フジコ・ヘミングのお役目 〜誰にも奪いようのないもの〜

10月24日、フジコ・ヘミングを聴きに、福岡シンフォニーホールへ。

 

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ツアー、すごい頻度だ。

前回のツアーは、福岡が確か5月下旬。オーケストラとの協演。

 

私はそっちは行けなくて、ちょうど東京にいられた6月に

すみだトリフォニーホールで聴けた。

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ソロが聴きたいけどなぁと思っていたら

うまいことチケットがとれた東京の方はソロの日で、ナイス。

 

今回の福岡も前回同様、オーケストラとの協演なので

わたし的には、たった4ヶ月ぶりの贅沢とは言え、

協奏曲などという未体験の予定。

 

ところが、です。

 

とんでもないことって、起きるのです。

 

フジコ、まさかの大遅刻!

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協奏曲を楽しみにしていらした皆さんごめん、って(汗)

そして遠いところからやってきたオーケストラの皆さんの方は、

フジコ無しで、ふわぁ〜っと演奏。

 

18時20分に空港に「到着」(予定)って、

「着陸」っていう意味の?・・・よね。

空港出るまでに、だいぶかかるよ?

18時30分開場、19時開演だよ?フジコー!

 

ちなみに、私が仕事から博多駅に戻ったのが18時10分。

みょーに腹減っていて、

地下鉄の時間とのタイミングもあって

うーむ、どぉしよう、ギリギリになりすぎるかな

とか迷った挙句、

えーい、迷っている時間がもったいないわ!と

蕎麦屋に飛び込んだ頃・・・まだフジコは空中にいたのかよ。

 

オーケストラが1時間ちょい演奏して、

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ジャ、ジャ、ジャ、ジャ〜〜ンと「運命」やってくれたりして

ま、これも運命よねー、

この人たち、そう思って弾いたりしとるのかな、

なんて思いながら、

なんっか、音うつくしいけど、

このホールの音響、オーケストラなんて不慣れなワシには

度を越してやーわらけーなー・・・

などと思いながら、

聴いていたら、あっちゅー間だった。

 

フジコが出て来たのは、

休憩を挟んで、そうねぇ、20時20分頃?

も少しあと?半近く・・・ぐらいだったかな。

 

やたー!到着ー!

ほんとにここまで来たー!フジコー!

 

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これは終演直後。ステージ両脇に、オーケストラが使った椅子が積まれたまま。

急なこととは言え、なんで要らんもの

ステージの上に置いたまま、フジコスタート???

なに?この、雑多感。

そうまでして、急な変更ぶりを演出せんでもよかろうに。 

 

スタッフの人に支えられながら、ゆっくり歩いて登場したフジコ。

マイクを持って始めにおっしゃることは、

一人では歩きづらくて補助がいることへの、
なんというか、
「カッコ悪いとこお見せしちゃって(テへ)」
的なところ。
 
この大ハプニングの説明は、そのあと。
この順番が、永遠の少女フジコね。
いいわよ、その調子。
 

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一週間ほど前に、ロンドン公演に行くところだった
パリ北駅?だっけ?で、
スられちゃったんだってー(泣)
 
「あの辺は、スリが多いんです。」とフジコ。
まぁイギリスへはパスポート無しでも入れたけど、
福岡へは〜・・・と、大変だった様子。
(福岡が、日本ツアーの初日だったのね。)
 
フジコと言えば、父親の国籍との関係で
たしか19歳まで?だったかな、無国籍状態でいたから
留学したい時期にすぐには動けなかったりという、
人生を左右するやきもき体験もなさってる
と、お聞きしております。
 
そんな方が、世界的に有名になった後にまた
よりによって
日本へ入ることを阻まれるなんて。
 
 
「列車の中でも、寝てなくって・・・」
「20分ぐらい前に着いたばかりで(みんなため息)」
「うまく弾けるかどうかわかりませんけれど」
 
まぁこれは、とは言え弾けるっていう前提と、
実際弾けた事実があるから
ふつーに許される、成り立つ挨拶なのだ。
やれない人が、前もって口にしてはぜったいダメなやつ。
 
そして、自分はうまく弾けないかもしれないけど
みなさんはぜひ、
「この後のオーケストラの方々の、素晴らしい演奏の方をお楽しみに」
と、もはや状況も把握していないフジコ。

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いいんだよ、フジコ。
 
ピアノの前に座りさえすれば。
そこからフジコの世界だから。
 
弾き始めるフジコ。
 
 
今日はちょっと体調が〜とかさ、
事情があって練習できてなくって〜とか、
あーもーリハ無しでどーなることやらー、とか、
なんなら、
なんか、なんっか、なんっかが、ヘンなんだけど!とかさ、
 
オレたち演奏ってもんをしたことがある人間なら、
いや演奏に限らず、
人目に晒される何かをやったことがある人間なら
その多くが、
自分のパフォーマンスがうまくいかないことを
「自分の外」のせいにするリクツを、
まるでそれが客観的な
避けられない大前提でしかなかったかのように、
自分は単なるその被害者で
憐れまれることを求めるかのように、
言葉にしてしまうよなー。
 
よく聞くし。私も例外ではなかった。

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ネオン街に向かって、反省。

 
その自分の演奏が影響を受けている要素が
「自分の外」から始まっていようが、いまいが、
そもそも環境とは影響を受けるもの。
影響を受けてこその、生の環境。
影響を受けた環境の中で
自分の持つものをその時の完璧な形で発揮できなかったのなら
それは、そこまでの力でしかなかった
ということだ。
 
フジコはわざわざパリから、大変な思いをして
そういう「上」からの伝言
(=私たちの「中」から気づくべきこと)を
届けに来てくれたようなものだ。

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金のスカルをネオン街に向けて、感謝の意を表明。

 
盗難事故被害の精神的動揺、
パスポートの無い不安と混乱、
それに伴う入国手続きによる疲れ、
海外からの移動の疲れ、
直前の曲目変更、
慣れない街での慌ただしい移動と
練習リハ無しでいきなりの本番。
楽屋の混乱、
たった一人のステージ。
 
そして最後には、
命がけのような覚悟でないと弾けない、
その人の生き様がすべて出ちゃうとおっしゃる
リストの「ラ・カンパネラ」を、
会場全体が心待ちにしている。
 
おそらく、究極の
 
「入り込む」
 
「ゆだねる」
 
「込める」
 
を見せ、そこから響く音を、聴かせてくださった。
あれが、
 
「誰にも奪えないもの」
 
だ。
外からの要素には左右されない
いや、「左右させない」ところの。
 
ナチスの迫害という不条理な状況に翻弄され、
逃げて、逃げて、
飢えながら隠れて、
見すぼらしい姿になりはてたピニストが、
ドイツの軍人に見つかった極限状態で
そこにあるピアノを弾いてみろと言われて、
 
 
弾く。
ピアニストの音で。
 
 
あの時の、感じに近い。
誰にも奪えないもの。
神もその人から奪い去ることができないもの。
 
 
もう、ほんっとフジコったら。
これまでの経験へのご褒美のように花開いた今を謳歌して
ゆったりと世界中を楽しみながら
演奏して回ってたらそれでいいじゃないの。
 
でももはや、そこに集まってくる人々に、
神が(それはつまり、自分の中の、気づける部分が)
気づかせるために
フジコは動かされ、伝える領域に入っており、
そしてそのこと自体が、フジコへの終わりなき試練なのかもなぁ。 

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そういうふうに
神の使いとしてのフジコのお役目に少し気づきつつも、
私はまだまだ、
あぁフジコがうまく弾けますように、などと
試練を受ける生身のフジコ自身のことも、
すこし心配したりした。
 
フジコの指がほんっの時々となりの鍵盤に触れてしまった時には
自分のことのようにドキッ!としたりしてしまって。
弾く人への「共感」が、いつにも増して
大きくなっていたとも言えるかな。
 
それはまるで、
部活で監督に見込まれた先輩が
居残りでさらに特訓受けているのを、
固唾を飲んで見守るしかない補欠後輩みたいな
無力かつ純粋な感覚だった。
・・・フジコせんぱい・・・・・(涙)
 
アンコールまで済ませ、
フジコはやはり
「この後のオーケストラのベートーベンにも
大きな拍手をお願いいたします」
とかなんとか、
ひとりだけ違う時空から挨拶をして、
ゆっくり消えてった。
 
ありがとうフジコ!
ごゆっくりお休みになられて、この後も各地で
人々に多くの気づきを、どうぞお与えになり、
またご自身も、日々お健やかに〜!

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しっかりと何かを学んで、

雨に濡れた中洲方面に帰るさち・ド・サンファルヘミング。