形式の力:即位礼正殿の儀〜あるバタバタmorning の回想

今日は即位礼正殿の儀というのが、執り行われていたようですけれども。

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同世代のかたが天皇になられると、やはり感慨深い。

日本が戦争に転がり落ちるのを止めることができる天皇であってください。

 

儀式とかの形式の担う力ってやっぱ、あるんだなー、と

ここのところ、折に触れよく考える。

 

儀式というほど大袈裟ではないけれど

アファメーションについて考えていたことを

ちょっと思い出した。

 

・・・アファメーションというのが、ありますね。

自分自身について、肯定的な宣言を繰り返す行為というか。

 

私たちの発した言葉は、

地球のエーテル体というところに届くのですって。

攻撃的な言葉は、

発した自分のエーテル体も、相手のエーテル体も

傷つけてしまうらしい。ひぇ〜

 

エーテル体って言われても、と思うヒトの方が多いとは思うけど。

私も、最近やや聴き慣れてきた程度で、

まだそんっなにリアルすぎるほどには、リアルなもんでもない。

まぁとにかく、私たちを覆うエネルギーの、層の一つね。

 

けれど、そういうものとも絡むアファメーションとか儀式とかの

「形式」というものについて、

なんかちょっとリアルなところにたどり着いた、

という話を進めます。

 

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地球のエーテル体かぁ・・・・

 

相手を殴ったりしてしまっても、肉体だけでなく

エーテル体まで傷ついてしまうそうなのだけれど

それよりも、言葉で傷つけられると

実はエーテル体が元に戻るには、さらに時間がかかるのだとか。

 

ピンと来ないなりにも、ためしてみるといいのは、ですね、

手のひら(センサーね)を相手に向けて、意識的に近づいていくと

もわっ、と弾力性が出てすこし暖かくなる境界線がある。

それがヒトのエーテル体なのねー。

(ペットでもわかります。もわもわっ、て)

 

それで、生身の肉体がエーテル体を持つように、

地球には地球のエーテル体があるのですと。

きっと、リアルなもんなんだと思うわ、

”星” 規模でモノを考えたり、動いたりしていれば。

 

私にとっては、今はまだ言われた通り

そう信じておくしかないところですけれど、

私は、素直にそう信じて、コトを進めるよ。

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地球のエーテル体・・・なんか、あんだろうなぁ・・・・

 

だからつまりは、イヤでも

届いてしまうんだね。

在るんだから、エーテル体が。

そして、発したんだから、声を。

声ですよ、リアルな肉体が、リアルな空気を振動させた、

エネルギーの波。

 

んだから、朝イチで発する声が

肯定的なエネルギーを発していれば、

当然のこととして

それが地球のエーテル体に届き、

そのエネルギーはまた、私たちを守ってくれもするのでしょう。

 

私は今、ノウイングでおべんきょしていますけれど、で、

その中にもいくつも、儀式というもんも出て来るんだけれど、

アファメーションというものも、ありますノデス。

(儀式というのがまた、面白いのよね。これはまたいずれ。)

 

で、スクールでも言われましたのよ。

毎朝、起きて一発目に発する声として、

自分の世界を肯定的な方向へ進める意図を載せて、

アファメーションを唱えてください、と。

(言葉自体は、自分に合うものを

 自分で作り上げていけばよいもの。

 スクールではいくつか提示してもらったりもしていて、

 珍しく私としてはその言葉がそのままハマったので

 ずっとそれを使っている)

だから、とにかく、

 

唱えていたんだよね、毎朝。

 

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そして、それが習慣化した頃に、気がついたことがあるのだ〜。

 

それは「毎朝起きてすぐ」という、

日常生活の中に位置付けている習慣だからこその成り行き

なのだと思う。

 

ある朝、起きてすぐからけっこう

バタバタしてしまって、色々時間と闘ってしもーて、

家の人間が出かける時になって

「行って来ます」と言うので、

あ、もうそんな時間だ、とまた

バタバタしながら玄関まで見送りに出て来て

「行ってらっしゃい」と言・・・おうとした

発声の準備に入った喉の状態から瞬間的に

 

 はっ!今から出すのが今日の一発目の声だ!

 (やべ、アファメーションしてなかった( ゚д゚) ・・・)

 

と感じた、その一瞬あとの、

 

う・・・も、もう、もはや「行ってらっしゃい」の前に

アファメーション唱えてくるから待ってとも言えない、

でもあーあアファメーションじゃない一言で

今日一日を始めることになっちまうのかよ、ちっ

(その心の中の「ちっ」もいけない (゚o゚;; ので、寸止め)

 

と考えた次の瞬間にとる行動は・・・・?

そう。そのとおり!

 

 

「行ってらっしゃい」

 と、穏やかに優しく言う

 

 

だろー?

それが地球のエーテル体に届いて、自分に戻って来ても、

アファメーションと同じだけの(あるいはそれ以上の)

肯定的な守ってくれるエネルギーを持つ声と言葉であったなら、

問題ないだろー?

 

問題ないどころか、むしろそれこそが、

日常の中でアファメーションを繰り返すという

形式あってこそ引き起こされる絶大なる効果を持つ、

「形式の持つ力」

なのではないか?

 

形式のおかげで、そこにエネルギーが生じていて、

それを逸脱してしまいそうになった時には

しっかりとその指針になるというか。

拠り所として戻ってこれるだけのリアリティとも言えるような。

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そう気づいてからは、

 そうか、すべての瞬間の発声が

 すべて穏やかであればよいのだ

と、リアルに実感するようになった。

格段に、何かを悪く言う言葉も、

理屈からでなく

体感として良くないから、使わなくなった。

 

毎朝アファメーションするという儀式の枠の中にいる安心や満足感にも増して、

日常の中で

その枠から逸脱してしまうことで得られる実感というものにも、

とても価値がある!

 

いわゆる儀式や、アファメーションなんていう「形式」というのは、

むしろ、それを行おうとする「意図」とか「意味」とかからは

乖離していってしまうものなのでは?と

思わなくもなかったのだけれど。むしろ反対であった。

 

あー、形式の持つ力って、そゆことでもあるのかもなー、と

けっこうかなりリアルに感じた、

ある日のバタバタモーニングだった。

 

 

《追記:即位礼正殿の儀の日に思う》

 

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・・・・しっかし、

 

「国民に ”寄り添う”」という表現が多用され始めた気がするなー。

平成の天皇さまご譲位の頃から。

 

天皇さまは、特に今はまだ(なのか?「今はまだ」であってほしい)、

上皇さまが国民に寄り添ったことを長々と述べる時間が、長い。

 

まーほんとは、「今はまだ」とは言え、

「今」だからこそご自分のことを宣言する場があるわけなのだが、

とにかく、そういう公の場での公の宣言の中で

 自分のオリジナルの決意を述べる以上に、

 上皇さまを褒め称える尺がやたらと長い

と私は思います。

解説ではそれを「踏襲」で表していたけれども。

 

だからなおさら、上皇さまが使ってらした「国民に寄り添う」を

耳にする機会が2倍になっとるのかもしれん。

 

そんなこんなで、

あまりに平易な言葉での儀式というのも、やや照れた。 

 

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「君はひとりじゃないから」とかまでは、言わないでほしいです。

 

 

なんでも、中継の後の解説によると、

総理大臣の寿詞(よごと)の中の文言が、

前回の平成への代替わりの時の海部総理大臣の使った表現から

ちょっと平易な表現に変更されていたらしい。

 

平成「最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます」

令和「最善の努力を尽くしてまいります」

 

それは、 皇位継承式典事務局ってところが、

内閣総理大臣の『寿詞』は、国民の代表として述べられるもので、それに適した表現にした」

説明しているのですと。

 

その事務局ってところが、

どれだけ社会を的確に捉えようとした、

どれだけ語感のある人たちの集まりなのかはわからんけれども、

つまりは、

「お誓い申し上げる」っていう表現を

リアルに理解できる国民が減ってる、とかいうような認識

による変更ということになるのかね。

 

それは非常に国民をナメた&センスのない見方だし、さらには、

「代表する」って、そういうことではないと

私は思う。

 

儀式、形式、言葉について考えた一日。

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儀を終えて。

 

 

 

 

嵐を呼ぶオンナ!

【秋のウンザリタイフーン】

東京での、ノウイングってぇスクールの授業が、

移動費のクソ高い10月12(土)〜14日(月祝)の

3連休の予定だったのだけど、

9月に引き続いて、また見事に台風と出会うこととなり

初日は休講、2日目は午後から、ということに。

 

こんなこともあろうかと、

3連休を避けて少しでも安い前日に

前乗りすることにしていたのが功を奏した。

 

・・・と、私一人が移動できてもダメか。

首都圏の交通機関自体が、計画運休を次々に発表。

 

9月の授業も台風に見舞われて

けっこうな状況を楽しむハメになった私としては、

ウンザリこいたわ、しょーじき。

(この、「計画運休」という言葉、9月のタイフーン以来

 急にポピュラーになってきた気がする。

 ふだんJR博多駅を利用する私は、

 鹿児島本線の情報メールを受信するようにしとるのだけど

 その鹿児島本線までが、

 いっちょまえに計画運休します、とか言うてきてた)

 

でも、思い直して。

東京のホテルの一室で台風に耐えることを

趣味にしてることにしてみた。

 

部屋でやるべき勉強自体はいろいろあるので、

あとは、部屋のみグッズを揃えて飛び立ったさ。

コップと、カボスと、包丁。

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包丁持ち歩くには、荷物を「預入手荷物」にしないとねー。

(以前、包丁を研いでもらった時に

 包丁やさんに念を押されたのだけど、たしか

 包丁持ったら「目的地」まで

 さっさと移動しないといけないらしいよね。

 むやみに危険物を持ち歩かない、ってことね。

 寄り道したら銃刀法違反か?)

 

預け入れ荷物にすると、さっさと移動したい時には不便だけど。

前乗りとかの、ちょっと気分的に余裕があるときは、

スーツケースにハサミや包丁も入れとくと、ほんと便利 ♪

移動が多い人には、オススメです(そゆ人はもう、知ってるか)。

 

2泊以上する時には部屋に花を置くし、

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良いところ(地下鉄大門駅からすぐ)に、良い花屋さんを発見。bird flower という。トルコキキョウは、「おまけ」★

花を切れるとホント、花も長持ちするし

ぐっと

生活している!という感覚も出る。

何よりも、無機質な、どこ泊まっても同じ感じの

ホテルの部屋が、

ぐっと

自分ち!になる。

だから、ホテルに泊まることが多い人には、

お花はホント、オススメです。

 

で、今回は、秋という季節も手伝い、

今ならカボスが冷蔵庫にたっぷりある我が家なのに

そこから離れたくない!

という気分になったおかげで、

そうか!カボス携帯すればよい!と気づいたのでした。

 

これも、移動の多い方にはオススメ。(そうか?)

移動が多くて、部屋飲みする人には、だな。

 

 【LINEその1】

授業が休講になって、受講者どうし、

LINEでの会話が飛び交っていたのだけれど、

やがて、自然に

「嵐が大惨事にならぬよう

 皆で意識を揃えて祈りましょう」

という話になっていった。

 

 「葛藤」の無い心で「意図」すれば、それが即「結果」となる

 

ということを学んでいるわたくしたち。

皆、自然と、それぞれ純粋な心で祈ったのでした。

11日(金)午後10時、

12日(土)午前10時、午後10時と。

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これはどう見ても、龍神でしょう!

そして、このLINEが飛び交っていたのと同じ頃・・・

 

【LINEその2】

スクールとはまっっったく関係ないはずの

高校の同級生たちと先生とでできている

LINEのグループでもやりとりが始まっており・・・

(だいたい、いつも不思議だなー、と思っていたのが、

 スクールのある時に、よく

 この人たちのLINEも始まるということ。)

 

私が、会話の途中で

また趣味で東京の台風を体験しているとか、

台風だけじゃなく、地震まで来たよ〜とか伝えて、

龍神の雲の画像↑を送ったところ、

やっぱり龍に見えるとおもってたとこ、

という発言もあったりして、

 

ほっといたらどんどん、参加者の発言が

興味深い方向に進み始めたのだ〜。

 

「よく考えたら、お前は台風に何度も当たる

不運なやつなのではなく、

台風を自分の方に呼び寄せて

九州から逸らしてくれている霊能者だったのだ!」

「じゃ、包丁は宝剣だ!」

とかいうことになってきて、

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そこまで言うんなら、宝剣を奉ってるところを送ってあげたさ。

「江戸にいる本来の目的は、部屋飲みじゃないよね」

と言うので、

違います、明日は外飲みするけど

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(部屋飲みメニューは充実してるけど)

と答えると、

 

「霊能者の目的は、雨を止めて、

ダムの緊急放水をストップさせることだろ!」

とかいう方向に。

 ↓

その努力は、もうやってます。

スクールの方々と。

 

私にはもう、ノウイングのLINEだったか

高校の方のLINEだったか

区別がつかぬほどのシンクロぶり。

 

そうなると、このなんとなく持ってった包丁の絵が、

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「嵐で浄化された街の姿です」

「ほんまや!」(なぜか大阪弁

ということに、なっていくのでした。

 

やっぱ、なんか、やるよなー、この同期していく感じ。

私が媒体になっている気すらする。

意図することを意識的にやっている人たちと

まだそこまで意識的ではない(けど、じゅうぶん

潜在的に知っている)人たちとをつなぐ。

 

【だから、嵐を呼ぶワタシ】

そういうわけで、

話題の展開があまりにも自然だったため、

 

 ワタシの江戸滞在の本来の目的は、

 宇宙の仕組み、「ワタシは ”何” であるか」

 を知ることですの。

 もうこっちで言われる前に

 あっちで祈っとるから。

 

という話をした、という不思議な嵐の夜だった。

 

【おまけ】

今は昔、私たちの高校の合格発表の日は、

陽が差したかとおもったら霰が降るような

ヘンテコな天気の日で、

入学候補者たちを前にはりきったある先生が

「今日は人生のすべての天気が現れた象徴的な一日だ、

 君たちは嵐に向かって進め!」

とかなんとか口走ったのがきっかけで、

その後、私らの学年は

「向嵐会」と名付けられたのだった。

 

何を隠そう、あの日の嵐を呼んだのも、

この私です。

 

ということだ。わはは。

 

 

お花レッスン 《リーフアレンジ》

お花レッスンのメモ。備忘。

でもどなたかのお役には立つでしょう、きっと。

【花材】

<枝もの、葉もの>

(1) 雲竜柳(アカジクドラゴン)黄色っぽいくねった枝 3〜4股に分かれてるの1本

(2) モンステラ 中くらいの 2枚

(4)(8) タニワタリ 3枚

(11) 雪柳(紅葉) 赤っぽい 1枝

 

<マス>

(3) ピンクッション(コーディフォリウム)赤 2輪

(5) ビバーナム(アルプスルビー) コンパクタとも言う。黄色い丸い実 秋っぽい 1枝(実は3房)

(6) (10) リューカデンドロン(サファリサンセット) 2本

(7) バラ(アマダ)ふっくら中くらい 赤 2輪

(9) テマリソウ みどりの玉 2輪

 

 

 

これは、三方見(さんぽうみ)。

マスになり得るものたちが皆、

デカい&色の主張がはっきりしている 。

 

【準備】オアシス

長い方を正面に。花器の縁から2センチ程度の高さまで押し込む。

特に、角はしっかり花器の内側に向けて、面取りしてセット。

セロファンは、2センチぐらい残してカット。

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【スタート】大きく。

(1) いきなり雲竜柳からいってみましょう。

他の葉物を活けてから柳の高さを決める方法もあるけれど、

のびのびと、柳を先に置いてしまう。

前後の位置も自由。

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けっこうな長さ、高さ。

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他の葉物も、花類も、

あまり散らすよりもグルーピングする(まとめる)方が、

その特徴が際立つ

 

葉っぱ類のもともとの向きなども考えて、

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このモンステラは、正面に向かって右側に来て欲しいので、

 

(2) 柳のお次はモンステラ

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次の葉物は、左に来るものを。

レッスンの時は、もう(3) フォーカルになる花を選んだ気がしてきた。

 

けど、うちでやり直しているこの写真では、

間違えて左側の葉物を先に挿してしまった。

結局、あとでやっぱりバランスが悪くて、挿し直すことになったわ。

 

まぁよい。そのまま進めます。

(3) 左側に来るタニワタリを、今回は、葉先をまるめて使う。

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両面テープで止めてみてから、形が決まったら、ホッチキスで

2〜3箇所パチン!パチン!と止めてしまう。

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↑これは、裏側の模様を敢えて外側に出してみた。

↓こっちは、表側を外側に。

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長さが決まったら、オアシスに挿す

中心の芯の部分を残して、葉の部分は切り取る。

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1枚目。

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2枚目。

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とりあえず、葉物は2枚ずつ。

あとのタニワタリ残り1枚は、バランスを見てどこかに。

 

(4) ここでは、フォーカル。

高さが活かせるのがフォーカルになると、映えるよな。

その他の花は、フォーカルを活かすため、低めに。

 

今回のフォーカルはピンクッションで。

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フォーカルを決めたら、やはり、

同じ種類は近いところどうしの方が、引き立てあえる。

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(5) ビバーナムの、実の垂れた感じを活かして使いたい。

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立てて高めの位置で垂れさせるとか、

下草(したくさ)的に、下の方で垂れさせるとか。

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今回は、立てて一枝まるごと。

これは3かたまりある実のついた、一本の枝です。

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(この、葉っぱのついたヤツね。)

 

(6) リューカデンドロンも、2本近づけて。

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(7) あとバラ。

これも、目立つ赤!なので

周囲の色とのバランスで、

1輪は、モンステラの緑の間に、横顔として。

もう1輪は、フォーカルを引き立てるために

後ろから覗かせる、という方法もあるし、

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フォーカルのピンクッションの間に

ビバーナムがあるので、

その黄色い実をバックにして

前に持って来る、という方法も。

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レッスン終わって花持って帰って来て、

こうして挿し直すまでに2日経ってるからなー。

バラがすでに、ヘタれている。

けど気にしないで!もう少しよ!

 

それに、やっぱり左側が窮屈。

これも後でやり直してしまうから、

気にしないで!

 

(8) 3枚目のタニワタリを、

左の2枚の間にちょこっと見える位置に補充。

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(9)  テマリソウ2輪プラス。

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(10) 仕上げ1

あとは、正面の後ろが、まだスカスカ。

 

2輪目のバラを前に持って来てるので、

後ろからちょこっと、濃い色を覗かせるため、

リューカデンドロンの残りをプラス。

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(11) 仕上げ2。

雪柳の1枝の、先の方をちょっと覗かせる。

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あとは前の方の下のほうに、下草として補充。

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できあがりなーのだ。

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 これはレッスンの時の完成状態なーのだ。

まだバラやピンクッションが生っき生きしておーるのだ。

 

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グロテスクではあるけど、美しい。

ピンクッション(コーディフォリウム)。

 

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テマリソウは、ほんに、器用な立ち回り。

マスにもなれて、下草にもなれる。

 

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ビバーナム(アルプスルビー)(先生は、ずっとコンパクタと呼んでらっしゃいました)と、

まだふっくりしてるバラ(アマダ)。

 

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いつ聞いても、聞く者の耳にその名を轟かす、リューカデンドロン!

またこやつも、マスでもいけるし、長くも短くもいけるし、

長さ調整したあとの残りも、ちゃんと脇役でいけるし、

ドライになってもまだいける!すごい!燻し銀!

 

おつかれさまー。パチパチヽ(´▽`)/☆

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

お花レッスン 《リーフアレンジ》

お花レッスンのメモ。備忘。

でもどなたかのお役には立つでしょう、きっと。

【花材】

<枝もの、葉もの>

(1) 雲竜柳(アカジクドラゴン)黄色っぽいくねった枝 3〜4股に分かれてるの1本

(2) モンステラ 中くらいの 2枚

(4)(8) タニワタリ 3枚

(11) 雪柳(紅葉) 赤っぽい 1枝

 

<マス>

(3) ピンクッション(コーディフォリウム)赤 2輪

(5) ビバーナム(アルプスルビー) コンパクタとも言う。黄色い丸い実 秋っぽい 1枝(実は3房)

(6) (10) リューカデンドロン(サファリサンセット) 2本

(7) バラ(アマダ)ふっくら中くらい 赤 2輪

(9) テマリソウ みどりの玉 2輪

 

 

 

これは、三方見(さんぽうみ)。

マスになり得るものたちが皆、

デカい&色の主張がはっきりしている 。

 

【準備】オアシス

長い方を正面に。花器の縁から2センチ程度の高さまで押し込む。

特に、角はしっかり花器の内側に向けて、面取りしてセット。

セロファンは、2センチぐらい残してカット。

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【スタート】大きく。

(1) いきなり雲竜柳からいってみましょう。

他の葉物を活けてから柳の高さを決める方法もあるけれど、

のびのびと、柳を先に置いてしまう。

前後の位置も自由。

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けっこうな長さ、高さ。

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他の葉物も、花類も、

あまり散らすよりもグルーピングする(まとめる)方が、

その特徴が際立つ

 

葉っぱ類のもともとの向きなども考えて、

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このモンステラは、正面に向かって右側に来て欲しいので、

 

(2) 柳のお次はモンステラ

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次の葉物は、左に来るものを。

レッスンの時は、もう(3) フォーカルになる花を選んだ気がしてきた。

 

けど、うちでやり直しているこの写真では、

間違えて左側の葉物を先に挿してしまった。

結局、あとでやっぱりバランスが悪くて、挿し直すことになったわ。

 

まぁよい。そのまま進めます。

(3) 左側に来るタニワタリを、今回は、葉先をまるめて使う。

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両面テープで止めてみてから、形が決まったら、ホッチキスで

2〜3箇所パチン!パチン!と止めてしまう。

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↑これは、裏側の模様を敢えて外側に出してみた。

↓こっちは、表側を外側に。

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長さが決まったら、オアシスに挿す

中心の芯の部分を残して、葉の部分は切り取る。

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1枚目。

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2枚目。

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とりあえず、葉物は2枚ずつ。

あとのタニワタリ残り1枚は、バランスを見てどこかに。

 

(4) ここでは、フォーカル。

高さが活かせるのがフォーカルになると、映えるよな。

その他の花は、フォーカルを活かすため、低めに。

 

今回のフォーカルはピンクッションで。

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フォーカルを決めたら、やはり、

同じ種類は近いところどうしの方が、引き立てあえる。

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(5) ビバーナムの、実の垂れた感じを活かして使いたい。

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立てて高めの位置で垂れさせるとか、

下草(したくさ)的に、下の方で垂れさせるとか。

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今回は、立てて一枝まるごと。

これは3かたまりある実のついた、一本の枝です。

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(この、葉っぱのついたヤツね。)

 

(6) リューカデンドロンも、2本近づけて。

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(7) あとバラ。

これも、目立つ赤!なので

周囲の色とのバランスで、

1輪は、モンステラの緑の間に、横顔として。

もう1輪は、フォーカルを引き立てるために

後ろから覗かせる、という方法もあるし、

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フォーカルのピンクッションの間に

ビバーナムがあるので、

その黄色い実をバックにして

前に持って来る、という方法も。

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レッスン終わって花持って帰って来て、

こうして挿し直すまでに2日経ってるからなー。

バラがすでに、ヘタれている。

けど気にしないで!もう少しよ!

 

それに、やっぱり左側が窮屈。

これも後でやり直してしまうから、

気にしないで!

 

(8) 3枚目のタニワタリを、

左の2枚の間にちょこっと見える位置に補充。

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(9)  テマリソウ2輪プラス。

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(10) 仕上げ1

あとは、正面の後ろが、まだスカスカ。

 

2輪目のバラを前に持って来てるので、

後ろからちょこっと、濃い色を覗かせるため、

リューカデンドロンの残りをプラス。

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(11) 仕上げ2。

雪柳の1枝の、先の方をちょっと覗かせる。

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あとは前の方の下のほうに、下草として補充。

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できあがりなーのだ。

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 これはレッスンの時の完成状態なーのだ。

まだバラやピンクッションが生っき生きしておーるのだ。

 

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グロテスクではあるけど、美しい。

ピンクッション(コーディフォリウム)。

 

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テマリソウは、ほんに、器用な立ち回り。

マスにもなれて、下草にもなれる。

 

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ビバーナム(アルプスルビー)(先生は、ずっとコンパクタと呼んでらっしゃいました)と、

まだふっくりしてるバラ(アマダ)。

 

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いつ聞いても、聞く者の耳にその名を轟かす、リューカデンドロン!

またこやつも、マスでもいけるし、長くも短くもいけるし、

長さ調整したあとの残りも、ちゃんと脇役でいけるし、

ドライになってもまだいける!すごい!燻し銀!

 

おつかれさまー。パチパチヽ(´▽`)/☆

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

リアルエネルギー:Chageライブ2019.09.13 仲秋の名月。

エネルギーは、消えずにそこにある、のね。

創造主が自分自身を知るために

自分をひっくり返して宇宙に解き放った細胞、

 

その二つが引き合った時に生まれたエネルギー、

そこからそれはずっとそこに在って、

今の私たちにまで続いて引き継がれ・・・というのが

ノウイングの、私たちは何者か、という

宇宙全体の説明のはじめのところで出てくる。

 

エネルギーはそこにあるまま、というのが

わかるような、そうでもないような、

そうなのねーと思っといて次に行くしかない

というのが実情のような感覚もあったけれど、

 

・・・あるな、エネルギーって、そこに。

いわゆる形は無いようで、

それだからこそ実にリアルに。

 

Chage が歌っていて、私たちはそれを聴いていた。

いや、いつも感じることだけれど、

演奏を、音楽を、聴いてるわけじゃないのだ。

それなら機械が音を組み合わせていればいい。

技術でいくらでも生身の人間に近づけることもできるだろうし、

逆にミスタッチの無い演奏の方が得意だろう。

歌詞も間違えない。

 

わざわざ演奏の場に足を運ぶ私たちは、

それを通して放たれるエネルギーに触れようとしているのだ。

 

歌が歌として持って生まれたエネルギー、

歌われて歌われて聴かれて、そこに注ぎ込まれたエネルギー、

それらは、そのまま保存されて、そこにある。

 

そして、それを聴く人を、

それを歌う人を、

ときに、それを始めに形にした本人さえをも、

その歌の持つエネルギーの場所まで引き上げる。

 

ほんとうにあの人は、強い。

自分の立ち位置を俯瞰して把握しながら、

まず歌に触れる人たちを歓ばすことが

あの人の魂の歓びなのだ。

 

世の中は勝手なことを言う。勝手だ。

何も知らないで。

彼の音楽を聴こうともしないで。

彼の胸のうちに、どれだけの闇が押し寄せたことだろう。

 

世の中だけではない。

ASKA自身の態度を、Chage

胸の奥底でどこまでどんなふうに感じてしまったのか、

それは彼自身にしかわからないことではあるけれど、

私たちに見える表面だけでいけば、

この9月のライブでも

ちょうど1年前の9月のライブでも

ASKAが自身のブログで撒き散らしてしまった言葉の

収拾にあたらざるを得なかったのは

Chageのほうだった。

 

もう5年経つ。

私たち皆に悲しいことがわかってしまった直後から

それでも私たちを気遣いつつ、

彼は歌った。

 

その後も、彼はツアーで帰ってきては、歌った。

新しい歌を。

君が僕を選んだ、僕が君を選んだ、と。

魂が打ち震えるような歌だった。

 

あの時には弱虫風が吹きかけた、と本音の一部も語ってくれた。

勝手な世の中が封印してしまったCHAGE&ASKAの楽曲も

良い歌なのだから歌う

と宣言して、歌った。

 

良い歌なのだから、歌うのだ。

魂が震えるから、触れに行くのだ。

それだけだ。

心の中を音楽で伝える姿勢の、理想形のような場だ、

結局Chageに会うたびに、そう感じた。

 

心休まらない、悲しいはずだった条件を

Chageがあまりにきっちりと昇華して

最高の状況にしてしまったおかげで、

その理想のエネルギーを浴びた私は、

僭越ながら、

あの後のライブでは、もう

あの高揚感を超えることはできないのではないか

とすら感じてしまっていた。

 

ところが。

またもやASKAのブログでの発言が

ワイドショーを賑わしているらしい今

(私はもはやASKAのブログも見ないし、

ワイドショーはもっと見ない。

それでも漏れ聞こえてきてしまうところによると

ASKAが一方的な見解をいろいろ書いているらしい、

世の中の人にとっての情報はそれがすべてらしい

ということだけはわかる。

ここには書きたくもない)、

自分の音楽の原点に回帰しつつも

また新たなる境地を表現した歌を、

完全に今に昇華した往年の名曲たちを、

もうあれは、

私たちの胸に、彼は、突き刺した。

私は、突き刺された。

 

エネルギーを見た。

歌の中に込められ、そこに在るエネルギーを、

彼は、生み出した者であると同時に、

増幅させながらその恩恵を最大限に浴びる恵まれた者として、

私たち一人一人に、

 

勇気とは

決して騒ぎ立てず、すべてを赦す強さとは

こういうことだ

 

と、示してくれた。

神々しくすらあった。

 

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彼らがデビューして40年。

このツアーに使うギターを選ぼうとしていた時、

デビューしてすぐ作ったギターの、

埃をかぶったギターケースが

その前を通った時に、カタカタと鳴ったのだとか。

 

ん?と振り返ってその前に戻ると、また

カタカタと鳴ったのだとか。

それで引っ張り出して、弦を張り替えてみたら

すごく良い響きだったのだと。

Chageの歴史の始まりにあるギターが。

それは、Chageを守ってくださっている存在からのメッセージだ。

私もお礼を言いたい。

ありがとうございます。

 

 

私には、去年12月のASKAの復帰コンサートでの

醜態が赦せない時期があった。

その後、私の中の指針であったCHAGE&ASKAは、切り捨てた。

私の40年間の一部でもあるものを

いったんすべて取り除こうとして、

実はこの9月のChageのライブにも

行くつもりをなくしていた。

 

けれど。

 

あまりにも、いくつかのタイミングが

重なったのかもしれないとはいえ、

デビュー40周年記念の日に

ASKAが ”脱退” という形をとるなんて

あまりにも、

あまりに、やりきれないことであった。

通過点に過ぎない、とわかってはいる。

でもやりきれない。

 

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行って良かった。

Chageの声がかすれていたのなんて、

私は40年の中で初めて聴いた。

ステージドリンクで喉を湿らせている姿も

初めて見たような気がする。

声のかすれはごまかしつつも

歌以外のところで、疲れているようにも見えた瞬間はある。

 

それも含めて。

強さを見た。

「昔」が吹っ切れていた。

私も、CHAGE&ASKAとは完全に別の存在の「今」として

Chageを見た。

 

それでもなお彼は、CHAGE&ASKAの楽曲も歌っていきます、と改めて宣言した。

良い楽曲なのだから。

 

歌のエネルギーが、彼を引き上げて行くのが見えた。

あるいは、Chageが少しでも弱気になってブレてしまえば

跳ね飛ばされかねないほどの

強いエネルギーを孕んだ歌をも、

彼は翼のように身につけて、体に取り込んで、歌った。

大きかった。

 

Chageは、これまでの歴史を

Gパンのお尻のポケットあたりのバッヂのように

さりげなく身につけて

自分は誰だ、歌でも歌おうか、と

魂で魂に呼びかけていける

とんでもない独立したアーティストだ。

 

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=おまけ=

ここにも、CHAGE&ASKAに訣別宣言した人が?

 

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Zepp FUKUOKA から地下鉄までの帰り道に、チャゲあす知ってる人ならすぐわかる NOT AT ALL ツアー(2001>2002)のタオルがポツンと・・・。

私も行ったさ。このロゴのマグカップなど、持ってたさ。

皆それぞれの、区切りの付け方。

 

 

断食終了後・・・復食で、「味」と「歓び」再発見ヽ(´▽`)/

昨日で、4日間の復食期間も終了。

これはほんとうに、あっという間だった。

楽しんでいるうちに過ぎたという感じ。

 

復食はとても大切だということが、よくわかる。

しっかり口の中でよく噛んで飲み込んでいるはずなのに、

固形物を食べはじめると、休んでいた「胃」が疲れて、

胃の位置の背中側が凝ってしまった。

 

ここで、楽しんだ復食メニューを、紹介しちゃろう。

 

私の、復食メニュー☆

(1、2日目は、フルーツジュースと、やわらか〜くした野菜。

 でもフルーツ買いに行くの面倒、というか、けっこう気が抜けて

 カラダ自体はダラッと疲れている感じ。

 作るのはもっと面倒。

 何より野菜を食べれることが嬉しくて、それで充実感!)

 

1日目:昼 ちょい焦がし残りキャベツのクタクタ煮

    夜 大根と糸切り昆布出汁の温泉煮

 ◆食が細くなっているから「少なくとも2食は食べる」という

  注意を聞いた気がするが、そんな心配ご無用であった。食う、食う。

 

 ◆塩は、復食期間は禁止ではないけれど、むくむので

 摂らない方がよい。私ももちろん、無塩生活!

 

2日目:朝〜夕方 白菜の温泉煮、バナナくんたち

    夜 新鮮キャベツの温泉煮

 ◆朝はふだん食べないくせに、朝から食べ続けるあたくし。

  夜、やっと皆そろって食卓についた。人間的(人間&ネコ的)だ・・・

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(フルーツ、ナッツ類、オートミール的な穀物OK!)

3日目:キャベツの温泉煮

    大根と糸切り昆布出汁の温泉豆腐クタクタ煮

    かぼちゃ姫と男爵のあつあつスチームデート

    梨まるごとナッシー

 ◆俄然、テーブルが「お食事」の色彩を浴びる。文化的だ・・・

 

(少しずつ通常の食事を加えていく)

4日目:十割蕎麦(きつね)と蕎麦湯

    大根と糸切り昆布出汁の温泉豆腐クタクタ煮

    プラム嬢むらむらまるごと

    居残りかぼちゃ姫

 

「歓び」の中身をご紹介しましょう。

初日の歓びは、

 ・Myお箸で!

 ・形のある食べ物を!

 ・つまんで口に運べる!

 ・しかも、それが温かい!

 ・か、か、噛める!

 ・あー食べ物の味!

でした。

 

2日目の歓びは、

 ・食材の風味を!複数のその違いを!味わえるヽ(´▽`)/

 ・料理をしている!文化的なわたしヽ(´▽`)/

  ◆同居人用に:鍋にミンチを炒めて塩コショウ、

         キャベツの温泉煮をジャッと入れて煮立てる。

  ◆そして、改めて感じたのは、

  「ものを食べたのに、夜、口の中がさっぱりしている・・・!」 

 

3日目の歓びは、

 ・噛んでいいバリエーションの増加!

   ナッツ噛む、梨カム、ジャガ噛むかぼちゃカム、温泉煮カムカム。

   ◆この日も朝からはりきった。まじで胃が疲れた(汗)

 ・温泉煮にバリエーション一挙増加!

   湯豆腐風

   ◆ま、これは初日からでもよさそう。

    でもタンパク質だからキャベツたちとは違うのかもしれない

   薬味〜〜っ!ヽ(´▽`)/

 

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《文化的〜!お汁椀と〜!箸置きにお箸と〜!好きな皿たち〜!薬味〜!かぼちゃ〜!》

 

4日目の歓びは、

 ・ズバリ、飲食店に入れる!注文もできちゃーぅ!

 ◆自由の身だ、という感じ。まぁ、まだこの4日目は、あくまで「通常食べるものを少しずつ加えていく」という段階なので、もちろん特に慎重にお店を探したし、私以外の客がけっこう入れ替わる中、十割蕎麦を一口ずつ、ほとんど玄米か!というほど噛んでから飲み込んでいたという、蕎麦屋滞在最長記録。

 でも、たいへん嬉しく、美味しゅうございました。

 

 

シャバへの復帰・・・

旨さ再発見

 ほんっとに、この復食4日間で、食材そのままの美味しさも再発見できた。

 同時に、人工的なプロセスをできるだけ抜いて、自然に近い食べ物を口にすることこは、体にとても優しい、今の時代にあってはむしろ考えられた末に意識的に選ばれるスタイルなのだ、と捉えるようになったな。

 (ヘタすると ”意識高い系” でくくられて終わるので、注意しましょう。)

 

 素材はできるだけそのままに、という意識は以前からもあったけれど、野菜をごろごろまるごと煮込むスープを作ったところで、「味付け」はしていたからなー。

 そういうプロセスもできるだけ省いた、食材的にもほんっとに粗食の状態というのは、つまり、内臓を休める断食の ”前後” の、準備&復食期間に近い状態なのだと、今回、つながったことは大きい。

 私は例えば、蒸したサツマイモだけを持って行って職場で昼食がわりにしていたこともあった。でもその頃は若干、「ちょっと最近、料理はしてないけど、これはこれでウマいんで・・・」っていうような、ビミョーな手抜き感への後ろめたさと共に食べてたのよね。

 

でも!そら、いかん!そんなのダメダメ!

「私は、食べ物を、最も美味しい状態でいただいている」のです!

 

 これからの意識は違います!

 カラダにも良く、飽きない原点の美味しさを楽しめる状態が、素材そのままの状態。そのまま食すことへの工夫が大切。 

 そう意識することで、よし、今日は「料理」バージョンの日だぜ!という料理の新たな意味も見出せることだろう。と思いますよマジで。

 

これからもよろしくナーッツ!

 もしかしたら、私はいつもそういう手抜き感や、「何食べていいかわからないけど腹減ったので今食うとすごくウマい」感と共に頻繁に摂っていたナッツ類や果物類が、準備食として摂るとされていた食べ物だったから、準備期間の3日間も含めて、断食期間中も、食べたいイライラはほぼ無く、けっこう楽だったのかもしれない。

 準備期間中はむしろ、夜いつもの晩酌をしない(泣!)ことを除けば日中はほぼまったくいつもとかわらないと言えるような生活だったので、準備期間に入っているということを逆に忘れて、夜、晩酌してしまったりしないように気をつけていたほど。

 

繊細さよ、私の中にSTAY!

 断食中から、ミネラルウォーターは「苦い!」と感じるまま変わっていない。やはり味覚が敏感になっているのだろうか?この、今の、ほんのちょっっとの梅干しとか、たった1滴のお醤油とかで、ふぅわぁ〜・・・っと風味が増して旨味を感じられるこの感覚を、遠ざけないように過ごしたいと思う日々です。

 

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《大豆を水煮して、熱いうちに千切りネギとお醤油3滴! だけ!》

 

 

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《「あ〜、腹いっぱい!」「ごちそうさま〜!」・・・・の、しあわせ》

 

 

 

 

断食終わって。復食中よ〜ヽ(´▽`)/

あっという間に、ということもないか、

いろいろ考え、そしてバタバタと動いている間に、

7日間の断食は終了。

ここまでの断食体験を、軽〜くまとめちゃーう。

= = = = = = = =

 

スクールでは、同じような期間に

断食をした人たち、している人たちがいて、

それぞれの反応は似ているような、違うような。

 

やっぱりだいたい、前にも書いたとおり、多くの人が2〜3日目に

つらい状態になるようで、でもそのつらさは

 

・私のように比較的短い期間で終わる人もいれば、

・3日間の準備期間から既につらかったとかいう人もいるし、

 (何日つらいんだよ、かわいそーに)

 

また、「つらい」というのも、一言では括れない「つらさ」で、

 

・私はしばらく動悸がして横になりたい、という感じだったり、

 加えて、肩から上腕のあたりは熱っぽいのに手先は冷たい、とか。

めまい、嘔吐、関節痛で実際に体が大変なことになった人もいたようだし、

・けっこう、「ものを口にしない」ことからの寝られないような恐怖感とか

 「食べられない」あるいは

 「(準備食は ”ナッツ類と野菜のみ” みたいな)制限がある!」

 ということへの抵抗感が出てきた人とか。

・そこから派生して精神的な面の「葛藤」が湧いてきた人とかも。

 

ま、それにやっぱり、一瞬なんか

 幾何学模様みたいなキレイなのが見えた

と別次元(というか、それがほんとうの世界の姿らしい。)を

垣間見た人も、いたもよう。

 

私は、復食4日目の今朝も、起きて目を開けた直後の

暗い部屋の中では、きれいな青ドットが見えるぜ。

毎朝、草間彌生になる一瞬だぜ。

 

今朝のは、青ドットの中心に赤ドットが入っていたと思います。

断食中に見えたのはとても規則的なドット。

 

今朝のは、ドットが見える範囲が広かった上に、

立って下を見下ろしたことで

目線から下への奥行きが関係していたのか、

上から下にかけて、ドットが小さくなっていたと思うなー。

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《まだ尻までは見えていないぜ》

 

こうして、ほかの人たちの反応を知ると、私の場合は

けっこう穏やかに過ごせたのだなぁ、と思った。

 

どうにも我慢ができなくなった時に少しだけ口にしていいもの

(豆腐、オレンジジュース、生姜のどれかを、ごく少量ずつ)にも

べつに頼らなくて済んだし、

お腹が空いた時にはハンサオ・ブリージングの呼吸法をやったら

おさまるよ、と聞いてはいたけれど、

空腹感をどうにかするためにやる必要は、なかった。

あと、あまりにも、

 

 おしっこが、

 

ですね、いつもと違ってなんかすごく

 

 何かのカスが混入した感じで濁っていて、

 とにかく何か要らんもんがいっぱい体外に排出されている様子

 

がわかるので、これはすごーく、励みになったぜ。

おーおー、どんどん出て行けー!!ヽ(´▽`)/  と。

これを7日でやめてしまうのか、もっと出し続けたいぜ、と。

 

あ、じゃあ私の状態って、いわゆる断食 High の状態だったのか?

自覚なきままの、静かな High。

 

面白いなぁと思ったのは、その尿からの排毒が

一旦、6日目の後半におさまって

尿の濁りはそうでもない・・・?という感じに

なっていったこと。

 

ラストの7日目は、それまで摂っていた青汁(1〜3日目)や

はちみつ水(4〜6日目)も摂らないし、

それとは別に摂る水の量も半分になるので、

何か変わって行くのはわかるけれど、それを始める前日から

変化が始まるというのは、興味深い。

 

なんというか、明日で第一段階は終了となりますので、

と、体が自ずと収束に向かう感じ。

 

前に紹介したyoutubeの『絶食療法の科学』の中にもあったし、

いろいろ説明を聞いていると、

7日間とか21日間とか、期間の単位が

「週」で設定された数字が出てくる気がする。

 

カレンダーに沿うほうが、やりやすいからかな、とか

漠然と考えてみたりもしていた。

 

この尿の変化は、もっしっかっしたっら、

そういう7日という単位設定が、体の機能と

直結したものなのかも・・・とも思えるものだったな。

今のところ、それ以上深く知らなくてもいいけどね。

 

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《水から外に出た私たち。水の中で生きるまりも。

 時間の糸は、まりものように、まるまってるものらしいねー》

 

水が半分になった(からなのかどうかはわからんけれど)7日目は、

左あばら下部のひきつるような痛みは、全然感じられずヽ(´▽`)/

 

でもその後、復食はじめるとまた同じ痛みが復活。

そしてやはり、断食中ほどではないけれど、また尿が濁ることの方が多い。

7日目の方が、”そうでもない” 状態だったような。

(7日目はビジョンクエストをやってた。

 それはまた今度書きましょう)

 

やっぱり、体の中を巡る水分→血液への働きかけによる

脾臓のあたりの ”凝り” のようなもんじゃないのかしらー・・・

 

私の場合とくに、水をあんまり摂るタイプではなかったから、

いわば、体の機能として

普段ひとがやっていたことをやれてなかった、

つまりは脾臓の運動不足みたいな状態による

症状なのじゃないかしらー?

 

だってあまり他の人たちの症状としては、聞かないし。

けっこう私にとっては顕著な症状なのだけれど。

 

私の足は、むくみ足

 

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 《まりもを孕んだむくみ腹》

 

これが、断食ラストの頃には、

足首までいつもと違う!と感じるほど

すっきりしてしまっていて、感激したんスが、

 

つまりこれも普段、膝下に溜まっていたもんが動き出した

わけなのでしょうから、これからも、

ややたっぷりお水を摂る、とかいうのも心がけるといいのかもな。

 

今のところ、朝、水を飲むことにそれほど抵抗が無くなっている。

というか、ふつうに、体が欲して飲もうとして飲んでいる。

 

これまで無かったことだからなー。

 

健康のため・・・とか思って飲もうとしても、

水が胸につかえてしまう感じだった。

んだから、断食で身についたと思われる、こういう感覚を、

断食後にこそ続けていく意識で、まいりたいと思うのです。

いつもいつも断食するのは、やっぱ、つらいからさー。

 

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《供えもの》

 

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その3 「食べる」の意味素性

断食4日目のヨユーから、

前日までのアシドーシス中の思考を整理しているシリーズその3。

 

初日に頭をチラッとよぎったのは

気分を変えたいための嗜好品であったこと、

2、3日目には状況が変わったこともあってそれは無かったこと、

は書いた。

 

あと、2、3日目にほんの時々チラッと

よぎったもののことから、少し考えてみる。

 

まずは、食べ物自体の「チラッ」。

食べたいものが浮かんだ、という感じよりも、

うーん、そうねぇ、細かく言うと、

 

パンを噛む瞬間の奥歯と歯茎のあたりの感覚とか。

ナッツを噛んだ瞬間の食感と、広がる香ばしさとか。

 

そして、それに憧れる感じ。

ぅわぁ、いいなぁ〜、噛めるって、と。

 

そう。そうなのです。

 

胃を満たしたいという欲求よりも、だな・・・

・・・・「噛みたい」んだよな。

これはほんとに、初日から

意識的に浮かんでくる感覚でもあった。 

 

 註:断食中に我慢できなくなった時の対処法も

    いくつか教えてもらっていて、

    その中には「生姜のスライスを噛む」(もちろん、 

    繊維はぺっと捨てますよ)というのもあるから

    スライスを持ち歩いてはいたのだけれど、

    まだ「限界」が来るまでとっとけるぜ、と思って、

    どれにも着手してはいない。

 

噛みたい!なんて今まで思ったこともない感覚。

そうねー、「感覚」なのよね。

カラダの一部が激しく感じたがっている。

 

やはり、カラダでこそ感じることのできる感覚を、

この地球生まれのカラダを持つ私たちは

しっかり楽しんでいるのだな。

 

これもまた、しみじみと感じたことの一つ。

ただ栄養分をとるためにサプリメントを飲めばいい

というわけではないのだ。

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《ワシも、噛みたいんやー!》

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190827193624j:plain《これも、噛んでいる。》

 

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《噛みたいんやー!・・・そして↓ 》

 

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《噛まれたやつは、→→→→→こうなりますんやー!》

 

 

あと、私はふだんから、水をあまり飲むタイプではない。

だから、朝、昼、晩の青汁(ジュースの人もいる)の他に

1.5〜2リットルを目安とされる水を飲みきるのは、

かなり大変で、ずっと胃の膨満感を抱えていた。

正直、標準量は飲めない日もあった。

 

思うに、きっと、口にしているものが

味が単調すぎる青汁と水だけによるものだから

膨満感の辛さも倍増・・・していた

というところもあったのではないか。

 

多分、口で「うまい!」と感じたり、

皆で食べて楽しい!と盛り上がったりして、

そのおかげでつい食べ過ぎちゃった、とーかいう状態とは

ぜんっぜん違うんだな。

 

もう一つの「チラッ」は、

きっとその「楽しむ」に関わるところで、

妙に、居酒屋とか、自宅の食卓とかの、

食べる場所やお皿が並んだ景色が、よぎっていた。

 

出張中は特に、今カフェに入れたらいいけどなー

と思うタイミングもあった。

そう思って見回すと、街の多くはマジ飲食店。

 

慣れない街の、飲食店だらけのビル街を見回しながら、

人は楽しむための場所をいっぱい作ってきたなぁ、とか、

それって、アリの巣が巨大な地下建築物みたいになっているように

宇宙の上の方から見てもきっと面白い営みなんだろうなぁ、とか、

私はふだんそういうありがたいところで楽しめてるんだなぁ、

と、ふだんの生活や、人間の営む社会を

なんか新たな角度から見直すことができた。

 

 

「食べる」という行為は、最低限でも

歯で噛んで、

舌で味わって、

 カラダが栄養を吸収する、

という総合的な歓びのことなのだね。

決して「食欲を満たす」と同義ではない。

 

なんだか無性に、意味素性で書きたい。

 [食べる]=[噛む]+[味わう]+[消化・吸収する]

 

この第一義的な意味に加えて、

人の生活の中では、

 [食べる]=[([見る]+[噛む]+[味わう]+[消化・吸収する])を共有する]

という重要な意味で用いている場合もある

ということだな。

 

「まず目で楽しんで、

歓びを誰かと共有できる」

なんて、マジPERFECT!だな。

カラダを持つ人間として。

(食べる量には、気をつけましょうね)

 

 

もうだいぶ前のことだけれど、

噛む力の弱くなった

寝たきりのお年寄りにも噛める料理を

開発した人たちがいる、というニュースがあった。

 

噛めなくなったら、乳幼児の離乳食のような

流動食にしてしまうのが主流だったが、

それでは、寝たきりで楽しみの少ないお年寄りから

「食べる」楽しみまでが奪われてしまう。

 

それで、すべての食材に包丁で細かな切れ目を入れて

形をできるだけ残したまま

口の中ですぐほどけるほど柔らかく煮て、

ふつうの料理と変わらない見た目に仕上げて盛り付ける、

ということを考えた人がいたのだ。

 

人として人を思いやる愛があれば、できる作業だ。

それをいただく人たちがほんとうに楽しげに

口をもぐもぐと動かしている様子も映った。

 

この数日、そのニュースのことをよく思い出すんだよなー。

それを見た時は、そーかー、とぐらいに

思った程度だったのだけれど、

今は、

 

そーよねーー!

カラダに必要な成分だけ与えて

「食べる」っていう総合的な歓びを奪うとか、

考 え ら れ ねー!!

 

と、強く強く、思うのでした。

 

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食物連鎖



 

 

その2 壁] _-)チラッ について考える。

4日目のヨユーで、断食前半を振り返って

「食べる」ということについて考えております続きだよ。

 

= = = = = = = = =

2日目、3日目は、ただ自分のペースで

仕事をしていればいいだけだったので、

初日のような集中は必要無かったせいか、

ケーキ&コーヒーは、浮かんでこなかった。

 ま、でも時々は、食べ物が一瞬よぎることはあった。

 

断食をやる前は、

お腹が空いたら、「あ〜〜、あれが食べたい〜〜」的に、

ずーっと頭の中に食べ物がこだましてしまうような

状態になるのかなぁ、とか想像していたのだけれど、

違うんだな。食べ物が浮かんで来る時は、すべて

 

   壁] _-) チラッ

 

なのよね。

で、すぐ忘れる。今どーせ食べれないしね。

無意識に 諦める、という感じ。

 

そこなのよ。

 

「諦められる」のです。

断食中ですから、という大きな環境の中にいると。

で、ほんとに、忘れてしまえるのです。

 

ということは、

 

私なんかもよくある、

「今日は昼間っからずっとケーキが食べたかったから

仕事の帰りにケーキ屋に寄って、買って帰った」

とかいう感覚・・・

 

そのケーキ屋が閉まっていたりした日にゃあ、

まっすます悶々としたりするという。

 

あの、「忘れない」「諦めない」感覚。

それは・・・執着!

 

きっと、食べ物とかがチラッとヨギルのは、

断食中だから、ではなく、

人の欲求の発端は、すべてそのチラッという瞬間だけ

なのではないかな、と思うのだ。

 

それはカラダにとっての、

栄養だったり、気分転換のためだったりという

なんらかの必要なものとしての、まっとうな欲。

で、その次の瞬間からは、征服欲みたいな、執着。

 

ヘタに、食べちゃいけないとかいうような縛りのない

自由な条件下にいる通常の場合だと、 

 おぉ、それ、ぜったい手に入れてこの欲を満たすぜ!

となりがちなのだな、きっと。

手に入れられるからねー、ほとんどは。

 

つまり、

 

 欲求=必要(原初的な欲)+執着

 

なのかもしれませんなー。

原初的な欲は、生きていくために必要だと

感じたり判断したりするもの。

それは、一瞬。

その次の瞬間から始まる執着は、永続的。

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 <さち・ド・サンファル!さんの、「欲」の王道> 

 

女性をレイプする男性というのは、

性欲が抑えきれないタイプなのだと思われがちだけれど、

性欲というのは誰にでもあるもので、違うところは

「征服欲」を抑えきれないところ

だというでしょう。

 

そいつらのチンチンの中も、

 欲求=必要(と感じる原初的性欲)+征服欲

なんだよな。

 

こう考えると、

性犯罪者をすっごく特殊な人間として

切り捨てて終わってしまいがちだけれど、

何かを必要と感じる原初的な欲に征服欲を絡めてしまうのは

人間フツーにやってしまっていることで、

 

・原初的な欲がどういう方向性、性質を持ったものか

・征服欲の度合い

 

によって、

性犯罪者となって社会からツマはじきになったり

すごい肥満で悩んだり

カラダ壊してしもうたり

こだわりのグルメを謳って生きてみたり

してしまっている、ということになるのかもしれんな。

 

 

とか、考えておった。

水で膨れた胃を抱えながら。 

 

 

その3へ〜

断食4日目。思えば断食処女だった。

断食4日目。7日間の断食の、中日だ。

 

朝の心臓バクバクは無くなった。

起きた時は、まだ暗い部屋の中全体に

青いドットがちょっと見えたり、

目を瞑ると、まぶたの中にやはり豪華なチラチラが。

なにやら金色の、細かな織り柄が集まった

すごく綺麗な万華鏡を見ているような。

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こういうイメージのが、暗いまぶたの中で、放射状になっていた感じ。

ちなみにこれは、私も7月に抱擁していただいた、世界の母アンマさんが

身につけたサリーでできてるのです〜ヽ(´▽`)/

 

やはり、なんというか、昨日までより断然、余裕あり。

余裕で振り返る、ワシの断食前半。

 

「食べる」ということについて、いろいろ考えてはおったよ。

 

断食初日は、

けっこうコテコテなメニューがフッ、と浮かぶことがあった。

ソースたっぷりのお好み焼きとか。

デミグラスソースを使ったようなもんとか。

私は好き嫌いはほとんど無いし、

こういうもんもふつうにおいしいと思うものではあるけれど、

ふだんはそんなに、

自分の大好物!として意識しているようなもんではない。

 

今思えば、カラダとしてはまだ、

 あ〜おぃ、おさち、オレは今日まだ食ってねーぞ

という段階だったのだから、

よくある「腹減ったから今ならけっこうなもんイケる!」という感覚で

ふだんはあんまり好んで食わないスタミナ食的なもんでもOKだぜ!

ということだったんだろう。

これはまぁ、ただのハラヘッタ状態だな。

 

ただ、朝、昼、晩と、慣れない青汁とか飲んでるし、

水も摂らないといけなかったしで、

胃自体には変な膨満感(これずっと継続)があるもんで、

自分が今、ハラヘッテるのかなんなのかマジでよくわからず、

心と体がチグハグな感じというか、

戸惑いの方が大きい。

 

断食処女だな。

 

私の場合、準備期間の3日目から断食開始日にかけてが

1泊2日の出張だった。

 

研究会に参加するという、気楽なものではあったのだけれど

特に今回は、ちょっと慣れてないジャンルの発表を、

2日間けっこうキーーーっと集中して

聞いたり書きとったりしつづける時間で、

それなりに疲れた。

 

で、その最中・・・

ときどき集中からふっ、と戻ってきた瞬間、

ほぼ反射的に

「あ〜なんかどっかで、ケーキとコーヒーかなんか・・・」

と浮かび、次の瞬間

「あ、今ダメな期間か。」

と、すっと諦める、っていうことが、何度もあった。

 

 

この意識のパターンとは・・・?

そして、すっと諦めることができるということは・・・?

さらに、初日は特に「噛みたい・・・!」と思った。

この点について考えたりしていた。

 

まずは、

”あーケーキコーヒー” 

について。

 

胃を満たしたいわけではない。

食べ慣れた味と食感と香りで、ただ

ふ〜っ・・・と一息つきたいのだよね。

 

味覚とは、ものっすごく気分を転換してくれるものなのね。

 

しみじみ感じた。

気分というか、カラダのいる「今」というか「場」全体を

変えているのだと思う。

だから、変えすぎるから、

 刺身食ってんだから、今チョコレートとかいらねーよ

とか、いうことも起きるのだろう。

なんでベランメー調気味なんだろう、この人は。

「甘いもんはベツバラ」とか「シメにラーメン」とかも、

そういう要素を含んでいる。

 

旅行とか、部屋の模様替えとか、服や髪型を変えるとか、

そういう大きな気分転換に比べて、

味覚はもっと小さなガス抜きというか、

口に入れた瞬間、瞬間で、小回りを利かせて

場を変えていけるものなんだなぁ。

発見できました、断食さん、ありがとう。

 

続きは、その2でね〜