断食終了後・・・復食で、「味」と「歓び」再発見ヽ(´▽`)/

昨日で、4日間の復食期間も終了。

これはほんとうに、あっという間だった。

楽しんでいるうちに過ぎたという感じ。

 

復食はとても大切だということが、よくわかる。

しっかり口の中でよく噛んで飲み込んでいるはずなのに、

固形物を食べはじめると、休んでいた「胃」が疲れて、

胃の位置の背中側が凝ってしまった。

 

ここで、楽しんだ復食メニューを、紹介しちゃろう。

 

私の、復食メニュー☆

(1、2日目は、フルーツジュースと、やわらか〜くした野菜。

 でもフルーツ買いに行くの面倒、というか、けっこう気が抜けて

 カラダ自体はダラッと疲れている感じ。

 作るのはもっと面倒。

 何より野菜を食べれることが嬉しくて、それで充実感!)

 

1日目:昼 ちょい焦がし残りキャベツのクタクタ煮

    夜 大根と糸切り昆布出汁の温泉煮

 ◆食が細くなっているから「少なくとも2食は食べる」という

  注意を聞いた気がするが、そんな心配ご無用であった。食う、食う。

 

 ◆塩は、復食期間は禁止ではないけれど、むくむので

 摂らない方がよい。私ももちろん、無塩生活!

 

2日目:朝〜夕方 白菜の温泉煮、バナナくんたち

    夜 新鮮キャベツの温泉煮

 ◆朝はふだん食べないくせに、朝から食べ続けるあたくし。

  夜、やっと皆そろって食卓についた。人間的(人間&ネコ的)だ・・・

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(フルーツ、ナッツ類、オートミール的な穀物OK!)

3日目:キャベツの温泉煮

    大根と糸切り昆布出汁の温泉豆腐クタクタ煮

    かぼちゃ姫と男爵のあつあつスチームデート

    梨まるごとナッシー

 ◆俄然、テーブルが「お食事」の色彩を浴びる。文化的だ・・・

 

(少しずつ通常の食事を加えていく)

4日目:十割蕎麦(きつね)と蕎麦湯

    大根と糸切り昆布出汁の温泉豆腐クタクタ煮

    プラム嬢むらむらまるごと

    居残りかぼちゃ姫

 

「歓び」の中身をご紹介しましょう。

初日の歓びは、

 ・Myお箸で!

 ・形のある食べ物を!

 ・つまんで口に運べる!

 ・しかも、それが温かい!

 ・か、か、噛める!

 ・あー食べ物の味!

でした。

 

2日目の歓びは、

 ・食材の風味を!複数のその違いを!味わえるヽ(´▽`)/

 ・料理をしている!文化的なわたしヽ(´▽`)/

  ◆同居人用に:鍋にミンチを炒めて塩コショウ、

         キャベツの温泉煮をジャッと入れて煮立てる。

  ◆そして、改めて感じたのは、

  「ものを食べたのに、夜、口の中がさっぱりしている・・・!」 

 

3日目の歓びは、

 ・噛んでいいバリエーションの増加!

   ナッツ噛む、梨カム、ジャガ噛むかぼちゃカム、温泉煮カムカム。

   ◆この日も朝からはりきった。まじで胃が疲れた(汗)

 ・温泉煮にバリエーション一挙増加!

   湯豆腐風

   ◆ま、これは初日からでもよさそう。

    でもタンパク質だからキャベツたちとは違うのかもしれない

   薬味〜〜っ!ヽ(´▽`)/

 

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《文化的〜!お汁椀と〜!箸置きにお箸と〜!好きな皿たち〜!薬味〜!かぼちゃ〜!》

 

4日目の歓びは、

 ・ズバリ、飲食店に入れる!注文もできちゃーぅ!

 ◆自由の身だ、という感じ。まぁ、まだこの4日目は、あくまで「通常食べるものを少しずつ加えていく」という段階なので、もちろん特に慎重にお店を探したし、私以外の客がけっこう入れ替わる中、十割蕎麦を一口ずつ、ほとんど玄米か!というほど噛んでから飲み込んでいたという、蕎麦屋滞在最長記録。

 でも、たいへん嬉しく、美味しゅうございました。

 

 

シャバへの復帰・・・

旨さ再発見

 ほんっとに、この復食4日間で、食材そのままの美味しさも再発見できた。

 同時に、人工的なプロセスをできるだけ抜いて、自然に近い食べ物を口にすることこは、体にとても優しい、今の時代にあってはむしろ考えられた末に意識的に選ばれるスタイルなのだ、と捉えるようになったな。

 (ヘタすると ”意識高い系” でくくられて終わるので、注意しましょう。)

 

 素材はできるだけそのままに、という意識は以前からもあったけれど、野菜をごろごろまるごと煮込むスープを作ったところで、「味付け」はしていたからなー。

 そういうプロセスもできるだけ省いた、食材的にもほんっとに粗食の状態というのは、つまり、内臓を休める断食の ”前後” の、準備&復食期間に近い状態なのだと、今回、つながったことは大きい。

 私は例えば、蒸したサツマイモだけを持って行って職場で昼食がわりにしていたこともあった。でもその頃は若干、「ちょっと最近、料理はしてないけど、これはこれでウマいんで・・・」っていうような、ビミョーな手抜き感への後ろめたさと共に食べてたのよね。

 

でも!そら、いかん!そんなのダメダメ!

「私は、食べ物を、最も美味しい状態でいただいている」のです!

 

 これからの意識は違います!

 カラダにも良く、飽きない原点の美味しさを楽しめる状態が、素材そのままの状態。そのまま食すことへの工夫が大切。 

 そう意識することで、よし、今日は「料理」バージョンの日だぜ!という料理の新たな意味も見出せることだろう。と思いますよマジで。

 

これからもよろしくナーッツ!

 もしかしたら、私はいつもそういう手抜き感や、「何食べていいかわからないけど腹減ったので今食うとすごくウマい」感と共に頻繁に摂っていたナッツ類や果物類が、準備食として摂るとされていた食べ物だったから、準備期間の3日間も含めて、断食期間中も、食べたいイライラはほぼ無く、けっこう楽だったのかもしれない。

 準備期間中はむしろ、夜いつもの晩酌をしない(泣!)ことを除けば日中はほぼまったくいつもとかわらないと言えるような生活だったので、準備期間に入っているということを逆に忘れて、夜、晩酌してしまったりしないように気をつけていたほど。

 

繊細さよ、私の中にSTAY!

 断食中から、ミネラルウォーターは「苦い!」と感じるまま変わっていない。やはり味覚が敏感になっているのだろうか?この、今の、ほんのちょっっとの梅干しとか、たった1滴のお醤油とかで、ふぅわぁ〜・・・っと風味が増して旨味を感じられるこの感覚を、遠ざけないように過ごしたいと思う日々です。

 

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《大豆を水煮して、熱いうちに千切りネギとお醤油3滴! だけ!》

 

 

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《「あ〜、腹いっぱい!」「ごちそうさま〜!」・・・・の、しあわせ》

 

 

 

 

断食終わって。復食中よ〜ヽ(´▽`)/

あっという間に、ということもないか、

いろいろ考え、そしてバタバタと動いている間に、

7日間の断食は終了。

ここまでの断食体験を、軽〜くまとめちゃーう。

= = = = = = = =

 

スクールでは、同じような期間に

断食をした人たち、している人たちがいて、

それぞれの反応は似ているような、違うような。

 

やっぱりだいたい、前にも書いたとおり、多くの人が2〜3日目に

つらい状態になるようで、でもそのつらさは

 

・私のように比較的短い期間で終わる人もいれば、

・3日間の準備期間から既につらかったとかいう人もいるし、

 (何日つらいんだよ、かわいそーに)

 

また、「つらい」というのも、一言では括れない「つらさ」で、

 

・私はしばらく動悸がして横になりたい、という感じだったり、

 加えて、肩から上腕のあたりは熱っぽいのに手先は冷たい、とか。

めまい、嘔吐、関節痛で実際に体が大変なことになった人もいたようだし、

・けっこう、「ものを口にしない」ことからの寝られないような恐怖感とか

 「食べられない」あるいは

 「(準備食は ”ナッツ類と野菜のみ” みたいな)制限がある!」

 ということへの抵抗感が出てきた人とか。

・そこから派生して精神的な面の「葛藤」が湧いてきた人とかも。

 

ま、それにやっぱり、一瞬なんか

 幾何学模様みたいなキレイなのが見えた

と別次元(というか、それがほんとうの世界の姿らしい。)を

垣間見た人も、いたもよう。

 

私は、復食4日目の今朝も、起きて目を開けた直後の

暗い部屋の中では、きれいな青ドットが見えるぜ。

毎朝、草間彌生になる一瞬だぜ。

 

今朝のは、青ドットの中心に赤ドットが入っていたと思います。

断食中に見えたのはとても規則的なドット。

 

今朝のは、ドットが見える範囲が広かった上に、

立って下を見下ろしたことで

目線から下への奥行きが関係していたのか、

上から下にかけて、ドットが小さくなっていたと思うなー。

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《まだ尻までは見えていないぜ》

 

こうして、ほかの人たちの反応を知ると、私の場合は

けっこう穏やかに過ごせたのだなぁ、と思った。

 

どうにも我慢ができなくなった時に少しだけ口にしていいもの

(豆腐、オレンジジュース、生姜のどれかを、ごく少量ずつ)にも

べつに頼らなくて済んだし、

お腹が空いた時にはハンサオ・ブリージングの呼吸法をやったら

おさまるよ、と聞いてはいたけれど、

空腹感をどうにかするためにやる必要は、なかった。

あと、あまりにも、

 

 おしっこが、

 

ですね、いつもと違ってなんかすごく

 

 何かのカスが混入した感じで濁っていて、

 とにかく何か要らんもんがいっぱい体外に排出されている様子

 

がわかるので、これはすごーく、励みになったぜ。

おーおー、どんどん出て行けー!!ヽ(´▽`)/  と。

これを7日でやめてしまうのか、もっと出し続けたいぜ、と。

 

あ、じゃあ私の状態って、いわゆる断食 High の状態だったのか?

自覚なきままの、静かな High。

 

面白いなぁと思ったのは、その尿からの排毒が

一旦、6日目の後半におさまって

尿の濁りはそうでもない・・・?という感じに

なっていったこと。

 

ラストの7日目は、それまで摂っていた青汁(1〜3日目)や

はちみつ水(4〜6日目)も摂らないし、

それとは別に摂る水の量も半分になるので、

何か変わって行くのはわかるけれど、それを始める前日から

変化が始まるというのは、興味深い。

 

なんというか、明日で第一段階は終了となりますので、

と、体が自ずと収束に向かう感じ。

 

前に紹介したyoutubeの『絶食療法の科学』の中にもあったし、

いろいろ説明を聞いていると、

7日間とか21日間とか、期間の単位が

「週」で設定された数字が出てくる気がする。

 

カレンダーに沿うほうが、やりやすいからかな、とか

漠然と考えてみたりもしていた。

 

この尿の変化は、もっしっかっしたっら、

そういう7日という単位設定が、体の機能と

直結したものなのかも・・・とも思えるものだったな。

今のところ、それ以上深く知らなくてもいいけどね。

 

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《水から外に出た私たち。水の中で生きるまりも。

 時間の糸は、まりものように、まるまってるものらしいねー》

 

水が半分になった(からなのかどうかはわからんけれど)7日目は、

左あばら下部のひきつるような痛みは、全然感じられずヽ(´▽`)/

 

でもその後、復食はじめるとまた同じ痛みが復活。

そしてやはり、断食中ほどではないけれど、また尿が濁ることの方が多い。

7日目の方が、”そうでもない” 状態だったような。

(7日目はビジョンクエストをやってた。

 それはまた今度書きましょう)

 

やっぱり、体の中を巡る水分→血液への働きかけによる

脾臓のあたりの ”凝り” のようなもんじゃないのかしらー・・・

 

私の場合とくに、水をあんまり摂るタイプではなかったから、

いわば、体の機能として

普段ひとがやっていたことをやれてなかった、

つまりは脾臓の運動不足みたいな状態による

症状なのじゃないかしらー?

 

だってあまり他の人たちの症状としては、聞かないし。

けっこう私にとっては顕著な症状なのだけれど。

 

私の足は、むくみ足

 

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 《まりもを孕んだむくみ腹》

 

これが、断食ラストの頃には、

足首までいつもと違う!と感じるほど

すっきりしてしまっていて、感激したんスが、

 

つまりこれも普段、膝下に溜まっていたもんが動き出した

わけなのでしょうから、これからも、

ややたっぷりお水を摂る、とかいうのも心がけるといいのかもな。

 

今のところ、朝、水を飲むことにそれほど抵抗が無くなっている。

というか、ふつうに、体が欲して飲もうとして飲んでいる。

 

これまで無かったことだからなー。

 

健康のため・・・とか思って飲もうとしても、

水が胸につかえてしまう感じだった。

んだから、断食で身についたと思われる、こういう感覚を、

断食後にこそ続けていく意識で、まいりたいと思うのです。

いつもいつも断食するのは、やっぱ、つらいからさー。

 

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《供えもの》

 

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その3 「食べる」の意味素性

断食4日目のヨユーから、

前日までのアシドーシス中の思考を整理しているシリーズその3。

 

初日に頭をチラッとよぎったのは

気分を変えたいための嗜好品であったこと、

2、3日目には状況が変わったこともあってそれは無かったこと、

は書いた。

 

あと、2、3日目にほんの時々チラッと

よぎったもののことから、少し考えてみる。

 

まずは、食べ物自体の「チラッ」。

食べたいものが浮かんだ、という感じよりも、

うーん、そうねぇ、細かく言うと、

 

パンを噛む瞬間の奥歯と歯茎のあたりの感覚とか。

ナッツを噛んだ瞬間の食感と、広がる香ばしさとか。

 

そして、それに憧れる感じ。

ぅわぁ、いいなぁ〜、噛めるって、と。

 

そう。そうなのです。

 

胃を満たしたいという欲求よりも、だな・・・

・・・・「噛みたい」んだよな。

これはほんとに、初日から

意識的に浮かんでくる感覚でもあった。 

 

 註:断食中に我慢できなくなった時の対処法も

    いくつか教えてもらっていて、

    その中には「生姜のスライスを噛む」(もちろん、 

    繊維はぺっと捨てますよ)というのもあるから

    スライスを持ち歩いてはいたのだけれど、

    まだ「限界」が来るまでとっとけるぜ、と思って、

    どれにも着手してはいない。

 

噛みたい!なんて今まで思ったこともない感覚。

そうねー、「感覚」なのよね。

カラダの一部が激しく感じたがっている。

 

やはり、カラダでこそ感じることのできる感覚を、

この地球生まれのカラダを持つ私たちは

しっかり楽しんでいるのだな。

 

これもまた、しみじみと感じたことの一つ。

ただ栄養分をとるためにサプリメントを飲めばいい

というわけではないのだ。

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《ワシも、噛みたいんやー!》

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190827193624j:plain《これも、噛んでいる。》

 

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《噛みたいんやー!・・・そして↓ 》

 

f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190827194650j:plain→→f:id:Sachi_de_Saint_Phalle:20190827194711j:plain

《噛まれたやつは、→→→→→こうなりますんやー!》

 

 

あと、私はふだんから、水をあまり飲むタイプではない。

だから、朝、昼、晩の青汁(ジュースの人もいる)の他に

1.5〜2リットルを目安とされる水を飲みきるのは、

かなり大変で、ずっと胃の膨満感を抱えていた。

正直、標準量は飲めない日もあった。

 

思うに、きっと、口にしているものが

味が単調すぎる青汁と水だけによるものだから

膨満感の辛さも倍増・・・していた

というところもあったのではないか。

 

多分、口で「うまい!」と感じたり、

皆で食べて楽しい!と盛り上がったりして、

そのおかげでつい食べ過ぎちゃった、とーかいう状態とは

ぜんっぜん違うんだな。

 

もう一つの「チラッ」は、

きっとその「楽しむ」に関わるところで、

妙に、居酒屋とか、自宅の食卓とかの、

食べる場所やお皿が並んだ景色が、よぎっていた。

 

出張中は特に、今カフェに入れたらいいけどなー

と思うタイミングもあった。

そう思って見回すと、街の多くはマジ飲食店。

 

慣れない街の、飲食店だらけのビル街を見回しながら、

人は楽しむための場所をいっぱい作ってきたなぁ、とか、

それって、アリの巣が巨大な地下建築物みたいになっているように

宇宙の上の方から見てもきっと面白い営みなんだろうなぁ、とか、

私はふだんそういうありがたいところで楽しめてるんだなぁ、

と、ふだんの生活や、人間の営む社会を

なんか新たな角度から見直すことができた。

 

 

「食べる」という行為は、最低限でも

歯で噛んで、

舌で味わって、

 カラダが栄養を吸収する、

という総合的な歓びのことなのだね。

決して「食欲を満たす」と同義ではない。

 

なんだか無性に、意味素性で書きたい。

 [食べる]=[噛む]+[味わう]+[消化・吸収する]

 

この第一義的な意味に加えて、

人の生活の中では、

 [食べる]=[([見る]+[噛む]+[味わう]+[消化・吸収する])を共有する]

という重要な意味で用いている場合もある

ということだな。

 

「まず目で楽しんで、

歓びを誰かと共有できる」

なんて、マジPERFECT!だな。

カラダを持つ人間として。

(食べる量には、気をつけましょうね)

 

 

もうだいぶ前のことだけれど、

噛む力の弱くなった

寝たきりのお年寄りにも噛める料理を

開発した人たちがいる、というニュースがあった。

 

噛めなくなったら、乳幼児の離乳食のような

流動食にしてしまうのが主流だったが、

それでは、寝たきりで楽しみの少ないお年寄りから

「食べる」楽しみまでが奪われてしまう。

 

それで、すべての食材に包丁で細かな切れ目を入れて

形をできるだけ残したまま

口の中ですぐほどけるほど柔らかく煮て、

ふつうの料理と変わらない見た目に仕上げて盛り付ける、

ということを考えた人がいたのだ。

 

人として人を思いやる愛があれば、できる作業だ。

それをいただく人たちがほんとうに楽しげに

口をもぐもぐと動かしている様子も映った。

 

この数日、そのニュースのことをよく思い出すんだよなー。

それを見た時は、そーかー、とぐらいに

思った程度だったのだけれど、

今は、

 

そーよねーー!

カラダに必要な成分だけ与えて

「食べる」っていう総合的な歓びを奪うとか、

考 え ら れ ねー!!

 

と、強く強く、思うのでした。

 

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食物連鎖



 

 

その2 壁] _-)チラッ について考える。

4日目のヨユーで、断食前半を振り返って

「食べる」ということについて考えております続きだよ。

 

= = = = = = = = =

2日目、3日目は、ただ自分のペースで

仕事をしていればいいだけだったので、

初日のような集中は必要無かったせいか、

ケーキ&コーヒーは、浮かんでこなかった。

 ま、でも時々は、食べ物が一瞬よぎることはあった。

 

断食をやる前は、

お腹が空いたら、「あ〜〜、あれが食べたい〜〜」的に、

ずーっと頭の中に食べ物がこだましてしまうような

状態になるのかなぁ、とか想像していたのだけれど、

違うんだな。食べ物が浮かんで来る時は、すべて

 

   壁] _-) チラッ

 

なのよね。

で、すぐ忘れる。今どーせ食べれないしね。

無意識に 諦める、という感じ。

 

そこなのよ。

 

「諦められる」のです。

断食中ですから、という大きな環境の中にいると。

で、ほんとに、忘れてしまえるのです。

 

ということは、

 

私なんかもよくある、

「今日は昼間っからずっとケーキが食べたかったから

仕事の帰りにケーキ屋に寄って、買って帰った」

とかいう感覚・・・

 

そのケーキ屋が閉まっていたりした日にゃあ、

まっすます悶々としたりするという。

 

あの、「忘れない」「諦めない」感覚。

それは・・・執着!

 

きっと、食べ物とかがチラッとヨギルのは、

断食中だから、ではなく、

人の欲求の発端は、すべてそのチラッという瞬間だけ

なのではないかな、と思うのだ。

 

それはカラダにとっての、

栄養だったり、気分転換のためだったりという

なんらかの必要なものとしての、まっとうな欲。

で、その次の瞬間からは、征服欲みたいな、執着。

 

ヘタに、食べちゃいけないとかいうような縛りのない

自由な条件下にいる通常の場合だと、 

 おぉ、それ、ぜったい手に入れてこの欲を満たすぜ!

となりがちなのだな、きっと。

手に入れられるからねー、ほとんどは。

 

つまり、

 

 欲求=必要(原初的な欲)+執着

 

なのかもしれませんなー。

原初的な欲は、生きていくために必要だと

感じたり判断したりするもの。

それは、一瞬。

その次の瞬間から始まる執着は、永続的。

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 <さち・ド・サンファル!さんの、「欲」の王道> 

 

女性をレイプする男性というのは、

性欲が抑えきれないタイプなのだと思われがちだけれど、

性欲というのは誰にでもあるもので、違うところは

「征服欲」を抑えきれないところ

だというでしょう。

 

そいつらのチンチンの中も、

 欲求=必要(と感じる原初的性欲)+征服欲

なんだよな。

 

こう考えると、

性犯罪者をすっごく特殊な人間として

切り捨てて終わってしまいがちだけれど、

何かを必要と感じる原初的な欲に征服欲を絡めてしまうのは

人間フツーにやってしまっていることで、

 

・原初的な欲がどういう方向性、性質を持ったものか

・征服欲の度合い

 

によって、

性犯罪者となって社会からツマはじきになったり

すごい肥満で悩んだり

カラダ壊してしもうたり

こだわりのグルメを謳って生きてみたり

してしまっている、ということになるのかもしれんな。

 

 

とか、考えておった。

水で膨れた胃を抱えながら。 

 

 

その3へ〜

断食4日目。思えば断食処女だった。

断食4日目。7日間の断食の、中日だ。

 

朝の心臓バクバクは無くなった。

起きた時は、まだ暗い部屋の中全体に

青いドットがちょっと見えたり、

目を瞑ると、まぶたの中にやはり豪華なチラチラが。

なにやら金色の、細かな織り柄が集まった

すごく綺麗な万華鏡を見ているような。

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こういうイメージのが、暗いまぶたの中で、放射状になっていた感じ。

ちなみにこれは、私も7月に抱擁していただいた、世界の母アンマさんが

身につけたサリーでできてるのです〜ヽ(´▽`)/

 

やはり、なんというか、昨日までより断然、余裕あり。

余裕で振り返る、ワシの断食前半。

 

「食べる」ということについて、いろいろ考えてはおったよ。

 

断食初日は、

けっこうコテコテなメニューがフッ、と浮かぶことがあった。

ソースたっぷりのお好み焼きとか。

デミグラスソースを使ったようなもんとか。

私は好き嫌いはほとんど無いし、

こういうもんもふつうにおいしいと思うものではあるけれど、

ふだんはそんなに、

自分の大好物!として意識しているようなもんではない。

 

今思えば、カラダとしてはまだ、

 あ〜おぃ、おさち、オレは今日まだ食ってねーぞ

という段階だったのだから、

よくある「腹減ったから今ならけっこうなもんイケる!」という感覚で

ふだんはあんまり好んで食わないスタミナ食的なもんでもOKだぜ!

ということだったんだろう。

これはまぁ、ただのハラヘッタ状態だな。

 

ただ、朝、昼、晩と、慣れない青汁とか飲んでるし、

水も摂らないといけなかったしで、

胃自体には変な膨満感(これずっと継続)があるもんで、

自分が今、ハラヘッテるのかなんなのかマジでよくわからず、

心と体がチグハグな感じというか、

戸惑いの方が大きい。

 

断食処女だな。

 

私の場合、準備期間の3日目から断食開始日にかけてが

1泊2日の出張だった。

 

研究会に参加するという、気楽なものではあったのだけれど

特に今回は、ちょっと慣れてないジャンルの発表を、

2日間けっこうキーーーっと集中して

聞いたり書きとったりしつづける時間で、

それなりに疲れた。

 

で、その最中・・・

ときどき集中からふっ、と戻ってきた瞬間、

ほぼ反射的に

「あ〜なんかどっかで、ケーキとコーヒーかなんか・・・」

と浮かび、次の瞬間

「あ、今ダメな期間か。」

と、すっと諦める、っていうことが、何度もあった。

 

 

この意識のパターンとは・・・?

そして、すっと諦めることができるということは・・・?

さらに、初日は特に「噛みたい・・・!」と思った。

この点について考えたりしていた。

 

まずは、

”あーケーキコーヒー” 

について。

 

胃を満たしたいわけではない。

食べ慣れた味と食感と香りで、ただ

ふ〜っ・・・と一息つきたいのだよね。

 

味覚とは、ものっすごく気分を転換してくれるものなのね。

 

しみじみ感じた。

気分というか、カラダのいる「今」というか「場」全体を

変えているのだと思う。

だから、変えすぎるから、

 刺身食ってんだから、今チョコレートとかいらねーよ

とか、いうことも起きるのだろう。

なんでベランメー調気味なんだろう、この人は。

「甘いもんはベツバラ」とか「シメにラーメン」とかも、

そういう要素を含んでいる。

 

旅行とか、部屋の模様替えとか、服や髪型を変えるとか、

そういう大きな気分転換に比べて、

味覚はもっと小さなガス抜きというか、

口に入れた瞬間、瞬間で、小回りを利かせて

場を変えていけるものなんだなぁ。

発見できました、断食さん、ありがとう。

 

続きは、その2でね〜

 

  

むぅ・・・アシドーシス。断食3日目。

 断食はやっぱ、3日目ぐらいまでがキツいのだって。

 

 「絶食療法の科学」っていう動画の、はじめの方に出てくるのだけど、

その2、3日目のツラさのことを、「アシドーシス」というらしい。

www.youtube.com

この番組ほんと、絶食のすばらしさとメカニズムについて

いろいろ説明してくれています。

 

難病のひとが、その症状を「原因不明」と

病院をたらい回しにされていた時より、

(症状や苦しさは何も変わっていないのに)

病名を特定してもらえてからの方がすごく安心できる、

と言うのを聞いたことがあるけれど、

ちょっと、それに近い気分かな。

あ〜これもアシドーシスなのね、的な。

 

今朝は、昨日のようなヘタレなことにはならず、

無事、儀式も済ませることができたけれど、

やっぱり、一瞬、青い袋は

昨日に引き続いて、こんな感じだった↓

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草間彌生作「わたしのクロックス」 うそです。

私のアシドーシスは、草間彌生になりかけました、的な、な〜。

 

草間彌生と言えば、あの人、

対談相手としてやってきた松任谷由実も巻き込んで

「みんな、弥生ちゃん大好き、って言ってぇ?」

って唐突にその場にいる人員全員に、声揃えて

 ヤヨイチャンダーイスキ

って言わせてたからなー

葛藤が無いの?

むしろ葛藤に打ちひしがれて

形作られた作家という感じがするけど。

 

で、草間彌生になれない私は、

いや、もとい、草間彌生にはならなくてよい私は、

今日は


ふつうに仕事にも行ったし、

そのまま夜にはヨガにも行ってきた。

 

ただ、階段とかは、軽く、徹夜明けの時に感じる

筋肉が早々と疲れてだるくなるあの感じ・・・

あれに近いし、

横になった途端、「あ〜ラク・・・」とは感じてしまうな〜

 

初日からずっとダントツでツラいのは、

水を1.5〜2リットル飲まないといけない

っていうところだなー

 

水分のみで胃がもたれる感じは、ツラいなー。

これも実は、水分だけのせいではない、

アシドーシスの症状の一端なのかぇ?

私のアシドーシス、それは、膨満感。

 

多すぎても少なすぎてもいけないらしいのです、

水の量って。毒の排出のために。

でもキツいのだ。

初日はだめだった。

昨日はなんとか、いけた。

今日も、ダメだ。無理。1リットルが限度。

 

それと、さらなるアシドーシス現象か、

はたまた、別の何なのか知らんが、

左の肋骨の下、というか指をぐっと

入れ込んだ時に触る内側、というか、

胃からは少し左に離れたところ↓が

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ミー in the ポケット

なんか、ごはん食べたあと

急にマラソンさせられた時みたいな、

引きつったような違和感があって、

やがて背中側でも

同じ場所が凝ったみたいな痛さが出てきて、

軽いのだけれど、今もずっとそう。

なんなんだ?

おしえて〜、アシドーシス〜!

使い方まちがい。

響が、アポトーシスみたいだな。

ギリシャ語かなー、ラテン語

調べる気にもならねぇ。

 

ミネラル水のミネラル感が、

すごくまずく感じるのだよねー

昨日は、苦く感じていた。今日はそこまではないけど。

 

そんな感じだった。

なんか、もっと細かな感覚を書きたいのだけど、

やっぱ、ぐーっと内側に入って考える気には

まだならない。

 

それがきっと、アポトー・・・

あ、まちがい、

アシドーシス!

  

 

断食2日目。

今日は断食2日目。

7日間やるのだ。

 

なんか、2日目がつらかったという人が多い。

 

私の今日の状態は、

・朝がツラかった(考えてみれば、一瞬ね)

・水飲むこと自体が、ツラい。

・青い面に、赤い斑点みえた(汗)

 

うん、まず1日目のことから。

特に初日は、やることに慣れてないので、

次にアレしてコレして、と意識していることに

疲れたような感じで、終わってしまった気がする。

 

何かと、準備が大変だったのだ。

期間の前半はフレッシュジュースか青汁を飲む、とか

水はミネラルウォーターを、とか

もし死にそーな緊急事態になった場合は

これこれをこういうふうに摂ってよい、とか

いろんなもんを揃えないといけない。

 

それに、断食に入る前には「準備」の期間があり、

終わってからは「復食」の期間もあって、重要らしいし、

前日には軽く下剤を・・・という指示もあって、

ノウイングスクールの放課後に、

あたしら仲間は、青汁やら何やらかやら、便秘薬まで

ブツを山分けしたの。

やっぱり、断食道場とかがあるのは、うなずける。

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山分けしたブツたち。錠剤は、砕いて水に溶かして飲むぜ(泣)

 

で、自力で勤しむ断食初日は、

朝から250ミリリットルの水を測って、青汁つくって飲んだり、

水自体も「噛むように」して飲んだり、

呼吸法をいろいろやったり。

 

で、むしろ「おなかすいた〜」という

ふつうよくある状態には全然ならずに、

てゆうか、なる暇も無いままに、

もうさっさと寝たのだ。

 

そして今朝。

今は毎日、「儀式」をやる期間なのですけれどもね、

(それについては、また後日。)

私はそれを朝やると決めているので

5時前に起床!

いつものように、顔洗ってすぐ

お水などを準備して・・・いたら、

 なんか体がだるいかなぁ〜

という感覚になってきた。

 

ああ、これがツラいと聞く2日目の始まりか〜(・・;)

と思いながら儀式を始めようとした頃には、

・・・動悸が・・・ひどい。

 

数分間、呼吸をしたりして

少しだけマシになったけれど、

なんかこの動悸、おさまりそうにないわぃ、と

もうそのまま、今日の儀式、決行!

 

宣言文なんて、声よれ〜っと裏返ったりして、

そんなに長くかかる儀式でもないのに、

とにかく終えた頃には、

椅子に座っている上体を起こしておくのもつらい、

横になりたい、と

そのまま床で仰向けに。

手もすごく冷たくなっていた。

ちょっと寒いなぁ、っていう感じ。

 

・・・わー。朝の段階ですでにこんなんなって、

   わたし、もつのだろうか、この2日目・・・?

 

と思っているうちにしばらく眠っていたようだ。

同居人の、こっちの部屋の戸を開けた音と

「なんで起こしてくれなかったんだよ(やや怒)」

という声に飛び起きた。

・・・遅刻してやんの。

 

ぅわぁ、私も体調がヘンで寝てしまっとったとよ〜・・・と

起き出して、

あたふたする同居人と一緒に

あたふたしていたら、

なんか景色が点描画のように

チラチラする。

 

あー、貧血のときみたいだ、と思いながら

ふと、

テーブルの上にほったらかしていた青い袋が目に入ったと思ったら、

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なんか、

このように見えたのですー↓

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ミルキーを見つめているくまモンのほっぺは、もともと赤いです。

何度、見直しても。

 

ちらちらする目で、同居人を見送った。

彼は彼でなぁ。

ここ数日、仕事遅くまでやって帰ってきても、

晩酌ができるわけじゃなし。

 

一人で飲んで食って、いいんだよ、と言ってはおるが、

なにせ、

 食べる人1:食べない人1

だものね。

食べづらいらしい。ふふふ

 

いっそ一緒に断食してみたらいいのにねぇ。

一応、誘ったんだ。

「私、この夏、断食するよ」と。

そしたら、即、

「俺は、おかわりするよ」

と言われたので、

ああ、そうかい、って別の道を生きていたのだけれど。

 

さすがに、1対1になってみると、

ご飯炊いたりしづらいらしい。ふふふ

 

まぁ、そんなで、やつが遅く出勤してった後、

数時間して、朝の青汁も終わり、

水をちびちび口に含んでいた

午前中遅い時間ぐらいには、

体調は元に戻っていて、体操なんかしたりして。

赤い斑点も消えていた。

 

話に聞くほどのツラさとかイライラとかは、

無かったかな。

そんな2日目でございました。

 

 

 

 

 

ねぇ、あなた。そうだね、おまえ。

私は、心のモヤモヤを晴らしたい一心で、

ノウイングに1年間通うことにした。

本気でスッキリしたいのだ。

 

そこでいろいろ自分を見つめ始めてから3ヶ月半ほど。

いろいろ変わってきているネ〜と言われたり、ナ〜と思ったり。

 

だから、やっぱりこれは、書いておこう。

と思ったので、書きます。

 

逆に、なんで今まで書いておこうとしなかったのか。

この「なんで」は、すでに、一つの

「思考パターンの変化」によって始めて出てきた「なんで」

なのだと思うのだ。

 

自分の内面を吐露してるうちに

自己嫌悪になってやめたりしたこともあるしなぁ、とか

いやーいろいろ言ってくるやつがいて前ちょっと面倒だったし、とか

でもそれはつまり誰のために書くんだよ、とか

そう思ってる自分は何を意識してるんだよ、とか

あーもーだからこゆこと考えるのめんどくせー、とか

いうような、

こんがらがった思考が邪魔をして

書こうというアクションに移れなかったのが、

「ノウイング前」だ。

 

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動けない、がんじがらめ。ひきこもり。ちぢこまり。

 

まさに、思考でがんじがらめになって行動に移れない、

そういう状態のことを、「葛藤」というのだ。

それをすこーしずつ、ほぐそうと、

「知ろう」とし始めただけで、

もう、ほれ、このように、「書こう」としておる。

 

はい、どうぞ、私が感じたことです、

とハートが開いてないと、

きっと私は書き続けられない。

 

とすら言葉にもできず、でも、ただ感じていたから、

アクションに移れない理由が

胸から溢れ出て、

道を塞いでいたのだよ。

そういう人の方が、実は多いのだとも思うのだよ、

それがブログについてかどうかは人それぞれだけれど。

 

そんで、わたし、いま開き始めているからなぁ。ハートが。

 

そういう変化は、残しておきましょうよ、ねぇあなた。

この子の成長の記録だもの。

そうだね、おまえ。