柱の傷。

もう使わなくなっているノート類を

捨てようと思って、

手に取ったものの一つが

以前あれこれと思い悩むアタマの

整理のために使っていたものだった。

 

ずいぶん今と違うことが、メモってある。

あんなにど真ん中にいたぐるぐる思考が、

今は昔となった。

 

その、3年くらい前の私は、自分をとりまく

不安、ネガティブな感情というのを

取り払うべく、

まずどうにか具体的に捉えようとして

過去・現在・未来に分けて

何やら書き込んでいる。

 

未来についての不安;老、病、死

現在についての不安:社会的な目

過去についての不安:ヒトが抱いているかもしれない自分への悪印象と自己嫌悪。

 

ちっちぇえなぁ、我ながら。

人間だなぁ。

人間だもの。相田サンファルみつを。

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未来についての不安は、

時間と切り離せないところも多。

現在と過去については、

他人軸、自己否定の要素の絡み合い。

である、と。で、

 

自己否定は、

自分の意識でなんとかコントロール可能、

時間と他人は、コントロール不可、

とも書いている。

 

自己否定も、

そう簡単にコントロールできるなら

苦労は無いわけで。

 

ほぼ、コントロール不可能な

不安たちの中で、私は

溺れていたのだった。

まぁ、記憶の通りではある。

 

今の私には、無くなったなぁ、

こういう感覚は。

 

そんな感覚のまま、もし

このコロナ騒動時代に突入していたら、

私も、多くのばかばかしい

上っ面情報に

脅されたいだけ脅されて、

多くの迷える羊たちの群れの中で

人一倍怯えきっていたのかもしれない。

 

ゾッとする。

 

このノートは、

背丈を測って残った

柱の傷みたいなもんだなぁ。

 

「何をやっても思うようにならない時

上にのびられない時に

根は育つ」

と、みつをは言うから、

まぁ「背丈」ならぬ、「根丈」を

測ったようなもんかな。

 

根を張っとるな、おれ。

その時はただ、精一杯

そのように立っていただけだったけれど。

 

人間、死ぬまで生きるものだ。

それだけだ。

魂が決めてきたことをやってしまったら、帰る。

その時の肉体の状況を、死因と呼ぶのみ。by サンファル。

 

必要なことをするための環境は、自ずと整う。

必要なお金なら、入ってくる。

 

他人は他人。自分は自分。

それのみ。

 

他者たちの価値観の世界から

弾き出されないよう、他者に合わせるか、

自分の心地よさを優先するか。

それだけだ。

その選択に慣れてしまって

完全に身軽になりきるまでは、

つらい判断であるけれども。

私も、道半ばにも至っちゃいないけれども。

 

親、兄弟姉妹、配偶者、

すべて、自分ではない。他者。

 

他者の反応は、他者の範囲。

自分にコントロールできるのは、自分の意識のみ。

自分の反応すらも、観察対象。

 

そんだけのことでおます。

 

涙は、出るさ。まだ。

表面的な糸が切れる瞬間には。

ほっといたら死ぬる肉体を持ってるがゆえに

他者の中で揉まれて安心を得ながら

生きてきたのだもの。

でもそれだけだ。

 

 

私は何をしに来たのだろうかね。

こういう姿を見せるために来たのだろう、とよく思う。

まだ糸を切れずに

良い子、良きオトナでいようとする人たちに対して。

 

涙は出るのだよ。

ひとりで寂しいか、

集団の中で寂しいか、

の違いだ。

 

私は前者を選ぶ。

スッキリしとるもんね、前者の方が。

そして前者には、希望もある。

 

いんだよ、

いつまで綺麗ゴト言うとるのか、

と言われても。

良きオトナは、背も根も伸びまい。

 

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このひと、特に最近よく、こういう感じで

何も無い上の方の一点を見つめている。

誰か来てくれてるのだろうな。

ありがとうございます。