【過去生メモ】過敏な御者の無表情
急に、なんだか過去生の情景が出てきた。
唐突な言い方ですけど。
心を落ち着け、アカシャとつながる呼吸などをしていたら。
こういうことは初めてだ。
メモっとこ φ(.. )メモメモ
【わたし、御者でした。】
馬車正面の、ちょっと左寄りに腰掛けて
ガタガタ揺られながら黙々と走らせている。
馬車は、なんていうのかしら、幌馬車じゃなくて、
もうすこしがっしり箱状になってる感じの。
ちょっと黒っぽく装飾のついた感じの。
中は密室、御者は外。という感じの。
三頭並んだ(その前に更に二頭かそれ以上いる感じもある)
芦毛の馬たちの尻を見ながら、
ほんの時々長いムチをただ触れる程度に打ち、
やたら冷たい風と、
駆ける馬たちの蹄が飛ばしてくる砂つぶや泥を顔や体に受けつつ。
それが肉体的に大変そうだと見る人もいるけれど、
そこには、さほど辛さは感じない。
働く時間が長いほど、一人で内面を見つめる時間が過ごせるので
実はこの仕事は性に合っている、と感じている西欧の男性。
痩せ型の。メガネの。帽子かぶって。
18世紀終わりころのような気がする。
シューベルトの絵を見ながら描きました。こんな顔。もすこし細身。画力及ばず。
妻子はいるけれど、べつに。
何を言われたわけでもないけれど、疎外感を持っている。
大事にしているのは、おじいちゃんからもらった小ぶりの懐中時計。
とても大事なもの。
ポケットの中で時計を触る、そこだけが今も続く
安心できるふれあいの場。
とてもすべらかな触り心地。
じいちゃんとは意思疎通ができていて、
その幼い頃の記憶だけが、リアルな人間関係と言ってもよい。
酒はそんなに飲まない。
暖かいお茶で体を温めて、それで終わり。
客は、自分より身分の高いやつらばっかで、
馬車の箱の中での話題は、なんとなくわかってしまう。
なんのシンパシーも感じない。
そいつらと一緒にいるときは、自分にも周囲はへこへこする。
一人になると、周囲はそうでなくなる。
なんとなく人の心が透けて見えてしまう。
「どうせ」に行き着く。
目的地まで客を送り届けると、
馬たちを休ませる専用の厩舎に預ける。
いつもその厩舎まで行くと、そこに暮らして
管理している家族の様子がちらりと見える。
粗末だが明るいピンクのドレスを着ている幼い女の子の姿とか。
それが何か羨ましい、自分では諦めている団欒の姿。
何も大きな悲劇は起きていないのに、
いつも、いつからかずっと、悲しい。
この感覚、現生の私と同じ意識だ。
なんで今出てきたんだろう、この人が。
【無意識×無意識】
過去生を見ると、実にはっきり今の自分と同じパターンの部分が見える。
今その過去生が出て来たのは、
今の私に必要なことに気づかせるためだ。
シューベルト似の彼は、無意識に感じ取っていたんだろう。
周囲の、その人たち自身も無意識なままの、心のヒダを。
無意識の狭間のヒダは、増幅してかぶさってくる。
【疎外感のカラクリ】
穏やかな空気の中にいると、ひっそり人一倍楽しい。
でもそこにいる人たちは自分ほど楽しそうなわけでもなくて、なんとなく拍子抜けしてしまう。
そのギャップは、やがて
この人たちには何かどこかに、自分といるよりもっと楽しいことがあるのだろう、
という疎外感になってゆく。
この疎外感のカラクリは、彼の心の中を見つめていて得た
いちばんの収穫かもしれない。
なんで私は、友達と会ってしゃべっている間、
その話題や状況なんてべつに、
そこまで魅力的かと言われるとそうでもなかったりするのに、
その人たちの、私の思うある一定の間隔をもってまた次に会おうとしない感じが
こんなふうに一人勝手に寂しいのか。
しかも恐らくは、その人たちにしてみれば次にもまた会うつもりはあって、
でも次までの間隔が私の思うそれとは違う、という程度であるだけの可能性も高いのに、
そう理屈で考えても、
自分の中でもよくつきとめきれない茫漠とした感情は、いつもあった。
でも、なんか腑に落ちた。
人一倍ひっそりと嬉しかったのだ。
自分の感覚だけを眺めていては
我ながら照れるだけだったりするけれども、どうも
御者の感覚を通して客観的に見ると、そういうことらしい。
【無表情のしくみ】
シューベルト似は逆に、
周囲の空気に恐れのようなものが少しでも入ると
発信源の存在はわからないままに
その不快さゆえに、不安になるやらイラつくやらしてしまう。
結果的には、実際には何も起きていない何かに過敏になって、
ひとりで疲れてしまう。諦める。
気難しいと思われる。また諦める。
なんとなく自分が悪いのだろう、
というところにいきつく。
だから彼は、心を閉ざして感情の起伏をできるだけ無くし、
淡々と生きていたのだ。
シューベルトさんご本人(ウィキべディアより)
【察知能力:アリ】
私もそうだ。
わかってしまっていたなー、
親の小さな正義感とか。狭い視野とか。
周囲の人たちの無意識部分の本質とか。
その人たちの愛すべきささやかな取り柄と、情けなく貧相な心配の核が。
だから見捨てるわけにもいかず、同時に、これ以上の居心地の悪さを知らない。
彼らは、怖いだけだったのだ。
集団からはみ出してしまうことが。
それが我が子であれ、自分であれ。
彼らの奥底に沈んだ恐れは、
理屈だらけの言葉となって、
アンタのためにならないからそれはやめろとか
オマエのことが心配だから言ってるのにわからんのかとか
なんとかかんとか
ごりごり、ぐだぐだ、子供の領域を侵してくることになる。
【理解力:ナシ】
型で押したような理屈ゴリ押しの彼らは無意識だが、
それは実は屁理屈だ、というところまではわかっていたなぁ。
けれど、如何せん、
彼らの奥底を震源地とする「恐れ」を自分が感じ取っているという自覚が、
持ててないんだよ。
ごりごりぶつけられ続ける非難の言葉を聞き流す性格もなし、
彼らのキャパを理解してやれる心の広さも持ち合わせず、
味方もいない。
圧倒的な孤独の中で、
整合性を求めて全身でアタマを働かせ、
「この親は、私のことより自分たちのことの方が大事な人たちなのだ」
と解釈するようになった。
のだろう。
ある意味、事実だったのだけれど。
実際にはふつうの親子として愛されていた部分までも、
そこで吹っ飛んでしまったのだろう。
こうして
「愛されていない」私の宇宙の大前提はできあがってゆく。
【それもこれも、ブループリント】
つべこべ言うても、つまりは
矮小なキャパシティの人たちと近くに居合わせる
という体験の青写真を、生まれる前から決めて
選ぶ決意どおりに進んできてるのよなぁ〜、
私も。御者の彼も。
あ〜そのことを彼にも伝えることができたら、
彼の虚しさはもう少し軽いもので済んだかもしれない。
彼は芦毛の馬たちに、余計なムチをあてていない。
馬たちの感覚がわかっていたから、時々ふれる程度で
はじめから微調整ができていたのだ。
それも彼の敏感さゆえのことだったのに、それを長所だと感じる自覚もできず
過敏な不快感を避けて一人で生きた。
今、伝えてあげよう。
腹のなかでつながって。
そしたら私につながる彼の波長が少しだけ軽くなって、
きっとそれは、今の私をも軽くしてくれる。
そんな感じの、過去生による良い気づきでした。
ありがとう、シューベルト似のわたし。