さよなら猫背ライフ
最近フラメンコとか習ってたりして。
いくつもの気づきやタイミングが合流して、するっと
始めるに至った経緯の話は、
また別の機会においとくことにして・・・
で、自分の猫背について考えておった。
レッスンで特にこの頃よく注意されるから。
わりと伸びた猫背。
姿勢悪すぎて肩こりこりもいいとこだったずっと以前に比べると
自分の中ではかなりまともに戻って来ていたのだけれど、
やっぱ〜、何よりキリッ!と動いてシャキッ!と見せるメンコ踊りとしては
ぜーんぜん背中丸すぎますよ、という
よりよき姿勢のための、ありがたいご指摘。
で、あっほらまた姿勢、あっそうか・・・と
何度も何度もふっ、と肩と胸をそらすその度に、その感覚がどこか、
このところの自分の意識にあった、
生活の中もう一段階「次」に行きたい、でもどうやって?どこに?
という感覚に、すぽっ!と当てはまる感じがある。
ほんと、メンコ習い始めてよかったわー。
これもやはり、大きな流れの一つなのだとよくわかる。
【半生の彫刻】
私の猫背は、思えば、
この半生で辿ってきた時間そのものの形だ。
小さい頃からずっと
終わらない説教を聞かされ続けた姿勢。
気がつけば、背中と首がバキバキになっている。
他にも様々に背中を丸めた時間を、私は渡って来た。
勉強している時の姿勢、
大人のそばで、あるいは一人で、縫い物をする姿勢、
枕元の電気スタンドで日記書くやらラジオ聞くやら、一人の時間を作っている姿勢、
一緒に歩きながら、自分より背の低い人たちの声を聞き取るのに背をかがめた姿勢、
ムネのあたりの輪郭をウヤムヤにしておく姿勢・・・
猫背を肯定する猫。
そう。背中の問題は、表裏一体、胸の問題でもあったのだ。
【ムネ問題】
お年頃でムネが出てきたこと自体が恥ずかしかった。
ムネ問題は、大きい。ムネは大きくないが。
それは、小さい頃から親類親戚の中でも私だけずっと太っていたことと、
自分の女性性を極端に認めていなかったことという、
私の荒んだ心の二大巨穴に関わる。
太っていた私と、女性性を否定する私。
そう。ムネが大きくないのは、遺伝的に、親類のオナゴ一同そろって、
なんだかな〜的な態度をとるしかないことだった。
血族の中で太っていたのは私だけなのに、
なんだかな〜の方は私も紛れることなく、立派な一員だった。
でも、じゃあ大きければ希望通りなのかというと、
そこがそう簡単にはいかないところで、
私にはそれは「太って見える」という
最もネガティブな発想と直結してしまうことでもあった。
豊かなムネがふくよかで女性的だとか、おぉ谷間がセクシ〜!とかいう
明るいポジティブな価値観の方向に、どこか、いききれない。
いや、こんな私もはじめはその方向だったというか、
世の中にはその方向しかないものとぐらいに思っていたというか、
あまりに自分のすべてに否定だらけだった過去としては、
”なんだかな〜” なおムネだから人生悲しいのだ、
とまで思ってみたりとかもしていた気がする。
それで、テレビで見たマッサージを「おっ★」と試してみたりとかな(笑)
でも、そーじゃないんだよなー、とムネの内ではわかっているから
べつにそんなベタな行動も続かないわけで、ただ、
自分のこのカラダにオッパイぼよ〜んとつけてみた場合の姿が
恥ずかしくて耐えられない、
という感覚。
我ながら、実にフクザツなオトメゴコロである。
花言葉は「オトメのオッパイ」。うそ。
ほんとうに、どれだけ振り返っても、
私はムネが存在していること自体というか、
オナゴである以上、胸部のあたりに何かあってしかるべきとされている部位
というものの(サイズとか、切除したとかに関係なく)存在自体を、
見て見ぬ振りするかのように
肩を内巻きにして、自分で自分を隠しながら
猫背を無意識に強化していたのだ。ほんにほんに。
猫背を肯定し続ける猫。
【ムズムズ来ていた】
今9月ですけど、今年の始め頃からだったか、何か、
また次の段階へ変わるための自分内部のムズムズが始まっていた頃、
無性に感じるようになっていたのが
・肌に触れる部分は天然素材にしたい!
ということと、もうひとつ
・体の線の出る服を着たら、もっと自由になるんじゃないの?
という直感だった。
体の線が出るとはいっても、イケイケ方面とか全身タイツ方面とかじゃなく。
「線を敢えて隠す」というのと反対方向という意味で。
カラダの線かぁ〜・・・、カラダの線ねぇぇ〜・・・、っと
思っていたところでやがてコロナ引きこもり期となり、
新しい服を調達したわけでもないままに、
やってきたのが最近の猫背モンダイなのだった。
私の猫背は(”わたしのねこぜ” って・・・(笑))、
言いたいことを言えずウチにこもって、
体という自分そのものを隠したい意識を持ち続けているうち
出来上がってしまった、
形状記憶合金みたいなものだ。
形状記憶猫背。
猫背な猫好きンちの猫の背の向こうで猫背と書く猫のピンバッチ。
猫背記憶合金。
ムネはウヤムヤにするものだと
記憶してしまっていた背中を反らせて
ぐーっとムネを張り、
私のそのまんまが出てていいじゃんけ、と
体の線に沿った服を着よう。
それは、世の中から「隠れていた」自分を表に出して
本心そのままに、両手を広げて風に吹かれることなのだ。
そゆふうに思いながら、
まぁこれから新しい服を探そう、などとも思いながら、
とりあえずの外出にとりあえず今までの服を着て出かけ、
台風以来もう涼しくなっている風を感じながら
歩いていたら、
あー、
のびのびと
歩いているわたし。
風が
気持ちい〜・・・
いつだったかアジア雑貨屋で買った
メンズの直線的なぶかぶかゆるゆる長袖シャツと
古着屋で買ったストンとゆるいパンツに、
新しい季節の風が寄って来て、
今までと同じように布地の内側にあった肩やムネや脚の線を
ヒュ〜っと軽やかに探し当てて
わたしの体の一番外側に張り付けていった。
体の線を隠さない服とは、
自分を隠す必要の無い心で着る服。
風の吹くまま、吹かせておく姿。
さよなら、猫背ライフ。
「・・・・・・・・。」