年賀状心理

毎年、ぐるぐる考えが巡ってしまうのが、

年賀状なのよね。

 

でも、今年はずいぶん感覚が変わった。

重い囚われが無くなったっチューかね。ネズミどしだけに。おいおい。

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鏡餅に寄って来たのは、鹿。いや、インパラ?

 

【年賀状を出すということ】

まえは、年賀状はしっかり書いていたし、

暑中お見舞いも出していたもんだ。

 

ある意味、社会の中で当たり前のことだという認識で

大した疑いも無く続けていたわけだけれども、

私には、そうやって

季節の節目に知ってる人たちに挨拶することで気分も改まるし、

そのたびにデザインを考えることは、

やりがいのあることでもあった。

 

でもいつからか、よく言われることだけれど

年賀状といえば「印刷物」になってしまって、

私は年の初めに、いったい何を受け取ってるのか?

という疑問が湧くようになって久しい。

 

正月にまず抱く感情が「虚しさ」というのは、

ほんと、良くない。すごく困っていた。

 

なんでここまで虚しかったのか。

 

 

【正月一発目はいつも、ふてくされ。世間への。】

私は毎年手作りで一枚一枚仕上げ、

ヘタなりに墨をすって筆で

宛名や自分の住所氏名を書くなどし、

また

一人一人と話しをする気持ちでの文章も添えていた。

当然、一人一人に書くことは異なる。

私には、「当たり前のこと」であった。

 

それなのに、

受け取るのは、自家製大量生産の印刷物。

 

そう。

「それなのに」なのだ。

 

アンバランスが嫌なのだ。

きっと、与えた分、欲しかった、的な感情なのだ。

寂しいコ ((((;゚Д゚)))))))

 

私は、「あなた」への時間を形にして

この一枚を仕上げているという ”のに”。

 

それなのに。

 

あなたから送られてくるのは、

年に一度、プリンタから大量に吐き出され、

束ねて枚数だけ数えられたうちの一枚かよ。

 

そう見えてしまっていた、寂しいコ ((((;゚Д゚)))))))

 

ウザいだろうなぁそういうこだわり感が。無い人には。

 

いや、だから、出してるぢゃないか、ちゃんと君にも。

ってなるよな。

 

わたしは、

定型挨拶文と、梅か鶴の挿絵みたいなやつの印刷物が、イヤです。

どこのサルの子ともわからぬ赤ん坊の顔写真が、イヤです。

私の名前の漢字が指摘後も訂正されないままの宛名の明朝体は、もっとイヤでーす。

 

イヤだと思って見るから、

「お元気ですか〜?」とかいうペン字の一言もイヤだった。

走り書きのような。

どんだけ忙しいんだよ、ってなる。

どんだけ枚数書いてんだよ、アイドルのサイン会並みかよ、ってなる。

正月早々。

だから何なんだよこの束。

ってなるのだった。

 

せめてもの精神面のバランスのため、自分からは出さなくなった。

夏と冬、デザイン考える時間、作業の時間、

確かにヒト労働少なくなった。

あとは、しかたなく、送って来てくれた人にだけ

片手で済ます程度の返事を出す、という、雑務感。

良くない。

気持ちが。

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お雑煮の前に、実は不愉快でした。毎年。良くない。

 

 

【少数精鋭の ”気持ち” たち】

今年ももらった分にだけ返事を出した。

元旦に初詣から帰ったついでにポストを見ると、

あーやっぱ来てるかー、

返事出すかなー、やめとくかなー。

  

ここが、毎年揺れる

意図的 ”ふてくされ” と、

季節の挨拶をホントはやりたくてやってた感覚との、

ハザマでの悩みどころ。

 

こっちが出すか出さんかは期待せずに送って来てくれてる人たちに対して、

もー私出さんから、って今さら宣言するのも

また逆に面倒だし、出しとくかー、ってなる。

 

 ここ数年、

こっちから出さないって態度になってからは、

仕事関係のヒトたちなんかからは

だいぶ来る枚数も減った。万歳。

 

ほかにも、

何度目かにド強調して宛名の漢字訂正を求めたヒトも

やがて送ってこなくなった。

 

我が子の写真バージョンをただ送って来つづける態度に対して

「あなた自身の近況がわかるといいなぁ」と

たった一度だけ伝えた後輩も、

翌年から送ってこなくなった。

 

印刷文章の横に更に、キチーッとしたご挨拶文のみを

カチーッと書いて、ほとんど二重の定型挨拶文にして

送って来つづける同級生にも

同じことを書いて返事を送っていたら、

やっぱり送ってこなくなった。

 

万々歳。

おーいその人たちよ、その、私へ向けてくれていた

労力と切手代とハガキ代を、

どうぞ動物愛護とかに使っておくれ。

 

 

しかし、だからこそ、である。

いろいろ精神状態が変わって来ている渦中の

今だからなのだろう、

急に、ふと感じた。

 

今だに毎年送ってきてくれる人たちって、

もはや少数精鋭。

元旦にこちらからの挨拶が届くことなんて期待もせず

送り続けて来てくださる行動というのは、

気持ち以外の何ものでもないよなぁ。

 

おお。

感覚というのは、変わるものだ。

 

いつもの感じで、利き手じゃないほうの片手で

スタンプ押せば済むぐらいのもんを

10枚程度書き終えて、

投函しに行きながら

なんかすごーく、そう感じた。

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ドアに覆いかぶさる勢いで年神を誘い込む

意気込みの半端なさ 。

これで、硬かった心が とうとう打ち砕かれたのかもしれぬ。

 

【あんた、そげんアイスばっかり食べよるとね】

定型文を使って、いいじゃないか。

メールだって、定型文が自動で選べるようにすらなってきている。

そんなもんだよ、顔知ってる相手への挨拶なんてフツー。

 

言葉を選び、並べることに、

時間をかけたい人ばかりではない。

そのデザインに決めて仕上がるまでに

人それぞれがどれだけ時間をかけたかなんて、実際わからない。

 

私は、偉そうだけど意気込み的には

まるで宣伝広告の制作プロジェクトのように、

総合的に言葉とデザインを考え、

文字と絵について思いを巡らすのが好きだった、

ただそれだけだ。

 

自分がかけた手間ヒマと

おんなじように見える表面こそが

自分と同じ熱量を持つ愛情なのだと、

どうしても深いところで

無意識に思い込んで、

形式を欲しがっていたのは、

他ならぬオレの承認欲求だ ((((;゚Д゚)))))))

 

寂しいコ ((((;゚Д゚)))))))

 

よしよし。

 

 

((((;゚Д゚)))))))

 

 

赤ん坊の顔を見せたい人は、ただ見せたいのだ。

今しあわせなんだろう、なぁ、いーじゃないか。

 

コンビニや郵便局で売られているだけの

ヒトとカブるかもしれない印刷物を送って

自分を表現しようとするのは、むしろ、

こだわりのない潔い姿勢だ。そだろ?

 

それに、定型挨拶文なんて

今に始まったことじゃない。

 

ふと思い出した。 

小学校の始め頃、互いに暑中お見舞いを送りあっていたけれど

同級生からのものにはどれも、その頃の定型的な

「アイス食べ過ぎないようにね」

とかいう一言が書いてあった。

 

それを見たばあちゃんが

「あら・・・みーんな、おんなじことの書いちゃあ(書いてある)が、

あんた、そげんアイスばっかり食べよるとね?!」

と、心配してたもんだ。

 

そんなもんだ。

 

それに、言葉は、言霊持ってるからな。

 

身に覚えは無くとも、

旧年中は、ほんとにどっかでお世話してたのかもしれんしよ。

今年も変わらぬご指導とご鞭撻を、さしあげることになっていくのかもしれんしよ。

ご健勝を祈ってもらっとくに越したこたぁ無いしよ。

 

それでいいんだよ。

それでいくよ。

今度から、また一年わたしの魂の体験につきあっていただけた感謝を込めて、

少数精鋭の方々のもとへ

元旦につくように年賀状に取り組むあたくしに、なる。

ほぼ一年後への決意。

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(博多の総鎮守:櫛田神社

嗚呼、清々し。晴れやかな元旦でした。

元旦だけでなく、これからもまた

一つ一つ決意を積み重ねてゆくのさ。

 

今年の年賀状も、利き手じゃない片手の使用率9割。

心改める境目の正月。

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今年の思いつきは、

昔彫ったゴム版の「迎春」と

一昨年ハワイで買ったトカゲちゃんスタンプ。

 

 

 

【おしえて!タロット先生】2019年を振り返る:下半期

 2019年をふり返っての答えあわせと再考。

このページは、2019年下半期です。

(上半期は、こちらから。)

いくわよー、まず7月から9月。

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7月《ソード8》

この7月は、これまでの人生の中でも

そうそう無かったと言えるほどに、キツかった。

 

様々なしがらみ、巡りまくる思考によって

がんじがらめで動けない。

でもそう思っているのは自分だけで、実は足元は自由。

動こうとしていなかったのは、自分なのでした。

ほんっとに、よく表したカードだ。

 

もしかしてだけど、

もしかしてだけど、

ライダー氏はこのカード、

この7月の私のことを描いてくれてたんじゃないの?

 

短く言うと、6月前半にスクールで

「過去の記憶と向き合う」ために

未だ根に持ってるコトについて

原家族(生まれたときにいた家族)と

実際に話をしろ、っていう宿題が出てからというもの、

私の心はもう、どんより。どん底。ずんどこ。

動けない。動きたくない。被害者意識。がんじがらめ。であった。

 

私の場合、原家族とは、父、母、弟。

両親はもう死んでる(と聞いている。家を出てから

ゆうに二十年間は絶縁状態であったので、

死んだとこは見てない。)ので

とにかく実際に会って話さねばならないのは、弟。

 

生まれてから一度たりとも

まともに会話したことのない相手と、話さねばならない。

話をしてください、とお願いせねばならない。

こっちから縁を切ったにも関わらず。

どこに住んでるかもわからない相手と。

連絡先も知らない相手と。

 

これはあまりにも大きいことなので、

またいずれ書くことにしよ〜っと。

 

とにかく、通るべき道は、通っていくしかない。

というか、おそらく、通るようになっている。

知らなかった連絡先は、

するっと知ることのできる状況となった。

 

6月に宿題が出てから、7月半ばに

連絡をとるまでにかかった40日間、

悔し涙に明け暮れた。

なんで悔し涙なのかも、いずれ書くことにしよ〜っと。

 

とにかく私は自分の歴史の中で

この日々を「嗚咽の40日」と名付けている。

きつかった。

 

で、7月終わり頃、弟から返事が来た。

 

自分が動けば、状況も動くのだ。

動けないのは、自分が動かないからなのだ。

 

8月《運命の輪》

これまた既に、正月に言われていたのね、わたし。

ここ、自分の力ではどうしようもない運命によって、

思いもよらないことが起きるポイントです、って。

 

弟と会うことになったのは、8月2日。

私を知る人たちは皆、

私が自ら弟と会ってしゃべった、と聞くと

本気で驚き、大仰天した。

 

宿題のことなんてあまりにもどんよりし過ぎて、

誰にも話してはいなかったのだけれど、

弟と会うことが決まってから、同居人に

「近々、わたしは、いちばん私がやるとは思えないような

ことをする予定です、さて、何をするのでしょう?」

ってクイズを出したら、

 

「・・・弟と会う?」

 

と、一発で正解されたほど。

私の要望に応えて会って

会話をしてくれた弟に感謝もしたし、

ほんと、この流れというのは、運命そのものだ。

その話によって、

私の過去はほんとうの過去になった。

それは、いずれ書くことにしよ〜っと。

 

ほんとに、過去がびゅんびゅん音を立てて

遠のいて、「過去」になっていった。

頭の周りに何もなくなって、スカーっとし過ぎて

怖いほどに支えが無くなった感覚だった。

ほんとに、耳周りがスカスカしてたような感覚。

 

そして下旬には、さらなるスクールの課題として、

断食と、ビジョンクエスト。

これでまたいろいろと、自分の中が大きく、

なんというかしら、

本来向いていたはずの方向に向き直すことができてきた、

という感覚もあるな。

ほんと、運命の大車輪がゴローン!と回転した8月だった。

 

9月《▼恋人》

このカードの意味としては、

仕事上の協力者がいない、補い合えない、

コミュニケーションがうまくいかない、

「調和」できない、何かを「選択」していかないといけないよ

と言われていたらしいけれど、

なんか、ピンとこないのよねー。

 

もしかしてだけど、

もしかしてだけど、

未来の予想っていうのは、その未来を尋ねた時点での

もっとも起き得ることが来るわけなので、

意識が変わり、反応が変われば、結果も変わるもの。

スクールの宿題に一生懸命取り組んで、

私の意識が変わったので、あまり不調和を不調和として

感じずに済んだんじゃないの?

 

 そして、10月以降も、実は同じように

あんましピンとは来ないんだよなー・・・。

 

9月から12月までのカードはすべて逆位置なのだけど、

つまり、8月に《運命の輪》が回転して以降、

逆位置が、逆位置として感じられなくなっている感じ。

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逆位置というのは、そのカードのエネルギーが

ストレートには現れづらい、という要素を

孕んでいるものとして解釈できる。

 

でもここでは、

その、「エネルギーを遮る何か」が取り払われて、

つまりは逆位置が逆位置の要素を失って、

そのカード自体の意味がストレートに来ていた

という感覚があるのだよなぁ、不思議です。

 

10月《▼カップQUEEN

テーマは「慈愛」。感情部分を受け入れまくる女性性。

でも本来は逆位置なので、

受け入れの度が過ぎて、繊細に感じ取るがゆえに

人の感情に振り回されてしまったり、

心の調和がとれず、感情的な気分になってしまったり、という予想。 

だけど、むー。べつに。

なんちゃなく過ごしたわ。

 

11月《▼ワンド8》

カード自体の性質は、ものごとの急展開を表し、

「これから重要なメッセージが来るよ」ということも知らせる。

個人的な意思などもはや届かないところからの。

 

逆位置の解釈をしたら、急展開に至らないのだから、

滞ったり、喜べない変化が起きたりする、と。

 

いえいえ、私が実際に経験した11月は、

まさに正位置の、カードの性質そのもの。

 

KNOWING の課題の一つであった

「アンタカラナの儀式」が終わったのが11月上旬。

 

そこで得た大きな大きな気づきは、

「音楽とか美術とかカラダ動かすとか、

もともと区別する方がおかしいこと」なのだ、ということ。

そして漠然と、

私はその「どれも」が実は単純に「好き」だったよなぁ、ということ。

 

今までずっと、

音楽をやってる自分という姿を意識し過ぎていたり、

両親の「楽器なら習わせてやるけどダンスはダメ」っていう

考え方を受け継いでしまっていたり、

父親がずっと宿題に干渉しすぎて小学校の頃にいつも

オトナ過ぎる絵を提出していたから

自分は絵が下手だと思い込んでいたり、

と、無意識に区別し、区別させられてもいたのが、

単に馬鹿なことだった、と気がついた。

 

その意識で11月のスクールに行ったら、

自分で見た過去世でも、クラスの人たちによるリーディングでも、

 

「天と通じて自由自在に踊っていた過去世が

 とっても奔放で気持ちよかった」

 

とわかって、

複数の人たちから具体的に

フラメンコの要素を音楽に取り入れるといいとか

スペインのマドリードで踊ってた、とかも言われて、

そのままの勢いで、スクールから戻った一週間後には

あっという間にフラメンコ教室に通い始めることになって、

もうその変わりようが、自分でもこわいほど。

 

でも、すご〜く楽しいんだぜ。

 

これは、人知を超えた急展開でしょう。

カードのエネルギーそのもの、正位置のエネルギーでしょう。

 

12月《THE FOOL 愚者》

カードのキーワードは「自由」

無条件に自分を信じ、何をやるにも囚われない自由な冒険心。

危険も伴うかもしれないけれども、なるようになるさ。

ささいなきっかけからの、新たな場面への旅立ち。

 

逆位置の場合、その不安定な方の要素が強く出る感じかな。

無責任に楽な方に流れる、とか。

 

でも私の12月は、べつに不安定感や、

フラフラ定まらず不精に流れたなんてことも自覚は無かったし、

やはり、正位置の方がぴったり来る。

 

この、「ピンとこない逆位置」は、9月から。

やっぱり、

8月の《運命の輪》が、タロット先生の予想以上に

かなり良い方向に大回転したおかげ、

と言えるのではないかなぁ。

 

私の意識が変わり

日常の一つ一つの出来事への反応を変えていったことで

タロット先生の予想していた「曇り要素」が

取っ払われた、と。

 

「逆位置」の性質を考える良い機会ともなりました。

 

アドバイスカード《ソード6》

逆位置が連続した9月〜12月について、

じゃ、どのような意識を持っていたらよいでしょう?と

アドバイスを求めた答えが、《ソード6》。

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思考や情報、何らかの手段を変える

(=移行させる)ことで解決できるよ・・・

というアドバイスをいただいていたのですね。

 

考え方を変えることなんて、大き過ぎて、

でも意識せざるを得なかった大きな課題でもあったので、

ぶっちゃけ、お正月のタロット先生からのアドバイスだった

ということとしては、覚えてなかった。

 

でも、過ぎてみれば、

言われたとおりのことを、一年かけてやってきていた

ということだ。

まさに、このアドバイスに忠実に暮らしたことで、

逆位置の要素がとれて

すんなり正位置のエネルギーが実現した、というわけで、

なんと言いましょうか、

結果的に、めでたし、でめたし、デミタスコーヒー。

ありがとう!タロット先生!

 

 

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【おしえて!タロット先生】2019年を振り返る:上半期

【答えあわせ】

思ひおこせば、2019年お正月に

これからの一年をタロット先生に尋ねていた。

振り返ってみよう。

一年経って、2019年を実際に経験した私との、答え合わせです。

 

タロット先生による

2019年月ごとの予想は、次の通り。

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概観すると、

1月:動きたくてたまらん、情報ほしい

2月:周囲との調和が難しい、サービス精神持とうとしても持てない

3月:責任感果たしたい思いが満たされない、真面目過ぎて裏目に出る

4月:これまでのことに訣別、あたらしい始まり

5月:バランスをもって、冷静、客観的にものごとを見ようとする

6月:これから地道に創造していくこと、培っていくこと

7月:動けない行き詰まり感は、自分の思い込みよ★

8月:運命はなるようにしかならない、進むべき方向へ!

9月:バランスとれない、選択したいのにできない

10月:うまく受け取れない、受け入れられない

11月:ものごとの展開が早すぎてあっぷあっぷ気味

12月:もう、おバカになっちゃう。無責任!社会性なし(汗)

(9月〜12月の状況へのadvice:なんらかの形を「移行」させることで解決せよ。)

 

【もう少し詳しく見てゆきます】

思い当たるところと、ピンとこないところとの

関係がまた、すごくおもしろいのです。

まずこのページでは、上半期。

(下半期は、こちらへ。)

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1月《ソードKNIGHT》

これまでの(人生の)モヤモヤが溜まりに溜まって、

アタマで思い巡らし、動こうとし始めた。

 

1月は特に、石についての本買ったり、

越智啓子さんの本を読んだり、

新しいヨガの教室探しながら

ヒプノセラピーのこと調べたりしている。

実際に受けられるところはないか、とか、

それ系の本を読んでみよう、とか。

 

チベット体操のことも知って、

チャクラのこととかも、もっと知りたいと思って

ワークショップに申し込んだのも、この時期。

 

自分の中で思考が巡り過ぎて

逆にギチギチに動けなかった状態を突破して、

自分が、情報に向かって動き始めているなぁ、と感じていたとき。

 

2月《▼ペンタクル2)

(「▼」は「逆位置」のことね。)

年度末の、成績を出す時期は、もっとも苦痛の多い時。

授業をまじめに受ける学生だけなら問題など起こらんが、

そうでない者たちで、大学は溢れている。

 

まともに採点していると、毎年毎年、卒業できない者まで出る。

私の責任ではないはずが、毎年、

地獄の亡者がぞろぞろと足元にすがるように、

拝み倒して単位をもらおうとする者に寄ってこられ、

ヘドが出るほど悍ましいのだ。

 

何度も悪夢があった。

本人が拝み倒しに来る。

周囲の親や指導教員や主任なんかまで

直接やってくる。電話してくる。

「この2単位のために、卒業できないんですよ?」

「就職が決まってるのに」

「教員採用試験にも通ってるのに」

これって、一年生でとっておくべき教養科目の、

条件さえクリアしていれば落とすはずのない性質の授業で、

及第点に至らなかった者の態度かね?

 

そしてこの2月にもあった。

自分が条件を満たしていないと考えて先回りして、

拝み倒す手紙とともに、「チョコレートをどうぞ」と

賞味期限の説明などつけて「よろしくお願いします」と。

 

うんざりなんだよ。

本気で泣きながら、高校んときの恩師に連絡とって

相談したりしてんだよ。

私がやってきてることって何なのか?

キリが無いんだよ。

やってきたすべてが虚しくなるんだよ。

 

それが、やっぱりこういうカードで表わされてしまってんだよ。

周囲とのバランスが取れない、柔軟に対応できない

ってカードなんだよこれは。

柔軟な対応とかできるかバカ。

 

3月《▼ペンタクルKNIGHT》

2月に引き続き、年度末の嫌な空気を引きずっていた。

責任感が仇になっている、と毎年感じるとき。

自分の考えにこだわってしまっていた、とも言える。

 

結局、ほかの教員は、面倒なことにならないように

テキトーに流しておく、ということができているようなのだけれど、

良くも悪くも、私にはそれができない。

そんなことも含めての、1月《ソードKNIGHT》の

理想への駆けずり回り感でもあったのだ。

 

そんな流せる教員の中には、

こいつマジでテキトーやもんなー、と

蔑みたくなるような教員もいるが、

まともに有り余る能力による裁量で

玉石混交の受講者の期末レポートを

さらっと片付けていく先生もいないわけではない。

 

だからこれはやっぱり、私の中の問題なのだ。

学生が良いか悪いかは、学生側の問題としてあるだけで、

私側の問題として、私の苦しさはある。

私が向かい合うところは、私側の問題だけ。

 

あと、3月終わり頃の卒業式でも、

違うようで同じような性質の、しょーもないことも起きた。

 

数人の教員が、浮かれて気前よく

自分が担当していた学生たちや我が子まで(いつも引くわ((((;゚Д゚)))))))汗)

宴会に同席させたはよいが、

その飲食代を自分が持つ気は無かったらしく

(ヒトの財布までアテにして ”奢ってやるからおいで” と言っていた、

って恥ずかしくないか?)

後日ズブズブの情にまみれた、ミョーな割り勘が始まったので

その発想の貧相さと不自然さを指摘したところ

年をまたいだ今も、その割り勘の計算が

ペンディングになっているという、クソアホらしい話。

 

これも、私がツルむ気のない仲良し教員たちの中では

またアイツだけが理屈を並べて文句を言っている、

って空気なのだろう。

カゲでは、私に同意してくる人たちもいるのだけれど。

カゲでは、な。

 

単位のことにせよ、割り勘のことにせよ、

私が経験している性質は、同じなのだ。

 

我慢しきれない状況に置かれて仕方なく考えを述べると、

「自分は大きい声では言えなかったけど

 実は正しいことを、あの人がきっちり言ってるので

 あの人んとこに行ってちょうだい」

的な位置に置かれて、なんか気がつくと

私を除いた周りどうしはうまくやっている。

こっちにはますます理屈屋のレッテルが貼られていく。

そんな《▼ペンタクルKNIGHT》。

 

 次。4月から6月。

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4月《DEATH 死》

新しいステージへの変化。

すでに変化への心は決まっている段階。

 

KNOWING スクールに申し込んだのは、3月の終わり頃だったと思う。

いくつも重なる採点の苦痛をはじめとして

自分側の地獄を見る思いの年度末を

何度も過ごしているうちに、

さすがに、鈍感な私も

これは自分の中で起きている問題なのだ

と気づいて、なんとかしたいと思っていた。

 

で、ある日、YouTubeをかけっぱなしにして

皿を洗っていたら、

勝手にKNOWING の説明会の動画が流れてきて、

ここ行こう、と心は瞬間的にすぐ決めたのだ。

(意識的に決定するまでは、多少時間がかかったけど)

 

あー、ここ行けば私はスッキリできる、と感じて

涙がぼろぼろ出た。

 

ほんと、こういうのも

《死》のカードが表す「終わりと始まり」なのだなぁ

と体感した感じ。

5月からのスクールを、ワクワクしながら待っていた。

 

状況は変わってないのに、気持ちは

もう完全に新しい方向に向いていた、

っていう時期だな。

 

5月《THE HIEROPHANT 司祭 法王》

主に”精神面をまとめる”という観点での、

社会の中で現実を生きていくのに必要な指導者。

 

救いとなるものを求め、

安心できる信頼関係を得るカード。父性。

 

このカードが表す父性で解釈できる立場の人とは、

自分の成長や人生そのもののテーマとも関わるようだし、

まさに、5月から通い始めたKNOWING のことだな。

ゲリーさんのことともとれるし、

スクール全体という環境ともとれる。

 

モロに精神面の救いだったわなぁ。

安心できる場所だと感じたし、

けれどやってる内容はむしろ

スピリチュアル的に俗世間から離れるどころか、

現実的に、社会の中にきちんと身を置くために

自分を捉え直していくこと。

 

地に足をつけた、穏やかな方法で。

ん、ま、スクールでのワークの中には、

穏やかでない方法とかもありましたけど(汗)。

 

このカードを引いたお正月には、まだ

KNOWING の存在なんて知らないし。

まったくピンと来るはずもないことだったのに、

今ふり返って見ると、ぴったり過ぎるほど当てはまっている。

 

タロット先生、おそるべし。

 

6月《ペンタクル3》

これから良きものを創造していくには、

まだまだ時間を要するよ、という段階です、と

このカードは示していた。そのとおりだな。

スキルを培っているところ、という感覚。

 

6月に、KNOWING で重〜い宿題が出たんだ。 

宿題は、絶対にやると決めている。

スッキリしたい一心で通っとるのだから。

 

嗚呼、苦しんだ宿題の日々(涙)。

一生続く「自己認識」の旅(涙)。

 

怒涛の展開は、下半期へ続きます。

逆位置の読み方について考える機会にもなった

【おしえて!タロット先生】2019年を振り返る:下半期  」へGO!

sachi-de-saint-phalle.hatenablog.com

 

 

正月ですタイ。

明けましたなぁ。

 

【2020年ですなぁ】

年月って、経つもんですなぁ。

 

今年は、華丸大吉の華ちゃんのように、

おいしゃん口調で生きていきます。

けっこう、いいんだ、これが。

険しさをそぎ落とす感じが。

 

ちょっとしたイラつきや、「・・・ん?」みたいな感覚もすべて

包んでポイ、と放る感覚になれるというか。

最後にとりあえず、「ふむ・・・そーですなー」

とか言っとくと。

 

一年の計ですタイ。

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(アラスカでエベレスト制覇したポーズか。)

 

いやー、というわけで、

今年の正月は、初日の出も見らんで、明るぅなってから

初詣に行きましたーぁぁ、もう、ものすご寒かったですもんねー。

 

 

【令和の巫女】

今年は、巫女さんが超不作の正月だった。

あるいは、令和の巫女は、もうあれでいくのか?

 

初詣のときの巫女さんって、

バイトとは言え、ふつう、

 

明るく、めでたゲに

「あけましておめでとうございます!!」

「お神酒をお受けください★!!」

「本年もよろしくおねがいいたします!」

などとハキハキご挨拶するイメージ。

 

お守りや縁起物を買うために

こちらがお金を出す場合には、

これお願いします、ってさし出すと

例えばいったん受け取って値段のことは

「◯千円 ”お納め” ください!」

ってぇ、言うものだ。

 

あー、「(自分らが)いただきます」じゃなく、

「(お神様に)お納めください」ねー、と。

 

暮れに一連の教育はされたんだなー、と

わかるものだったけれども・・・

 

その爽やかな流れで、こっちも、

ストーブだけじゃ着物で寒いだろけどねー、と思ったり、

でも、やっぱ必要な役目だしねー、と思ったりで

いつもの正月場面として通り過ぎる

というか。

 

しかし、今年の巫女たちは。

やはり、令和である。

 

お櫛田さんでお神酒受けようとしても、

なーも言わんし(汗)

AIのほうがもちょっとなんか

セリフ組み込まれとるような、

気がしますなー。

 

愛宕さんでは

縁起物を買うにあたって、いつも買う同じヤツにするか

気分を変える(ややライトな感じになっちまう)か、

けっこう私ら迷った挙句に、

やっぱ、いちばん大きいカッコいい、いつものでいこう、と

「大願の矢」というのを一つとって・・・

 

「これお願いします」と差し出したのですけれど・・・

 

黙って手は前で合わせたまま立ってるので(汗)、

あ、無駄な動きを省く巫女さんなのか(汗)、と

慌てて、

大きい大願の矢を持ったままもごもご財布を取り出し始めたら

「◯千円いただきます」

と、

ふつーにお札うけとって、

そのままお金を置く場所に消えてった。

 

「・・・私らは、もうここ離れていいのかね?」

一瞬、いや二、三瞬

戸惑って合理的現実的巫女の背中をだいぶ見つめた。

いただかれた◯千円は、

直で彼女のバイト代になったトですかなー。

 

帰ろうとして、別のところで、同居人氏が

華やかな熊手を見て

 

「オレ、これ買う」

と瞬殺されてしまった。

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ま、とにかく、派手である。

豊かさを、庶民的に表現したらこうなった、という感じで、グッジョブ。

 

人出はおおいけれど、ちょうどその売り場には

人はおらず、巫女二人が立っているだけ。

 

そんな空間でも

たしかに、気になるかわいい楽しいゴージャスさ。

 

私たち二人でちょっと触って角度を変えたりしながら、

眺めておった。

 

いちばん上の文字は、何ていう文字なのかね?

梵字のような。

干支の「子」か?

「千」をネズミの尻尾っぽくしたものか?

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すぐ前にぼーっと立ってる巫女さんの一人に、ダメ元で

「これ、なんて書いてあるかわかります?」

 

「・・・あ、ちょっと、聞いてきます」

あ、やっぱそこまでわかってるわけじゃないよね

そりゃそーだ、と思って、

 

いや、いいんですよ

(わざわざそっちの数メートル離れた社務所の中にいる

本物の神官さんたちとかのとこに行ってくれなくっても・・・)

とぐらいに言うつもりだったのだけれども、

 

次の瞬間、聞いてくると言った巫女は、

すぐ隣に立ってるもう一人の巫女を小声で誘い、

二人で寄ってきて、

二人で覗き込み、

首をひねりながら黙って立った。

 

ああ、隣に聞いたのか。

 

私ら四人、金色の作りもんを囲んで見下ろして

頭を寄せ合ってるだけなのであった。

風は冷たかった。

 

「あ、すいませんもういいです、じゃ、これください」

黙って受け取った一人が、

二歩ほど離れて、

シャバい小さめのコンビニ袋を取って

熊手をそのままシャバっと入れて、

そして

こっちに持ってきたと思ったら、

 

明らかに、

 

それを渡す私たちを、

彼女はキョロキョロ、キョロキョロ、っと

探したのでした。

 

けっこうな角度に目を泳がせて、というか、

首を動かして。

 

ずっと私ら二人しか客おらんやろ?

今、いっしょに四人で頭寄せ合っとったろ?

 

見えてないのか?

見ようとしていないのか?

人は、見たいものしか見えない、

期待したものしか見ようとしない

って言いますからなー。

 

ゆるすぎますなー。

令和ですなー。

 

【よかタイ。豊かさもGET】

そんな巫女体験から帰ってきたら

マンションのお隣のお箸やさんがお正月から開いとったもんやけん、

無いまんまやったお正月用のお箸も買うて、

めでたい鶴の敷モン(ランチョンマット的な、ね 《汗》)も買うて、

ものすごオマケしてもろてから、豊かさGET!

もー、新年早々ラッキーですタイ★

 

なんかごちゃごちゃーとしてから、うちの正月ですタイ。

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屠蘇も雑煮もおせちもブリも、死ぬほど旨いよありがとう。

 

今年もよねすけ。

 

 

サンファルの過去生 --踊るバカ女--

 ノウイングのワークで、広い意味でアカシックリーディングとも言える、退行催眠というのをやったんだ。

 

 過去に自分でもやったことはあるのだけれども、今回のテーマは、「アカシックにバリバリつながっていた自分」につながること。

 そして、それはもちろん「今の自分に、見る準備のできている」過去生。

 

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こんなキレイな東京タワー見たことない、と東京の方々も写メ撮りまくり。

 

【想定外のバカおんな登場】

 以前にも、前意識になるための軽い練習として、自分の過去生を見る練習をした時に、「サイキック能力を使っていた過去生」を見たこともあったし、自分で他のテーマとして見ようとしたときに、あーこの時の私はサイキック能力持ってたのねぇ、という過去生を見たこともあったので、まぁ、その中で見た過去生の誰かが、たぶん出てくるんだろうなぁ・・・などと、思っていたのだった。軽く。

 

ところが。

 

違う人が出てきた。

違う転生。

 

なんか、踊ってる姿が、見えてきたんだ。

 

くねくね。くるくる。

ベリーダンス的な。

若く、美しい踊り子ヽ(´▽`)/

 

ただただ、ジブンの体に、

上から来るエネルギーを通すひと。

実に、気持ちがいい。

その感覚は、この今の私に、すごくわかる。

気持ちいいんです。

そして、これなんです、私が欲していたのは。

 

【おかげで納得できてゆく記憶】

一瞬にしてわかるこの感覚。

小学生の頃から私は、

無邪気にはしゃぎまわる同級生や

年の近いいとこたちなどを、

「子供らしく無邪気で、いいなぁ〜」

と心底おもって、眺めていた。

無邪気さが、マジでうらやましかったのだ。

ほんとうは無邪気にしていたかったのに、

でもできない、という強烈な意識があった。

押さえつけられていて。

 

【バカおんなだもの・・・奢り】

その踊り子の私は、天真爛漫。天衣無縫。

天からエネルギーが来るままに、

体を動かせばそれは「踊り」になり、

声を出せば「歌」であり、

言葉になれば「メッセージ」として人々に染み込む。

 

外でも踊り、酒場でも踊る。

賑やかな音楽に合わせて。

賑やかであればあるほど、アガる。

踊れば拍手が来る。

歌えば耳を傾けられる。

上からの言葉を聞かせてほしいと

酒場の客が次々に言葉を聴きにやって来る。

毎日、毎日。

行くところ、行くところ。

拍手と賞賛の日々。その繰り返し。

 

だんだんそれに飽きて来る。

あーあ、タイクツ。・・・ってなる。

 

そんなタイクツ心がふくれあがる中、

噂は独自に噂を呼んで、

やがてその国の権力者の耳にも入り、

とうとう王子様まで、上からの言葉を聴きにやって来る。

お互い、まんざらでもない感じになった。

 

しかし。

王子様の態度なんて、ただ一時的なもの。

片や、バカ女の方は、

ほれ、ワタシの才能と美貌は、一国の将来の女王にも値する!

と、鼻高々。玉の輿!万能感。

 

【今生のブロックは、自作です】

わかりやすい話だ。

たかが踊り子風情で・・・と、

高くなった鼻をへし折られる。

町から蹴り出される。

もはや、人々は冷たい。

 

死ぬときに抱いた感情、決めたことは、

「自分を出しすぎると、痛い目に遭ってしまう」

「言いたいことは、言ってはいけない

 

これはあくまで、まだこの踊り子個人としての

ごく狭い、ミクロな感覚。

ジブンは悪くないのに、的な。

 

オーバーソウルの視点から眺めた。

ほんとうは、そゆことじゃない。

 

彼女には、感謝が無かった。

 

感謝さえあれば、完璧!

完璧に、私の理想の生き方。

 

【どう生かす!?その過去生】

そうなのです。

そこを、過去生を見た後の

ジブンの中の「ひとり反省会」で、話題としたわよ。

 

前半の、踊るイタコ状態は

まっさっにっ、ゼロ葛藤。

才能を謳歌できることが、いかに幸せなことか。

そこに、まったく意識が向いていなかった。

いかん、いかん。

過去のいつの人なのかは知らんが、

若い踊り子さんよ、それはいかんよ。

 

同時に、目を閉じてこの転生を見ていた間の、

あの懐かしいリアルな気持ち良さ。

あれです。

ワタシの本性が感じていた、そして

永遠に感じたいと追い求めていた、リアルな感覚。

 

才能を楽しむ能力。

さらには、それを持ちながら、

多くの人にそれを認められ、賞賛され、

またかれらの資源ともなって感謝までしてもらえることが、

いかに幸せな循環であることか。

 

そこに感謝の念を持つ人になろうよ。

そういう人でいようよ。

 

 【災い転じて、塞翁が馬。かも。】

感謝の念が無かったことでスパッ!と

それまでの生活から転落してしまった、という人生後半。

それを象徴的に今生のタイムラインにつなぐポイントが、

10歳頃の、母の買い物について行ったスーパーの前の場面。

 

母がスーパーの前に自転車を止めている間にも

私はただ機嫌よく、その当時テレビで見続けて好きだった

渡辺真知子の「カモメが翔んだ日」を、

身振り手振りも真似しながら歌っていた。

誰の目を気にするでもなく。

ちょうど、歌い始めの、

 

  ♪ハーバーライトが 朝日に染まる

 その時 一羽の

    カモメ〜が〜、飛〜ん〜だぁ〜〜

 

の、「飛〜ん〜」のあたりだった。

並べられた自転車の間で、

抑えて吐き出す息と一緒にツンザクような母の声が

 

「やめなさい!恥ずかしかっ!」

 

・・・恥ずかしか・・・?

 

その声と言葉は、私の胸にぐさっっ!と刺さった。

 

まるで、ジャンプした瞬間に、脳天をスパイクされて

ばんっっ!と地面に叩きつけられたような。

私のすべてを一瞬で

ぐっっっ!と封じ込められたような。

 

今の今まで、そのほんの1.5秒程度の場面は、

私とはどこをとっても正反対の母の言動の一つとして、

私の方が許して忘れ去っていくしかないものだと思って

心の隅に追いやっていた。

強烈で鮮やかな痛みが続いていたとは言え。

 

けれどそれはまさしく、私が

最も懐かしみ、

最も取り戻したがっていた

踊り子の封じ込められた感覚を思い出すための、

欠くべからざる重要なゲートなのであった。

 

今生での私の母なる人として、

私があの母親を選んだ大きな理由の一つは、

そのゲートから

あの踊り子の天衣無縫さにつなげてもらうことに

あったのかもしれない。

 

なんと巧妙な。

なんと回りくどい。

もともと覚醒しているくせに。

 

・・・ったくよ。

 

そのくらい大きく視点の広がった経験だった。

 

【おぉ・・・!】

あとちょっとなのだ。

私の感覚。

私は、あとちょっとで、のびのびと楽になれる。

 

その後のアカシックレコードの読み合いで、

ある人が見てくれた。

「メスがすーっと入っていく感じ。

 ちょうど、蛹が羽化する時のように。

 もう、準備できてる。脱ぎ捨てれば、きらびやかに羽ばたける。」

 

・・・だろー?

 

過去生退行プロセスの最後には、

感謝の念を持つワタシとなったところで、

さて、どうぞ、

今の私と、統合しましょ。

 

・・・ドッキーング!

 

統合しました。

ちょっとスタイルも良くなった気がするぜヽ(´▽`)/

 

 

 

フジコ・ヘミングのお役目 〜誰にも奪いようのないもの〜

10月24日、フジコ・ヘミングを聴きに、福岡シンフォニーホールへ。

 

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ツアー、すごい頻度だ。

前回のツアーは、福岡が確か5月下旬。オーケストラとの協演。

 

私はそっちは行けなくて、ちょうど東京にいられた6月に

すみだトリフォニーホールで聴けた。

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ソロが聴きたいけどなぁと思っていたら

うまいことチケットがとれた東京の方はソロの日で、ナイス。

 

今回の福岡も前回同様、オーケストラとの協演なので

わたし的には、たった4ヶ月ぶりの贅沢とは言え、

協奏曲などという未体験の予定。

 

ところが、です。

 

とんでもないことって、起きるのです。

 

フジコ、まさかの大遅刻!

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協奏曲を楽しみにしていらした皆さんごめん、って(汗)

そして遠いところからやってきたオーケストラの皆さんの方は、

フジコ無しで、ふわぁ〜っと演奏。

 

18時20分に空港に「到着」(予定)って、

「着陸」っていう意味の?・・・よね。

空港出るまでに、だいぶかかるよ?

18時30分開場、19時開演だよ?フジコー!

 

ちなみに、私が仕事から博多駅に戻ったのが18時10分。

みょーに腹減っていて、

地下鉄の時間とのタイミングもあって

うーむ、どぉしよう、ギリギリになりすぎるかな

とか迷った挙句、

えーい、迷っている時間がもったいないわ!と

蕎麦屋に飛び込んだ頃・・・まだフジコは空中にいたのかよ。

 

オーケストラが1時間ちょい演奏して、

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ジャ、ジャ、ジャ、ジャ〜〜ンと「運命」やってくれたりして

ま、これも運命よねー、

この人たち、そう思って弾いたりしとるのかな、

なんて思いながら、

なんっか、音うつくしいけど、

このホールの音響、オーケストラなんて不慣れなワシには

度を越してやーわらけーなー・・・

などと思いながら、

聴いていたら、あっちゅー間だった。

 

フジコが出て来たのは、

休憩を挟んで、そうねぇ、20時20分頃?

も少しあと?半近く・・・ぐらいだったかな。

 

やたー!到着ー!

ほんとにここまで来たー!フジコー!

 

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これは終演直後。ステージ両脇に、オーケストラが使った椅子が積まれたまま。

急なこととは言え、なんで要らんもの

ステージの上に置いたまま、フジコスタート???

なに?この、雑多感。

そうまでして、急な変更ぶりを演出せんでもよかろうに。 

 

スタッフの人に支えられながら、ゆっくり歩いて登場したフジコ。

マイクを持って始めにおっしゃることは、

一人では歩きづらくて補助がいることへの、
なんというか、
「カッコ悪いとこお見せしちゃって(テへ)」
的なところ。
 
この大ハプニングの説明は、そのあと。
この順番が、永遠の少女フジコね。
いいわよ、その調子。
 

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一週間ほど前に、ロンドン公演に行くところだった
パリ北駅?だっけ?で、
スられちゃったんだってー(泣)
 
「あの辺は、スリが多いんです。」とフジコ。
まぁイギリスへはパスポート無しでも入れたけど、
福岡へは〜・・・と、大変だった様子。
(福岡が、日本ツアーの初日だったのね。)
 
フジコと言えば、父親の国籍との関係で
たしか19歳まで?だったかな、無国籍状態でいたから
留学したい時期にすぐには動けなかったりという、
人生を左右するやきもき体験もなさってる
と、お聞きしております。
 
そんな方が、世界的に有名になった後にまた
よりによって
日本へ入ることを阻まれるなんて。
 
 
「列車の中でも、寝てなくって・・・」
「20分ぐらい前に着いたばかりで(みんなため息)」
「うまく弾けるかどうかわかりませんけれど」
 
まぁこれは、とは言え弾けるっていう前提と、
実際弾けた事実があるから
ふつーに許される、成り立つ挨拶なのだ。
やれない人が、前もって口にしてはぜったいダメなやつ。
 
そして、自分はうまく弾けないかもしれないけど
みなさんはぜひ、
「この後のオーケストラの方々の、素晴らしい演奏の方をお楽しみに」
と、もはや状況も把握していないフジコ。

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いいんだよ、フジコ。
 
ピアノの前に座りさえすれば。
そこからフジコの世界だから。
 
弾き始めるフジコ。
 
 
今日はちょっと体調が〜とかさ、
事情があって練習できてなくって〜とか、
あーもーリハ無しでどーなることやらー、とか、
なんなら、
なんか、なんっか、なんっかが、ヘンなんだけど!とかさ、
 
オレたち演奏ってもんをしたことがある人間なら、
いや演奏に限らず、
人目に晒される何かをやったことがある人間なら
その多くが、
自分のパフォーマンスがうまくいかないことを
「自分の外」のせいにするリクツを、
まるでそれが客観的な
避けられない大前提でしかなかったかのように、
自分は単なるその被害者で
憐れまれることを求めるかのように、
言葉にしてしまうよなー。
 
よく聞くし。私も例外ではなかった。

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ネオン街に向かって、反省。

 
その自分の演奏が影響を受けている要素が
「自分の外」から始まっていようが、いまいが、
そもそも環境とは影響を受けるもの。
影響を受けてこその、生の環境。
影響を受けた環境の中で
自分の持つものをその時の完璧な形で発揮できなかったのなら
それは、そこまでの力でしかなかった
ということだ。
 
フジコはわざわざパリから、大変な思いをして
そういう「上」からの伝言
(=私たちの「中」から気づくべきこと)を
届けに来てくれたようなものだ。

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金のスカルをネオン街に向けて、感謝の意を表明。

 
盗難事故被害の精神的動揺、
パスポートの無い不安と混乱、
それに伴う入国手続きによる疲れ、
海外からの移動の疲れ、
直前の曲目変更、
慣れない街での慌ただしい移動と
練習リハ無しでいきなりの本番。
楽屋の混乱、
たった一人のステージ。
 
そして最後には、
命がけのような覚悟でないと弾けない、
その人の生き様がすべて出ちゃうとおっしゃる
リストの「ラ・カンパネラ」を、
会場全体が心待ちにしている。
 
おそらく、究極の
 
「入り込む」
 
「ゆだねる」
 
「込める」
 
を見せ、そこから響く音を、聴かせてくださった。
あれが、
 
「誰にも奪えないもの」
 
だ。
外からの要素には左右されない
いや、「左右させない」ところの。
 
ナチスの迫害という不条理な状況に翻弄され、
逃げて、逃げて、
飢えながら隠れて、
見すぼらしい姿になりはてたピニストが、
ドイツの軍人に見つかった極限状態で
そこにあるピアノを弾いてみろと言われて、
 
 
弾く。
ピアニストの音で。
 
 
あの時の、感じに近い。
誰にも奪えないもの。
神もその人から奪い去ることができないもの。
 
 
もう、ほんっとフジコったら。
これまでの経験へのご褒美のように花開いた今を謳歌して
ゆったりと世界中を楽しみながら
演奏して回ってたらそれでいいじゃないの。
 
でももはや、そこに集まってくる人々に、
神が(それはつまり、自分の中の、気づける部分が)
気づかせるために
フジコは動かされ、伝える領域に入っており、
そしてそのこと自体が、フジコへの終わりなき試練なのかもなぁ。 

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そういうふうに
神の使いとしてのフジコのお役目に少し気づきつつも、
私はまだまだ、
あぁフジコがうまく弾けますように、などと
試練を受ける生身のフジコ自身のことも、
すこし心配したりした。
 
フジコの指がほんっの時々となりの鍵盤に触れてしまった時には
自分のことのようにドキッ!としたりしてしまって。
弾く人への「共感」が、いつにも増して
大きくなっていたとも言えるかな。
 
それはまるで、
部活で監督に見込まれた先輩が
居残りでさらに特訓受けているのを、
固唾を飲んで見守るしかない補欠後輩みたいな
無力かつ純粋な感覚だった。
・・・フジコせんぱい・・・・・(涙)
 
アンコールまで済ませ、
フジコはやはり
「この後のオーケストラのベートーベンにも
大きな拍手をお願いいたします」
とかなんとか、
ひとりだけ違う時空から挨拶をして、
ゆっくり消えてった。
 
ありがとうフジコ!
ごゆっくりお休みになられて、この後も各地で
人々に多くの気づきを、どうぞお与えになり、
またご自身も、日々お健やかに〜!

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しっかりと何かを学んで、

雨に濡れた中洲方面に帰るさち・ド・サンファルヘミング。

 

 

形式の力:即位礼正殿の儀〜あるバタバタmorning の回想

今日は即位礼正殿の儀というのが、執り行われていたようですけれども。

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同世代のかたが天皇になられると、やはり感慨深い。

日本が戦争に転がり落ちるのを止めることができる天皇であってください。

 

儀式とかの形式の担う力ってやっぱ、あるんだなー、と

ここのところ、折に触れよく考える。

 

儀式というほど大袈裟ではないけれど

アファメーションについて考えていたことを

ちょっと思い出した。

 

・・・アファメーションというのが、ありますね。

自分自身について、肯定的な宣言を繰り返す行為というか。

 

私たちの発した言葉は、

地球のエーテル体というところに届くのですって。

攻撃的な言葉は、

発した自分のエーテル体も、相手のエーテル体も

傷つけてしまうらしい。ひぇ〜

 

エーテル体って言われても、と思うヒトの方が多いとは思うけど。

私も、最近やや聴き慣れてきた程度で、

まだそんっなにリアルすぎるほどには、リアルなもんでもない。

まぁとにかく、私たちを覆うエネルギーの、層の一つね。

 

けれど、そういうものとも絡むアファメーションとか儀式とかの

「形式」というものについて、

なんかちょっとリアルなところにたどり着いた、

という話を進めます。

 

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地球のエーテル体かぁ・・・・

 

相手を殴ったりしてしまっても、肉体だけでなく

エーテル体まで傷ついてしまうそうなのだけれど

それよりも、言葉で傷つけられると

実はエーテル体が元に戻るには、さらに時間がかかるのだとか。

 

ピンと来ないなりにも、ためしてみるといいのは、ですね、

手のひら(センサーね)を相手に向けて、意識的に近づいていくと

もわっ、と弾力性が出てすこし暖かくなる境界線がある。

それがヒトのエーテル体なのねー。

(ペットでもわかります。もわもわっ、て)

 

それで、生身の肉体がエーテル体を持つように、

地球には地球のエーテル体があるのですと。

きっと、リアルなもんなんだと思うわ、

”星” 規模でモノを考えたり、動いたりしていれば。

 

私にとっては、今はまだ言われた通り

そう信じておくしかないところですけれど、

私は、素直にそう信じて、コトを進めるよ。

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地球のエーテル体・・・なんか、あんだろうなぁ・・・・

 

だからつまりは、イヤでも

届いてしまうんだね。

在るんだから、エーテル体が。

そして、発したんだから、声を。

声ですよ、リアルな肉体が、リアルな空気を振動させた、

エネルギーの波。

 

んだから、朝イチで発する声が

肯定的なエネルギーを発していれば、

当然のこととして

それが地球のエーテル体に届き、

そのエネルギーはまた、私たちを守ってくれもするのでしょう。

 

私は今、ノウイングでおべんきょしていますけれど、で、

その中にもいくつも、儀式というもんも出て来るんだけれど、

アファメーションというものも、ありますノデス。

(儀式というのがまた、面白いのよね。これはまたいずれ。)

 

で、スクールでも言われましたのよ。

毎朝、起きて一発目に発する声として、

自分の世界を肯定的な方向へ進める意図を載せて、

アファメーションを唱えてください、と。

(言葉自体は、自分に合うものを

 自分で作り上げていけばよいもの。

 スクールではいくつか提示してもらったりもしていて、

 珍しく私としてはその言葉がそのままハマったので

 ずっとそれを使っている)

だから、とにかく、

 

唱えていたんだよね、毎朝。

 

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そして、それが習慣化した頃に、気がついたことがあるのだ〜。

 

それは「毎朝起きてすぐ」という、

日常生活の中に位置付けている習慣だからこその成り行き

なのだと思う。

 

ある朝、起きてすぐからけっこう

バタバタしてしまって、色々時間と闘ってしもーて、

家の人間が出かける時になって

「行って来ます」と言うので、

あ、もうそんな時間だ、とまた

バタバタしながら玄関まで見送りに出て来て

「行ってらっしゃい」と言・・・おうとした

発声の準備に入った喉の状態から瞬間的に

 

 はっ!今から出すのが今日の一発目の声だ!

 (やべ、アファメーションしてなかった( ゚д゚) ・・・)

 

と感じた、その一瞬あとの、

 

う・・・も、もう、もはや「行ってらっしゃい」の前に

アファメーション唱えてくるから待ってとも言えない、

でもあーあアファメーションじゃない一言で

今日一日を始めることになっちまうのかよ、ちっ

(その心の中の「ちっ」もいけない (゚o゚;; ので、寸止め)

 

と考えた次の瞬間にとる行動は・・・・?

そう。そのとおり!

 

 

「行ってらっしゃい」

 と、穏やかに優しく言う

 

 

だろー?

それが地球のエーテル体に届いて、自分に戻って来ても、

アファメーションと同じだけの(あるいはそれ以上の)

肯定的な守ってくれるエネルギーを持つ声と言葉であったなら、

問題ないだろー?

 

問題ないどころか、むしろそれこそが、

日常の中でアファメーションを繰り返すという

形式あってこそ引き起こされる絶大なる効果を持つ、

「形式の持つ力」

なのではないか?

 

形式のおかげで、そこにエネルギーが生じていて、

それを逸脱してしまいそうになった時には

しっかりとその指針になるというか。

拠り所として戻ってこれるだけのリアリティとも言えるような。

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そう気づいてからは、

 そうか、すべての瞬間の発声が

 すべて穏やかであればよいのだ

と、リアルに実感するようになった。

格段に、何かを悪く言う言葉も、

理屈からでなく

体感として良くないから、使わなくなった。

 

毎朝アファメーションするという儀式の枠の中にいる安心や満足感にも増して、

日常の中で

その枠から逸脱してしまうことで得られる実感というものにも、

とても価値がある!

 

いわゆる儀式や、アファメーションなんていう「形式」というのは、

むしろ、それを行おうとする「意図」とか「意味」とかからは

乖離していってしまうものなのでは?と

思わなくもなかったのだけれど。むしろ反対であった。

 

あー、形式の持つ力って、そゆことでもあるのかもなー、と

けっこうかなりリアルに感じた、

ある日のバタバタモーニングだった。

 

 

《追記:即位礼正殿の儀の日に思う》

 

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・・・・しっかし、

 

「国民に ”寄り添う”」という表現が多用され始めた気がするなー。

平成の天皇さまご譲位の頃から。

 

天皇さまは、特に今はまだ(なのか?「今はまだ」であってほしい)、

上皇さまが国民に寄り添ったことを長々と述べる時間が、長い。

 

まーほんとは、「今はまだ」とは言え、

「今」だからこそご自分のことを宣言する場があるわけなのだが、

とにかく、そういう公の場での公の宣言の中で

 自分のオリジナルの決意を述べる以上に、

 上皇さまを褒め称える尺がやたらと長い

と私は思います。

解説ではそれを「踏襲」で表していたけれども。

 

だからなおさら、上皇さまが使ってらした「国民に寄り添う」を

耳にする機会が2倍になっとるのかもしれん。

 

そんなこんなで、

あまりに平易な言葉での儀式というのも、やや照れた。 

 

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「君はひとりじゃないから」とかまでは、言わないでほしいです。

 

 

なんでも、中継の後の解説によると、

総理大臣の寿詞(よごと)の中の文言が、

前回の平成への代替わりの時の海部総理大臣の使った表現から

ちょっと平易な表現に変更されていたらしい。

 

平成「最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます」

令和「最善の努力を尽くしてまいります」

 

それは、 皇位継承式典事務局ってところが、

内閣総理大臣の『寿詞』は、国民の代表として述べられるもので、それに適した表現にした」

説明しているのですと。

 

その事務局ってところが、

どれだけ社会を的確に捉えようとした、

どれだけ語感のある人たちの集まりなのかはわからんけれども、

つまりは、

「お誓い申し上げる」っていう表現を

リアルに理解できる国民が減ってる、とかいうような認識

による変更ということになるのかね。

 

それは非常に国民をナメた&センスのない見方だし、さらには、

「代表する」って、そういうことではないと

私は思う。

 

儀式、形式、言葉について考えた一日。

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儀を終えて。

 

 

 

 

嵐を呼ぶオンナ!

【秋のウンザリタイフーン】

東京での、ノウイングってぇスクールの授業が、

移動費のクソ高い10月12(土)〜14日(月祝)の

3連休の予定だったのだけど、

9月に引き続いて、また見事に台風と出会うこととなり

初日は休講、2日目は午後から、ということに。

 

こんなこともあろうかと、

3連休を避けて少しでも安い前日に

前乗りすることにしていたのが功を奏した。

 

・・・と、私一人が移動できてもダメか。

首都圏の交通機関自体が、計画運休を次々に発表。

 

9月の授業も台風に見舞われて

けっこうな状況を楽しむハメになった私としては、

ウンザリこいたわ、しょーじき。

(この、「計画運休」という言葉、9月のタイフーン以来

 急にポピュラーになってきた気がする。

 ふだんJR博多駅を利用する私は、

 鹿児島本線の情報メールを受信するようにしとるのだけど

 その鹿児島本線までが、

 いっちょまえに計画運休します、とか言うてきてた)

 

でも、思い直して。

東京のホテルの一室で台風に耐えることを

趣味にしてることにしてみた。

 

部屋でやるべき勉強自体はいろいろあるので、

あとは、部屋のみグッズを揃えて飛び立ったさ。

コップと、カボスと、包丁。

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包丁持ち歩くには、荷物を「預入手荷物」にしないとねー。

(以前、包丁を研いでもらった時に

 包丁やさんに念を押されたのだけど、たしか

 包丁持ったら「目的地」まで

 さっさと移動しないといけないらしいよね。

 むやみに危険物を持ち歩かない、ってことね。

 寄り道したら銃刀法違反か?)

 

預け入れ荷物にすると、さっさと移動したい時には不便だけど。

前乗りとかの、ちょっと気分的に余裕があるときは、

スーツケースにハサミや包丁も入れとくと、ほんと便利 ♪

移動が多い人には、オススメです(そゆ人はもう、知ってるか)。

 

2泊以上する時には部屋に花を置くし、

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良いところ(地下鉄大門駅からすぐ)に、良い花屋さんを発見。bird flower という。トルコキキョウは、「おまけ」★

花を切れるとホント、花も長持ちするし

ぐっと

生活している!という感覚も出る。

何よりも、無機質な、どこ泊まっても同じ感じの

ホテルの部屋が、

ぐっと

自分ち!になる。

だから、ホテルに泊まることが多い人には、

お花はホント、オススメです。

 

で、今回は、秋という季節も手伝い、

今ならカボスが冷蔵庫にたっぷりある我が家なのに

そこから離れたくない!

という気分になったおかげで、

そうか!カボス携帯すればよい!と気づいたのでした。

 

これも、移動の多い方にはオススメ。(そうか?)

移動が多くて、部屋飲みする人には、だな。

 

 【LINEその1】

授業が休講になって、受講者どうし、

LINEでの会話が飛び交っていたのだけれど、

やがて、自然に

「嵐が大惨事にならぬよう

 皆で意識を揃えて祈りましょう」

という話になっていった。

 

 「葛藤」の無い心で「意図」すれば、それが即「結果」となる

 

ということを学んでいるわたくしたち。

皆、自然と、それぞれ純粋な心で祈ったのでした。

11日(金)午後10時、

12日(土)午前10時、午後10時と。

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これはどう見ても、龍神でしょう!

そして、このLINEが飛び交っていたのと同じ頃・・・

 

【LINEその2】

スクールとはまっっったく関係ないはずの

高校の同級生たちと先生とでできている

LINEのグループでもやりとりが始まっており・・・

(だいたい、いつも不思議だなー、と思っていたのが、

 スクールのある時に、よく

 この人たちのLINEも始まるということ。)

 

私が、会話の途中で

また趣味で東京の台風を体験しているとか、

台風だけじゃなく、地震まで来たよ〜とか伝えて、

龍神の雲の画像↑を送ったところ、

やっぱり龍に見えるとおもってたとこ、

という発言もあったりして、

 

ほっといたらどんどん、参加者の発言が

興味深い方向に進み始めたのだ〜。

 

「よく考えたら、お前は台風に何度も当たる

不運なやつなのではなく、

台風を自分の方に呼び寄せて

九州から逸らしてくれている霊能者だったのだ!」

「じゃ、包丁は宝剣だ!」

とかいうことになってきて、

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そこまで言うんなら、宝剣を奉ってるところを送ってあげたさ。

「江戸にいる本来の目的は、部屋飲みじゃないよね」

と言うので、

違います、明日は外飲みするけど

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(部屋飲みメニューは充実してるけど)

と答えると、

 

「霊能者の目的は、雨を止めて、

ダムの緊急放水をストップさせることだろ!」

とかいう方向に。

 ↓

その努力は、もうやってます。

スクールの方々と。

 

私にはもう、ノウイングのLINEだったか

高校の方のLINEだったか

区別がつかぬほどのシンクロぶり。

 

そうなると、このなんとなく持ってった包丁の絵が、

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「嵐で浄化された街の姿です」

「ほんまや!」(なぜか大阪弁

ということに、なっていくのでした。

 

やっぱ、なんか、やるよなー、この同期していく感じ。

私が媒体になっている気すらする。

意図することを意識的にやっている人たちと

まだそこまで意識的ではない(けど、じゅうぶん

潜在的に知っている)人たちとをつなぐ。

 

【だから、嵐を呼ぶワタシ】

そういうわけで、

話題の展開があまりにも自然だったため、

 

 ワタシの江戸滞在の本来の目的は、

 宇宙の仕組み、「ワタシは ”何” であるか」

 を知ることですの。

 もうこっちで言われる前に

 あっちで祈っとるから。

 

という話をした、という不思議な嵐の夜だった。

 

【おまけ】

今は昔、私たちの高校の合格発表の日は、

陽が差したかとおもったら霰が降るような

ヘンテコな天気の日で、

入学候補者たちを前にはりきったある先生が

「今日は人生のすべての天気が現れた象徴的な一日だ、

 君たちは嵐に向かって進め!」

とかなんとか口走ったのがきっかけで、

その後、私らの学年は

「向嵐会」と名付けられたのだった。

 

何を隠そう、あの日の嵐を呼んだのも、

この私です。

 

ということだ。わはは。

 

 

お花レッスン 《リーフアレンジ》

お花レッスンのメモ。備忘。

でもどなたかのお役には立つでしょう、きっと。

【花材】

<枝もの、葉もの>

(1) 雲竜柳(アカジクドラゴン)黄色っぽいくねった枝 3〜4股に分かれてるの1本

(2) モンステラ 中くらいの 2枚

(4)(8) タニワタリ 3枚

(11) 雪柳(紅葉) 赤っぽい 1枝

 

<マス>

(3) ピンクッション(コーディフォリウム)赤 2輪

(5) ビバーナム(アルプスルビー) コンパクタとも言う。黄色い丸い実 秋っぽい 1枝(実は3房)

(6) (10) リューカデンドロン(サファリサンセット) 2本

(7) バラ(アマダ)ふっくら中くらい 赤 2輪

(9) テマリソウ みどりの玉 2輪

 

 

 

これは、三方見(さんぽうみ)。

マスになり得るものたちが皆、

デカい&色の主張がはっきりしている 。

 

【準備】オアシス

長い方を正面に。花器の縁から2センチ程度の高さまで押し込む。

特に、角はしっかり花器の内側に向けて、面取りしてセット。

セロファンは、2センチぐらい残してカット。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914151928j:plain

 

【スタート】大きく。

(1) いきなり雲竜柳からいってみましょう。

他の葉物を活けてから柳の高さを決める方法もあるけれど、

のびのびと、柳を先に置いてしまう。

前後の位置も自由。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152154j:plain

けっこうな長さ、高さ。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152304j:plain

 

他の葉物も、花類も、

あまり散らすよりもグルーピングする(まとめる)方が、

その特徴が際立つ

 

葉っぱ類のもともとの向きなども考えて、

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152418j:plain

このモンステラは、正面に向かって右側に来て欲しいので、

 

(2) 柳のお次はモンステラ

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153042j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153112j:plain

 

次の葉物は、左に来るものを。

レッスンの時は、もう(3) フォーカルになる花を選んだ気がしてきた。

 

けど、うちでやり直しているこの写真では、

間違えて左側の葉物を先に挿してしまった。

結局、あとでやっぱりバランスが悪くて、挿し直すことになったわ。

 

まぁよい。そのまま進めます。

(3) 左側に来るタニワタリを、今回は、葉先をまるめて使う。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153205j:plain

両面テープで止めてみてから、形が決まったら、ホッチキスで

2〜3箇所パチン!パチン!と止めてしまう。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153317j:plain

↑これは、裏側の模様を敢えて外側に出してみた。

↓こっちは、表側を外側に。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153346j:plain

長さが決まったら、オアシスに挿す

中心の芯の部分を残して、葉の部分は切り取る。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914154900j:plain

 

1枚目。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914155116j:plain

 

2枚目。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153734j:plain

 

とりあえず、葉物は2枚ずつ。

あとのタニワタリ残り1枚は、バランスを見てどこかに。

 

(4) ここでは、フォーカル。

高さが活かせるのがフォーカルになると、映えるよな。

その他の花は、フォーカルを活かすため、低めに。

 

今回のフォーカルはピンクッションで。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914155559j:plain

フォーカルを決めたら、やはり、

同じ種類は近いところどうしの方が、引き立てあえる。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914155850j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914155919j:plain

 

(5) ビバーナムの、実の垂れた感じを活かして使いたい。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160642j:plain

立てて高めの位置で垂れさせるとか、

下草(したくさ)的に、下の方で垂れさせるとか。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160135j:plain

今回は、立てて一枝まるごと。

これは3かたまりある実のついた、一本の枝です。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160528j:plain

(この、葉っぱのついたヤツね。)

 

(6) リューカデンドロンも、2本近づけて。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160800j:plain

 

(7) あとバラ。

これも、目立つ赤!なので

周囲の色とのバランスで、

1輪は、モンステラの緑の間に、横顔として。

もう1輪は、フォーカルを引き立てるために

後ろから覗かせる、という方法もあるし、

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161209j:plain

 

フォーカルのピンクッションの間に

ビバーナムがあるので、

その黄色い実をバックにして

前に持って来る、という方法も。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161041j:plain

レッスン終わって花持って帰って来て、

こうして挿し直すまでに2日経ってるからなー。

バラがすでに、ヘタれている。

けど気にしないで!もう少しよ!

 

それに、やっぱり左側が窮屈。

これも後でやり直してしまうから、

気にしないで!

 

(8) 3枚目のタニワタリを、

左の2枚の間にちょこっと見える位置に補充。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161851j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162402j:plain

 

(9)  テマリソウ2輪プラス。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162019j:plain

 

(10) 仕上げ1

あとは、正面の後ろが、まだスカスカ。

 

2輪目のバラを前に持って来てるので、

後ろからちょこっと、濃い色を覗かせるため、

リューカデンドロンの残りをプラス。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162212j:plain

 

(11) 仕上げ2。

雪柳の1枝の、先の方をちょっと覗かせる。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162349j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162402j:plain

 

あとは前の方の下のほうに、下草として補充。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162857j:plain

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163332j:plain

 

できあがりなーのだ。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163215j:plain

 これはレッスンの時の完成状態なーのだ。

まだバラやピンクッションが生っき生きしておーるのだ。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163502j:plain

グロテスクではあるけど、美しい。

ピンクッション(コーディフォリウム)。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163456j:plain

テマリソウは、ほんに、器用な立ち回り。

マスにもなれて、下草にもなれる。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914164213j:plain

ビバーナム(アルプスルビー)(先生は、ずっとコンパクタと呼んでらっしゃいました)と、

まだふっくりしてるバラ(アマダ)。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914164504j:plain

いつ聞いても、聞く者の耳にその名を轟かす、リューカデンドロン!

またこやつも、マスでもいけるし、長くも短くもいけるし、

長さ調整したあとの残りも、ちゃんと脇役でいけるし、

ドライになってもまだいける!すごい!燻し銀!

 

おつかれさまー。パチパチヽ(´▽`)/☆

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

お花レッスン 《リーフアレンジ》

お花レッスンのメモ。備忘。

でもどなたかのお役には立つでしょう、きっと。

【花材】

<枝もの、葉もの>

(1) 雲竜柳(アカジクドラゴン)黄色っぽいくねった枝 3〜4股に分かれてるの1本

(2) モンステラ 中くらいの 2枚

(4)(8) タニワタリ 3枚

(11) 雪柳(紅葉) 赤っぽい 1枝

 

<マス>

(3) ピンクッション(コーディフォリウム)赤 2輪

(5) ビバーナム(アルプスルビー) コンパクタとも言う。黄色い丸い実 秋っぽい 1枝(実は3房)

(6) (10) リューカデンドロン(サファリサンセット) 2本

(7) バラ(アマダ)ふっくら中くらい 赤 2輪

(9) テマリソウ みどりの玉 2輪

 

 

 

これは、三方見(さんぽうみ)。

マスになり得るものたちが皆、

デカい&色の主張がはっきりしている 。

 

【準備】オアシス

長い方を正面に。花器の縁から2センチ程度の高さまで押し込む。

特に、角はしっかり花器の内側に向けて、面取りしてセット。

セロファンは、2センチぐらい残してカット。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914151928j:plain

 

【スタート】大きく。

(1) いきなり雲竜柳からいってみましょう。

他の葉物を活けてから柳の高さを決める方法もあるけれど、

のびのびと、柳を先に置いてしまう。

前後の位置も自由。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152154j:plain

けっこうな長さ、高さ。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152304j:plain

 

他の葉物も、花類も、

あまり散らすよりもグルーピングする(まとめる)方が、

その特徴が際立つ

 

葉っぱ類のもともとの向きなども考えて、

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914152418j:plain

このモンステラは、正面に向かって右側に来て欲しいので、

 

(2) 柳のお次はモンステラ

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次の葉物は、左に来るものを。

レッスンの時は、もう(3) フォーカルになる花を選んだ気がしてきた。

 

けど、うちでやり直しているこの写真では、

間違えて左側の葉物を先に挿してしまった。

結局、あとでやっぱりバランスが悪くて、挿し直すことになったわ。

 

まぁよい。そのまま進めます。

(3) 左側に来るタニワタリを、今回は、葉先をまるめて使う。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153205j:plain

両面テープで止めてみてから、形が決まったら、ホッチキスで

2〜3箇所パチン!パチン!と止めてしまう。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153317j:plain

↑これは、裏側の模様を敢えて外側に出してみた。

↓こっちは、表側を外側に。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914153346j:plain

長さが決まったら、オアシスに挿す

中心の芯の部分を残して、葉の部分は切り取る。

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1枚目。

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2枚目。

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とりあえず、葉物は2枚ずつ。

あとのタニワタリ残り1枚は、バランスを見てどこかに。

 

(4) ここでは、フォーカル。

高さが活かせるのがフォーカルになると、映えるよな。

その他の花は、フォーカルを活かすため、低めに。

 

今回のフォーカルはピンクッションで。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914155559j:plain

フォーカルを決めたら、やはり、

同じ種類は近いところどうしの方が、引き立てあえる。

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(5) ビバーナムの、実の垂れた感じを活かして使いたい。

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立てて高めの位置で垂れさせるとか、

下草(したくさ)的に、下の方で垂れさせるとか。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914160135j:plain

今回は、立てて一枝まるごと。

これは3かたまりある実のついた、一本の枝です。

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(この、葉っぱのついたヤツね。)

 

(6) リューカデンドロンも、2本近づけて。

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(7) あとバラ。

これも、目立つ赤!なので

周囲の色とのバランスで、

1輪は、モンステラの緑の間に、横顔として。

もう1輪は、フォーカルを引き立てるために

後ろから覗かせる、という方法もあるし、

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161209j:plain

 

フォーカルのピンクッションの間に

ビバーナムがあるので、

その黄色い実をバックにして

前に持って来る、という方法も。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161041j:plain

レッスン終わって花持って帰って来て、

こうして挿し直すまでに2日経ってるからなー。

バラがすでに、ヘタれている。

けど気にしないで!もう少しよ!

 

それに、やっぱり左側が窮屈。

これも後でやり直してしまうから、

気にしないで!

 

(8) 3枚目のタニワタリを、

左の2枚の間にちょこっと見える位置に補充。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914161851j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162402j:plain

 

(9)  テマリソウ2輪プラス。

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(10) 仕上げ1

あとは、正面の後ろが、まだスカスカ。

 

2輪目のバラを前に持って来てるので、

後ろからちょこっと、濃い色を覗かせるため、

リューカデンドロンの残りをプラス。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162212j:plain

 

(11) 仕上げ2。

雪柳の1枝の、先の方をちょっと覗かせる。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162349j:plainf:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914162402j:plain

 

あとは前の方の下のほうに、下草として補充。

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f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163332j:plain

 

できあがりなーのだ。

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914163215j:plain

 これはレッスンの時の完成状態なーのだ。

まだバラやピンクッションが生っき生きしておーるのだ。

 

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グロテスクではあるけど、美しい。

ピンクッション(コーディフォリウム)。

 

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テマリソウは、ほんに、器用な立ち回り。

マスにもなれて、下草にもなれる。

 

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ビバーナム(アルプスルビー)(先生は、ずっとコンパクタと呼んでらっしゃいました)と、

まだふっくりしてるバラ(アマダ)。

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190914164504j:plain

いつ聞いても、聞く者の耳にその名を轟かす、リューカデンドロン!

またこやつも、マスでもいけるし、長くも短くもいけるし、

長さ調整したあとの残りも、ちゃんと脇役でいけるし、

ドライになってもまだいける!すごい!燻し銀!

 

おつかれさまー。パチパチヽ(´▽`)/☆