の言動で、自分が一喜一憂してしまうということ。自分の機嫌を相手にとらせているということ。
 
そんな、外への期待はずいぶんしなくなってるし、もしやっていても、あーまた期待していた、とすぐ気づくから、まぁまぁの速度で期待は外せるようになってきていると思う。
 
でも、ここに来てやっぱりまだ諦め、孤独感が減ってない感じは、なんなのか?
自分の外側で起きたこと、内側の反応。
合わせて考え、並べて見つめた。
「相手への敬意」が、ソリチュード論理式Aの「期待」の位置に入る時に、この孤独感は来る。
 
 相手への敬意 → がっかり → 諦め → 孤独
 
ソリチュード論理式B。
問題は、論理式前半だろう。
これまではずっと、がっかりしたら、相手にそんな高いものを求め ”過ぎ” ていたこっちがバカだった、と「過ぎ」の部分は反省して無くしつつ、「高いもの」はきっとどこかにあるはず、まだ出会っていないだけだと、それを生きる希望として、「次」を探してさまよっていた。ずーーーっと。すべてにおいて。
 
そう考えると、「さまよう」ことすら、希望があったからできたことだったのか。
希望が消えると、ほんとに、止まる。
行きたい方向にそれを理性で抑えるような逆の力も働くから動けない、それが葛藤だと認識したところから某イングで考える道も始まったはずだったが、それら両方の力自体が消えた感覚のほうが近い。引っ張り合うこともなく、ただ停止してしまう感覚。
これでよい筈がない。
どうしたらいいんだろうか。
 
 
【村長を尊重する】
 全幅の信頼を置いて尊敬申し上げていた村長さんが、
ある日ヒトとしてしょーもない言動をしたとする。
ヒトとして。
村長として、ではなく。
 
村長もヒトなんだから、そうそう
いつも自分の思い描いたとおりのふるまいだけを
してくれるわけではない、
だから自分の心の方を広く持て。
 
わかるけれど、そんだけかなーヽ(´▽`)/
村長を尊重するとは、それだけのことなのかなーヽ(´▽`)/
 
 村長が、村のことで話しをしに来た村民に、ひとり感情的になって暴言を吐く。後で我が身を正当化する言い訳したりとか。
 村長が村議会の準備に全く時間をかける気が無くて、会議開始直後からグダグダ。言い訳だけは多い、とか。
 これまで名采配で数々の困難を解決、信頼を得てきて再選されていた村長が、急に気分のムラで(村だけに((((;゚Д゚)))))))! )チョー身勝手、感情的な判断を下し、それを大成功だみたいにシラバックレるとか。
 
私の中ではつまり、現村長がそういう振る舞いをするたびに、村長もヒトだもの相田みつを、と言い聞かせ、新しい村長を選ぶやら、新しい村を探すやら、していたわけだ。 
 
 けれど、みつを100パーの見方で村長をヒトとして村長するおっと、尊重するだけでなく、その人の手腕、才能、人柄のような部分への敬意もあってこそ、村長は村長然としていられるし、そこの村人たちは心の底から安心し、信頼のもとに日々を過ごしていられるものなのではないだろうか。
 
 無意識に役割を押し付け合い、背負ってしまう社会意識は憂いを作るもとだが、自由意志による役割というのは、社会的動物としてのヒトが理想的に安住できる文明とか文化の一部なんじゃないかと思うんだがなー。
 
そこに生じる(ように思われる)「敬意」を、どう扱えば
ソリチュード論理式Bを導かずにすむんだろうかしらららー?
もう、歌っちゃう┐(´д`)┌
 
 
【歴代がっかり村長】
ヒトである不完全な部分はわかった上でなお、
そのヒトに備わった個性や才能みたいな側面も捉えて接する時に持つのが敬意であり、
そこがヒトの世の美しいところなのではないか。
私がずっと、ほんとうは接する人々すべてに対して
求めてきているのは、そこなのだ。
 
今まで私が本気でがっかりしてきた村長たちというのは、
私のその接し方の中で、ぽろぽろと村長の座から
剥がれ落ちていった人たち。
 
両親も。
大学院で指導を受ける立場にあった教師や先輩たちも。
結婚するつもりだった人も。
打ち解けて話したことのある友人たちも。
ASKAも。
CHAGEはちがうよ。CHAGEはすごいよ。
 ASKA村長が剥がれ落ちていったのは、
 報道なんかより後のことだよ。
 私の名誉のために言っとくよ。
 やらかしたからじゃないよ。
 復活の歌が全然復活になってなかったからだよ。
 何度も言うよ。
 おれは確かに、君を愛してたんだ。
 ここじゃもうやめとくよ。)
某イングも。
 
大前提として「敬意を払う」対象だった相手が、
想定していたレベルより甚だ低かった、
その程度だったのかよ・・・
という現実にがっかりするということは、
「想定するな」
ということになってしまわんかな。
「敬意」自体が、「幻想」だということに。
 
他者に一切の敬意を払うことをせず、
自分のうちに向いておくしかないことになる。
自分の世界は、自分の思いで作られるというのに。
 
「共鳴したいのに(自分を貫くために)諦めるしかない」
という私の葛藤は解消されない。
 自分は自分、と思ってくだけでは解決しない。
 
 
【違うよって言っておくれ】
ちがうよ、と誰かに言ってほしいわー。
この論理式の間違いを、ひゅ〜と紐解いて欲しい。
 
私はヒトに敬意を払い続けたい。
私は誰かにずっと敬意を払っていたい。
ただ身を預けるかのように。
敬意が幻ならば、希望が無い。
 
結局、「ヒトは孤独」が結論なのかもしれない。
「孤独は幻想だ」とテキトーに言い放ったどなたかの間違いだった
というだけなのかもしれない。
 

この星で私はどこまで生きられるだろう。

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嗚呼。白き尾羽がやうやう溶けてゆく。

儚きこと、私の心の如し。

 

 

 

 

 

【夢note】大濠公園のハウステンボス

 大濠公園の、お濠を背にしたぐらいの場所に、大きな2階建(?3階建だった気もする)の、木造っぽく見せて焦げ茶色のペンキでベタベタ塗った板を貼り付けたような感じの、新しい企画モノっぽいホテルのような、不思議な総合施設が建った。

 安っぽいオランダ村みたいな景観になっている。正面の外に立って見上げたら、各窓から、オープニングの体験サービス的な募集に応じた人たちとかスタッフの女性たちとかが、一つの窓から一人ずつ、観音開きの戸を開けて外に向けて立っている。三角屋根に、向かって右側にもう半分、屋根がギザ、とくっついたような、1.5個分の屋根幅分の建物。

 

 なんとなく中に入って見たら、すごく綺麗で広い。内部を親切に説明してくれる男性。私もちょっとそれに合わせて、興味を示しながらほう、ほう、と聞いている。

 トイレに行こうとしたら、間口は狭いけれど、上から這わせる植物なんかで飾られた白い入り口の表示が、男女の別かと思ったけれどなんとなく意味が合わない。

 あれれ、と、どちらに入ったらよいのか迷った瞬間、はじめ女性用かと思った方から男性(青い上下、上は半袖の、お医者さんの姿。ここには病院も入っている)が出て来て、また、あれれ?となったら

「こっちは男性単数用、隣は男性複数用ですよ」

と教えてくれた。文法みたいな区別になっているのだった。

 よく見ると、そのもうひとつ隣に表示のない入り口があって、そっちが女性用だった。そこから入ると、また広く明るい総合的なスペースが広がっていて、ただのデパートのフロア並みに、かわいい雑貨があったり、家族連れの人たちがうろうろ歩いていたり壁に作り付けのベンチに腰掛けていたりして、トイレ自体はその広い空間をたっぷり楽しんだ後にたどり着ける端っこにある。

 文法トイレに、デパートトイレ。トイレの概念ぶっこわしトイレだった。

 

 雑貨もふつうに楽しいものだったけれど、そこの施設の中ではいちばん一般向けという感じの普通の場所で、また違う場所には何か作っている工房というか、もう工場ぐらいのしっかりした規模の設備も入っている。なんとなく入った施設だったわりには、かなり私好みで、いろいろ興味津々で見学している。

 工場みたいなところとはいっても、すぐ近くに喫茶すぺーすのような一般の人たちがくつろぐところもあるし、窓からは夜景が見えているし、やはり娯楽施設としての性質が基本。

 作業用のブースとして背の低い仕切りで分かれていて、皆それぞれ違うことをやっている。私が立っているブースの左隣には人が何人も固まっていて、何かの演歌歌手みたいな女性の、衣装だったか、宣伝ポスターだったか、そういうものも目に入った。何かそれに関連したことを集まってやっている感じ。

 右側には、30代ぐらいの男の人が黙々と作業をしている。ウルフルズのジョンビーチョッパーみたいな顔の静かな感じの人。キーンと丸い刃が機械で回っている正面で椅子に座って、割れやすい分厚い陶器を切断している。すごい埃。

 その陶器は現代には無い技術でできていて、手で簡単におせんべいのようにぱきっと割ることができる。私は以前にその陶器のことを聞いたことがあったけれど、なんかどういう性質だったか思い出せない、とか言っていて、おせんべいみたいにほら、と5センチ×8センチぐらいの形にぱきっ、と割って見せてくれたのを見て、そーだった!それそれ!と騒いで喜んでいる。

 私の真ん前のブースには誰もいないけれど、A2ぐらいのサイズかな、大きめのパシャパシャいう紙が何枚も何枚も重ねて置いてあって、見てみると、いろんな設計図やなにか楽しい人形みたいなもののしくみの解説になっていて、私はそれらを見て楽しんだ。

 やがてそれは友人のりえこのブースだったとわかって、私が来るときにはりえこは席を外しているから、私が見て楽しむために置いといてくれたのだと、後で説明してくれた。説明しているときのりえこは、とてもきれいな丸顔で、やさしい表情だった。

 右隣の黙々と作業をしていた男性に、説明してくれるように頼んどいたのに、とりえこは言ったが、その人はその時ちらっとこっちを見てすこしニコっとしただけで、また作業を続けた。こちらから声をかけて尋ねればよかったのだね、とは言ったけれど、もうひとりで設計図を見るだけでじゅうぶん楽しんだから、その日はそれで帰ることにした。

 あれは大濠公園なのだった。不思議な楽しい施設だった。

今年の桜

ただでさえ妖気を発する桜たち。

今年は、人が寄りつかない桜だった。

散ってしまった後になって振り返ると、なおさら

季節ごと、すべて幻想のよう。

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非常事態とか宣言されたりするよりも前。

花見客は必ずいたはずの、桜満開の冷泉公園近く、

すでに人影はまばら。皆どこへ消えたのだ?

私はその時、帰宅中。夕方。

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うちに向かう歩道の先に、2軒並んだ飲食店の前、

急場仕立ての手書きのテイクアウトの札と台を並べて

マスクをつけた店員さんが「テイクアウトありまーす!」と叫んでいる。

ずいぶん手前から感じる「人が来る・・・!」という視線。

 

それ自体が虚しくて、いったんうつむいて通り過ぎ、

でも、だいぶ行ってから、引き返した。

「・・・なんか下さい。」

 

向かって右の店に、じゃあ、キーマカレーを。

うどん屋に、カレーとかあったのか)

左の店には、じゃあ、焼き鳥5本セットを。

「店の中で焼いて来ます、10分ぐらい待ってください」

(テイクアウトの要領、ゼロ)

 

じゃあ、待っている間、回れ右、

立ってる店員さんたちと一緒になって叫んだ。

「テイクアウトありまーす!」

人影まばらな向こう岸の歩道に向けて。

お櫛田さんの桜が、違う次元から優雅に舞い散る花曇り。

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==========

今年の桜は、誰の桜だ

あの、お供え籠のように広げた月は、いったい誰の満月だ

 

私たちは、思い出した

花は ただ花なのだ

月は ただ月なのだ

今も むかしも 来年も

 

私はとうとう、歌い出した

人は 人であればよい

嘘は 崩れていけばよい

やりなおせるなら 泣けばよい

戻らぬものは まぶたの中

こぼれ落ちたら 土に返るさ

土に還るさ 土にかえるさ

 

暗く湿った 根の先に

溜めてしまった 毒のようなもの

涙のような 欲のような

翼をいたわる 枝の先に

結んだつもりの 知恵のようなもの

邪魔なだけの 邪魔なだけの

 

どこまで分け入ったら 触れられるのだ

「うつくしい」と つぶやけるものに

呼び合う魂が はしゃぎたがって

「うつくしい」と 寄り添える誇りのようなものに

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【アカシャに訊け!】2020年1月

アカシックレコード君の名は。

アカシックレコードというのが、ある。

という前提で始めます。

地球をとりまく情報網。

地球だけでなく、生命体がある星はすべて

この情報網に包まれてるのですって。

私たちすべての記憶。

 

アカシックレコードという言葉は、

『君の名は』でちらっと出たこともあって

急に市民権を得て来たらしいのね、知らなかった。

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DVD『君の名は。』より)

 

【片鼻呼吸=つながりやすくなる準備】

アカシックレコードを読む練習を

ぼちぼち、たまに、やっているのですけれども、

アカシャ(アカシックレコードがある

スペースみたいな感じかね)に入る準備の

一つでもある片鼻呼吸というのが、

私にはやっぱり合っているようだ。

 

片鼻呼吸は退屈だという人もいるけれど、

私は最近は40分やるようになって、

やっぱり気持ちが良い。

 

 

私の「片鼻呼吸あるある」は・・・

 

なんだか急に、感涙にむせぶ自分の姿が見えて

その自分から呼吸中の自分がもらい泣きをして

鼻がズルズルになって呼吸ピンチになったりとか、

 

これまでの人生、

職場や学校で出会ってきた

好きでもなんでもない人たちのことが次々に浮かび始めて、

それぞれとぎくしゃくするやらなんやらあったけれど、

私の成長にそこまでしっかりつきあってくれていたなんて

一人残らず、みなさん、ありがとうございます・・・!

と深く深く感謝して涙したりとか、

 

あるいは、ただ無性にあくびが出続けて

涙と鼻水でズルズルになったりとか。

 

これらの「あるある」状態は、

アカシャとつながった(少なくとも

つながりかけてはいる?)状態らしい。

アカシャとつながっている状態というのは、

歓びを放射する魂意識が優位になっている状態とも言えるから。 

 

日常生活の中では、肩鼻呼吸だけで終えたら

雑用に戻る、っていうことも多いけれど、

今回は、呼吸の後、久々にアカシャに入る練習で、

自分のことを尋ねてみた。

 

【アカシャに訊いた!】

やっぱりなんとなく、自分でただ考えているだけより

しっかり意図してアカシャに尋ねると

いくつかの質問に対して、もらえる答えのそれぞれが

ちょっと深いところでつながっていく感覚がある。

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DVD『君の名は。』より)

 

 

以下は、そのメモ。 

1。体のために気をつけることは?(食事とか)

( ↑けっこう、他の人たちとリーディングの練習をしていると

 よくある質問のようなので、私も尋ねてみた)

 

<今の私の体のために摂ると良いものって、何ですか?>

青菜(ほうれん草のおひたし)

ドライフルーツ(特に、500円玉大の赤い実)<なんだろ?>

バナナ、ブルーベリー(生)

<ふーん。>

 

<お酒、毎日飲んでますけど、いいですか?>

お酒もべつに、気にすることはない。

大事なのは、「よく噛んで、味わう。楽しむ」こと。

あとは、べつに。今までどおりで。

<よっしゃー!>

 

<他に、健康のためにやるといいことは?>

ストレッチしたり、柔軟性を高める。

肩と首筋のコリをとるよう意識する。

<あー、今はだいっぶいいけど、以前から

肩とかガチガチだったからねー>

 

それは、リラックスにつながるから。

人目を気にしている自分の解放でもある。

<ん?これは、最近ラジオで聞いたことだなー(汗)

でも、私がアカシャに尋ねている ”今” への答えとして

この説明が来たと感じたのだから、

きっと私のアカシャが今おしえてくれたことなのだ(汗)!>

( ”私のアカシャ”って・・・何だよ)

 

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(ほんの数ヶ月前まで、すがりつくようにお参りを続けていた弁天様。

 今年から新たな気持ちで、またよろしくお願いいたします。)

 

あと、首回り、襟周りのすっきりした服を。

とにかく、”すっきり” させる。

体の線が見える服、ピンクベージュの淡い色のセーターとか。

 <ほう、ほう。>

 

体の部分、部分に必要以上にコンプレックスを持ちすぎていて、

これまで、それを隠す服が多かった。

むしろ、あるがままを出す。

<えー・・・

線が出る服だけれど、

締め付けるような緊張感のあるものでなく、

自然素材で。ジユ〜!な感じで。

<・・・は、はい>

 

ただあるがままを見せることに慣れていけば、

「人目を気にすること(=アタマの中でウジウジ考えること)」

が、一つ減る。

 ↓

すっきりする。

<キーワードは、”すっきり” なんだな。>

 

それによって肩の凝りが少なくなっていく、という相乗効果にもなる。

そうすれば、体に良いものとして

意識的に摂った自然な食べ物の成分が、

ほんとうに、指先、毛細血管にまで行き渡る感覚が持てて、

ますます自然と一体化できる。

<あー、「自然なものを食べて自然と一体化させる」って

私にはとても大切なポイントのようだ。>

 

ずっと前のスクールで、

「サイキックだった過去生」にまずつながって

その時の能力を今生に受け継ぐための

アドバイスを尋ねる、という練習をしたときにも、

同じこと言われたのだった。

 

その過去生での私は、男性のサイキックで

相談者を森のある決まった場所に連れて行って、

その時の動物たちが示す反応を読み解いて

相談者の知りたいことを伝える

という「つながり方」をしていたようだった。

(スクールの後のおしゃべりで

 他の人たちがそこにつながって

 補足してくれたところによると、

 そのサイキックマンは、

 まるで今の研究者のように、

 自分が知りたいことを探求していくという目的の方が大きくて、

 そのための資金をしっかりお上から得つつ、

 そういう他者への貢献もやっていたそうなのね。

 科研費ってやつだ。

 こんなに科研費に興味の無い私なのに、

 科研費ちゃんと取ってたのか、過去のオレは!)

 

その時のサイキック能力をこの転生で使うためには、

”より自然に近いものを食べて、

体をもっと自然に近づけなさい” って

言われていたのだった。

意識してはいたけど。引き続き、意識しとこ。

 

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(よく見たら、弁天様の石灯籠のデザインはなかなか渋い。

 この月、二十三夜ぐらいか。)

 

2。始めたてホヤホヤの、フラメンコレッスンのこと

(11月下旬に始めたフラメンコおほほ。

その時にも尋ねてみたけど、2ヶ月弱経った今のことを

また訊きたい!なぜなら、ハリキッテるからです)

 

<これから意識してゆくとよいことは、どんなことですか?>

周囲の人たちとのバランス。場の中での自分。

<なるほど。皆で楽しく踊る、という性質のものでもあるしね。

その場の雰囲気で気分アガってきたから踊る、とか。>

 

率先して、楽しむ様子を見せることで、

・同じようなタイプの人たちとの交流が進む。

・教室の中のムードメーカーになり、自分の立ち位置も決まる。

 それによって周囲の人たちの「役割」もできあがり、

 関係性が安定して、お互いがそこに居やすくなる。

・その教室全体の空気が軽くなり、居やすくなる。

 その環境全体の風通しが良くなり、好循環が生まれる。

スペイン語も楽しむとよい。

・レッスンの衣装も楽しむとよい。

 <ファルダ(=スカート)探し中です、

 どんなのがいいでしょうかね・・・>

黄色に赤い花。

<わ〜ぉ・・・>

 

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(さすがの正月弁天!炎と煙で賑やか。)

 

3。言葉への興味について

<私ってなぜ言葉に興味があるのか、その起源を教えてください>

(見えて来たのは、仏像。ずんぐりした体型で

 光背が円盤状、小ぶりのもの。くすんだ金色。

 その前でお経を唱える僧侶、周囲からも読経が聞こえる。

 そのあと、白い光で十字架→白い玉に変化((((;゚Д゚)))))))  )

 

仏教の僧侶だけでなく、いろんな宗教での

宗教者としての過去生があり

マントラのような、

神仏に通ずる言葉を唱えることで、

同時に世俗の民衆の癒しにもなっていた。

 ↓

上下、周囲のすべてとつながるという大切な手段として

「言葉」にとても価値を置いていた。

 

<なぜ、言葉が通じない、という苦痛があるのか。

 どうすれば改善できるか>

言葉の価値が大きいままでこの転生に来たので、

言葉に重きを置きすぎている。

 

むしろ、「言葉ではないところ=体」を柔軟にすること、

体に意識を向け、体を愛することで、

自然の循環の一部となること。

言葉を他と切り離さず、

循環している自然のエネルギーの一部だと認識すること。

 

むしろ、言葉でないところを大事にすることで、

言葉もきちんと伝わるようになる。

 <やっぱりここでも、体を自然の一部とする、

 自然と一体化させる、ということが出てくる>

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(弁天様から向こう側へ降りていって、海。)

 

4。原家族(生まれてから一緒にいた家族)について

<私は今後、原家族(亡父、亡母、弟)を本当に許し、

 愛することができるようになるでしょうか?>

(見えるのは、花の咲いた野原に横向きに寝そべっている姿。

 薄手の白っぽいセーター、緊張のない横顔。)

攻撃性が消えた状態を、自分で自分に許している。

白っぽい細身のニットを見かけたら、買ってみると良い。

 

ー ー ー ー ー

キーワードは、自然との一体化。

そのためには、体を ”すっきり” 整えること。

 

どの質問の答えも、他の答えに繋がっていく。

なんか不思議。

これは、練習で相手の質問に対して

アカシャに尋ねているときにもよくある

と感じている感覚。

 

つまり、その時に浮かぶいくつかの質問というのは

すでにつながっている、というか

一つのことを、違うポイントから経験していただけだった

と自覚させられることにもなる、という

感覚なのだ。不思議だけど。

 

スクールの人たちと話していたら、

やっぱり答えがつながっていくという感覚はあるそうで、

もっと不思議。

でも、そう聞くと、答えをアカシャからもらえた気がする

という感覚自体にも、自信が持てて、ナイス。

 

 

ありがと〜アカシャ★

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