落陽楼。砂上楼。

落陽楼と名づけている

自宅マンションは

「私と猫と時々オトコ」で生きていく

と宣言して購入し、

その後、言葉が現実化、

猫も拾い、

出会った同居人と一緒に

10年間暮らしていた。

 

ここの眺めは好きだ。

西の空が雲を照らし、

落陽が美しく差し込む。

 

「時々オトコ」と宣言した言葉が

正確に現実化したためか、

オトコだけお別れすることとなった。

 

お別れすると決めたなら、

さっさと出てってほしんだけども、

相手はなにせ金が無いからか

一向に出て行こうとしない。

この、行動が遅いというのが、

私はいちばん苦手なとこだ。

 

これも人生修行。

そう思って、

まったく進まない引っ越し荷物が

広げられたまま

停滞したうちの中、

最低限の行動範囲で

私は生活している。

 

 

ひさしぶりに、

今朝の夢の中にASKAが出てきた。

 

この人は、私が数年前まで

心の師と仰いでいた人なのだけど、

 

復帰後の始めのステージが

あまりにも悲惨で、

 

自分のアーティストスタイルとして

謝罪の記者会見はしない、

今後の活動、作品の出来で判断してほしい

と、自分でハードルを高くしておいた

にもかかわらず、

 

あの一曲目の一声目からの酷さは

あまりに客を馬鹿にした状況だとしか感じられず、

 

それまでの36年間だったか

何年だったかもう忘れたが、

クソバカ報道の頃にも

全身全霊で彼をかばい続けたけれど、

 

もはやこれまで、と

気持ち的には

三行半を叩きつけるようにして

会場の福岡サンパレス

後にしたのだった。

 

以後、私は

「今、僕は音楽に試されているのでしょう」

と語っていたCHAGEのステージの

素晴らしさには

深く深く魅了されたけれども、

CHAGE & ASKA というもんには

別れを告げた。

非常に残念であった。

 

私はよく、どうにもならない

区切りに出会う時、

「残念だ」

と感じる。

 

感情的にではなく、

他に施しようが無く、

静かに、ばっさりと切り捨てる響きだ。

 

今、自分で選んだお別れに際して、

久しぶりに彼らの歌が

頭の中に流れている。

 

今まで、やりきれない事が起きるたび、

私はいつも彼らのところに

泣いて帰っていたようなものだった。

 

あの人を知る前から、

私はこんなに支えてくれる歌を知っていた。

 

そう思うと、いつも

うかれ騒いだだけの

腫れ上がった時間が小さくなって、

まるで太陽からまっすぐ降りた

光とつながるかのように、

本来の自分の心と信念を

確認できるのだった。

 

つらい時にいつもやっていたことだったから

もはや身に染み付いて

癖になっていたようだ。

今度もまた、

彼らのところに戻ろうとしたのだろう、私の心は。

 

けれど、彼らはもう私の中では

リアルタイムではない。

まだ愛している人たちも

いっぱいいるのだろうけれども。

 

支えてもらう歌の主も居ないままに

自分の中にまたお別れが来て、

また一人だけで立とうとするなんて、

思えばこれは、
まるで初めての経験なのだった。

 

そう意識するより以前に、

もう心の中で

今度のお別れを決めた時から

結局、彼らの、いわゆる懐メロのようなもんが

流れ続けていたことにも気がついた。

 

別れる時のどうしようもない切なさも

私はやっぱり

彼らの歌の中で既に経験していたのだと

改めて思い起こす。

 

そんな原体験は、

人生経験を重ねた程度の時間や

ちょっとやそっとの感情では、

消せないものなのだ。

 

巡り会ったことに感謝したりもした

綺麗事はすべて捨てて

残った理屈だけでいけば、

商業的な流通に乗せて

私の耳に届いただけの歌だ。

 

その彼らの歌の中にあった真実は、

何パーセントぐらいなんだろうか。

 

真実があったことは、きっと事実だ。

同じ周波数の部分どうしが

共鳴したのだから。

 

その後、何が起きていようと、

商業的流通がいかに遮断されようと、

その後、気持ちが揺れ、離れて行こうと、

純粋な何かを受けとった

純粋な記憶は

永遠に純粋なままに。

 

 

夢の中に時々出てくるASKAは、

私からいつも説教されている。

 

私はよく、

あんたがどれだけ理屈を言おうと、

あの時の

あのステージに向けた意識はサイテーだった、

と訴える。

 

あんたは許されると思ってたんだろうが、

そういうとこがあんたのイカンところだ、

と正面から

こんこんと説く。

 

彼はいつも、

黙って聞いて、最後に

俺もそう思う

と言う。

 

今朝の夢の中では

スーツを着てメガネをかけていて

他の人かと思って見ていたら

あやつだったとわかって、

なんだよ、じゃあ、

気持ち的に準備はしてなかったけど

説教するしかないな、と

思ってるところで目が覚めた。

思いは伝えられないままだった。

 

あの時もはや3曲目の段階で

もう聴いていられず、

それまでの30余年を振り返るための時間として

4曲目を過ごし、

5局目のイントロで席を立ち、

チケットの半券を

ロビーの床にひねり捨てて

出て行った福岡サンパレスも、

 

信頼関係の回復を望み続けて果たせず

断つことを選んだ今のうちの中も、

 

信じ続けることの

虚しさに満ちている。

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