2020年5月という地球の季節
誰にとっての何が、
不要不急と必要早急との境目なのでございましょうか。
月はじめのお神様参りは、サンファルには必要必至。必死。
先月は、博多総鎮守櫛田神社から
手水舎柄の杓が消え、鈴緒も消えていたと知り、
私は涙が止まらなくなり、
本殿の前で長いこと立ち尽くしていた。
今月はもう泣くほどでもなく、ただの先月と同じ景色を眺めている。
こうやって、少しずつ暗く硬い方の景色に見慣れていってしまうのだ。
慣れてはいけない。
ほんとうにありがたい。
ふつう、お神様に詣る時には、
ご挨拶したらすぐ次のお神様へ向かうのだけど、
先月はお櫛田さんの柄杓&鈴緒GONE ショックで気が滅入っていたので
その足で向かった愛宕様で、
なんか立派な見た目の方の茶店に入ってみた。
出る時には「また気分転換にいらしてください」と
ほんとうに、ほっとすることを言ってくださったのが印象的だった。
だから今月は、もう、ほぼその茶店に入るのが目的だったのかと
思える勢いで、お詣りして石段降りてきたら
そのまますーっと、店内へ。
ほんとうに、中に入るとすべてが「今までのふつう」。
お客さんたちも自然にマスクを外すから、何よりそれが気持ちいい。
店内にも、ご本殿の周りにも、人は多い。賑やか。
みんな求めてるのです、ふつうを。
巷では疫病退散させる妖怪も出回っているようだし、
愛宕さまもウイルス終息祈願中。
(ほんとは、柄杓も鈴緒も自粛したお櫛田さんの博多祇園山笠こそ
疫病退散から始まった祭りなのに、今年は中止。
疫病に負けるとはがっくりだわ。)
なんか、疫病終息を願う御本殿が、
歯をむき出した兜の武者の面のように見えて、
へぇ〜、威嚇しとるなー、と思っていたら、
入った茶店の中に立派な武者がいらした。
こんな時にも暦どおりにていねいに季節を扱う、立派なお飾り。
気がつけば、地球は5月だった。
日本は、皐月だった。
思い出した。
心から、この文化的な時間に感謝いたしました。
あまりの外界とのギャップの気持ち良さに、ケツ根(お尻に根が生えた、の意)。
もう、お神様のところに詣る時間としては遅くなってしもうたので
次の弁天さまのお詣りは、後日に予定変更。
外に出ることが減ると、こんなにも
季節を感じることが減るのだなぁ。
帰り、スーパーのちょっっっとした花を買って、
季節というか、もう
「生身のもの」そのものを連れて帰る感覚に、
ホッとする。
そういうことを考えながら歩いていたら、なんか
人影まばらな公園のベンチにぽつん、と
新聞紙の・・・花束?ではないか?(笑)
持ち主は見当たらず。
ちょいくたびれかけた菖蒲。不思議だけれど、こんなところにも季節のお花が。
どうしたんだ。しっかり生きなされ、季節の使者よ。
手前には、シロツメクサ。まばらなガキンチョ。
これが、2020年5月という地球の季節。
もう花壇の花々も、花と散ったあと。
<花びらの落ちた後のチューリップは、別物として好きでございます>
先月上旬に、慣れない「テイクアウトありまぁ〜す・・・」の
注文したメニューを待つ間、一緒に並んで叫んだりしたお店が
なんか、開いてなかったのよなー。
前は呼び込みやってた時間帯だけれど [タメ息]・・・。
日にち自体は、ぼわ〜んと過ぎていっているのに、
過ぎたことの一つ一つは、もう幻のように遠い。
誰もお花見をしてなくてむしゃくしゃしていた桜の木は、
もう緑の風の色。
けれど、近づけば、名残の桜。
幻などではなかったよ、と。